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狐あそび
信州小(ちい)県(さがた)郡の民謡集に、鬼遊びの童(わら)詞(べことば)が七章まで載っている。
鬼の来るまで 洗濯でもしやしょ
鬼の来るまで 豆でも炒(い)りやしょ
がら〳〵がら〳〵 石(いし)臼(うす)がら〳〵
豆はたきとん〳〵
鬼を激(げっ)昂(こう)させる手段として、東京でも洗濯だけはいうが、こうなると、もう一つの演劇であって、しかも作者は土地の子どものほかにありえない。あるいは文句を他(よ)所(そ)から聞き覚えて、呪(じゅ)文(もん)のようにそれを守り、または若干の作意を加えたものが鬼きめの言葉には多い。羽(う)後(ご)の大(おお)館(だて)附近に行なわれていたのは、
隠れぼっちにかたなの者は
しんざのこちゃのれんげの花
これを新沢という村の麹(こう)屋(じや)のことのように思っていたそうだが、実は非常に古くからある小(ちい)さ子(こぼ)法(う)師(し)、すなわち一寸法師の物語であった。江戸でも早くから意味が分らなくなって、チーチャコモチャ桂(かつら)の葉などとうたっていた。備前の岡山では、
つーちゃこもちゃかずらの葉
ねんねがもったらちょと引け
すなわち東北は遠いだけに、まちがいが幾分か大きかったのである。
鬼きめというのは、小さな握(にぎ)り拳(こぶし)を並べさせて、歌の文句に合せてその上を突いて行くのだが、その言葉にも遊戯の趣意を説こうとする、序曲のような役目があったのかも知れぬ。ことに隠れ鬼や目くら鬼では、遊びのなかばでは声を立てることができない故に、初めに歌っておく文句が多かった。
だあまれ〳〵雉(きじ)の子
鉄砲かたげがとおッぞ
うんともいうな屁(へ)もひんな
これは肥(ひ)後(ご)の球(く)磨(ま)地方の、モウゾウ隠れ︵隠れんぼ︶の歌であった。是(これ)よりも一段と劇的なのは今も田(いな)舎(か)に残っている狐(きつ)遊(ねあそ)び、大阪でもと﹁大(やま)和(と)の源九郎はん﹂などといった鬼ごとである。百年以前の﹃嬉(きゆ)遊(うし)笑(ょう)覧(らん)﹄にも、
鬼ごとの一種に、鬼になりたるを山のおこんと名づけて、引きつれて下に屈(かが)み、とも〳〵つばな抜(ぬ)こ〳〵と言ひつつ、茅(つば)花(な)抜くまねびをしてはてに鬼に向ひ、人さし指と大指とにて輪をつくり、その内より覗(のぞ)き見て、是なにと問へばほうしの玉といふと、皆逃げ去るを鬼追ひかけて捕ふる也(なり)
と見えている。今日の﹁御山の御山のおこんさん﹂遊びの筋(すじ)書(がき)は、もうまただいぶ長くなっていて、これに子どもでなくては言えぬようなおかしい問答が数多く繰り返される。
︹つづく︺
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