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タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった
宮沢賢治
ホロタイタネリは、小屋の出口で、でまかせのうたをうたいながら、何か細かくむしったものを、ばたばたばたばた、棒で叩(たた)いて居(お)りました。
﹁山のうえから、青い藤(ふじ)蔓(つる)とってきた
…西風ゴスケに北風カスケ…
崖(がけ)のうえから、赤い藤蔓とってきた
…西風ゴスケに北風カスケ…
森のなかから、白い藤蔓とってきた
…西風ゴスケに北風カスケ…
洞(ほら)のなかから、黒い藤蔓とってきた
…西風ゴスケに北風カスケ…
山のうえから、…﹂
タネリが叩いているものは、冬中かかって凍(こお)らして、こまかく裂(さ)いた藤蔓でした。
﹁山のうえから、青いけむりがふきだした
…西風ゴスケに北風カスケ…
崖のうえから、赤いけむりがふきだした
…西風ゴスケに北風カスケ…
森のなかから、白いけむりがふきだした
…西風ゴスケに北風カスケ…
洞のなかから、黒いけむりがふきだした
…西風ゴスケに北風カスケ…。﹂
ところがタネリは、もうやめてしまいました。向うの野はらや丘(おか)が、あんまり立派で明るくて、それにかげろうが、﹁さあ行こう、さあ行こう。﹂というように、そこらいちめん、ゆらゆらのぼっているのです。
タネリはとうとう、叩いた蔓を一束(たば)もって、口でもにちゃにちゃ噛みながら、そっちの方へ飛びだしました。
﹁森へは、はいって行くんでないぞ。ながねの下で、白(しら)樺(かば)の皮、剥(は)いで来よ。﹂うちのなかから、ホロタイタネリのお母(っか)さんが云(い)いました。
タネリは、そのときはもう、子(こじ)鹿(か)のように走りはじめていましたので、返事する間もありませんでした。
枯(か)れた草は、黄いろにあかるくひろがって、どこもかしこも、ごろごろころがってみたいくらい、そのはてでは、青ぞらが、つめたくつるつる光っています。タネリは、まるで、早く行ってその青ぞらを少し喰(た)べるのだというふうに走りました。
タネリの小屋が、兎(うさぎ)ぐらいに見えるころ、タネリはやっと走るのをやめて、ふざけたように、口を大きくあきながら、頭をがたがたふりました。それから思い出したように、あの藤蔓を、また五六ぺんにちゃにちゃ噛みました。その足もとに、去年の枯れた萱(かや)の穂(ほ)が、三本倒(たお)れて、白くひかって居りました。タネリは、もがもがつぶやきました。
﹁こいつらが
ざわざわざわざわ云ったのは、
ちょうど昨日のことだった。
何(なに)して昨日のことだった?
雪を勘(かん)定(じょう)しなければ、
ちょうど昨日のことだった。﹂
ほんとうに、その雪は、まだあちこちのわずかな窪(くぼ)みや、向うの丘の四(しほ)本(ん)の柏(かしわ)の木の下で、まだらになって残っています。タネリは、大きく息をつきながら、まばゆい頭のうえを見ました。そこには、小さなすきとおる渦(うず)巻(ま)きのようなものが、ついついと、のぼったりおりたりしているのでした。タネリは、また口のなかで、きゅうくつそうに云いました。
﹁雪のかわりに、これから雨が降るもんだから、
そうら、あんなに、雨の卵ができている。﹂
そのなめらかな青ぞらには、まだ何か、ちらちらちらちら、網(あみ)になったり紋(もん)になったり、ゆれてるものがありました。タネリは、柔(やわ)らかに噛んだ藤蔓を、いきなりぷっと吐(は)いてしまって、こんどは力いっぱい叫(さけ)びました。
﹁ほう、太(てん)陽(とう)の、きものをそらで編んでるぞ
いや、太(てん)陽(とう)の、きものを編んでいるだけでない。
そんなら西のゴスケ風だか?
いいや、西風ゴスケでない
そんならホースケ、蜂(すがる)だか?
うんにゃ、ホースケ、蜂(すがる)でない
そんなら、トースケ、ひばりだか?
うんにゃ、トースケ、ひばりでない。﹂
タネリは、わからなくなってしまいました。そこで仕方なく、首をまげたまま、また藤蔓を一つまみとって、にちゃにちゃ噛みはじめながら、かれ草をあるいて行きました。向うにはさっきの、四本の柏が立っていてつめたい風が吹(ふ)きますと、去年の赤い枯れた葉は、一度にざらざら鳴りました。タネリはおもわず、やっと柔らかになりかけた藤蔓を、そこらへふっと吐いてしまって、その西風のゴスケといっしょに、大きな声で云いました。
﹁おい、柏の木、おいらおまえと遊びに来たよ。遊んでおくれ。﹂
この時、風が行ってしまいましたので、柏の木は、もうこそっとも云わなくなりました。
﹁まだ睡(ね)てるのか、柏の木、遊びに来たから起きてくれ。﹂
柏の木が四本とも、やっぱりだまっていましたので、タネリは、怒(おこ)って云いました。
﹁雪のないとき、ねていると、
西風ゴスケがゆすぶるぞ
ホースケ蜂(すがる)が巣を食うぞ
トースケひばりが糞(くそ)ひるぞ。﹂
それでも柏は四本とも、やっぱり音をたてませんでした。タネリは、こっそり爪(つま)立(だ)てをして、その一本のそばへ進んで、耳をぴったり茶いろな幹にあてがって、なかのようすをうかがいました。けれども、中はしんとして、まだ芽も葉もうごきはじめるもようがありませんでした。
﹁来たしるしだけつけてくよ。﹂タネリは、さびしそうにひとりでつぶやきながら、そこらの枯れた草(くさ)穂(ぼ)をつかんで、あちこちに四つ、結び目をこしらえて、やっと安心したように、また藤の蔓をすこし口に入れてあるきだしました。
丘のうしろは、小さな湿(しっ)地(ち)になっていました。そこではまっくろな泥(どろ)が、あたたかに春の湯気を吐き、そのあちこちには青じろい水ばしょう、牛(ベゴ)の舌の花が、ぼんやりならんで咲いていました。タネリは思わず、また藤蔓を吐いてしまって、勢(いきおい)よく湿地のへりを低い方へつたわりながら、その牛(ベゴ)の舌の花に、一つずつ舌を出して挨(あい)拶(さつ)してあるきました。そらはいよいよ青くひかって、そこらはしぃんと鳴るばかり、タネリはとうとう、たまらなくなって、﹁おーい、誰(たれ)か居たかあ。﹂と叫びました。すると花の列のうしろから、一ぴきの茶いろの蟇(ひきがえる)が、のそのそ這(は)ってでてきました。タネリは、ぎくっとして立ちどまってしまいました。それは蟇の、這いながらかんがえていることが、まるで遠くで風でもつぶやくように、タネリの耳にきこえてきたのです。
︵どうだい、おれの頭のうえは。
いつから、こんな、
ぺらぺら赤い火になったろう。︶
﹁火なんか燃えてない。﹂タネリは、こわごわ云いました。蟇は、やっぱりのそのそ這いながら、
︵そこらはみんな、桃(もも)いろをした木(きく)耳(らげ)だ。
ぜんたい、いつから、
こんなにぺらぺらしだしたのだろう。︶といっています。タネリは、俄(にわ)かにこわくなって、いちもくさんに遁(に)げ出しました。
しばらく走って、やっと気がついてとまってみると、すぐ目の前に、四本の栗(くり)が立っていて、その一本の梢(こずえ)には、黄(き)金(ん)いろをした、やどり木の立派なまりがついていました。タネリは、やどり木に何か云おうとしましたが、あんまり走って、胸がどかどかふいごのようで、どうしてもものが云えませんでした。早く息をみんな吐いてしまおうと思って、青ぞらへ高く、ほうと叫んでも、まだなおりませんでした。藤蔓を一つまみ噛んでみても、まだなおりませんでした。そこでこんどはふっと吐き出してみましたら、ようやく叫べるようになりました。
﹁栗の木 死んだ、何して死んだ、
子どもにあたまを食われて死んだ。﹂
すると上の方で、やどりぎが、ちらっと笑ったようでした。タネリは、面(おも)白(しろ)がって節をつけてまた叫びました。
﹁栗の木食って 栗の木死んで
かけすが食って 子どもが死んで
夜(よだ)鷹(か)が食って かけすが死んで
鷹は高くへ飛んでった。﹂
やどりぎが、上でべそをかいたようなので、タネリは高く笑いました。けれども、その笑い声が、潰(つぶ)れたように丘へひびいて、それから遠くへ消えたとき、タネリは、しょんぼりしてしまいました。そしてさびしそうに、また藤の蔓を一つまみとって、にちゃにちゃと噛みはじめました。
その時、向うの丘の上を、一疋(ぴき)の大きな白い鳥が、日を遮(さえ)ぎって飛びたちました。はねのうらは桃いろにぎらぎらひかり、まるで鳥の王さまとでもいうふう、タネリの胸は、まるで、酒でいっぱいのようになりました。タネリは、いま噛んだばかりの藤蔓を、勢よく草に吐いて高く叫びました。
﹁おまえは鴇(とき)という鳥かい。﹂
鳥は、あたりまえさというように、ゆっくり丘の向うへ飛んで、まもなく見えなくなりました。タネリは、まっしぐらに丘をかけのぼって、見えなくなった鳥を追いかけました。丘の頂上に来て見ますと、鳥は、下の小さな谷間の、枯れた蘆(あし)のなかへ、いま飛び込(こ)むところです。タネリは、北風カスケより速く、丘を馳(か)け下りて、その黄いろな蘆むらのまわりを、ぐるぐるまわりながら叫びました。
﹁おおい、鴇、
おいらはひとりなんだから、
おまえはおいらと遊んでおくれ。
おいらはひとりなんだから。﹂
鳥は、ついておいでというように、蘆のなかから飛びだして、南の青いそらの板に、射られた矢のようにかけあがりました。タネリは、青い影(かげ)法(ぼう)師(し)といっしょに、ふらふらそれを追いました。かたくりの花は、その足もとで、たびたびゆらゆら燃えましたし、空はぐらぐらゆれました。鳥は俄かに羽をすぼめて、石ころみたいに、枯草の中に落ちては、またまっすぐに飛びあがります。タネリも、つまずいて倒れてはまた起きあがって追いかけました。鳥ははるかの西に外(そ)れて、青じろく光りながら飛んで行きます。タネリは、一つの丘をかけあがって、ころぶようにまたかけ下りました。そこは、ゆるやかな野原になっていて、向うは、ひどく暗い巨(おお)きな木立でした。鳥は、まっすぐにその森の中に落ち込みました。タネリは、胸を押(おさ)えて、立ちどまってしまいました。向うの木立が、あんまり暗くて、それに何の木かわからないのです。ひばよりも暗く、榧(かや)よりももっと陰気で、なかには、どんなものがかくれているか知れませんでした。それに、何かきたいな怒(ど)鳴(な)りや叫びが、中から聞えて来るのです。タネリは、いつでも遁(に)げられるように、半分うしろを向いて、片足を出しながら、こわごわそっちへ叫んで見ました。
﹁鴇、鴇、おいらとあそんでおくれ。﹂
﹁えい、うるさい、すきなくらいそこらであそんでけ。﹂たしかにさっきの鳥でないちがったものが、そんな工(ぐあ)合(い)にへんじしたのでした。
﹁鴇、鴇、だから出てきておくれ。﹂
﹁えい、うるさいったら。ひとりでそこらであそんでけ。﹂
﹁鴇、鴇、おいらはもう行くよ。﹂
﹁行くのかい。さよなら、えい、畜(ちく)生(しょう)、その骨(ほね)汁(じる)は、空(か)虚(ら)だったのか。﹂
タネリは、ほんとうにさびしくなって、また藤(ふじ)の蔓(つる)を一つまみ、噛(か)みながら、もいちど森を見ましたら、いつの間にか森の前に、顔の大きな犬神みたいなものが、片っ方の手をふところに入れて、山(やま)梨(なし)のような赤い眼(め)をきょろきょろさせながら、じっと立っているのでした。タネリは、まるで小さくなって、一目さんに遁げだしました。そしていなずまのようにつづけざまに丘を四つ越(こ)えました。そこに四本の栗の木が立って、その一本の梢には、立派なやどりぎのまりがついていました。それはさっきのやどりぎでした。いかにもタネリをばかにしたように、上できらきらひかっています。タネリは工合のわるいのをごまかして、
﹁栗の木、起きろ。﹂と云いながら、うちの方へあるきだしました。日はもう、よっぽど西にかたよって、丘には陰(か)影(げ)もできました。かたくりの花はゆらゆらと燃え、その葉の上には、いろいろな黒いもようが、次から次と、出てきては消え、でてきては消えしています。タネリは低く読みました。
﹁太(てん)陽(とう)は、
丘の髪(かみ)毛(け)の向うのほうへ、
かくれて行ってまたのぼる。
そしてかくれてまたのぼる。﹂
タネリは、つかれ切って、まっすぐにじぶんのうちへもどって来ました。
﹁白(しら)樺(かば)の皮、剥(は)がして来たか。﹂タネリがうちに着いたとき、タネリのお母(っか)さんが、小屋の前で、こならの実を搗(つ)きながら云いました。
﹁うんにゃ。﹂タネリは、首をちぢめて答えました。
﹁藤蔓みんな噛じって来たか。﹂
﹁うんにゃ、どこかへ無くしてしまったよ。﹂タネリがぼんやり答えました。
﹁仕事に藤蔓噛みに行って、無くしてくるものあるんだか。今年はおいら、おまえのきものは、一つも編んでやらないぞ。﹂お母(っか)さんが少し怒って云いました。
﹁うん。けれどもおいら、一日噛んでいたようだったよ。﹂
タネリが、ぼんやりまた云いました。
﹁そうか。そんだらいい。﹂お母(っか)さんは、タネリの顔付きを見て、安心したように、またこならの実を搗きはじめました。
底本‥﹁ポラーノの広場﹂新潮文庫、新潮社
1995︵平成7︶年2月1日発行
底本の親本‥﹁新修宮沢賢治全集﹂筑摩書房
入力‥久保格
校正‥鈴木厚司
2003年8月3日作成
青空文庫作成ファイル‥
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