.
阿Q正伝
魯迅
井上紅梅訳
第一章 序
わたしは阿(あキ)Q(ュー)の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言の人でないことが分る。従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰(たれ)某(それ)は誰某に靠(よ)って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目であった。孔子様の被(おっ)仰(しゃ)るには﹁名前が正しくないと話が脱線する﹂と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼(うる)蝿(さ)いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣(せん)付(ぷ)して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に大(たい)伝(でん)というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の著(ちゃ)想(くそう)からいうと文体が下卑ていて﹁車を引いて漿(のり)を売る人達﹂が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に入(い)らない小説家のいわゆる﹁閑話休題、言帰正伝﹂という紋切型の中から﹁正伝﹂という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文(もん)字(じ)の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに﹁何某、あざなは何、どこそこの人也﹂とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は趙(ちょう)と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
それは趙太(だん)爺(な)の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の黄(うわ)酒(んちゅ)を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく穿(せん)鑿(さく)すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを喚(よ)びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう真(まっ)赤(か)にして怒鳴った。
﹁阿Q! キサマは何とぬかした。お前が乃(お)公(れ)の御本家か。たわけめ﹂
阿Qは黙っていた。
趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し﹁出(でた)鱈(ら)目(め)もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか﹂
阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ呉(く)れた。
﹁お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた﹂
阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で擲(なぐ)られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の名(みょ)氏(うじ)を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして﹁これを竹(ちく)帛(はく)に著す﹂ことが出来よう。﹁これ竹帛に著す﹂ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、阿(あく)桂(い)あるいは阿(あく)貴(い)かもしれない。もし彼に月(げっ)亭(てい)という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
もしまた彼に一人の兄弟があって阿(あ)富(ふ)と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する文(もん)字(じ)は皆変(へん)槓(てこ)な意味が含まれいっそう嵌(はま)りが悪い。以前わたしは趙太爺の倅(せがれ)の茂(もさ)才(い)先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、陳(ちん)獨(どく)秀(しゅう)が雑誌﹁新青年﹂を発行して羅(ロー)馬(マ)字を提唱したので国粋が亡(ほろ)びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより外(ほか)はなかった。そうして一個月たってようやく返(へん)辞(じ)が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、注(ちゅ)音(うお)字(んじ)母(ぼ)では一般に解るまいと思って拠(よん)所(どころ)なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と書(しょ)し、更に省略して阿Qとした。これは近頃﹁新青年﹂に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる郡(まつ)望(り)の旧例に拠(よ)り、郡(ぐん)名(めい)百(ひゃ)家(っか)姓(せい)に書いてある注解通りにすればいい。﹁隴(ろう)西(せい)天(てん)水(すい)の人也﹂といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は未(みそ)荘(う)に住んだことが多いがときどき他(たし)処(ょ)へ住むこともある。もしこれを﹁未荘の人也﹂といえばやはり史伝の法則に乖(そむ)く。
わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は﹁歴史癖と考証好(ずき)﹂で有名な胡(こて)適(き)之(し)先生の門人等(ら)が、ひょっとすると将来幾多の新端(たん)緒(しょ)を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。
.
第二章 優勝記略
阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の﹁行状﹂もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の﹁行状﹂などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠(みは)って
﹁乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ﹂というくらいが勢(せい)一(いっ)杯(ぱい)だ。
阿Qは家が無い。未荘の土(おい)穀(なり)祠(さま)の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日(ひよ)傭(うと)取(り)になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗(つ)けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て行(ゆ)く。だから人は忙(せわ)しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって﹁行状﹂のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも糸(へち)瓜(ま)もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて﹁お前は何をさせてもソツが無いね﹂と言った。この時、阿Qは臂(ひじ)を丸出しにして︵支那チョッキをじかに一枚著ている︶無(ぶし)性(ょう)臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
阿Qはまた大層己(うぬ)惚(ぼ)れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の﹁文(ぶん)童(どう)﹂に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも﹁文童﹂なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢(せん)太(だん)爺(な)が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の外(ほか)に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって倅(せがれ)があればもっと偉くなっているぞ! 城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三尺(じゃく)幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では﹁長(チャ)登(ンテン)﹂といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が﹁条(デョ)登(ーテン)﹂というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈(たら)の煮(にび)浸(た)しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
阿Qは﹁以前は豪勢なもん﹂で見識が高く、そのうえ﹁何をさせてもソツがない﹂のだから、ほとんど一(いっ)ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん幾(いく)個(こし)所(ょ)も瘡(かさ)だらけの禿(はげ)があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は﹁癩(らい)﹂という言葉を嫌って一切﹁頼(らい)﹂に近い音(おん)までも嫌った。あとではそれを推(お)しひろめて﹁亮(りょう)﹂もいけない。﹁光(こう)﹂もいけない。その後また﹁燈(とう)﹂も﹁燭(しょく)﹂も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも洩(もら)そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を真(まっ)赤(か)にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は擲(なぐ)りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
ところがこの怒(ども)目(く)主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を嬲(なぶ)り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
﹁おや、明るくなって来たよ﹂
阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
﹁と思ったら、空気ランプがここにある﹂
アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
﹁てめえ達は、やっぱり相手にならねえ﹂
この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの斑(まだ)ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
閑(ひま)人(じん)達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂に打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい辮(べん)子(つ)を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを頂(ちょ)戴(うだい)し、閑人はようやく胸をすかして勝ち慢(ほこ)って立去る。
阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中(うち)で思った。﹁乃公はつまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない……﹂そこで彼も満足し勝ち慢(ほこ)って立去る。
阿Qは最初この事を心の中(うち)で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を引(ひっ)掴(つか)む機会が来るとその人はまず彼に言った。
﹁阿Q、これでも子供が親(おや)爺(じ)を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと﹂
阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
﹁虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか﹂
だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち慢(ほこ)って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは凹(へこ)垂(た)れたと。
ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち慢(ほこ)って立去る。阿Qは悟った。乃公は自(みずか)ら軽んじ自ら賤(いや)しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては﹁第一﹂だ。状(じょ)元(うげん)もまた第一人じゃないか。﹁人を何だと思っていやがるんだえ﹂
阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢(ほこ)って愉快になって、土(おい)穀(なり)祠(さま)に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう睡(ねむ)ってしまうのである。
もしお金があれば彼は博(ばく)奕(ち)を打ちに行(ゆ)く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
﹁青(ちん)竜(ろん)四(すー)百(ぱ)!﹂
﹁よし……あける……ぞ﹂
堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱(うた)い始める。
﹁天(てん)門(もん)当(あた)り――隅(すみ)返(がえ)し、人と、中(なか)張(ばり)張(はり)手(て)無し――阿Qの銭(ぜに)はお取上げ――﹂
﹁中(なか)張(ばり)百(ひゃ)文(くもん)――よし百五十文(もん)張ったぞ﹂
阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外(そと)へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、博(ばく)奕(ち)はずんずん進行してお終(しま)いになる。それから彼は未練らしく土(おい)穀(なり)祠(さま)に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
けれど﹁塞(さい)翁(おう)が馬を無くしても、災難と極(き)まったものではない﹂。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博(ばく)奕(ち)場(ば)が舞台の左側に出た。囃(はやし)の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は大(だー)洋(やん)になり、大(だー)洋(やん)は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで﹁天(てん)門(もん)両(りゃ)塊(んかい)﹂と叫んだ。
誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。身(みう)中(ち)にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食(く)い、幾つも蹶(け)飛(と)ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して土(おい)穀(なり)祠(さま)に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
まっ白なピカピカした銀貨! しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗(と)られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の面(おもて)を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして火(ほ)照(て)り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著(つ)いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか火(ほ)照(て)るには違いないが――心は十分満足して勝ち慢(ほこ)って横になった。
彼は睡ってしまった。
.
第三章 続優勝記略
それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
彼は二百文の酒(さか)手(て)を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
﹁今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ……﹂
そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って﹁若寡(ご)婦(け)の墓参り﹂という歌を唱(うた)いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
変(へん)槓(てこ)なこったがそれからというものは、果してみんなが殊(こと)の外(ほか)彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処(ところ)はそうでなかった。未荘の仕(しき)来(た)りでは、阿(あし)七(ち)が阿(は)八(ち)を打つような事があっても、あるいは李(り)四(し)が張(ちょ)三(うさん)を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端(は)に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆(べら)棒(ぼう)な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左(さ)のような意味があるかもしれない。聖(せい)廟(びょう)の中のお供物のように、阿Qは豬(ちょ)羊(よう)と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉(い)張(ば)っていた。
ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王(ワン)髭(ウー)がもろ肌ぬいで虱(しらみ)を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒(がゆ)くなった。この王髭は禿(はげ)瘡(がさ)でもある上に、髭をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿(はげ)瘡(がさ)の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考(かんがえ)では、外(ほか)に格別変ったところもないが、その顋(あご)に絡まる髭は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側(そば)へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王髭の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
阿Qは破れ袷(あわせ)を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉(とら)まえた。彼は王髭を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛(ほう)り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王髭なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大(おおい)に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫(ひね)り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉(とら)まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王髭の響(ひびき)には及ばなかった。
彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
﹁この毛虫め﹂
﹁やい、瘡(かさ)ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ﹂王髭は眼を挙げてさげすみながら言った。
阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高(こう)慢(まん)稚(ち)気(き)になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯(おく)れてしまう。ところが今度に限って非常な勢(いきおい)だ。何だ、こんな髭だらけの代物が生意気言(い)やがるとばかりで
﹁誰のこったか、おらあ知らねえ﹂阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
﹁この野郎、骨が痒くなったな﹂王髭も立ち上がって着物を着た。
相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛(かか)って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉(く)れた。その拳骨がまだ向うの身(から)体(だ)に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。じつけられた辮子は墻(まがき)の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
﹁君子は口を動かして手を動かさず﹂と阿Qは首を歪めながら言った。
王髭は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突(つっ)放(ぱな)すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで王髭は大(おおい)に満足して立去った。
阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王髭は顋(あご)に絡まる髭の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登(とう)用(よう)試験をやめて秀才も挙(きょ)人(じん)も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
阿Qは拠(よん)所(どころ)なく彳(たたず)んだ。
遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶(や)蘇(そ)学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家(うち)に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も愁(しゅ)歎(うた)場(んば)を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は到(いた)処(るところ)で説明した。
﹁あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪(き)り取られたんです。本来あれがあればこそ大(たい)官(かん)になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです﹂
さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を﹁偽毛(けと)唐(う)﹂﹁外国人の犬﹂と思い込み、彼を見るたんびに肚(はら)の中で罵(ののし)り悪(にく)んだ。
阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬(まが)い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が四(よ)度(ど)目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
その﹁偽毛唐﹂が今近づいて来た。﹁禿(は)げ、驢(ろ)……﹂阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤(いきどお)りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖(づえ)だ――大(おお)跨(また)に歩いて来た。この一刹(せつ)那(な)に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引(ひき)締(し)め肩を聳(そびや)かして待っていると果して
ピシャリ。
確かに自分の頭に違いない。
﹁あいつのことを言ったんです﹂と阿Qは、側(そば)に遊んでいる一人の子供を指さした。
ピシャリ、ピシャリ。
阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響(ひびき)のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた﹁すぐ忘れてしまう﹂という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門(かど)口(ぐち)まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
折(おり)柄(から)向うから来たのは、靜(せい)修(しゅ)庵(うあん)の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を吐(つ)くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に敵(てき)愾(がい)心(しん)を喚(よび)起(おこ)した。
﹁きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ﹂と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
﹁ペッ、プッ﹂
若い尼は皆(かい)目(もく)眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
﹁から坊主! 早く帰れ。和尚が待っているぞ﹂
﹁お前は何だって手出しをするの﹂
尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
﹁和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ﹂彼は、彼女の頬(ほっ)ぺたを摘(つま)んだ。
酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
彼はこの一戦で王髭のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
﹁阿Qの罰(ばち)当りめ。お前の世継ぎは断(た)えてしまうぞ﹂遠くの方で尼の泣声がきこえた。
﹁ハハハ﹂阿Qは十分得意になった。
﹁ハハハ﹂酒屋の中の人も九(く)分(ぶ)通り得意になって笑った。
.
第四章 恋愛の悲劇
こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無(ぶり)聊(ょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、﹁臣(しん)誠(せい)惶(こう)誠(せい)恐(きょ)死(うし)罪(ざい)死(しざ)罪(い)﹂というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支(し)那(な)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土(おい)穀(なり)祠(さま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂(あぶ)漲(らぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
﹁阿Qの罰当りめ。お前の世(よ)嗣(つ)ぎは断(た)えてしまうぞ﹂
阿Qの耳(みみ)朶(たぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
﹁ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。……一人の女があればこそだ﹂
一体﹁不孝には三つの種類があって後(あと)嗣(つ)ぎが無いのが一番悪い﹂、そのうえ﹁若(むえ)敖(んぼ)之(とけ)鬼(のひ)餒(ぼ)而(し)﹂これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから﹁心の駒を引き締めることが出来なかった﹂
﹁女、女……﹂と彼は想った。
﹁……和尚︵陽(よう)器(き)︶は動く。女、女!……女!﹂と彼は想った。
われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても﹁女!﹂を思わずにはいられなかった。
たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代(しろ)物(もの)だと知ればいい。
支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲(だっ)己(き)のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒(ほう)のために破壊された? 秦……公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董(とう)卓(たく)は貂(てん)蝉(ぜん)のために確実に殺された。
阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん﹁男女の区別﹂を厳守し、かつまた異端を排斥する正(せい)気(き)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
ところが彼は三十になって竟(つい)に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼(れい)教(きょう)上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪(にく)むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前(ぜん)、舞台の下の人(ひと)混(ご)みの中で一度ある女の股(また)倉(くら)に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪(にく)むべきかを知るべし。
彼は﹁こいつはきっと男を連れ出すわえ﹂と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶(つや)ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪(にく)むべき点だ。彼等は皆﹁偽道徳﹂を著(き)ていた。そう思いながら阿Qは
﹁女、女!……﹂と想った。
その日阿Qは趙太爺の家(うち)で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定(じょ)例(うれい)に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈(あかり)を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著(ちゃ)手(くしゅ)する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
呉(ウー)媽(マ)は、趙家の中(うち)でたった一人の女(じょ)僕(ぼく)であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
﹁奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小(ちい)妾(さい)のを一人買おうと思っているんです﹂
﹁女……呉媽……このチビごけ﹂と阿Qは思った。
﹁うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの﹂
﹁女……﹂と阿Qは想った。
阿Qは煙(きせ)管(る)を置いて立上った。
﹁内(うち)の若奥さんは……﹂と呉媽はまだ喋(しゃ)舌(べ)っていた。
﹁乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう﹂
阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
一刹(せつ)那(な)、極めて森(しん)閑(かん)としていた。
呉媽はしばらく神(しん)威(い)に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
﹁あれーッ﹂
彼女は大声上げて外へ馳(か)け出し、馳(か)け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
阿Qは壁に対(むか)って跪(き)坐(ざ)し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無(ぶし)性(ょう)らしく腰を上げ、いささか沫(あわ)を食ったような体(てい)でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行(ゆ)こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
﹁キサマは謀(むほ)叛(ん)を起したな。これ、こん畜生………﹂
竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
﹁忘(ワン)八(パダ)蛋(ン)﹂
後ろの方で秀才が官(かん)話(わ)を用いて罵る声が聞えた。
阿Qは米搗場に駈(かけ)込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた﹁忘(ワン)八(パダ)蛋(ン)﹂という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専(もっぱ)らお役所のお歴(れき)々(れき)が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の﹁女﹂という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障(さわ)りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著(きも)物(の)をぬいだ。
著(きも)物(の)を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳(か)け出して行った。だんだん側(そば)へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集(あつま)っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒(すう)七(しち)嫂(そう)や本当の本家の趙(ちょ)白(うは)眼(くがん)、趙(ちょ)司(うし)晨(しん)などもいた。
若奥さんは下(しも)部(べ)屋(や)からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
﹁お前はよそから来た者だ……自分の部屋に引込んでいてはいけない……﹂
鄒七嫂も側(そば)から口を出し
﹁誰だってお前の潔白を知らない者はありません……決して気短なことをしてはいけません﹂といった。
呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
阿Qは想った。﹁ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪(いた)戯(づら)をするかしらんて?﹂
彼は立聴きしようと思って趙司晨の側(そば)までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目(め)蒐(が)けて跳び出して来た。
阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間(ま)に彼はもう土(おい)穀(なり)祠(さま)の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟(あわ)立(だ)って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁(し)み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上(うわ)衣(ぎ)がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
﹁阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ﹂
こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当(あた)前(りまえ)だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、
明日紅蝋燭一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。
二、趙家では道士を喚んで首
縊りの幽霊を祓う事(
首縊幽霊は最も獰猛なる
悪鬼で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。
三、阿Qは今後決して趙家の
閾を越えぬ事。
四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。