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海潮音
上田敏
遙に此書を滿州なる森鴎外氏に獻ず
大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりてあまぐもとなる、あまぐもとなる
獅子舞歌
海潮音序
卷中收むる所の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亞に三人、英吉利に四人、獨逸に七人、プロヴァンスに一人、而して佛蘭西には十四人の多きに達し、曩の高踏派と今の象徴派とに屬する者其大部を占む。
高踏派の莊麗體を譯すに當りて、多く所謂七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉體を飜するに多少の變格を敢てしたるは、其各の原調に適合せしめむが爲なり。
詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意に非らず、これ或は山嶽と共に舊るきものならむ。然れども之を作詩の中心とし本義として故らに標榜する所あるは、蓋し二十年來の佛蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の佛詩は高踏派の名篇に於て發展の極に達し、彫心鏤骨の技巧實に燦爛の美を恣にす、今茲に一轉機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家之に觀る所ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱へ、自由詩形を説けり。譯者は今の日本詩壇に對て、專ら之に則れと云ふ者にあらず、素性の然らしむる所か、譯者の同情は寧ろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又徒らに晦澁と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳の新聲、今人胸奧の絃に觸るゝにあらずや。坦々たる古道の盡くるあたり、荊棘路を塞ぎたる原野に對て、之が開拓を勤むる勇猛の徒を貶す者は怯に非らずむば惰なり。
譯者甞て十年の昔、白耳義文學を紹介し、稍後れて、佛蘭西詩壇の新聲、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上文人の作なほ未だ西歐の評壇に於ても今日の聲譽を博する事能はざりしが、爾來世運の轉移と共に清新の詩文を解する者、漸く數を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全歐思想界の一方に覇を稱するに至れり。人心觀想の默移實に驚くべき哉。近體新聲の耳目に嫺はざるを以て、倉皇視聽を掩はむとする人々よ、詩天の星の宿は徙りぬ、心せよ。
日本詩壇に於ける象徴詩の傳來、日なほ淺く、作未だ多からざるに當て、既に早く評壇の一隅に囁々の語を爲す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神經の鋭きに傲る者なりと非議する評家よ、卿等の神經こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新聲の美を味ひ功を收めざるに先ちて、早く其弊竇に戰慄するものは誰ぞ。
歐洲の評壇亦今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。佛蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。譯者は藝術に對する態度と趣味とに於て、此偏想家と頗る説を異にしたれば、其云ふ所に一々首肯する能はざれど、佛蘭西詩壇一部の極端派を制馭する消極の評論としては、稍耳を傾く可きもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明呪詛の聲として、其一端をかの﹁藝術論﹂に露はしたるに至りては、全く贊同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は譯者の欽仰措かざる者なりと雖、其人生觀に就ては、根本に於て既に譯者と見を異にす。抑も伯が藝術論はかの世界觀の一片に過ぎず。近代新聲の評隲に就て、非常なる見解の相違ある素より怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に﹁藝術論﹂の一部を抽讀して、象徴派の貶斥に一大聲援を得たる如き心地あるは、毫も清新體の詩人に打撃を與ふる能はざるのみか、却て老伯の議論を誤解したる者なりと謂ふ可し。人生觀の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、其論理上必須の結果たる藝術觀のみに就て贊意を表さむと試むるも難い哉。
象徴の用は、之が助を藉りて詩人の觀想に類似したる一の心状を讀者に與ふるに在りて、必らずしも同一の概念を傳へむと勉むるに非ず。されば靜に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に應じて、詩人も未だ説き及ぼさゞる言語道斷の妙趣を翫賞し得可し。故に一篇の詩に對する解釋は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書九〇頁﹁鷺の歌﹂を誦するに當て讀者は種々の解釋を試むべき自由を有す。此詩を廣く人生に擬して解せむか、曰く、凡俗の大衆は眼低し。法(パリ)利(サ)賽(イ)の徒と共に虚僞の生を營みて、醜辱汚穢の沼に網うつ、名や財や、はた樂欲を漁らむとすなり。唯、縹緲たる理想の白鷺は羽風徐に羽撃きて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬の白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。之を捉へむとしてえせず、此世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釋たるに過ぎず、或は意を狹くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉體の欲に飽きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縱生活の悲愁こゝに湛へられ、或は空想の泡沫に歸するを哀みて、眞理の捉へ難きに憧がるゝ哲人の愁思もほのめかさる。而して此詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。一〇七頁﹁花冠﹂は詩人が黄昏の途上に佇みて、﹁活動﹂、﹁樂欲﹂、﹁驕慢﹂の邦に漂遊して、今や歸り來れる幾多の﹁想﹂と相語るに擬したり。彼等默然として頭俛れ、齎らす所只幻惑の悲音のみ。孤り此等の姉妹と道を異にしたるか、終に歸り來らざる﹁理想﹂は法苑林の樹間に﹁愛﹂と相睦み語らふならむといふに在りて、冷艶素香の美、今の佛詩壇に冠たる詩なり。
譯述の法に就ては譯者自ら語るを好まず。只譯詩の覺悟に關して、ロセッティが伊太利古詩飜譯の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自國詩文の技巧の爲め、清新の趣味を犧牲にする事あるべからず。而も彼所謂逐語譯は必らずしも忠實譯にあらず。されば﹁東行西行雲眇々。二月三月日遲々﹂を﹁とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら﹂と訓み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱が二條の家に物張の尼が﹁月によつて長安百尺の樓に上る﹂と詠じたる例に從ひたる所多し。
明治三十八年初秋
上田敏
ガブリエレ・ダンヌンチオ
燕の歌
彌(やよ)生(ひ)ついたち、はつ燕、
海のあなたの靜けき國の
便(たより)もてきぬ、うれしき文(ふみ)を。
春のはつ花、にほひを尋(と)むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染(そめ)分(わけ)縞(じま)は
春の心の舞姿。
彌生來にけり、如(きさ)月(らぎ)は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗(り)鼠(す)の毛(けご)衣(ろも)脱ぎすてて、
綾(りん)子(ず)羽ぶたへ今(いま)樣(やう)に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足(あし)速(ばや)の
戀慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の﹁春﹂の君ゆゑに。
けふは野山も新(にひ)妻(づま)の姿に通ひ、
わだつみの波は輝く阿(あこ)古(や)屋(だ)珠(ま)。
あれ、藪(やぶ)陰(かげ)の黒(くろ)鶫(つぐみ)、
あれ、なか空(そら)に揚(あげ)雲(ひば)雀(り)。
つれなき風は吹きすぎて、
舊(ふる)巣(す)啣(くは)へて飛び去りぬ。
あゝ、南(なん)國(ごく)のぬれつばめ、
尾(を)羽(ば)は矢(や)羽(ば)根(ね)よ、鳴く音(ね)は弦(つる)を
﹁春﹂のひくおと、﹁春﹂の手の。
あゝ、よろこびの美(うま)鳥(どり)よ、
黒と白との水(すゐ)干(かん)に、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗(れい)人(じん)の
イソルダ姫の物語、
飾り畫(ゑが)けるこの殿(との)に
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは﹁春﹂のめがみ大(おほ)神(がみ)。
聲(もの)曲(のね)
われはきく、よもすがら、わが胸の上(うへ)に、君眠る時、
吾は聽く、夜の靜(しづ)寂(けき)に、滴(したゝり)の落つるを將(はた)、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶(たえ)間(ま)なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。
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ルコント・ドゥ・リイル
眞(まひ)晝(る)
﹁夏﹂の帝(みかど)の﹁眞(まひ)晝(るど)時(き)﹂は、大(おほ)野(の)が原に廣ごりて、
白(しろ)銀(がね)色(いろ)の布(ぬの)引(びき)に、青(あを)天(ぞら)くだし天(あも)降(り)しぬ。
寂(じやく)たるよもの光(けし)景(き)かな。耀(かゞや)く虚(こく)空(う)、風絶えて、
炎(ほのほ)のころも纏(まと)ひたる地(つち)の熟(うま)睡(い)の靜(しづ)心(ごゝろ)。
眼(め)路(ぢ)眇(べう)茫(ばう)として極(きはみ)無く、樹(こか)蔭(げ)も見えぬ大(おほ)野(の)らや、
牧(まき)の畜(けもの)の水かひ場(ば)、泉は涸(か)れて音も無し。
野末遙けき森陰は、裾の界(さかひ)の線(すぢ)黒み、
不(ふど)動(う)の姿(ゆ)夢(め)重く、寂(じや)寞(くまく)として眠りたり。
唯熟したる麥の田は黄(わう)金(ごん)海(かい)と連なりて、
かぎりも波の搖(たゆ)蕩(たひ)に、眠るも鈍(おぞ)と嘲(あざ)みがほ、
聖(せい)なる地(つち)の安らけき兒(こ)等(ら)の姿を見よやとて、
畏れ憚(はばか)るけしき無く、日の觴(さかづき)を嚥(の)み干しぬ。
また、邂(わく)逅(らば)に吐息なす心の熱(ねつ)の穗に出でゝ、
囁(つぶ)聲(やきごゑ)のそこはかと、鬚(ひげ)長(なが)頴(かひ)の胸のうへ、
覺めたる波の搖(ゆさ)動(ぶり)や、うねりも貴(あて)におほどかに
起きてまた伏す行末は沙(すな)たち迷ふ雲のはて。
程遠からぬ青草の牧(まき)に伏したる白(はく)牛(ぎう)が、
肉(しゝ)置(おき)厚き喉(のど)袋(ぶくろ)、涎(よだれ)に濡らす慵(ものう)げさ、
妙(たへ)に氣(けだ)高(か)き眼(まな)差(ざし)も、世の煩(わづ)累(らひ)に倦みしごと、
終(つひ)に見果てぬ内心の夢の衢(ちまた)に迷ふらむ。
人よ、爾の心中を、喜怒哀樂に亂されて、
光(くわ)明(うみ)道(やうだう)の此(この)原(はら)の眞(まひ)晝(る)を孤(ひと)り過ぎゆかば、
のがれよ、こゝに萬(ばん)物(ぶつ)は、凡(す)べて虚(うつろ)ぞ、日は燬(や)かむ。
ものみな、こゝに命無く、悦(よろこび)も無し、はた憂無し。
されど涙(なんだ)や笑(せう)聲(せい)の惑(まどひ)を脱し、萬(ばん)象(しやう)の
流(るて)轉(ん)の相(さう)を忘(ばう)ぜむと、心の渇(かわき)いと切(せち)に、
現(うつ)身(そみ)の世を赦(ゆる)しえず、はた詛(のろ)ひえぬ觀(くわ)念(んねん)の
眼(まなこ)放ちて、幽遠の大歡樂を念じなば、
來れ、此地の天(てん)日(じつ)にこよなき法(のり)の言葉あり、
親み難き炎(えん)上(じやう)の無(むげ)間(ん)に沈め、なが思、
かくての後は、濁(だく)世(せい)の都をさして行くもよし、
物の七(なゝ)たび涅(ニル)槃(ワナ)に浸(ひた)りて澄みし心もて。
大饑餓
夢(まど)圓(か)なる滄(わだ)溟(のはら)、濤(なみ)の卷(うね)曲(り)の搖(たゆ)蕩(たひ)に
夜(やて)天(ん)の星の影見えて、小(をじ)島(ま)の群(むれ)と輝きぬ。
紫(しま)摩(わう)黄(ご)金(ん)の良(あた)夜(らよ)は、寂(じや)寞(くまく)としてまた幽(いう)に、
奇(く)しき畏(おそれ)の滿ちわたる海と空との原の上。
無邊の天(てん)や無量海、底(そこ)ひも知らぬ深(しん)淵(えん)は
憂愁の國、寂(じや)光(くく)土(わうど)、また譬ふべし、玄(げん)耀(えう)郷(きやう)。
墳(おく)塋(つき)にして、はた伽藍、赫(かく)灼(やく)として幽遠の
大(だい)荒(くわ)原(うげん)の縱(たて)横(よこ)を、あら、萬(まん)眼(がん)の魚(うろ)鱗(くづ)や。
青(せい)空(くう)かくも莊嚴に、大(だい)水(すゐ)更に神(かみ)寂(さ)びて、
大光明の遍(へん)照(ぜう)に、宏(くわ)大(うだい)無(むへ)邊(んか)界(いち)中(う)に、
うつらうつらの夢枕、煩惱界の諸(しよ)苦(くげ)患(ん)も、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。
かゝりし程に、粗(あら)膚(はだ)の蓬(ふく)起(だみ)皮(がは)のしなやかに
飢にや狂ふ、おどろしき深(ふか)海(うみ)底(ぞこ)のわたり魚(うを)、
あふさきるさの徘(もと)徊(ほり)に、身の鬱憂を紛れむと、
南(なん)蠻(ばん)鐵(てつ)の腮(あぎと)をぞ、くわつとばかりに開いたる。
素(もと)より無邊天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
參(からすき)の宿(しゆく)、みつ星(ぼし)や、三(さん)角(かく)星(せい)や天(てん)蝎(かつ)宮(きう)、
無(むげ)限(ん)に曳(ひ)ける光(くわ)芒(うばう)のゆくてに思(おもひ)馳(は)するなく、
北(ほく)斗(とせ)星(い)前(ぜん)、横はる大(だい)熊(いう)星(せい)もなにかあらむ。
唯、ひとすぢに、生(せい)肉(にく)を噛まむ、碎かむ、割(さ)かばやと、
常の心は、朱(あけ)に染み、血の氣(け)に欲を湛(たゝ)へつゝ、
影暗うして水重き潮の底の荒(くわ)原(うげん)を、
曇れる眼(まなこ)、きらめかし、悽慘として遲々たりや。
こゝ虚(うつろ)なる無(むせ)聲(いき)境(やう)、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此(くう)空(ば)漠(く)の荒(あら)野(ぬ)には、
音(おと)信(づれ)も無し、影も無し。たゞ水(みづ)先(さき)の小(こば)判(んざ)鮫(め)、
眞(まく)黒(ろ)の鰭(ひれ)のひたうへに、沈々として眠るのみ。
行きね妖(あや)怪(かし)、なれが身も人(にん)間(げん)道(だう)に異ならず、
醜(しう)惡(を)、獰(だう)猛(まう)、暴(ばう)戻(れい)のたえて異なるふしも無し。
心安かれ、鱶(ふか)ざめよ、明(あ)日(す)や食らはむ人間を。
又さはいへど、汝(なれ)が身も、明(あ)日(す)や食はれむ、人間に。
聖(せい)なる飢(うゑ)は正(しや)法(うぼふ)の永(なが)くつゞける殺(せつ)生(しや)業(うごふ)、
かげ深(ふか)海(うみ)も光明の天(あま)つみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶(ふか)鮫(ざめ)も、殘(ざん)害(がい)の徒も、餌(ゑじ)食(き)等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。
象
沙漠は丹(たん)の色にして、波(まん)漫(ま)々(ん)たるわだつみの
音(おと)しづまりて、日に燬(や)けて、熟(うま)睡(い)の床(とこ)に伏す如く、
不動のうねり、大(おほ)らかに、ゆくらゆくらに傳(つたは)らむ、
人住むあたり銅(あかがね)の雲たち籠(こ)むる眼(め)路(ぢ)のすゑ。
命も音も絶えて無し。餌(ゑば)に飽きたる唐(から)獅(し)子(し)も、
百里の遠き洞(ほら)窟(あな)の奧にや今は眠るらむ。
また岩(ほ)清(と)水(ば)迸(し)る長(ちや)沙(うさ)の央(なかば)、青葉かげ、
豹(へう)も來て飮む椰(やし)子(り)森(ん)は、麒麟が常の水かひ場。
大日輪の走(は)せ廻(めぐ)る氣重き虚(こく)空(う)鞭うつて、
羽(はが)掻(き)の音の聲高き一(いつ)鳥(てう)遂に飛びも來ず、
たまたま見たり、蟒(うは)蛇(ばみ)の夢も熱きか圓(まろ)寢(ね)して、
とぐろの綱を動せば、鱗(うろこ)の光(ひかり)まばゆきを。
一(いつ)天(てん)霽(は)れて、そが下(した)に、かゝる炎の野はあれど、
物(もの)鬱として、寂(せき)寥(れう)のきはみを盡すをりしもあれ、
皺(しわ)だむ象(ざう)の一(いち)群(ぐん)よ、太(ふと)しき脚(あし)の練(ねり)歩(あし)に、
うまれの里の野を捨てゝ、大(おほ)沙(すな)原(ばら)を横に行く。
地平のあたり、一團の褐(くり)色(いろ)なして、列(つら)なめて、
みれば砂(さぢ)塵(ん)を蹴立てつゝ、路無き原を直(ひた)道(みち)に、
ゆくてのさきの障(さま)碍(たげ)を、もどかしとてや、力(ちか)足(らあし)、
蹈(たゞ)鞴(ら)しこふむ勢(いきほひ)に、遠(をち)の砂(すな)山(やま)崩れたり。
導(しるべ)にたてる年(とし)嵩(かさ)のてだれの象の全身は
﹁時﹂が噛みてし刻みてし、老(らう)樹(じゆ)の幹のごとひわれ
巨巖の如き大(おほ)頭(がしら)、脊(せぼ)骨(ね)の弓の太しきも、
何の苦も無く自(おの)づから、滑らかにこそ動くなれ。
歩(あゆみ)遲(おそ)むることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし群(ぐん)象(ざう)をめあての國に導けば、
沙(すな)の畦(あぜ)くろ、穴に穿ち、續いて歩むともがらは、
雲突く修(すげ)驗(んや)山(まぶ)伏(し)か、先(せん)達(だつ)の蹤(あと)蹈(ふん)でゆく。
耳は扇とかざしたり、鼻は象牙に介(はさ)みたり、
半(はん)眼(がん)にして辿(たど)りゆくその胴(どう)腹(ばら)の波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟となつて散(さん)亂(らん)し、
幾千萬の昆蟲が、うなりて集(つど)ふ餌(ゑじ)食(き)かな。
饑(きか)渇(つ)の攻(せめ)や、貪(たん)婪(らん)の羽(はむ)蟲(し)の群(むれ)もなにかあらむ、
黒(くろ)皺(じわ)皮(がは)の滿身の膚(はだへ)をこがす炎暑をや。
かの故(ふる)里(さと)をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼(め)路(ぢ)のあなたに生ひ茂げる無(いち)花(じゆ)果(く)の森、象(きさ)の邦。
また忍ぶかな、高(たか)山(やま)の奧より落つる長(ちや)水(うすゐ)に
巨大の河(か)馬(ば)の嘯(うそぶ)きて、波(はた)濤(う)たぎつる河の瀬を、
あるは月(げつ)夜(や)の清光に白(しろ)みしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦(よし)蘆(あし)を蹈み碎きてや、降(お)りたつを。
かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
涯(きはみ)も知らぬ遠(をち)のすゑ、黒(くろ)線(すぢ)とほくかすれゆけば、
大(おほ)沙(すな)原(はら)は今さらに不動のけはひ、神(かみ)寂(さ)びぬ。
身(みじ)動(ろき)迂(うと)き旅(たび)人(うど)の雲のはたてに消ゆる時。
ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲學に基ける厭世觀は佛蘭西の詩文に致死の棺(たれ)衣(ぎぬ)を投げたり。前人の詩、多くは一時の感慨を洩し、單純なる悲哀の想を鼓吹するに止りしかど、此詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統を樹て、藝術の莊嚴を帶ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。即ち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後に出で、始て詩神の雲髮を捉みて、之に悛嚴なる詩法の金櫛を加へたるが故也。彼常に﹁不感無覺﹂を以て稱せらる。世人輙もすれば、此語を誤解して曰く、高踏一派の徒、甘じて感情を犧牲とす。これ既に藝術の第一義を沒却したるものなり。或は恐る、終に述作無きに至らむをと。あらず、あらず、此暫々濫用せらるゝ﹁不感無覺﹂の語義を藝文の上より解する時は、單に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。常に宇宙の深遠なる悲愁、神祕なる歡樂を覺ゆるものから、當代の愚かしき歌物語が、野卑陳套の曲を反復して、譬へば情痴の涙に重き百葉の輕舟、今、藝苑の河流を閉塞するを敬せざるのみ。尋常世態の瑣事、奚ぞよく高踏派の詩人を動さむ。されど之を倫理の方面より觀むか、人生に對する此派の態度、これより學ばむとする教訓は此一言に現はる。曰く哀樂は感ず可く、歌ふ可し、而も人は斯多阿學徒の心を以て忍ばざる可からずと。かの額付、物思はしげに、長髮わざとらしき詩人等も、此語には辟易せしも多かり。されば此人は藝文に劃然たる一新機軸を出しゝ者にして同代の何人よりも、其詩、哲理に富み、譬喩の趣を加ふ。﹁カイン﹂﹁サタン﹂の詩二つながら人界の災殃を賦し、﹁イパティイ﹂は古代衰亡の頽唐美、﹁シリル﹂は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壯大なる史景を咏じて、臺閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乘逸話の上に敍情詩めいたる豐麗を與へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、傳説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。かの傳奇の老大家は歴史の上に燦爛たる紫雲を曳き、この憂愁の達人は其實體を闡明す。
*
讀者の眼頭に彷彿として展開するものは、豪壯悲慘なる北歐思想、明暢清朗なる希臘田野の夢、または銀光の朧々たること、其聖十字架を思はしむる基督教法の冥想、特に印度大幻夢涅槃の妙説なりけり。
*
黒檀の森茂げき此世の涯の老國より來て、彼は長久の座を吾等の傍に占めつ、教へて曰く、﹁寂滅爲樂﹂。
*
幾度と無く繰返したる大智識の教話によりて、悲哀は分類結晶して、頗る靜寧の姿を得たるも、なほ、をりふしは憤怒の激發に迅雷の轟然たるを聞く。是に於てか電火ひらめき、萬雷はためき、人類に對する痛罵、宛も藥綫の爆發する如く、所謂﹁不感無覺﹂の墻壁を破り了ぬ。
*
自家の理論を詩文に發表して、シォペンハウエルの辨證したる佛法の教理を開陳したるは、此詩人の特色ならむ。儕輩の詩人皆多少憂愁の思想を具へたれど、厭世觀の理義彼に於ける如く整然たるは罕(まれ)なり。衆人徒に虚無を讚す。彼は明かに其事實なるを示せり。其詩は智の詩なり。而も詩(ゆ)趣(た)饒かにして、坐(そゞ)ろにペラスゴイ、キュクロプスの城址を忍ばしむる堅牢の石壁は、かの纖弱の律に歌はれ、往々俗謠に傾ける當代傳奇の宮殿を摧かむとすなり。
エミイル・ヴェルハアレン
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ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ
珊瑚礁
波の底にも照る日影、神(さ)寂びにたる曙の
照しの光、亞(ア)比(ビ)西(シ)尼(ニ)亞(ア)、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深(ふか)海(うみ)の谷(たに)隈(くま)の奧に透(すき)入(い)れば、
輝きにほふ蟲のから、命にみつる珠(たま)の華。
沃(ヨウ)度(ド)に、鹽に、さ丹(に)づらふ海の寶のもろもろは
濡髮長き海(かい)藻(さう)や、珊瑚、海(う)膽(に)、苔(こけ)までも、
臙(えん)脂(じ)紫(むらさき)あかあかと、華(くわ)奢(しや)のきはみの繪模樣に、
薄色ねびしみどり石、蝕(むしば)む底ぞ被(おほ)ひたる。
鱗(こけ)の光のきらめきに白(はく)琺(はふ)瑯(らう)を曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を尋(たづ)ぬる一(いち)大(だい)魚(ぎよ)、
光(す)透(き)入(い)る水かげに慵(ものう)げなりや、もとほりぬ。
忽ち紅(こう)火(くわ)飄(ひるが)へる思の色の鰭(ひれ)ふるひ、
藍を湛(たゝ)へし靜寂の、かげほのぐらき青(せい)海(がい)波(は)、
水(みづ)搖(ゆ)りうごく搖(えふ)曳(えい)は、黄(わう)金(ごん)、眞珠、青(せい)玉(ぎよく)の色。
床
さゝらがた錦を張るも、荒(あら)妙(たへ)の白(しら)布(ぬの)敷くも、
悲しさは墳(おく)塋(つき)のごと、樂しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま戀ふる、凡べてこゝなり、
をさな兒(ご)も、老も若(わかき)も、さをとめも、妻も、夫も。
葬(はふ)事(りごと)、まぐはひほがひ、烏羽玉の黒(くろ)十(じふ)字(じ)架(か)に、
淨(きよ)き水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産(うぶ)屋(や)洩る初日影より、臨終の燭(そく)の火までも、
天(あま)離(さか)る鄙(ひな)の伏(ふせ)屋(や)も、百(もゝ)敷(しき)の大(おほ)宮(みや)内(うち)も、
紫(しま)摩(ご)金(ん)の榮(はえ)を盡して、紅(あけ)に朱(しゆ)に矜(ほこ)り飾るも、
鈍(にび)色(いろ)の樫(かし)のつくりや、楓(かへで)の木、杉の床(とこ)にも。
獨(ひと)り、かの畏(おそれ)も悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの失(うせ)にし床に、
物古りし親のゆづりの大(おほ)床(どこ)に足を延ばして。
出征
高(たか)山(やま)の鳥(とぐ)栖(ら)巣(す)だちし兄(せ)鷹(う)のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は倦(うん)じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄(をた)誥(け)ぶ夢ぞ逞ましき、あはれ、丈(ます)夫(らを)。
チパンゴに在りと傳ふる鑛(かな)山(やま)の
紫(しま)摩(わう)黄(ご)金(ん)やわが物と遠く求むる
船の帆も撓(し)わりにけりな、時(とき)津(つか)風(ぜ)、
西の世界の不思議なる遠(とほ)荒(つあ)磯(りそ)に。
ゆふべゆふべは壯大の旦(あした)を夢み、
しらぬ火や、熱(ねつ)帶(たい)海(かい)のかぢまくら、
こがね幻(まぼろし)通ふらむ。またある時は
白妙の帆船の舳(へ)さき、たゝずみて、
振(ふり)放(さけ)みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼(わだ)海(つみ)の底よりのぼる、けふも新(にひ)星(ぼし)。
.
シュリ・プリュドン
夢
夢のうちに、農(のう)人(にん)曰く、なが糧(かて)をみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土を墾(ほ)り種を蒔けよと。
機(はた)織(おり)はわれに語りぬ、なが衣(きぬ)をみづから織れと。
石(いし)造(つくり)われに語りぬ、いざ鏝(こて)をみづから執れと。
かくて孤(ひと)り人間の群(むれ)やらはれて解くに由なき
この咒(のろ)詛(ひ)、身にひき纏ふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐(あは)愍(れみ)垂れさせ給へよと、祷(いの)りをろがむ
眼(まの)前(あたり)、ゆくての途(みち)のたゞなかを獅子はふたぎぬ。
ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼(まなこ)ひらけば、
雄々しかる田つくり男、梯(はし)立(だて)に口笛鳴らし、
はたものの踏(ふみ)木(き)もとどろ、小山田に種(たね)ぞ蒔(ま)きたる。
世の幸(さち)を今はた識(し)りぬ、人の住むこの現(うつ)世(しよ)に、
誰かまた思ひあがりて、同(はら)胞(から)を凌ぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。
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シャルル・ボドレエル
信(をき)天(のた)翁(いふ)
波路遙けき徒(つれ)然(づれ)の慰(なぐ)草(さめぐさ)と船(ふな)人(びと)は、
八重の潮路の海(うみ)鳥(どり)の沖の太(たい)夫(ふ)を生(いけ)擒(ど)りぬ、
楫(かぢ)の枕のよき友よ心(の)閑(ど)けき飛(ひて)鳥(う)かな、
奧(おき)津(つ)潮(しほ)騷(ざゐ)すべりゆく舷(ふなばた)近くむれ集(つど)ふ。
たゞ甲(かふ)板(はん)に据ゑぬればげにや笑(せう)止(し)の極(きはみ)なる。
この青(あを)雲(ぐも)の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、眞白き双(さう)翼(よく)は、たゞ徒らに廣ごりて、
今は身の仇、益(やう)も無き二つの櫂(かい)と曳きぬらむ。
天(あま)飛ぶ鳥も、降(くだ)りては、やつれ醜き瘠(やせ)姿(すがた)、
昨(きの)日(ふ)の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく、
煙(きせ)管(る)に嘴(はし)をつゝかれて、心(こゝ)無(ろなし)には嘲けられ、
しどろの足を摸(ま)ねされて、飛(ひぎ)行(やう)の空に憧(あこ)がるゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌(うた)人(びと)に似たらずや、
暴(あ)風(ら)雨(し)を笑ひ、風凌ぎ獵(さつ)男(を)の弓をあざみしも、
地(つち)の下(げか)界(い)にやらはれて、勢(せ)子(こ)の叫に煩へば、
太しき双(さう)の羽根さへも起(たち)居(ゐ)妨ぐ足まとひ。
薄(くれ)暮(がた)の曲(きよく)
時こそ今は水(みづ)枝(え)さす、こぬれに花(はな)の顫ふころ、
花は薫じて追風に、不斷の香(かう)の爐に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩(くる)暈(めき)よ、
花は薫じて追風に、不斷の香の爐に似たり。
痍(きず)に惱める胸もどき、ヴィオロン樂(がく)の清(すが)掻(がき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩(くる)暈(めき)よ、
神(みこ)輿(し)の臺をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。
痍(きず)に惱める胸もどき、ヴィオロン樂(がく)の清(すが)掻(がき)や、
闇の涅(ねは)槃(ん)に、痛ましく惱まされたる優(やさ)心(ごゝろ)。
神(みこ)輿(し)の臺をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ、
日や落入りて溺るゝは、凝(こゞ)るゆふべの血(ちし)潮(ほぐ)雲(も)。
闇の涅(ねは)槃(ん)に、痛ましく惱まされたる優(やさ)心(ごゝろ)、
光の過去のあとかたを尋(と)めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝(こゞ)るゆふべの血(ちし)潮(ほぐ)雲(も)、
君が名殘のたゞ在るは、ひかり輝く聖(せい)體(たい)盒(ごふ)。
破(やれ)鐘(がね)
悲(かな)しくもまたあはれなり、冬の夜の地(ゐろ)爐(り)の下(もと)に、
燃えあがり、燃え盡きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過(す)ぎし日(ひ)のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。
喉(のど)太(ぶと)の古(ふる)鐘(がね)きけば、その身こそうらやましけれ、
老(おい)らくの齡(とし)にもめげず、健(すこ)やかに、忠(まめ)なる聲の、
何(い)時(つ)もいつも、梵(ぼん)音(のん)妙(たへ)に深くして、穩(おほ)どかなるは、
陣營の歩哨にたてる老兵の姿に似たり。
そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごゝちに、
寒(さむ)空(ぞら)の夜(よる)に響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覺束な、音(ね)にこそたてれ、弱(よわ)聲(ごゑ)の細(ほそ)音(ね)も哀れ、
哀れなる臨(いま)終(は)の聲(こゑ)は、血の波の湖(みづうみ)の岸、
小山なす屍(かばね)の下(もと)に、身(みじ)動(ろぎ)もえならで死(う)する、
棄てられし負(てお)傷(ひ)の兵の息絶ゆる終(つひ)の呻(うめ)吟(き)か。
人と海
こゝろ自(ま)由(ゝ)なる人間は、とはに賞(め)づらむ大(おほ)海(うみ)を。
海こそ人の鏡なれ。灘の大波はてしなく、
水や天(そら)なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深(ふか)海(うみ)の潮の苦(にが)味(み)も世といづれ。
さればぞ人(ひと)は身を映(うつ)す鏡の胸に飛び入(い)りて、
眼(まなこ)に抱き腕にいだき、またある時は村(むら)肝(ぎも)の
心もともに、はためきて、潮(しほ)騷(ざゐ)高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音(おと)の、物狂ほしき歎(なげ)息(かひ)に。
海も爾(いまし)もひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、爾(いまし)が心(しん)中(ちう)の深淵探りしものやある。
海よ、爾(いまし)が水(みな)底(ぞこ)の富を數へしものやある。
かくも妬(ねた)げに祕(ひめ)事(ごと)のさはにもあるか、海と人。
かくて劫(ごふ)初(しよ)の昔より、かくて無數の歳月を、
慈悲悔恨の弛(ゆるみ)無く、修(しゆ)羅(ら)の戰(たゝかひ)酣(たけなは)に、
げにも非命と殺(さつ)戮(りく)と、なじかは、さまで好もしき、
噫、永遠のすまうどよ、噫、怨(をん)念(ねん)のはらからよ。
梟
黒(くろ)葉(ばい)水(ち)松(ゐ)の木(この)下(した)闇(やみ)に
並んでとまる梟(ふくろう)は
昔の神をいきうつし、
赤(あか)眼(め)むきだし思案顏。
體(たい)も崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日(ひあ)脚(し)推しこかす
大(おほ)凶(まが)時(とき)となりにけり。
鳥のふりみて達人は
道の悟や開くらむ、
世に忌(ゆ)々(ゆ)しきは煩惱と。
色(しき)相(さう)界(かい)の妄(まう)執(しふ)に
諸(しよ)人(にん)のつねのくるしみは
居(きよ)に安(やすん)ぜぬあだ心。
現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の發展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を變じて欝悶と改めしのみと、而も再考して終に其全く變質したるを曉(さと)らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ち之を詩章の龍葢帳中に据ゑて、黒衣聖母の觀あらしめ、絢爛なること繪畫の如き幻想と、整美なること彫塑に似たる夢思とを恣にして之に生動の氣を與ふ。是に於てか、宛もこれ絶美なる獅身女頭獸なり。悲哀を愛するの甚しきは、いづれの先人をも凌ぎ、常に悲哀の詩趣を讚して、彼は自ら﹁悲哀の煉金道士﹂と號せり。
*
先人の多くは、惱心地定かならぬまゝに、自然に對する心中の愁訴を、自然其物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃ち巴里叫喊地獄の詩人として胸奧の悲を述べ、人に叛き世に抗する數奇の放浪兒が爲に、大聲を假したり。其心、夜に似て暗憺、いひしらず、汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐悔恨の凄光を放つが如きもの無きにしもあらず。エミイル・ヴェルハアレン
ボドレエル氏よ、君は藝術の天にたぐひなき凄慘の光を與へぬ。即ち未だ曾て無き一の戰慄を創成したり。ヴィクトル・ユウゴオ
.
ポオル・ヴェルレエヌ
譬(ひ)喩(ゆ)
主は讚(ほ)むべき哉、無(むみ)明(やう)の闇や、憎(にくみ)多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に與へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗(い)子(ぬ)のやうに從ひてむ。
生(いけ)贄(にへ)の羊、その母のあと、從ひつつ、
何の苦もなくて、牧(ぼく)草(さう)を食(は)み、身に生ひたる
羊毛のほかに、その刻(とき)來ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如くわれもなさむ。
また魚とならば、御(み)子(こ)の頭(かし)字(らじ)象(かたど)りもし、
驢馬ともなりては、主を乘せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より穰(はら)ひ給ひし豕(ゐのこ)を見いづ。
げに末つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心(す)素(な)直(ほ)にも忍(にん)辱(にく)の道守るならむ。
よくみるゆめ
常によく見る夢乍ら、奇(あ)やし、懷(なつ)かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女(ひと)なれど、思はれ、思ふかの女(ひと)よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異りて、
また異(ことな)らぬおもひびと、わが心(こゝ)根(ろね)や悟りてし。
わが心根を悟りてしかの女(ひと)の眼に胸のうち、
噫(あゝ)、彼(かの)女(ひと)にのみ内(ない)證(しよう)の祕めたる事ぞ無かりける。
蒼ざめ顏のわが額、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術(すべ)あるは、玉の涙のかのひとよ。
栗色髮のひとなるか、赤(あか)髮(げ)のひとか、金髮か、
名をだに知(し)らね、唯思ふ朗ら細(ほそ)音(ね)のうまし名は、
うつせみの世を疾(と)く去りし昔の人の呼(よび)名(な)かと。
つくづく見入る眼(まな)差(ざし)は、匠(たくみ)が彫(ゑ)りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居たる其(おん)音(じや)聲(う)の清(すゞ)しさに、
無(むご)言(ん)の聲の懷かしき戀しき節(ふし)の鳴り響く。
落(らく)葉(えふ)
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落(おち)葉(ば)かな。
佛蘭西の詩はユウゴオに繪畫の色を帶び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具へ、ヴェルレエヌに至りて音樂の聲を傳へ、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。譯者
.
ヴィクトル・ユウゴオ
良心
革(かは)衣(ごろも)纏(まと)へる兒等を引(ひき)具(ぐ)して
髮おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離(さか)り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁(しう)然(ねん)と、
大(おほ)原(はら)の山の麓にたどりつきぬ。
妻は倦み兒等も疲れて諸(もろ)聲(ごゑ)に、
﹁地(つち)に伏していざ、いのねむ﹂と語りけり。
山(やま)陰(かげ)にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉の暗(やみ)夜(よ)の空を仰ぎみれば、
廣大の天(てん)眼(がん)くわつと、かしこくも、
物陰の奧より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて﹁未だ近し﹂と叫びつつ、
倦みし妻、眠れる兒等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃(のが)れゆく。
かゝなべて、日には三(み)十(そ)日(か)、夜(よ)は、三(み)十(そ)夜(よ)、
色變へて、風の音にもをのゝきぬ。
やらはれの、伏(ふし)眼(め)の旅は果もなし、
眠なく休(いこ)ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの國、海のほとり、
荒(あり)磯(そ)にこそはつきにけれ。﹁いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ來(こ)し、
いざ﹂と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつも、いつも、天(てん)眼(がん)ひしと睨みたり。
おそれみに身も世もあらず、戰(をのゝ)きて、
﹁隱せよ﹂と叫ぶ一(いつ)聲(せい)。兒(こ)等(ら)はただ
猛き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
﹁このむたに幕ひろげよ﹂と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髮の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
﹁かくすれば、はや何も見給ふまじ﹂と。
﹁否なほも眼(まなこ)睨む﹂とカインいふ。
角(かく)を吹き鼓(つゞみ)をうちて、城(き)のうちを
ゆきめぐる民(たみ)草(ぐさ)のおやユバルいふ、
﹁おのれ今固き守や設けむ﹂と。
銅(あかゞね)の壁(つ)築き上げて父の身を、
そがなかに隱しぬれども、如(いか)何(に)せむ、
﹁いつも、いつも眼(まなこ)睨(にら)む﹂といらへあり。
﹁恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦(とりで)守(も)る城(しろ)築(つき)あげて、
その邑(まち)を固くもらむ﹂と、エノクいふ。
鍛冶の祖(おや)トバルカインは、いそしみて、
宏大の無(むへ)邊(ん)都(とじ)城(やう)を營むに、
同(はら)胞(から)は、セツの兒(こ)等(ら)、エノスの兒等を、
野邊かけて狩(かり)暮(くら)しつゝ、ある時は
旅人の眼(まなこ)をくりて、夕されば
星(せい)天(てん)に征(そ)矢(や)を放ちぬ。これよりぞ、
花(みか)崗(げい)石(し)、帳(とばり)に代り、くろがねを
石にくみ、城(き)の形、冥(みや)府(うふ)に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建終り、大(おほ)城(き)戸(ど)に
刻める文字を眺むれば﹁このうちに
神はゆめ入る可からず﹂と、ゑりにたり。
さて親は石(せき)殿(でん)に住(すま)はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
﹁おほぢ君、眼は消えしや﹂と、チラの問へば、
﹁否、そこに今もなほ在り﹂と、カインいふ。
﹁墳(おく)塋(つき)に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住(すま)はむ。何物も
われを見じ、吾(われ)も亦何をも見じ﹂と。
さてこゝに坑(あな)を穿(うが)てば﹁よし﹂といひて、
たゞひとり闇(あん)穴(けつ)道(だう)におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地(ち)下(げ)の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天(てん)眼(がん)なほも奧(おく)津(つ)城(き)にカインを眺む。
ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂ひょう激浪の如くなれど、温藉靜冽の氣自から其詩を貫きたり。對聯比照に富み、光彩陸離たる形容の文辭を疊用して、燦爛たる一家の詩風を作りぬ。譯者
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フランソア・コペエ
禮拜
さても千八百九年、サラゴサの戰(たゝかひ)、
われ時に軍曹なりき。此日慘憺を極む。
街(まち)既に落ちて、家を圍むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鐵火、窓より降りしきれば、
﹁憎つくき僧徒の振舞﹂と
かたみに低く罵(のゝし)りつ。
明(あけ)方(がた)よりの合戰に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦がき紙(はや)筒(ごう)を
噛み切る口の黒くとも、
奮鬪の氣はいや益しに、
勢(いきほひ)猛(まう)に追ひ迫り、
黒(こく)衣(い)長袍ふち廣き帽を狙撃す。
狹き小(こう)路(じ)の行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任(にん)にしあれば、
精兵從へ推しゆく折りしも、
忽(こつ)然(ねん)として中(なか)天(ぞら)赤(あか)く、
鑛(くわ)爐(うろ)の紅(こう)舌(ぜつ)さながらに、
虐殺せらるゝ婦女の聲、
遙かには轟々の音とよもして、
歩(ご)毎(と)に伏(ふく)屍(し)累々たり。
屈(こゞん)でくぐる軒下を
出でくる時は銃劍の
鮮血淋漓たる兵が、
血(ちべ)紅(に)に染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵潛めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
將校たちは色曇り、
さすが、手(てだ)練(れ)の舊(ふる)兵(つはもの)も、
落居ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。
忽ち、とある曲(きよ)角(くかく)に、
援兵と呼ぶ佛語の一聲、
それ、戰友の危急ぞと、
驅けつけ見れば、きたなしや、
日(ひご)常(ろ)は猛(た)けき勇士等も、
精(しや)舍(うじや)の段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
圓(ゑん)頂(ちやう)の黒(こつ)鬼(き)に、くひとめらる。
眞白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々しさよ、
血染の腕(かひな)卷きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
慘絶、壯絶。それと一齊射撃にて、
やがては掃蕩したりしが、
冷然として、殘忍に、軍は倦みたり。
皆心中に疾(やま)しくて、
とかくに殺戮したれども、
醜(す)行(で)已に爲し了はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍より
階(きざはし)かけて、紅(べに)流れ、
そのうしろ樓門聳ゆ、巍然として鬱たり。
燈明くらがりに金(こん)色(じき)の星ときらめき、
香爐かぐはしく、靜寂の香(か)を放ちぬ。
殿上、奧深く、神壇に對(むか)ひ、
歌(から)樓(う)のうち、やさけびの音(おと)しらぬ顏、
蕭(しめ)やかに勤(ごん)行(ぎやう)營む白髮長身の僧。
噫けふもなほ俤(おもかげ)にして浮びこそすれ、
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だゝみを照らして、
紅流に烟(けぶり)たち、
朧(ろう)々(ろう)たる低き戸の框(かまち)に、
立つや老僧。
神(づ)壇(し)龕のやうに輝き、
唖然としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや當年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或(しや)日(う)精(じ)舍(や)の奪掠に
負けじ心の意氣張づよく
神壇近き御(みあ)燈(かし)に
煙草つけたる亂(らん)行(ぎや)者(うもの)、
上(うは)反(ぞり)鬢(ひげ)に氣(きお)負(ひ)みせ、
一歩も讓らぬ氣象のわれも、
たゞ此僧の髮白く白く
神寂びたるに畏みぬ。
﹁打て﹂と士官は號令す。
誰(あ)有(つ)て動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素(そぶ)振(り)神(かう)々(かう)しく、
聖(た)水(い)大(ば)盤(ん)を捧げてふりむく。
ミサ禮(らい)拜(はい)半(なかば)に達し、
司(しそ)僧(う)むき直る祝福の時、
腕(かひな)は伸べて鶴(かく)翼(よく)のやう、
衆皆一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙(よ)音(ど)澱(み)なく、和(わさ)讚(ん)を咏じて、
﹁歸命頂禮﹂の歌、常に異らず、
聲もほがらに、
﹁全能の神、爾等を憐み給ふ。﹂
またもや、一聲あらゝかに
﹁うて﹂と士官の號令に
進みいでたる一卒は
隊(な)中(う)有(て)名の卑怯者、
銃(じう)執(と)りなほして發砲す。
老僧、色は蒼(あを)みしが、
沈勇の眼(まなこ)明らかに、
祈りつゞけぬ、
﹁父と子と。﹂
續いて更に一發は、
狂氣のさたか、血(ちま)迷(よひ)か、
とかくに業(ごふ)は了りたり。
僧は隻(かた)腕(うで)、壇にもたれ、
明いたる手にて祝福し、
黄(わう)金(ごん)盤(ばん)も重たげに、
虚(こく)空(う)に恩(おん)赦(しや)の印(しるし)を切りて、
音(おん)聲(じやう)こそは微(かすか)なれ、
げきたる堂上とほりよく、
瞑(めい)目(もく)のうち述ぶるやう、
﹁聖靈と。﹂
かくて仆(たふ)れぬ、禮(らい)拜(はい)の事了りて。
盤(ばん)は三たび、床上に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼(おそ)胎(れ)をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。
聊(れう)爾(じ)なりや﹁アアメン﹂と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。
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ヰルヘルム・アレント
わすれなぐさ
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく
カアル・ブッセ
山のあなた
山のあなたの空遠く
﹁幸(さいはひ)﹂住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
﹁幸(さいはひ)﹂住むと人のいふ。
パウル・バルシュ
春
森は今、花さきみだれ
艶(えん)なりや、五(さつ)月(き)たちける。
神よ、擁(おう)護(ご)をたれたまへ、
あまりに幸(さち)のおほければ。
やがてぞ花は散りしぼみ、
艶(えん)なる時も過ぎにける。
神よ擁(おう)護(ご)をたれたまへ、
あまりにつらき災(とが)な來(こ)そ。
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オイゲン・クロアサン
秋
けふつくづくと眺むれば、
悲