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児童文芸
それからまた、この鹿遊びの外国から入って来たということを、全然無視していたのも悪かった。必ずそうだとは誰にもいえまいが、そういうこともあり得るとまでは認めなければならぬ。越(えち)後(ごた)高(か)田(だ)のある女学校で、明治初年に教育を受けた一女性がこの遊びを記憶していた。ここに来ていた米国人の教師で、格別に子どもの好きな人があって、たくさんのあちらの遊戯を教えて行った。これもその一つであったようにこの婦人はいっている。これは確かな事実であるにしても、今ある九州・四国の鹿々なんぼが、ここから運ばれていって発達したということまではとうてい証明する道はないであろう。しかしこの程度の出来事なら、同時に他の土地にもあったかも知れない。私の受取った報告の中には五十年前にあったというものが三つ、あるいは七十近いお婆さんが、私の生まれる前からあったといった例も同じ越後にあったが、それにしたところで明治以前でない。児童の遊びは他の慣習とちがって、一年のうちには百度もくり返され、真似の上手な手あいが熱心に見つめていたのである。一旦流(る)布(ふ)するとすれば足取りは早かったはずである。
注意すべきことには、鹿々角何本というように安らかな日常語で問う例は割に少なく、前に掲げた浜松市をはじめ、神奈川・山梨・富山などの諸県には、
鹿よ鹿よ汝(なんじ)の角は幾本なりや
という類の、近ごろの新文章口(くち)調(ょう)で問うているものが多い。それが滋賀県にも、香川県にも、またシカシカなんぼの最も盛んな福岡県にもあるのは、あるいはまたこの言葉の珍しく、かつ大(おと)人(な)くさいのに興味をひかれたのが、はじめだったかもしれぬ。指の数を当てさせて、はずれたとき、ちがうという代りに正しい数をいい、﹁三本何本﹂と畳(たた)みかけて問う風(ふう)は九州にもあるが、大分県の方には最初から、
レイボン、何本
という妙な問いかたがあって、それを零本のことだと解しているらしい。滋賀県の犬(いぬ)上(かみ)郡でも、
レイボン、鹿の角何本
鹿の足何本
などという聞きかたがあるという話だが、このレイボンなどが、或いはなんらかの手(てが)掛(か)りではあるまいか。私はなお他の地方の変った事実に、これからも気をつけていたいと思っている。
︹つづく︺
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