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与謝野晶子詩歌集2
春が来た
春が来た。
せまい庭にも日があたり、
張(はり)物(もの)板(いた)の紅(も)絹(み)のきれ、
立つ陽(かげ)炎(ろふ)も身をそそる。
春が来た。
亜(とた)鉛(ん)の屋根に、ちよちよと、
妻に焦(こが)れてまんまろな
ふくら雀(すゞめ)もよい形(かたち)。
春が来た。
遠い旅路の良(をつ)人(と)から
使(つかひ)に来たか、見に来たか、
わたしを泣かせに唯(た)だ来たか。
春が来た。
朝の汁(スウプ)にきりきざむ
蕗(ふき)の薹(たう)にも春が来た、
青いうれしい春が来た。
二月の街
春よ春、
街に来てゐる春よ春、
横顔さへもなぜ見せぬ。
春よ春、
うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに
二月の肌を惜(をし)むのか。
早く注(さ)せ、
あの大(おほ)川(かは)に紫を、
其(そ)処(こ)の並木にうすべにを。
春よ春、
そなたの肌のぬくもりを
微(そよ)風(かぜ)として軒(のき)に置け。
その手には
屹(きつ)度(と)、蜜(みつ)の香(か)、薔(ば)薇(ら)の夢、
乳(ちゝ)のやうなる雨の糸。
想(おも)ふさへ
好(よ)しや、そなたの贈り物、
そして恋する赤い時。
春よ春、
おお、横顔をちらと見た。
緑の雪が散りかかる。