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祝い棒の力
小児は全体に木(き)切(ぎ)れを持って遊ぶを好み、それを持つとかならず少しばかり昂(こう)奮(ふん)する。なんでもないことのように我々は考えがちだが、実は隠れたる由(ゆら)来(い)のあったことかも知れぬのである。ことに目にたつのは正月の十五日前で、これを子どもが持つと、ちょうど神(かん)主(ぬし)さんの笏(しゃく)や扇(せん)子(す)と同じく、彼らの言葉と行ないに或る威力がある、という風(ふう)に昔(むか)者(しもの)は今も感じている。単に目に見えぬ害鳥虫をあらかじめ駆逐し、または果樹を叩(たた)いてその木を豊産になしえたのみならず、若い女性の腰を打てば、みごとな児(こ)を生むとさえ信じていた時代があった。だから、
大(だい)の子(こ)小(しょう)の子(こ)十三人云(うん)々(ぬん)
という歌があって、この祝い棒をダイノコと呼ぶ土地もあり、または、
男ぼっこ持ちやがれ
などという悪口に近い詞(ことば)さえもあった。東部日本ではヨメツツキまたは嫁(よめ)叩(たた)き棒、九州の各地でハラメン棒、対(つし)馬(ま)でコッパラなどといったのも、すべてこの正月の祝い棒の名で、集めているときりがないが、いずれもこの木切れに女を孕(はら)ませる力があると思っていたからの命名である。祝い棒にはいろいろの装飾が施されていた。色紙を貼(は)ったり彩色をしたり、または左巻きと称して樹(き)の皮を巻き、燻(いぶ)して型をつけたものもあるが、最も古風なのは精巧な削り掛けがしてあった。それを手に執(と)ると、実際もう常の心ではおられなかったのかと思う。
鹿児島県の一部などでは、この棒をダシヤレ棒ともいっている。大(おお)歳(とし)または十四日の年(とし)越(こし)の晩(ばん)に、家々の門に来てこれを振りまわし、ダシヤレダシヤレ、またはハーラメダーセ、すなわち孕み女を出せとわめくのである。現在はたいていお菓(か)子(し)や餅(もち)を与えて帰すだけだが、固(かた)い家では表(おも)口(てぐち)に俵(たわら)をならべその上に花嫁を坐(すわ)らせて、尻(しり)を打つまねをしてもらう土地も他県にはあり、または子のないのを歎(なげ)く女が、所(しょ)望(もう)して打ってもらうという例さえ稀(まれ)にはあった。﹃枕(まく)草(らの)子(そうし)﹄には宮中の人たちが、隠れて女を打とうとしたことが面白く書いてあるが、無論こういう行事は戯(たわむ)れになりやすく、小児はまた決していたずらが嫌(きら)いではない。だから中央部がはじめで、しだいに今日の公認せられた悪(いた)戯(ずら)となったのである。あるいは粥(かゆ)杖(づえ)というので別もののごとくにも見えるが、それもまた一つの祝い棒の役目から出た名であった。
︹つづく︺
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