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十二
基(キリ)督(スト)は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和(おし)尚(ょう)のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画(え)と云う名のほとんど下(くだ)すべからざる達(だる)磨(ま)の幅(ふく)を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画(えか)工(き)に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利(き)くものと思っている。それにも関(かか)わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢(ふくろ)のように行き抜けである。何にも停(てい)滞(たい)しておらん。随(ずい)処(しょ)に動き去り、任(にん)意(い)に作(な)し去って、些(さ)の塵(じん)滓(し)の腹部に沈(ちん)澱(でん)する景(けし)色(き)がない。もし彼の脳(のう)裏(り)に一点の趣味を貼(ちょう)し得たならば、彼は之(ゆ)く所に同化して、行(こう)屎(しそ)走(うに)尿(ょう)の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁(へ)の数を勘(かん)定(じょう)される間は、とうてい画家にはなれない。画(が)架(か)に向う事は出来る。小(こて)手(い)板(た)を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春(しゅ)色(んしょく)のなかに五尺の痩(そう)躯(く)を埋(うず)めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境(きょ)界(うがい)に入れば美の天下はわが有に帰する。尺(せき)素(そ)を染めず、寸(すん)を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技(ぎ)において、ミケルアンゼロに及ばず、巧(たく)みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩(ほ)武(ぶ)を斉(ひとし)ゅうして、毫(ごう)も遜(ゆず)るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画(え)もかかない。絵の具箱は酔(すい)興(きょう)に、担(かつ)いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤(わら)うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境(きょう)を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
朝(あさ)飯(めし)をすまして、一本の敷(しき)島(しま)をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞(かすみ)を離れて高く上(のぼ)っている。障(しょ)子(うじ)をあけて、後(うし)ろの山を眺(なが)めたら、蒼(あお)い樹(き)が非常にすき通って、例になく鮮(あざ)やかに見えた。
余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇(よの)宙(なか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気(きあ)合(い)一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜(しこ)好(う)で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自(おの)ずから制限されるのもまた当(とう)前(ぜん)である。英国人のかいた山(さん)水(すい)に明るいものは一つもない。明るい画が嫌(きらい)なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景(けい)色(しょく)をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝(まさ)っている、埃(エジ)及(プト)または波(ペル)斯(シャ)辺(へん)の光景のみを択(えら)んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判(はっ)然(きり)出来上っている。
個人の嗜(しこ)好(う)はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾(われ)々(われ)もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏(フラ)蘭(ン)西(ス)の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景(けい)色(しょく)だとは云われない。やはり面(ま)のあたり自然に接して、朝な夕なに雲(うん)容(よう)煙(えん)態(たい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三(さん)脚(きゃ)几(くき)を担いで飛び出さなければならん。色は刹(せつ)那(な)に移る。一たび機を失(しっ)すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端(は)には、滅(めっ)多(た)にこの辺で見る事の出来ないほどな好(い)い色が充(み)ちている。せっかく来て、あれを逃(にが)すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
襖(ふすま)をあけて、椽(えん)側(がわ)へ出ると、向う二階の障(しょ)子(うじ)に身を倚(も)たして、那美さんが立っている。顋(あご)を襟(えり)のなかへ埋(うず)めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨(あい)拶(さつ)をしようと思う途(とた)端(ん)に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃(ひらめ)くは稲(いな)妻(ずま)か、二(ふた)折(お)れ三(み)折(お)れ胸のあたりを、するりと走るや否(いな)や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸(すん)五分(ぶ)の白(しら)鞘(さや)がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌(か)舞(ぶ)伎(き)座(ざ)を覗(のぞ)いた気で宿を出る。
門を出て、左へ切れると、すぐ岨(そば)道(みち)つづきの、爪(つま)上(あが)りになる。鶯(うぐいす)が所(とこ)々(ろどころ)で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜(みか)柑(ん)が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師(しわ)走(す)の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生(な)りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾(いく)顆(つ)でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹(き)の上で妙な節(ふし)の唄(うた)をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬(やく)種(しゅ)屋(や)へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃(つつ)の音がする。何だと聞いたら、猟(りょ)師(うし)が鴨(かも)をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
あの女を役者にしたら、立派な女(おん)形(ながた)が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常(じょ)住(うじゅう)芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自(しぜ)然(んて)天(んね)然(ん)に芝居をしている。あんなのを美(びて)的(きせ)生(いか)活(つ)とでも云うのだろう。あの女の御(おか)蔭(げ)で画(え)の修業がだいぶ出来た。
あの女の所(しょ)作(さ)を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道(どう)具(ぐだ)立(て)を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在(あ)って、余とあの女の間に纏(てん)綿(めん)した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言(ごん)語(ご)に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼(めが)鏡(ね)から、あの女を覗(のぞ)いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
こんな考(かんがえ)をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不(ふと)届(ど)きである。善は行い難い、徳は施(ほど)こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何(なん)人(びと)に取っても苦痛である。その苦痛を冒(おか)すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜(ひそ)んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲(ひさ)酸(ん)のうちに籠(こも)る快感の別号に過ぎん。この趣(おもむ)きを解し得て、始めて吾(ごじ)人(ん)の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精(しょ)進(うじん)の心を駆(か)って、人道のために、鼎(てい)に烹(に)らるるを面白く思う。もし人情なる狭(せま)き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸(きょ)裏(うり)に潜(ひそ)んで、邪(じゃ)を避(さ)け正(せい)に就(つ)き、曲(きょく)を斥(しりぞ)け直(ちょく)にくみし、弱(じゃく)を扶(たす)け強(きょう)を挫(くじ)かねば、どうしても堪(た)えられぬと云う一念の結晶して、燦(さん)として白(はく)日(じつ)を射返すものである。
芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫(つらぬ)かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤(わら)うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒(てら)うの愚(ぐ)を笑うのである。真に個(こち)中(ゅう)の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下(げす)司(げ)下(ろ)郎(う)の、わが卑(いや)しき心根に比較して他(た)を賤(いや)しむに至っては許しがたい。昔し巌(がん)頭(とう)の吟(ぎん)を遺(のこ)して、五十丈の飛(ひば)瀑(く)を直下して急(きゅ)湍(うたん)に赴(おもむ)いた青年がある。余の視(み)るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵(まこと)に壮烈である、ただその死を促(うな)がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤(ふじ)村(むら)子(し)の所(しょ)作(さ)を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂(と)ぐるの情趣を味(あじわ)い得ざるが故(ゆえ)に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕(だざ)在(い)するも、東西両隣りの没(ぼつ)風(ふう)流(りゅ)漢(うかん)よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画(え)なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅(りょ)中(ちゅう)に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金(きん)のみを眺めて暮さなければならぬ。余自(みずか)らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己(おの)れさえ、纏(てん)綿(めん)たる利害の累(るい)索(さく)を絶って、優(ゆう)に画(が)布(ふ)裏(り)に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
三丁ほど上(のぼ)ると、向うに白壁の一(ひと)構(かまえ)が見える。蜜(みか)柑(ん)のなかの住(すま)居(い)だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰(こし)巻(まき)をした娘が上(あが)ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛(はぎ)が出る。脛が出(で)切(き)ったら、藁(わら)草(ぞう)履(り)になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負(しょっ)ている。
岨(そば)道(みち)を登り切ると、山の出(でば)鼻(な)の平(たいら)な所へ出た。北側は翠(みど)りを畳(たた)む春の峰で、今朝椽(えん)から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩(くず)れた崖(がけ)となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨(また)いで向(むこう)を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青(あお)海(うみ)である。
路(みち)は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見(みわ)分(け)のつかぬところに変化があって面白い。
どこへ腰を据(す)えたものかと、草のなかを遠(おち)近(こち)と徘(はい)徊(かい)する。椽(えん)から見たときは画(え)になると思った景色も、いざとなると存外纏(まと)まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描(か)く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐(すわ)った所がわが住(すま)居(い)である。染(し)み込んだ春の日が、深く草の根に籠(こも)って、どっかと尻を卸(おろ)すと、眼に入らぬ陽(かげ)炎(ろう)を踏(ふ)み潰(つぶ)したような心持ちがする。
海は足の下に光る。遮ぎる雲の一(ひと)片(ひら)さえ持たぬ春の日影は、普(あま)ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸(し)み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一(ひと)刷(は)毛(け)の紺(こん)青(じょう)を平らに流したる所々に、しろかねの細(さい)鱗(りん)を畳んで濃(こま)やかに動いている。春の日は限り無き天(あめ)が下(した)を照らして、天が下は限りなき水を湛(たた)えたる間には、白き帆が小指の爪(つめ)ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往(その)昔(かみ)入(にゅ)貢(うこう)の高(こま)麗(ぶ)船(ね)が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大(だい)千(せん)世界を極(きわ)めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
ごろりと寝(ね)る。帽子が額(ひたい)をすべって、やけに阿(あ)弥(み)陀(だ)となる。所々の草を一二尺抽(ぬ)いて、木(ぼ)瓜(け)の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木(ぼ)瓜(け)は面白い花である。枝は頑(がん)固(こ)で、かつて曲(まが)った事がない。そんなら真(まっ)直(すぐ)かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜(しゃ)に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅(べに)だか白だか要領を得ぬ花が安(あん)閑(かん)と咲く。柔(やわら)かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚(おろ)かにして悟(さと)ったものであろう。世間には拙(せつ)を守ると云う人がある。この人が来(らい)世(せ)に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
小供のうち花の咲いた、葉のついた木(ぼ)瓜(け)を切って、面白く枝(えだ)振(ぶり)を作って、筆(ひつ)架(か)をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水(すい)筆(ひつ)を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠(いん)見(けん)するのを机へ載(の)せて楽んだ。その日は木(ぼ)瓜(け)の筆(ひつ)架(か)ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚(さ)めるや否(いな)や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎(な)え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不(ふし)審(ん)の念に堪(た)えなかった。今思うとその時分の方がよほど出(しゅ)世(っせ)間(けん)的(てき)である。
寝(ね)るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記(しる)して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。
出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。
ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観(み)て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸(うな)りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳(せき)払(ばらい)が聞えた。こいつは驚いた。
寝(ねが)返(え)りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑(ぞう)木(き)の間から、一人の男があらわれた。
茶の中(なか)折(お)れを被(かぶ)っている。中折れの形は崩(くず)れて、傾(かたむ)く縁(へり)の下から眼が見える。眼の恰(かっ)好(こう)はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍(あい)の縞(しま)物(もの)の尻を端(はし)折(ょ)って、素(すあ)足(し)に下駄がけの出(い)で立(た)ちは、何だか鑑定がつかない。野(やせ)生(い)の髯(ひげ)だけで判断するとまさに野(の)武(ぶ)士(し)の価値はある。
男は岨(そば)道(みち)を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近(きん)辺(ぺん)に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留(どま)る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
余はこの物(ぶっ)騒(そう)な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画(え)にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点(てん)出(しゅつ)された。
二人は双(そう)方(ほう)で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮(ちぢ)まって、原の真中で一点の狭(せま)き間に畳(たた)まれてしまう。二人は春の山を背(せ)に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
男は無論例の野(の)武(ぶ)士(し)である。相手は? 相手は女である。那(な)美(み)さんである。
余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐(ふところ)に呑(の)んでおりはせぬかと思ったら、さすが非(ひに)人(んじ)情(ょう)の余もただ、ひやりとした。
男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景(けし)色(き)は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂(た)れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
山では鶯(うぐいす)が啼(な)く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹(きっ)と、垂れた首を挙げて、半(なか)ば踵(くびす)を回(めぐ)らしかける。尋常の様(さま)ではない。女は颯(さっ)と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐(かい)剣(けん)らしい。男は昂(こう)然(ぜん)として、行きかかる。女は二(ふた)歩(あし)ばかり、男の踵を縫(ぬ)うて進む。女は草(ぞう)履(り)ばきである。男の留(とま)ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右(め)手(て)は帯の間へ落ちた。あぶない!
するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財(さい)布(ふ)のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐(ひも)がふらふらと春(しゅ)風(んぷう)に揺れる。
片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手(てく)頸(び)に、紫の包。これだけの姿勢で充分画(え)にはなろう。
紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体(たい)のこなし具合で、うまい按(あん)排(ばい)につながれている。不(ふそ)即(く)不(ふ)離(り)とはこの刹(せつ)那(な)の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後(しり)えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁(えん)は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
二人の姿勢がかくのごとく美(びみ)妙(ょう)な調和を保(たも)っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
背(せ)のずんぐりした、色黒の、髯(ひげ)づらと、くっきり締(しま)った細(ほそ)面(おもて)に、襟(えり)の長い、撫(なで)肩(がた)の、華(きゃ)奢(しゃ)姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不(ふだ)断(ん)着(ぎ)の銘(めい)仙(せん)さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反(そ)り身に控えたる痩(やさ)形(すがた)。はげた茶の帽子に、藍(あい)縞(じま)の尻(しり)切(き)り出(で)立(だ)ちと、陽(かげ)炎(ろう)さえ燃やすべき櫛(くし)目(め)の通った鬢(びん)の色に、黒(くろ)繻(じゅ)子(す)のひかる奥から、ちらりと見せた帯(おび)上(あげ)の、なまめかしさ。すべてが好(こう)画(がだ)題(い)である。
男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧(たく)みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩(くず)れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
二人は左右へ分かれる。双方に気(きあ)合(い)がないから、もう画としては、支(しり)離(めつ)滅(れ)裂(つ)である。雑(ぞう)木(きば)林(やし)の入口で男は一度振り返った。女は後(あと)をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩(ある)行(い)てくる。やがて余の真(まし)正(ょう)面(めん)まで来て、
﹁先生、先生﹂
と二(ふた)声(こえ)掛けた。これはしたり、いつ目(め)付(っ)かったろう。
﹁何です﹂
と余は木(ぼ)瓜(け)の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
﹁何をそんな所でしていらっしゃる﹂
﹁詩を作って寝(ね)ていました﹂
﹁うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう﹂
﹁今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました﹂
﹁ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに﹂
﹁実のところはたくさん拝見しました﹂
﹁それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい﹂
余は唯(い)々(い)として木瓜の中から出て行く。
﹁まだ木瓜の中に御用があるんですか﹂
﹁もう無いんです。帰ろうかとも思うんです﹂
﹁それじゃごいっしょに参りましょうか﹂
﹁ええ﹂
余は再び唯々として、木瓜の中に退(しりぞ)いて、帽子を被(かぶ)り、絵の道具を纏(まと)めて、那美さんといっしょにあるき出す。
﹁画を御描きになったの﹂
﹁やめました﹂
﹁ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか﹂
﹁ええ﹂
﹁でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね﹂
﹁なにつまってるんです﹂
﹁おやそう。なぜ?﹂
﹁なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描(か)いたって、描かなくったって、つまるところは同(おんな)じ事でさあ﹂
﹁そりゃ洒(しゃ)落(れ)なの、ホホホホ随分呑(のん)気(き)ですねえ﹂
﹁こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲(か)斐(い)がないじゃありませんか﹂
﹁なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥(はず)かしくも何とも思いません﹂
﹁思わんでもいいでしょう﹂
﹁そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです﹂
﹁そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね﹂
﹁ホホホ善(よ)くあたりました。あなたは占(うらな)いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです﹂
﹁へえ、どこから来たのです﹂
﹁城(じょ)下(うか)から来ました﹂
﹁随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか﹂
﹁何でも満洲へ行くそうです﹂
﹁何しに行くんですか﹂
﹁何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません﹂
この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微(かす)かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解(げ)せぬ。
﹁あれは、わたくしの亭主です﹂
迅(じん)雷(らい)を掩(おお)うに遑(いとま)あらず、女は突然として一(ひと)太(た)刀(ち)浴びせかけた。余は全く不(ふい)意(う)撃(ち)を喰(く)った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝(さら)け出そうとは考えていなかった。
﹁どうです、驚ろいたでしょう﹂と女が云う。
﹁ええ、少々驚ろいた﹂
﹁今の亭主じゃありません、離(りえ)縁(ん)された亭主です﹂
﹁なるほど、それで……﹂
﹁それぎりです﹂
﹁そうですか。――あの蜜(みか)柑(んや)山(ま)に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家(うち)なんですか﹂
﹁あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう﹂
﹁用でもあるんですか﹂
﹁ええちっと頼まれものがあります﹂
﹁いっしょに行きましょう﹂
岨(そば)道(みち)の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕(しゅ)梠(ろ)が三四本あって、土(どべ)塀(い)の下はすぐ蜜柑畠である。
女はすぐ、椽(えん)鼻(ばな)へ腰をかけて、云う。
﹁いい景色だ。御覧なさい﹂
﹁なるほど、いいですな﹂
障子のうちは、静かに人の気(けあ)合(い)もせぬ。女は音(おと)のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見(みお)下(ろ)して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。
しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午(ご)に逼(せま)る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸(む)し返(かえ)されて耀(かが)やいている。やがて、裏の納(な)屋(や)の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
﹁おやもう。御(おひ)午(る)ですね。用事を忘れていた。――久(きゅ)一(ういち)さん、久一さん﹂
女は及(およ)び腰(ごし)になって、立て切った障(しょ)子(うじ)を、からりと開(あ)ける。内は空(むな)しき十畳敷に、狩(かの)野(う)派(は)の双(そう)幅(ふく)が空しく春の床(とこ)を飾っている。
﹁久一さん﹂
納(な)屋(や)の方でようやく返事がする。足音が襖(ふすま)の向(むこう)でとまって、からりと、開(あ)くが早いか、白(しら)鞘(さや)の短(たん)刀(とう)が畳の上へ転(ころ)がり出す。
﹁そら御(お)伯(じ)父さんの餞(せん)別(べつ)だよ﹂
帯の間に、いつ手が這(は)入(い)ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足(あし)下(もと)へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸(すん)ばかり光った。