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木の枝の力
今の人には何でもない木の小枝の鉤(かぎ)になったものなどが、昔は非常に重要にみられていたということは、必ずしも小さな発見ではない。金属工芸の進まなかった時代から、土を耕す鍬(くわ)はすでに備わり、また火を焚(た)く炉の上の鉤も欠くべからざるものであった。これに天然に備わった物を用いようとすれば木の枝より以上に丈(じょ)夫(うぶ)なものはなかった。すなわち昔の人たちは自分の体験によって、つとに木の枝の強い力を認めていたのである。
三重県の北部から滋賀県の甲(こう)賀(が)地方にかけて、春のはじめに神様を山から、里(さと)の方へ御迎え申す作法として、鉤(かぎ)曳(ひき)という神事がある。神木に張り渡した太い注(しめ)連(な)繩(わ)に、木の鉤を懸(か)けて歌をうたいつつ曳(ひ)くのである。
東北地方では一般に、峠(とう)路(げみち)の辻(つじ)や入口にある大木の高い枝に、鉤になった小枝を下から投げあげて引(ひっ)懸(か)かるかどうかを試みる占(うらな)いがあって、時々は無数にその小枝の懸(かか)っている樹(き)を見かけるが、それを鉤(かぎ)懸(かけ)もしくはカンカケといっている。讃(さぬ)岐(き)の小(しょ)豆(うど)島(しま)の寒(かん)霞(かけ)渓(い)もそれらしいから元(もと)はこの方面にも同じ風習があったかと思われる。今日では小石を石の鳥(とり)居(い)の上に乗せて見ようとし、または沓(くつ)掛(かけ)といって、馬の沓(くつ)や古(ふる)草(わら)鞋(じ)を投げあげるようにもなっており、子どもや若い者の慰(なぐさ)みくらいにしか考えられておるまいが、かつてはまじめに或る旅行の成功するか否かを、鉤によってたしかめてみるという信仰があったのである。
それよりも今一段と子どもらしい方法、したがって今では子どもしか試(こころ)みない戯(たわむ)れに、鉤(かぎ)引(ひき)というものがあることは知っている人が多かろう。東北ではこれも小さな木の枝の鉤で、それ故に主としてこれに用いられるしなの木などを、今も子どもはカギヒコノキと呼んでいる。この遊びをする日が、特に正月の松(まつ)の内(うち)となっているのは、由(ゆら)来(い)の久しいことかと思う。他の地方に行くと春もたけてから、路傍の車(おお)前(ばこ)の茎(くき)を折(おり)曲(ま)げて引(ひっ)懸(か)け引(ひっ)張(ぱ)り、または菫(すみれ)の花の馬の首のようになった部分を交(こう)叉(さ)して、むしろその首のたやすくもげて落ちるのを、笑い興ずるようになっているが、二つは最初から別々の遊戯であろうとも思われない。すなわち、子どもの遊びには遠い大昔の、まだ人間が一般に子どもらしかった頃に、まじめにしていたことの痕(こん)跡(せき)があるのである。
︹つづく︺
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