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第二編
五
もうかなりに晩(おそ)くなっていた。かれこれ二時半近くになっていて、公爵が行ってみるとエパンチンは留守であった。そこで、彼は名刺を置いて、﹃はかりや﹄旅館に出かけて、コォリャに会って聞こうと考えた。もしもコォリャがいなかったら、置き手紙をして来ることにして。
さて﹃はかりや﹄へ行くと、宿では﹁ニコライ・アルダリオノヴィッチさんは朝のうちにお出かけのままでございますよ。お出かけの時、もしもたずねて来た人があったら、三時ごろまでには帰って来るとことづてするようにと申されましてね。もしも三時になっても帰って来ないときは、汽車に乗ってパヴロフスクに出かけてエパンチン将軍様の奥様の別荘でお食事をなさるものと思ってくれとのお話で﹂と言っている。公爵はしかたがないので、そこに腰を据えて待つことにし、ついでに自分も昼食をとることにした。
三時半になっても、四時になってもコォリャはやって来ない。公爵は表へ出て、足の向くままに、人心地もせずに歩き回っていた。夏の初めのペテルブルグには、時としてうららかで、明るく、生暑く、物静かな日が訪れる。まるで、わざとのように、この日もこのような珍しい天気の日であった。しばらくの間、公爵はあてどもなく、あたりをぶらついた。町の様子はそんなによくわかっていなかった。時おりあちこちの他人の家の前の十字路や、広場や、橋の上に立ち止まった。一度はまた、とある菓子屋の中へはいって行って一休みしたりした。またある時は、いかにも物珍しそうに道行く人をしげしげと眺めかかったりした。しかし、たいていは通行人の顔も眼に入らず、いったいどこを自分が歩いているのかも気にとまらなかったのである。彼は苦しいほどに張りつめた気持になり、不安にもなっていたが、同時にたった一人になりたいという要求をも強く感じていた。孤独になって、この張りつめきっている苦しい気持に、いささかの息抜きも求めずに、全く受身になって浸りたいと考えていた。心のうち、魂のうちに流れ寄る問題をいやいやながら解決しよういう気持などにはなれなかった。﹃まあしかたがないだろう、やっぱり自分が何もかも悪いんだ?﹄彼は自分の言っていることにはほとんど気がつかずにひとり言を言っていた。
六時近くになって、彼はツァルスコエ線のプラットフォームにやって来た。孤独ということがたちまちに堪えがたいものになってきた。新しい熱情が胸に湧いてきて、今まで魂を痛めつけていた闇が一瞬にして輝かしい光に照らされた。パヴロフスク行きの切符を買って、彼はたまらないほどの気持で出発をあせるのであった。しかし、もちろんそれにはそれで何ものかがつきまとっていた。それは現実そのものであって、なるべくそうあって欲しいと考えていたかもしれないような夢ではなかった。
客車の中で席に着いたか着かないうちに、いきなり彼はたったいま手にとったばかりの切符を床へ投げ捨てたかと思うと、困り果てて、物思わしげな顔をしながら再び停車場の前へ出てしまった。しばらくしてから、彼は通りで何か急に思い出して、何か感づいたような風であった。実に奇妙な、今まで長い間彼を不安ならしめていたことを胸に浮かべたらしかった。そういえば、彼はもうかなり長いこと続いているのに、いまといういままでいっこう気のつかなかったことにかかわっていたことを、不意に悟ったのである。もう何時間も前から、まだ﹃はかりや﹄にいるときから、あるいはその前からかもしれないが、彼は自分の周囲にふいと何かを捜しかかっていたらしかった。長い間、半時間も忘れ果てていて、急にまたもや心配げにあたりを見わたして、何かを捜しているのである。
しかし、久しいこと自分をとらえていながら、全く今まで気のつかなかった病的な動作に気がつくやいなや、忽然として彼の眼の前にある追憶がひらめいて、非常な興味をそそるのであった。自分は今、何かしら周囲に捜し求めているのだなと悟ってみると、その瞬間に、彼はある店の窓のほとりの舗道に立ち止まって、かなりの好奇心を寄せながら、窓に並んでいる商品を眺めていることに気がついた。自分が今、せいぜい五分間くらい前からこの商店の窓の前に立っていたのは現実のことであったろうか、ぼんやりとそんな気がしただけではなかったろうか、それとも何かと混同していたのではなかろうか、彼はいま是が非でもこのことをはっきり突きとめたいような気がした。この店とこの品物は本当に存在しているものだろうか? だって、実際に彼は今日はわけても病的な気持になっているのを感じているのではないか。まるで以前に例の病気の発作が起こる前に感じた気持とそっくりなのだ。彼はこのような病気の発作の来る前にはひどくぼんやりしてしまって、特に気をひき緊めてみないと、人の顔と物とを混同することさえありがちであったことを、よくよく心得ていたのである。それにしても、店の前に立っているのやらどうなのやら、その時、それをはっきりと突きとめたかったについては、特別にまたいわくのあることであった。実は店の飾り窓に並べてある品物の中には、よくよく眺めて、銀六十カペイカと値ぶみまでした品があったのである。こんなにぼんやりして、不安でたまらない気持でいるのに、そのことだけは覚えていた。だから、もしもこの店が現に存在して、この商品がまた実際に他の品物の中に陳列してあるとしたら、彼はただこの品物一つのために、わざわざ立ち止まっていたことになるのだ。つまり、この品物は、停車場から出て来たばかりで、ひとかたならず心が動揺している時にさえも、彼の注意をよぶほど力づよい魅力をもっていたということになるのである。彼はほとんど憂いに沈んでいるかのように、右手を見ながら歩いていた。いても立ってもいられぬような不安を感じて、心臓の鼓動は高まっていた。ところが、その店があるではないか、とうとう彼は店を見つけ出した。引き返そうと思いついた時、彼はもう五百歩ほど店から離れていた。たしかに六十カペイカの商品がある。﹃むろん、六十カペイカより高いはずはないんだ!﹄と彼はいま心の中でくり返して笑いだした。が、その笑いだし方はヒステリックであった。彼はひどく重苦しくなってきた。彼はあそこの窓の前にたたずんで、つい先ほどロゴージンが眼をふり向けているのを眺めたとき不意にふり返ったことを、まざまざと思い出した。たしかに勘違いでなかったのだと信じて︵もっとも、どうしたはずみか、よく調べる前にも確信しきっていた︶、彼は店を後にして大急ぎで遠ざかって行った。このことは何もかも、急速に、ぜひとも考えてみる必要がある。今になって、はっきりしてきたのであるが、停車場でのことも夢の中で見たことではなく、自分に起こったことも何かしら現実的なことで、以前からの不安も必ずやこれに関係しているに相違ないのだ。しかし、なんとなく押さえることのできない心の中の嫌悪の情がまたもや募ってきた。彼はもう何ごとをも深く考えようとは思わなかった。彼は熟慮することなどはよしてしまって、全く別のことを考え込んだ。
わけても、こんなことが物思いの種になっていた。彼の癲(てん)癇(かん)の症状には、今にも発作が起ころうというまぎわに︵ただし、眼が覚めていて発作に見舞われる時に限る︶、次のような一つの徴候があらわれる。哀愁、憂鬱、意(いき)気(そ)沮(そ)喪(う)のまっただ中に、たちまち彼の脳髄はあたかも炎のように勢いづいて、あらん限りの生命力が実にものすごく一時に張りつめてくる。すると、この瞬間に生命の感じや自意識はほとんど十倍の力を増してくる。かと思うと、稲妻のように消えてゆく。消えないうちは、叡智も感情も強烈な光に照らされる。いっさいの動揺、いっさいの不安は一挙にして和らぎ、あの朗らかな、何不足のない喜びや希望にあふれ、理性とすぐれた悟性に満ちた一種のいとも崇高な静寂境に融けてゆくようにみえる。しかし、この瞬間も、このしばしのひらめきも、発作そのものがいざ始まろうという時のきわどい最後の一秒︵いつも一秒より上になることはない︶の予感にすぎない。もとより、この一秒は堪えがたいものであった。あとで健康状態にかえってから、この一瞬をつくづくと考えながら、よく彼はひとり言を言っていた。いと高い純粋自覚と自意識、従って﹃至高の人間的存在﹄の稲妻もひらめきも、すべてが病気にほかならないものではないのか、あたりまえの状態が破壊されたことにはならないのか。もしもそうだとすれば、これはちょっとも﹃至高の人間的存在﹄なんかではなく、それどころか、最も下劣な部類にはいるのが当然なんだ。
それにしても、彼はやはりついにはきわめて逆説的な結論に到達した、﹃なあに、こいつが病気にしろかまうものか?﹄とうとう、こんなひとり合点をしてしまう、﹃もしも、結果それ自体が、——もしも健康の状態に在っても、まざまざと思い浮かべて吟味のできるあの一刹那の感覚が、最高度の調和であり、美であることがわかって、充実、節度の感じ、人生の最高の総合との和解、胸さわぎして祈る時の気持にも比すべき融合の感じ、今まで聞いたことも、夢に見たこともなかったような、それほどの感じを与えるものとすれば、いかにこれが異常な緊張であろうとも、そんなことは何も取り立てて言うがものはないではないか?﹄かような曖(あい)昧(まい)な言い分は、今なおあまりにも頼りないものであったのに、彼自身にはかなり筋道の通ったあたりまえのことのように考えられた。これこそ真に﹃美と祈祷﹄であり、これこそ真に﹃人生の最高の総合﹄であると信じて疑う力もなく、しかも、疑いをさしはさむこともできなかったのである。彼はこの瞬間に、ハシッシュ︹インド産の大麻の種子から採る麻酔剤︺や阿(アヘ)片(ン)や酒など、およそ人の判断力を台なしにし、人間一匹を片輪にしてしまう変態的な、途方もない妙な幻影を夢みていたのではなかったか? このことは彼にも病的な状態が終わるにつれて、立派に判断がついた。もしもこの刹那、つまり、発作の起こる前に今なお意識のある最後の瞬間に、﹃そうだとも。この刹那のためならば、自分は一生涯をすててもかまわない!﹄と彼がはっきりと意識的に自分で自分に言い聞かせる余裕があったとしたら、この一刹那はもとよりそれ自身、彼の一生涯を賭するに値するのである。もっとも、彼は自分の結論の弁証法的な部分を固執したのではなかった。こうした﹃至高の刹那﹄の明白な結果として、彼の前には愚昧、精神的暗黒、白痴の感じが突き立っていたのだ。いうまでもなく、彼がこんなことを、大まじめになって論議したわけではあるまい。ところで、この結論、すなわち、この刹那の評価には、疑うまでもなく、誤(ごび)謬(ゅう)が含まれていたのである。とはいえ、やはりこの感覚の現実的なことが彼をいささか当惑させていた。本当に現実の場合になってみれば、どうにも手がつけられないのではないのか? このことは、まぎれもなく実際にあったことではないのか。自分は今のこの一刹那に、心の底から感じている限りも知れぬ幸福のためには、一生涯を捧げても惜しくないのだと、今の今わが身に言い含める余裕を彼はもっていたのではなかったか。﹃この瞬間に﹄モスクワにいて、よく落ち合っていた時分、彼はロゴージンに言ったことがある、﹃この瞬間には、光陰再び至らずという格言が、なんとはなしにわかってくるものだよ。きっと﹄、そのとき彼はほほえみながら付け加えるのであった、﹃あの癲癇もちのマホメットは水差しを引っくり返して、その水が流れて出る間もないうちにアラーの住み家を見きわめてしまったというが、ちょうどこの一刹那のことだろうよ﹄そうだ、モスクワにいるときはよくロゴージンと顔を合わして、このことだけではなく他のことも話し合っていたのだ。﹃ロゴージンはさっき、﹁おまえはあの時分は兄弟分だったな﹂と言ったが、それは今日になってはじめて口にしたことだ﹄と公爵は心ひそかに考えた。
彼はレェトニイ・サァドのひともとの樹かげにあるベンチに腰をおろして、このことを考えていた。もう七時ごろになっていた。公園には人影もなかった。何かしら暗い影がしばしの間沈みゆく夕日をかすめて通り過ぎた。息苦しい夕べであった。なんとなく夕立の来る遠い前じらせのような気はいであった。彼は現在の観照的な心境に一種の魅惑を覚えた。世界のあらゆる事物に対して、彼は思い出と記憶をたどって心を寄せていったが、それがまた楽しいことであった。彼は絶えず当面のこと、現在のことをそれとなしに忘れてしまいたいような気になったが、あたりを見回すやいなや、たちまちに、心から振り放したいと願っている暗(あん)澹(たん)たる考えが、またしても思い浮かぶのであった。さきほど飲食店で食事をとりながら給仕と話をして最近の人騒がせな、噂に噂を生んだ奇々怪々たる殺人事件のことが思い返された。ところがそれを思い出すと同時に、彼の身の上にはまたもや何かしら特別なことが起こってきた。
なみなみならぬ押さえきれない、ほとんど誘惑ともいうべきほどの欲望がにわかに彼の意志を麻痺させてしまったのである。彼はベンチから立ち上がると、公園を出てまっすぐにペテルブルグスカヤ区をさして歩きだした。さっき、彼はネワの河岸通りで、どこかの通りがかりの人をつかまえて、ペテルブルグスカヤ区はネワ河の向こうのどの辺にあたるかと尋ねた。そこで方角を教えてもらったのであるが、その時はそこへは行かなかった。それにまた、なにも今日わざわざぜひとも行かなければならぬというわけでもなかった。その辺のことは彼もよく承知していた。アドレスはずいぶん前から持っていた。したがって、レーベジェフの身寄りのいる家を捜し出すくらいは容易なことであった。が、彼はどうせたずねて行ったところで留守に相違ないと、ほとんど思い込んでいたのである。﹃てっきりパヴロフスクへ行ったんだろう。さもなければ、コォリャが﹁はかりや﹂へなんとかことづけをして行かんはずはないわけだ﹄してみると、彼が今そこへ出かけたにしても、むろん、その女に会うためではなかった。別の、暗い悩ましい好奇心が彼をたぶらかしていたのである。一つの思いもよらない新しい考えが彼の脳裡に浮かんできた……
しかし、彼にとっては、自分がこちらへ出向いて来たということ、自分の行く先がわかっているということ、ただそれだけでももう嬉しくてならなかった。一分間の後に、再び歩いてはいたが、自分の向かっている道にはほとんど気もつかなかった。﹃思いもよらない考え﹄について何かと思いめぐらすことが、たちまちにしてひどくいやな、ほとんどたまらないことになってきた。彼は痛々しいほど気を引きしめて、眼にうつるあらゆるものに眼をこらした。空を仰ぎ、ネワ河を見た。彼は行きずりの子供にさえも話を持ちかけていた。もしかしたら、癲癇の症状がいよいよ募っていたのかもしれぬ。夕立は徐々にではあったが、実際に近づいて来つつあるかのように思われた。はるかに遠く雷の音も聞こえ始めていた。ひどくむんむんしてきた……
どうしたわけか、さきほど会ったレーベジェフの甥のことがしきりに今になって思い返された。まるで、ばからしいほど退屈な音楽のモチーフが何かのはずみに、しつこく心に浮かんでくるかのようであった。不思議なことには、さきほど甥を紹介しながらレーベジェフが彼に物語ったあの殺人事件の当の下手人の姿が、その甥の姿とぴったり符合して思い返されるのであった。そういえば、この殺人犯についての記事を読んだのは、まだつい最近のことである。ロシアへ帰って以来、幾つとなしに、こうした事件についての風説は読みもし、耳にもしていた。彼はこんなことになると、いつも一生懸命に根掘り葉掘り探っていた。で、さきほども例のジェマーリン家の殺人事件のことを並みはずれなくらいの興味をもって給仕と話していたのである。給仕は彼の言ったことに相づちをうっていたが、彼は今そのことを思い出した。給仕の顔が心に浮かんでくる。あの男はそんなに抜けた青年ではなく、堅気で用心深い人間であった。﹃といっても、あの男だって、どんな人間だかしれたもんじゃないよ。新しい土地で、新顔の人の心を見抜くのはたいへんなことだ﹄と彼は考えるのである。それにしても、彼はロシア精神というものを熱烈に信じ始めていた。ああ、この六か月の間に、彼はいかばかり多くの全く新奇な、想像したこともなければ、聞いたこともなく、そしてまた思いもよらないような出来事に遭って来たことであろう! ところが、他人の心に至っては見当がつかないのだ、——ロシア精神なるものも曖昧模糊たるものなのだ。現に彼はロゴージンと長い間の交際で、兄弟のように親しく交わってはいるが、——はたしてロゴージンの心の奥まで彼は見抜いていたのだろうか? しかも、どうかすると、こういったようないっさいのことにはなはだしい渾(こん)沌(とん)、はなはだしい荒唐無稽、はなはだしい醜(しゅ)猥(うわい)があるのだ! ところで、さっきのレーベジェフの甥はなんていやらしい、うぬぼれの強いに(ヽ)き(ヽ)び(ヽ)野郎なんだろう! それはそうと、僕はいったいどうしたっていうんだろう?︵公爵はこんな風に空想を続けてゆく︶いったい、あの男が例の六人殺しの下手人だとでもいうのかしらん? 僕はどうもこんぐらかっているらしい……、なんて不思議なことだろう! なんだかぐるぐる回るようだ……。さて、あのレーベジェフの上の娘、うん、そうだ、あの赤ん坊を抱いて立っていた娘さ、あの子はなんて人なつこい、可愛いい顔をしているんだろう。ほんとにあどけない、まるで子供みたいな顔つきをして、子供のように笑って! その顔をほとんど忘れていたのに、今になってやっと思い出したのも妙な話だ。子供たちに向かってレーベジェフは足を踏み鳴らしていたが、きっとみんなありがたがっているのに相違あるまい。しかし、何はさておいても、二二が四というほど明瞭なことは、レーベジェフがあの甥のことをも神様あつかいにしていることである! それにしても、今日になってはじめて訪問したばかりの彼が、こんな思いきった判断を下すのはどうしたものだろう、いったい、どうして彼はこんな裁断を下せるのだろう? しかるに、今日はレーベジェフのほうから問題を出したのではないか。よもやレーベジェフがこんな男だろうとは思いもかけなかった。以前から知っていたレーベジェフは、けっしてこんな男ではなかったはずだ。レーベジェフとデューバルラ夫人——いやはやたいした取り合わせだ! それはそうと、もしもロゴージンが人を殺傷するとしたら、まず少なくともあんな殺し方はしないだろう。あんなに眼もあてられないような修羅場を展開するようなことはあるまい。図面つきで注文した兇器と、前後不覚になった六人の者! ロゴージンがいったい、図面つきであつらえた兇器なんかを持っているだろうか? ……あの男が……しかし、……いったいロゴージンが人殺しをすると決まっているのか? ——こう考えてくると、公爵は不意に身震いした。
﹃僕ともあろう者が、こんな皮肉にも露骨な妄想をたくましゅうするのは罪悪ではないのか、卑劣なことではないのか!﹄彼はこう叫んで、羞恥のあまり、さっと顔を赤らめた。彼は愕(がく)然(ぜん)として、道に釘づけにされたようにじっとたたずんだ。一時にいろんなことを思い出した——先ほどのパヴロフスクへ行く方の停車場、先ほどのニコライェフスキイ停車場、それにロゴージンに面と向かい合ってした眼のことについての質問、いま自分の胸にかけているロゴージンの十字架、ロゴージンが自分で連れて行って受けさせた彼の母の祝福、先ほど階段の上でロゴージンがしてくれた最後の発作的な抱擁と最後の断念、——おまけに、こうしたさまざまなことのあったあげくの果てに絶えず何ものかを周囲に捜し求めている自分、あの商店、それにあの商品、——なんていうあさましいことだ! そういういろんなことのあったあとで、自分は今﹃ある特別な目的﹄、﹃思いもよらない考え﹄を胸にいだいて、ある所へ向かっているのだ! 絶望と苦悩とが胸にあふれる。公爵はすぐに宿屋へ引き返そうと考えて、くるりと踵をめぐらし、歩きだしさえもしたが、ほんの一分間もたったかと思うと、つと立ち止まって、思案に暮れ、ついにはまたもや元の道へ向きなおって歩きだした。
こうして彼はもうペテルブルグスカヤ区へやって来て、その家に近づいてはいたが、今ではもう以前の目的、﹃特別な考え﹄をいだいて歩いているわけではなかった! どうしてそんなことがあるものか! そうだ、彼の病気がまた起こりかかっていたのだ。これはもう確かな話である。ことによったら、今日じゅうに必ず発作が襲って来るかもしれない。この暗澹たる気持もその発作のせいなら、あの﹃考え﹄も発作のせいであろう! しかし、今やすでに、闇は吹き払われ、悪魔は追いのけられ、疑惑は去って、彼の胸には歓喜が満ちあふれているのだ! それにまた——ずいぶん久しいこと、﹃あの女﹄に会わない、どうしても会わなければならない、……そうだ、今、ロゴージンと出会って、その手をとって二人で会いに行きたい、……彼の胸は澄みきっている。彼はけっしてロゴージンの競争者ではない。彼は明日になったら自分でロゴージンのところへ出かけて行って、女に会ったことを告げるであろう。彼がここへ飛んで来たのは、さっきもロゴージンが話したように、会いたさ見たさの一念からであった! たぶん、あの女は家にいるはずだ、パヴロフスクへ行っているというのは、それほどはっきりしたことではないのだから!
そうだ、今こそいっさいのことをはっきりとさせなければならない。皆の者がお互いにお互いの心をはっきりと了解できるようにしなければならない。さきほどロゴージンが叫んだような陰惨な、苦痛に満ちた絶望の念をすっかりなくしてしまわなければならない。それにこうしたことはすべて心おきなく……明るい気持で成し遂げなければならない。まさかロゴージンに明るい気持が欠けているというわけでもあるまい。あの男は、あの女を愛してはいるが、同情ももたなければ、﹃いささかの憐(れん)憫(びん)の情も﹄いだいていない、と言っている。そうだ、あの男はそう言ったあとで、﹃君の憐憫の情のほうが俺の恋よりも強いかもしれない﹄と、そうも言っている。——だが、あの男は、われとわが身をさげすんでいるのに違いない。ふむ……ロゴージンが本を読むって、——それこそ﹃憐れみ﹄の証拠ではないか、﹃憐れみ﹄の心が湧いてきたのではないか。その本が彼の手もとにあるということがすでに、彼女に対する自分の立場を十分に自覚しているという立派な証拠になってはいないか? それにしても、さきほどの彼の話はなんだというのだろう? いや、単なる情欲というよりは、ずっと深いものが確かにあったはずだ。いったい、あの女の顔が、単に男の情欲をあおり立てるばかりのものだろうか? それに、いったい、あの顔で男の情欲を今どきあおることができるものであろうか? いや、あの顔は苦悩の念を催させ、人の魂を強くとらえるものだ。あれこそ、……すると、灼(や)けつくような傷ましい記憶が不意に公爵の心にひらめいた。
そうだ、傷ましい記憶。はじめて女の発狂の徴候を発見したとき、彼はどんなに自分が苦しみ悩んだか、そのことを思い出した。そのとき彼はほとんど絶望的な気持を味わった。それなのに、あの女が自分のところからロゴージンのもとへ奔(はし)ったとき、どうしてあの女を打っちゃっておいたのか? うかうかと知らせなどを待っていないで、自分であとを追ってゆくのがあたりまえのはずなのに。だが、……ロゴージンは今もなおあの女の発狂に気がつかないでいるのかしら? ふむ!……ロゴージンはいっさいのことについて他の理由、情欲的な理由のみを見ているのだ! それにあの狂気じみた嫉妬の恐ろしさ! さっきあんな申し出をしようとしたのは、どういう了簡なんだろう?︵公爵はたちまちに顔を赤くした。そして胸の中で何かぎくりとしたような気がした︶
ところが、どうしてこんなことを思い出さなければならないのか? これではまるで両方とも狂人じみているではないか。自分があの女を情欲のために愛するということ、……それはほとんど考えられないさたである。残忍な、不人情なことだ。そうだ、そうだとも! たしかに、ロゴージンは自分で自分を中傷しているんだ。あの男は実は大まかな気持をもっていて、苦悩をなめることもあわれみを寄せることもできるのだ。事の真相を一から十まで承知して、あの傷つけられている半狂乱の女が、どんなに可哀そうな人間であるかを見きわめたならば、その時こそはあの男も必ずや、以前のあらゆる出来事、自分自身のこうむったいっさいの苦痛も忘れて許してやるに相違ない。おそらくは彼女の下僕となり、兄弟となり、親友となり、道しるべとなるに相違ない。同情はロゴージン自身の生涯に意義を与え、彼を教えるところがあるに相違ない。同情というものこそ、全人類の生活に対する最も重大な、おそらくは唯一無二の規範であろう。ああ、自分はロゴージンに対してなんという許しがたい卑劣な罪を犯しているのか! そうだ、あのような恐ろしい想像をめぐらしていたからには、曖昧模糊たるものは﹃ロシア精神﹄ではなく、自分の魂にほかならないのだ。モスクワでほんの二言三言、熱意のこもった、切実なことばを交わしたということだけで、もうこちらを自分の兄弟だと呼んでいるではないか。それだのに自分は、……しかし、あれは病気のせいなんだ、迷妄なのだ! それはすっかり解決がつくだろう!……ロゴージンは先ほど、なんていう陰鬱な顔をして、﹃僕は信仰をなくしかけている﹄と言ったことだろう! あの男は大きな苦悩をうけるように生まれついているのだ。﹃この絵を見るのが大好きだ﹄などと言っていたけれど、あれは好きなのでなくて、つまり、欲求を感じてのことなのだ。ロゴージンは決して単なる情欲の走(そう)狗(く)ではない。やはり、なんといっても闘士なのだ。あの男はしゃにむに、失われた自分の信仰を取り戻そうとしているのだ……いま彼には苦しいほど信仰が必要なのだ……そうだ! なんでもいいから信仰するものが欲しいのだ! それにしても、あのホルバインの絵はなんていう奇妙なものか、……あ、いよいよこの街だ! そら、きっとあの家だ、やっぱりそうだ、十六番地﹃十等官フィリーソワ夫人の家﹄。ここだ! 公爵は鈴を鳴らして、ナスターシャ・フィリッポヴナに面会を求めた。
すると、この家の女主人が自分から出て来て、ナスターシャ・フィリッポヴナは朝からパヴロフスクのダーリヤ・アレクサンドロヴナのところへ出かけ、﹃もしかしたら、五、六日あちらに滞在するかもしれません﹄と答えた。フィリーソワは小柄で、眼の鋭い、顔の尖った、四十歳がらみの婦人であったが、ずるそうな眼つきでこちらをじろじろと眺めた。名前を尋ねた彼女の質問の態度には、いかにも子細ありげな秘密な様子がほのめかされていた。そこで公爵は初めのうちは返答をする気がしなかったが、それでもすぐに気を変えて、自分の名前をナスターシャ・フィリッポヴナによく伝えてくれるようにと、くれぐれも念を押して頼んだ。フィリーソワはそのしつこいほどの念の入れ方に注意を凝らして、ひどく秘密のありそうな顔つきで聞いていたが、明らかに、その顔つきから推して、﹃御心配には及びませんよ、よく心得ておりますからね﹄とでもいうようなことを含めたがっているらしかった。公爵の名前が彼女の心になみなみならぬ強い印象を与えたことは明らかであった。公爵はぼんやりと彼女を眺めていたが、踵をめぐらすとそのまま自分の宿のほうへと歩きだした。ところが、彼がそこを出て行った時の様子は、さっきフィリーソワの家の鈴を鳴らした時とはすっかり変わっていた。彼の心のうちには一瞬間のことのようではあったが、再び異常な変化が起こったのである。彼はまたしても青白い顔になって、いかにも弱々しく、苦悩にあえぎ、心も転倒している人のような歩きぶりであった。膝(ひざ)頭(がしら)がわなわなと震え、なんともかともいえないような、途方にくれたようなほほえみが、紫色になっている唇のうえに漂っていた。彼の﹃思いがけない考え﹄がたちまちにして立証され、実証されたのだ。そして、——再び彼は自分の悪魔を信ずるに至った。
しかし、はたして立証せられたのであろうか? はたして実証せられたのであろうか。またしても、この戦(せん)慄(りつ)と、この冷汗と、この心の暗さと寒さとは、いったい、どうしたことであろう? 今しがた、﹃あの眼﹄を見たからであっただろうか? ところで、レェトニイ・サァドからやって来たのは、ただ﹃あの眼﹄が見たさの一念からではなかったのか! 例の﹃思いがけない考え﹄とは、そのことだったのだ!﹃さっきの眼﹄を見たい、そうすれば、﹃あそこ﹄の、あの家の傍へ行けば、きっとあの﹃眼﹄に出会えるという確信が得られるのだと、彼はそう考えたのではなかったか。それはほんの一時的な気まぐれであったはずなのに、今その眼を実際に見たからとて、なにもこのように度胆をぬかれたり、びっくりしたりするがものはないではないか? これではまるで思いもかけなかったようなぐあいではないのか? そうだ、これこそ、今朝ニコライェフスキイ停車場で汽車から降りた時、群集の間から彼に向かってひらめいた﹃あの眼﹄なのだ︵まさしく﹃その眼﹄であることは、今やいささかの疑念をさしはさむ余地もないことだ!︶。また、さきほどロゴージンの家で椅子に腰をかけようとした時、肩越しに感じたのも同じまなざしであった︵てっきりそれに違いないのだ!︶。さっきロゴージンはこれを否定して、ゆがんだ、氷のようにひややかなほほえみを浮かべながら、﹃誰の眼だったろうな﹄と言ったけれど。それから、まだほんの今さっき、ツァルスコエ・セロの停車場で、アグラーヤのところへ行こうとして列車に乗りこんだ時、またしてもあの眼に出遭っていた。これでその日はもう三度目になっていた、——ロゴージンの傍へ近づいて行って﹃あれは誰の眼だったろう?﹄と言ってやりたい。しかし、彼は停車場から飛び出して、刃物屋の前まで来たかと思うと、ちょっと立ち止まって、鹿の柄(つか)のついたある品物に六十カペイカと値踏みした。例の奇怪な恐るべき悪魔は、すっかり彼にとり憑(つ)いていて、もはや彼を手離そうともしなかった。彼がレェトニイ・サァドの菩(ぼだ)提(いじ)樹(ゅ)の樹かげにあるベンチの上にわれを忘れて坐っていたとき、この悪魔は彼の耳にささやいた。もしもロゴージンがこうして朝から彼のあとをつけて、一挙一動をうかがう必要を感じているのならば、あの男にパヴロフスクへおまえが行かないことがわかれば︵そのことが知れると否やとはロゴージンにとってはもちろん、一身の浮き沈みに関することなのだ︶、さっそく、必ずや﹃あそこ﹄の、ペテルブルグスカヤ区のあの家へ行って、ほんのまだ今朝、﹃けっしてあの女には会わない﹄とか、﹃そんなことでペテルブルグへやって来たんじゃない﹄などと、体裁のいいことを言ったおまえの見張りをするに相違ないぞ、と。そこで公爵はあの家へ駆けつけて、実際にそこでロゴージンを見たのであったが、いったい、それがどうしたというのか? 彼はただ、陰鬱でこそあれ、十分に理解してやることのできる心をもった不仕合わせな一人の男を見たにすぎなかった。今では、この不仕合わせな男は逃げも隠れもしようとはしなかった。そうだ、ロゴージンはさっきは否定して嘘を言ったが、ツァルスコエ・セロ停車場では別に姿を隠そうともせずに突っ立っていた。むしろ隠れようとしたのは公爵であり、ロゴージンではなかった。今はまた今で、あの家から五十歩ほど離れた筋向かいの歩道に立って、腕組みをしながら待っていた。もうすっかり姿を現わして、わざと見せびらかそうとしているかのようだ。彼はまるで告訴人か裁判官のように突っ立っていて、けっしてそ(ヽ)れ(ヽ)らしいところはなかった、……ときに、そ(ヽ)れ(ヽ)とはいったい、何のことなのか?
さて、どういうわけか公爵は今も自分のほうから彼の傍へ進み寄ろうとはせず、二人の眼と眼とが出遭ったにもかかわらず、何も気がつかなかったような振りをして顔をそむけてしまった︵そうだ、二人の眼と眼とが出会って、互いに彼らは顔を見合わせたのだ︶。彼はさっきロゴージンの手をとって、いっしょに﹃あそこへ﹄行きたいと思ったのではなかったか? 自分のほうからロゴージンのところへ行って、あの女のところを訪問したことを話そうと思ったのではなかったか? そこへ行く途中で、歓喜の念が不意に心を満たし、例の悪魔を払い落としたのではなかったか? それともロゴージンの中に、つまりこの男の﹃今日﹄のことば、動作、視線など、すべてこうしたものの総和のなかに、公爵の恐ろしい予感や、彼の心をかき乱した悪魔のささやきを実証するようなあるものがあったのではなかったか? そのあるものというのは、ただ自然にそう思われるだけで、分析することも口に出して語ることもむずかしく、十分に理由をあげて証明することもできかねる。しかも、そうした困難と不可能があるにもかかわらず、そのあるものは十分にはっきりとした、打ち破ることのできない印象を刻みつけ、無意識のうちに強い確信となっていくのであった……
﹃それは何に対する確信であろうか?︵おお、この確信、﹃その卑劣な予感﹄の奇(あや)しさ、屈辱が、いかばかり公爵を苦しめたことであろう、そうして彼が、いかばかりわが身を責めたことであろう!︶言えるものならば言ってみろ、なんの確信であるのか!﹄と彼は絶えず非難し、挑戦するような態度で自分で自分に言うのであった、﹃自分の考えていることに、はっきりと、正確に、逡(しゅ)巡(んじゅん)することなく、堂々と形式を与えて言い現わしてみるがいい! おお、おれはなんていう恥知らずなんだ!﹄彼は憤怒に駆られ顔を赤らめながら、くり返して言った、﹃自分はこれからさき一生涯の間、どんな眼をしてあの男を見ようというんだ! おお、何という日だろう! おお、なんというみじめなことだろう!﹄
ペテルブルグスカヤ区からの、この長い、心苦しい道の終わろうとするころ、じきにロゴージンのところへ行って、彼の帰りを待ち受け、羞恥の念と涙とをもって彼を抱いて、いっさいのことを物語り、何もかも一時に解決してしまおうという押さえきれない欲望が、ちらりと公爵の心をとらえた。しかし、すでに彼は自分の宿屋の傍へ来ていた……さっきは実に、この宿屋も、この廊下も、この家全体も、自分の部屋も、ちらっと見ただけでも気にくわなかった。ここへ帰って来なければならないのだと思いおこしては、この日一日、幾たび、なんともいえないいやな気持になったことであろう……。﹃それにしても、なんだって自分は、まるで病気にかかっている女みたいに、今日という今日、なんでもかんでも予感なんてものを信ずるのだろう!﹄彼は門のところに立ち止まったまま、いらいらするようなあざわらいを浮かべて、こんなことを考えてみた。ほとんど絶望に近いような堪えがたい羞恥の念が新たに潮のように押し寄せて来て、彼をたたずんでいる門の入口に釘づけにしてしまった。彼は一瞬間、立ち止まった。人間にはこういうことがよくあるものである。にわかに心に浮かんでくる堪えがたい思い出、ことに羞恥の情を伴った思い出は、たいていは人間を一瞬の間、その場へ立ち止まらせる。﹃そうだ、おれは不人情な人間で、卑劣者なのだ!﹄陰鬱な口調で言ったかと思うと、彼はいきなり、さっさと動きだしたが、またしても立ち止まった。
この門の中はいつも暗かったが、この時はまた、わけても暗かった。じりじりと押し迫って来た夕立雲が夕陽の光を呑みつくして、ちょうど、公爵がその家へ近づいた時、にわかに雲は空一面に流れて広がった。一瞬立ち止まっていた所から急に動きだしたとき、彼は門のすぐ下の通りに面した入口にいた。おりから、ふっと彼は門の奥の、薄暗がりの、ちょうど階段の上り口のところに一人の男の姿をみとめた。その男は何かを待ちうけてでもいるような様子であったが、ちらと見えただけで、たちまちのうちに姿を消してしまった。その男をはっきり見きわめる暇がなかったので、もちろん、公爵はその男が何者であったかはっきりと言うことはできなかったはずである。かてて加えて、ここは旅館のこととて、絶えず多くの人々が出入りして、廊下をあちこちと足早に往来していた。しかし、彼はたしかにその男を見きわめて、間違いなくそれがロゴージンであったという否定することのできない十分な確信をとっさのうちにつかみ得たように感じた。ほんのちょっとしてから、公爵はその男のあとを追って階段へ駆けつけた。息の根が、はたと止まってしまった。﹃今こそいっさいが解決するのだ!﹄と、奇怪な信念をもって彼は口の中でつぶやいた。
公爵が門から駆け上がった階段は、一階と二階の廊下に通じていて、その廊下の両側に客室が並んでいた。その階段は、たいていの古い建物にありがちな、石づくりで、薄暗く、幅が狭くて、大きな石の柱をぐるぐる回りながら上へ昇るようになっていた。最初の小広い中段のところにあるこの柱の中には幅が一歩そこそこで、奥行きが半歩ぐらいの、壁の引っこみに似たくぼみがあった。それでもどうにか人一人はいれるぐらいゆとりはあった。かなり暗かったが、その中段まで駆け上がって来た公爵は、どうしたわけかすぐにその引っこみの中に人が隠れているのに気がついた。とっさの間に公爵は右手を見ずにそこをさっさと通り越してしまおうと考えた。すでに彼は一歩を踏み出したが、どうにも我慢がならなくなって、ふいとふり返った。
さきほどの二つの眼、﹃まぎれもないあの眼﹄が不意に彼の視線とぶつかった。引っこみの中に隠れていた男のほうも、早くも一歩を踏み出していた。一瞬間、二人はほとんど鼻をつき合わせるようにして向き合っていた。公爵はいきなり相手の肩をつかんで、光の射す所に近い階段のほうへねじ向けるようにした。彼ははっきりと相手の顔が見たかったのだ。
ロゴージンの眼はぎらぎらと輝き始め、狂暴なほほえみのために顔は醜くゆがんできた。相手の右手が振り上げられ、その手の中にぴかりとひらめいたものがあった。公爵はその手をさえぎろうとは思わなかった。彼はただ、﹁パルフェン、まさかと思うよ!……﹂と自分が叫んだらしいのを覚えているだけであった。
それから、忽然として、何かしら彼の眼の前に展開した。異常な﹃内部の﹄光が彼の魂を照らしたのである。そうした瞬間がおそらく半秒くらいも続いたであろう。が、彼は、いかなる力をもっても押しとどめることができずに、ひとりでに胸の奥底からほとばしり出た、あの恐ろしい自分の悲鳴の最初の響きをはっきりと、意識的に記憶している。それから、彼の意識はたちまちのうち朦(もう)朧(ろう)として、まっ暗がりになってしまった。
かなり長いこと訪れなかった癲(てん)癇(かん)の発作が彼を襲って来た。誰でも知っているように、癲癇の発作、ことに﹃ひきつけ﹄の最高潮というものはつかの間に襲来するものである。その瞬間には、にわかに顔面が、特に眼つきが激しくゆがんでくる。痙(けい)攣(れん)と麻(ま)痺(ひ)が全身と顔面の全筋肉を支配する。恐ろしい、想像もつかないような、なんともかともたとえようもない悲鳴が胸の底からほとばしる。その悲鳴の中には人間らしいところはみじんもなく、はたで見ている者には、それがこの当の本人の口から出る叫び声であろうとは、どうしても考えられないのだ。少なくともそう考えることは非常にむずかしいのである。それはまるでその本人のからだのうちに誰か別の人間が隠れていて、その人間が叫んででもいるかのようにすら思われる。少なくとも、多くの人は、癲癇の発作に襲われている人の様子を見て、どことはなしに、神秘的なところさえもあり、生きた空もなく、堪えがたい恐怖を感じたと、その印象を物語っている。このような突発的な恐怖の印象が、その瞬間あらゆる他の恐ろしい印象を伴って——ロゴージンをその場に立ちすくませてしまったればこそ、あわや頭上に下らんとしていた避くべからざる白刃の下から公爵を救ったものと考えるのが至当である。で、ロゴージンはさすが発作ということには思いもよらず、公爵がよろよろと傍を離れ、いきなり仰向けに倒れたかと思うと、頸をひどく石の階段に打ちつけながら、まっさかさまに階段をころがり落ちるのを見て、いちもくさんに下へ駆けおり、倒れている相手を避けるようにして、無我夢中で旅館を飛び出してしまった。
麻痺と身もだえと痙攣のために、病人のからだは十五段近くもある踏段を一気に下までころげ落ちた。すぐに、ものの五分間ともたたないうちに、人々が倒れている公爵を見つけて、たちまちどやどやと群れをなして集まって来た。頭の辺に流れているおびただしい血潮を見て、人々は怪(けげ)訝(ん)の念にかられた。この男は自分で間違って怪我をしたんだろうか、それとも何か犯罪が行なわれたのではあるまいかと。しかし、まもなく誰言うとなしに癲癇ということがわかって、泊り客の一人が、公爵をさきほどの客だと認定した。結局、この騒ぎはある好都合な事情によって無事に解決した。
四時までには﹃はかりや﹄へ帰ると言っておきながら、そのままパヴロフスクへ出向いたコォリャ・イヴォルギンは、不意に思い返して、エパンチン将軍夫人のところで、﹃会食する﹄ことを断わり、ペテルブルグへ引き返すなり、急(きゅ)遽(うきょ)﹃はかりや﹄へ立ち帰った。彼がそこへ姿を現わしたのは、晩の七時前後であった。そして残してあった置き手紙を見て、公爵がこの町へ来ていることがわかると、手紙に記されてあるアドレスをたよりに大急ぎでそこへ駆けつけた。ところが、宿で公爵が外出していると聞かされたので、彼はそのまま下の食堂へ行って、お茶を飲み、オルガンを聞きながら、公爵の帰りを待つことにした。しかるに、はからずも、誰かが発作を起こして倒れたという話を小耳にはさんだので、彼はなんとなく虫が知らせる気がして、その場へ駆けつけた。すると、はたしてそこに公爵の姿を見いだしたのである。すぐに応急の手当てが施された。公爵は、部屋に運びこまれると、やがて意識を取り戻したが、すっかり正気に返るのには、かなり長いことかかった。頭部の傷の診察のために迎えられた医者は、傷口を洗ってから、傷のために別に危険になるようなことはないと言った。一時間ばかりたってから、公爵に周囲の様子がかなりはっきりわかるようになると、コォリャは公爵を馬車に乗せて、旅館からレーベジェフのところへ連れて行った。レーベジェフはぺこぺこお辞儀をしながら、熱意をこめて、病人を迎えた。そして公爵のために別荘ゆきの日を早めて、三日目には早くもパヴロフスクへ引き移っていた。
︵つづく︶