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女児のままごと
あんまり男の子の荒々しい話に片よったから、今度は方面をかえて﹁おままごと﹂の問題を考えてみよう。この遊びが日本では特別によく発達しているということを、皆さんは多分まだ心づいておられぬだろうが、同じ年をとった人たちの所(しょ)作(さ)を真似るという中でも、ままごとのお手本はそう手近いところにはないようだ。そうして男の子の鳥追いやもぐら打ちと同様に単なる遊戯という以上に、まだ一部分は村の公務といってもよい状態が残り伝わっているのである。
これを発見するには最初にまずこの遊びに、季節または機会があるかどうかを注意して行くのがよいかと思う。カマクラと称する秋田県の雪小屋などは、以前の鳥(とり)追(おい)歌(うた)や御(おほ)火(たき)焚(ぼ)棒(う)がまだ残っているにもかかわらず、今では女の児(こ)が火(ひば)鉢(ち)なんか持(もち)込(こ)んで、静かに煮(に)炊(た)きをして楽しむ場所になっている。他の地方の正月小屋でも、餅を焼いて食べ、または世話をする宿があって、子どもばかりの食事をするのが彼らにとっては重要な事務であった。ただしこれだけは女の子を入れない。
或いは天竜川筋の雛(ひな)送(おく)りのように、三月節(せっ)供(く)の日に川原に蓆(むしろ)を敷き、火を焚(た)いて飲み食いを中心にした少女の集まりがあるが、もとは東京の近くの馬(ばに)入(ゅう)川(がわ)筋(すじ)の村にもあった。ままごとの地方色はいろいろある中に、若(わか)狭(さ)の常(つね)神(かみ)村などでカラゴトというのが、やはりその川(かわ)原(らご)事(と)であったらしい。ただし三月の雛遊びの日に限らず、盆に川原に出て川(かわ)原(らが)粥(ゆ)・川原飯を炊いて食べる方が、むしろずっとひろい風習であった。
場所は川原でなくとも磯(いそ)ばた・海のほとり、または遠くの見える丘の上・橋の袂(たもと)などを選ぶこともあった。とにかくに屋外で食べるだけでなく、調理までをするというのが一つの特色で、それによって辻(つじ)めし︵美(み)濃(の)︶、門(かど)飯(めし)︵五(ごと)島(う)︶、門(かど)まま︵紀州︶などの名があり、またたいていは中(ちゅ)元(うげん)の行事であったゆえ、全国を通じて盆かまど・ボンクド・盆飯・盆粥という例が多いのである。食べ物を野天でこしらえるということは、大人でも興味を持つほどの珍しい事件なのに、ましてやこれに携わった者がいつの世からともなく女(め)の童(わらわ)であった。どうしてこういうことをするのかは彼らにはわからぬ。ただその面白さを忘れることができなくて、折さえあればその形をくりかえして、おいおいと一つの遊びを発達せしめたのである。
︹つづく︺
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