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三
昨(ゆう)夕(べ)は妙な気持ちがした。
宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具(ぐあ)合(い)庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔(むか)し来た時とはまるで見当が違う。晩(ばん)餐(さん)を済まして、湯に入(い)って、室(へや)へ帰って茶を飲んでいると、小(こお)女(んな)が来て床(とこ)を延(の)べよかと云(い)う。
不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩(ばん)食(めし)の給仕も、湯(ゆつ)壺(ぼ)への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅(めっ)多(た)にきかぬ。と云うて、田(いな)舎(か)染(じ)みてもおらぬ。赤い帯を色(いろ)気(け)なく結んで、古風な紙(しそ)燭(く)をつけて、廊下のような、梯(はし)子(ごだ)段(ん)のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降(お)りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普(ふだ)段(ん)使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠(とおざ)かった時に、あとがひっそりとして、人の気(け)がしないのが気になった。
生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房(ぼう)州(しゅう)を館(たて)山(やま)から向うへ突き抜けて、上(かず)総(さ)から銚(ちょ)子(うし)まで浜伝いに歩(ある)行(い)た事がある。その時ある晩、ある所へ宿(とまっ)た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟(むね)の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間(ま)をいくつも通り越して一番奥の、中(ちゅ)二(うに)階(かい)へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這(は)入(い)ろうとすると、板(いた)庇(びさし)の下に傾(かたむ)きかけていた一(ひと)叢(むら)の修(しゅ)竹(うちく)が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫(な)でたので、すでにひやりとした。椽(えん)板(いた)はすでに朽(く)ちかかっている。来年は筍(たけのこ)が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
その晩は例の竹が、枕元で婆(ば)娑(さ)ついて、寝られない。障(しょ)子(うじ)をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月(つき)明(あきら)かなるに、眼を走(は)しらせると、垣も塀(へい)もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大(おお)海(うな)原(ばら)でどどんどどんと大きな濤(なみ)が人の世を威(おど)嚇(か)しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊(か)帳(や)のうちに辛(しん)防(ぼう)しながら、まるで草(くさ)双(ぞう)紙(し)にでもありそうな事だと考えた。
その後(ご)旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
仰(あお)向(むけ)に寝ながら、偶然目を開(あ)けて見ると欄(らん)間(ま)に、朱(しゅ)塗(ぬ)りの縁(ふち)をとった額(がく)がかかっている。文(も)字(じ)は寝ながらも竹(ちく)影(えい)払(かい)階(をはらって)塵(ちり)不(うご)動(かず)と明らかに読まれる。大(だい)徹(てつ)という落(らっ)款(かん)もたしかに見える。余は書においては皆(かい)無(むか)鑒(んし)識(き)のない男だが、平生から、黄(おう)檗(ばく)の高(こう)泉(せん)和(おし)尚(ょう)の筆(ひっ)致(ち)を愛している。隠(いん)元(げん)も即(そく)非(ひ)も木(もく)庵(あん)もそれぞれに面白味はあるが、高(こう)泉(せん)の字が一番蒼(そう)勁(けい)でしかも雅(がじ)馴(ゅん)である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現(げん)に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
横を向く。床(とこ)にかかっている若(じゃ)冲(くちゅう)の鶴の図が目につく。これは商(しょ)売(うば)柄(いがら)だけに、部屋に這(は)入(い)った時、すでに逸(いっ)品(ぴん)と認めた。若冲の図は大抵精(せい)緻(ち)な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気(きが)兼(ね)なしの一(ひと)筆(ふで)がきで、一本足ですらりと立った上に、卵(たま)形(ごなり)の胴がふわっと乗(のっ)かっている様子は、はなはだ吾(わが)意(い)を得て、飄(ひょ)逸(ういつ)の趣(おもむき)は、長い嘴(はし)のさきまで籠(こも)っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
すやすやと寝入る。夢に。
長(なが)良(ら)の乙(おと)女(め)が振袖を着て、青(あ)馬(お)に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上(のぼ)って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿(さお)を持って、向(むこ)島(うじま)を追(おっ)懸(か)けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行(ゆく)末(え)も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
そこで眼が醒(さ)めた。腋(わき)の下から汗が出ている。妙に雅(がぞ)俗(くこ)混(んこ)淆(う)な夢を見たものだと思った。昔し宋(そう)の大(だい)慧(えぜ)禅(ん)師(じ)と云う人は、悟道の後(のち)、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性(せい)命(めい)にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅(はば)が利(き)かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障(しょ)子(うじ)に月がさして、木の枝が二三本斜(なな)めに影をひたしている。冴(さ)えるほどの春の夜(よ)だ。
気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛(まぎ)れ込んだのかと耳を峙(そばだ)てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜(よ)に一(いち)縷(る)の脈をかすかに搏(う)たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長(なが)良(ら)の乙(おと)女(め)の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
初めのうちは椽(えん)に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠(とお)退(の)いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐(あわ)れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自(じね)然(ん)に細(ほそ)りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒(びょう)を縮め、分(ふん)を割(さ)いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病(びょ)夫(うふ)のごとく、消えんとしては、消えんとする灯(とう)火(か)のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨(うら)みをことごとく萃(あつ)めたる調べがある。
今までは床(とこ)の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕(した)って飛んで行きたい気がする。もうどう焦(あせ)慮(っ)ても鼓(こま)膜(く)に応(こた)えはあるまいと思う一(いっ)刹(せつ)那(な)の前、余はたまらなくなって、われ知らず布(ふと)団(ん)をすり抜けると共にさらりと障(しょ)子(うじ)を開(あ)けた。途(とた)端(ん)に自分の膝(ひざ)から下が斜(なな)めに月の光りを浴びる。寝(ねま)巻(き)の上にも木の影が揺れながら落ちた。
障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海(かい)棠(どう)かと思わるる幹を背(せ)に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦(もう)朧(ろう)たる影(かげ)法(ぼう)師(し)がいた。あれかと思う意識さえ、確(しか)とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕(くだ)いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟(むね)の角(かど)が、すらりと動く、背(せい)の高い女姿を、すぐに遮(さえぎ)ってしまう。
借(かり)着(ぎ)の浴(ゆか)衣(た)一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫(ぼう)然(ぜん)としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰(きさ)参(ん)して考え出した。括(くく)り枕(まくら)のしたから、袂(たも)時(とど)計(けい)を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化(ばけ)物(もの)ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此(こ)家(こ)の御嬢さんかも知れない。しかし出(でが)帰(え)りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不(ふお)穏(んと)当(う)だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪(け)しからん。
怖(こわ)いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄(すご)い事も、己(おの)れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画(え)になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿(やど)るところやら、憂(うれい)のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢(あふ)るるところやらを、単に客観的に眼(がん)前(ぜん)に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自(みず)から強(し)いて煩(はん)悶(もん)して、愉快を貪(むさ)ぼるものがある。常(じょ)人(うにん)はこれを評して愚(ぐ)だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描(えが)いて好(この)んでその中(うち)に起(き)臥(が)するのは、自から烏(うゆ)有(う)の山水を刻(こく)画(が)して壺(こち)中(ゅう)の天(てん)地(ち)に歓喜すると、その芸術的の立(りっ)脚(きゃ)地(くち)を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は︵日常の人としてはいざ知らず︶芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草(わら)鞋(じ)旅(た)行(び)をする間(あいだ)、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾(そう)遊(ゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋(ちょ)々(うちょう)して、したり顔である。これはあえて自(みずか)ら欺(あざむ)くの、人を偽(いつ)わるのと云う了(りょ)見(うけん)ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一(いっ)角(かく)を磨(まめ)滅(つ)して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
この故(ゆえ)に天(てん)然(ねん)にあれ、人事にあれ、衆(しゅ)俗(うぞく)の辟(へき)易(えき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳(りん)琅(ろう)を見、無(むじ)上(ょう)の宝(ほう)を知る。俗にこれを名(なづ)けて美(び)化(か)と云う。その実は美化でも何でもない。燦(さん)爛(らん)たる彩(さい)光(こう)は、炳(へい)乎(こ)として昔から現象世界に実在している。ただ一(いち)翳(えい)眼に在(あ)って空(くう)花(げら)乱(んつ)墜(い)するが故に、俗(ぞく)累(るい)の覊(きせ)絏(つろ)牢(う)として絶(た)ちがたきが故に、栄(えい)辱(じょ)得(くと)喪(くそう)のわれに逼(せま)る事、念(せ)々(つ)切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応(おう)挙(きょ)が幽霊を描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰(だ)れが見ても、誰(だれ)に聞かしても饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。――孤(こそ)村(ん)の温泉、――春(しゅ)宵(んしょう)の花(かえ)影(い)、――月(げつ)前(ぜん)の低(てい)誦(しょう)、――朧(おぼ)夜(ろよ)の姿――どれもこれも芸術家の好(こう)題(だい)目(もく)である。この好題目が眼(がん)前(ぜん)にありながら、余は入(い)らざる詮(せん)義(ぎ)立(だ)てをして、余計な探(さ)ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理(りく)窟(つ)の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪(わ)るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標(ひょ)榜(うぼう)する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹(ふい)聴(ちょう)する資格はつかぬ。昔し以(イ)太(タ)利(リ)亜(ア)の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭(かけ)にして、山賊の群(むれ)に這(は)入(い)り込んだと聞いた事がある。飄(ひょ)然(うぜん)と画帖を懐(ふところ)にして家を出(い)でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
こんな時にどうすれば詩的な立(りっ)脚(きゃ)地(くち)に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据(す)えつけて、その感じから一歩退(しりぞ)いて有(あり)体(てい)に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍(しが)骸(い)を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手(てぢ)近(か)なのは何(なん)でも蚊(か)でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠(かわや)に上(のぼ)った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安(あん)直(ちょく)に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟(さと)りであるから軽便だと云って侮(ぶべ)蔑(つ)する必要はない。軽便であればあるほど功(くど)徳(く)になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一(ひと)人(り)が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否(いな)やうれしくなる。涙を十七字に纏(まと)めた時には、苦しみの涙は自分から遊(ゆう)離(り)して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉(うれ)しさだけの自分になる。
これが平(へい)生(ぜい)から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散(さん)漫(まん)になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
﹁海(かい)棠(だう)の露をふるふや物(もの)狂(ぐる)ひ﹂と真(まっ)先(さき)に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に﹁花の影、女の影の朧(おぼろ)かな﹂とやったが、これは季が重(かさ)なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑(のん)気(き)になればいい。それから﹁正(しや)一(うい)位(ちゐ)、女に化(ば)けて朧(おぼ)月(ろづき)﹂と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
この調子なら大丈夫と乗(のり)気(き)になって出るだけの句をみなかき付ける。
春の星を落して夜(よ)半(は)のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今(こよ)宵(ひ)歌つかまつる御姿
海(かい)棠(だう)の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
恍(こう)惚(こつ)と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何(なん)人(びと)も我を認め得ぬ。明(めい)覚(かく)の際には誰(たれ)あって外(がい)界(かい)を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷(る)のごとき幻境が横(よこた)わる。醒(さ)めたりと云うには余り朧(おぼろ)にて、眠ると評せんには少しく生(せい)気(き)を剰(あま)す。起(き)臥(が)の二界を同(どう)瓶(へい)裏(り)に盛りて、詩(しい)歌(か)の彩(さい)管(かん)をもって、ひたすらに攪(か)き雑(ま)ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手(てま)前(え)までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞(かすみ)の国へ押し流す。睡魔の妖(よう)腕(わん)をかりて、ありとある実相の角度を滑(なめら)かにすると共に、かく和(やわ)らげられたる乾(けん)坤(こん)に、われからと微(かす)かに鈍(にぶ)き脈を通わせる。地を這(は)う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂(たましい)の、わが殻(から)を離れんとして離るるに忍びざる態(てい)である。抜け出(い)でんとして逡(ため)巡(ら)い、逡巡いては抜け出でんとし、果(は)ては魂と云う個体を、もぎどうに保(たも)ちかねて、氤(いん)たる瞑(めい)氛(ふん)が散るともなしに四肢五体に纏(てん)綿(めん)して、依(い)々(い)たり恋(れん)々(れん)たる心持ちである。
余が寤(ご)寐(び)の境(さかい)にかく逍(しょ)遥(うよう)していると、入口の唐(から)紙(かみ)がすうと開(あ)いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心(ここ)地(ち)よく眺(なが)めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉(と)じている瞼(まぶた)の裏(うち)に幻(まぼ)影(ろし)の女が断(ことわ)りもなく滑(すべ)り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這(は)入(い)る。仙(せん)女(にょ)の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼(まなこ)のなかから見る世の中だから確(しか)とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟(えり)足(あし)の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯(ほか)影(げ)にすかすような気がする。
まぼろしは戸(とだ)棚(な)の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖(そで)をすべって暗(くら)闇(やみ)のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉(た)たる。余が眠りはしだいに濃(こま)やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
いつまで人と馬の相(あい)中(なか)に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅(すみ)から隅まで明るい。うららかな春(はる)日(び)が丸窓の竹(たけ)格(ごう)子(し)を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜(ひそ)む余地はなさそうだ。神秘は十(じゅ)万(うま)億(んお)土(くど)へ帰って、三(さん)途(ず)の川(かわ)の向(むこ)側(うがわ)へ渡ったのだろう。
浴(ゆか)衣(た)のまま、風(ふ)呂(ろ)場(ば)へ下りて、五分ばかり偶然と湯(ゆつ)壺(ぼ)のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨(ゆう)夕(べ)はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界(さかい)にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
身(から)体(だ)を拭(ふ)くさえ退(たい)儀(ぎ)だから、いい加減にして、濡(ぬ)れたまま上(あが)って、風呂場の戸を内から開(あ)けると、また驚かされた。
﹁御早う。昨(ゆう)夕(べ)はよく寝られましたか﹂
戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出(であ)合(いが)頭(しら)の挨(あい)拶(さつ)だから、さそくの返事も出る遑(いとま)さえないうちに、
﹁さ、御(お)召(め)しなさい﹂
と後(うし)ろへ廻って、ふわりと余の背(せな)中(か)へ柔かい着物をかけた。ようやくの事﹁これはありがとう……﹂だけ出して、向き直る、途(とた)端(ん)に女は二三歩退(しりぞ)いた。
昔から小説家は必ず主人公の容(よう)貌(ぼう)を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳(かじ)人(ん)の品(ひん)評(ぴょう)に使用せられたるものを列挙したならば、大(だい)蔵(ぞう)経(きょう)とその量を争うかも知れぬ。この辟(へき)易(えき)すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔(へだた)りに立つ、体(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)って、後(しり)目(め)に余が驚(きょ)愕(うがく)と狼(ろう)狽(ばい)を心(ここ)地(ち)よげに眺(なが)めている女を、もっとも適当に叙(じょ)すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今(こん)日(にち)に至るまで未(いま)だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希(ギリ)臘(シャ)の彫刻の理想は、端(たん)粛(しゅく)の二字に帰(き)するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風(ふう)雲(うん)か雷(らい)霆(てい)か、見わけのつかぬところに余(よい)韻(ん)が縹(ひょ)緲(うびょう)と存するから含(がん)蓄(ちく)の趣(おもむき)を百(ひゃ)世(くせい)の後(のち)に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛(たん)然(ぜん)たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁(あかつき)には、泥(たで)帯(いた)水(いすい)の陋(ろう)を遺(いか)憾(ん)なく示して、本(ほん)来(らい)円(えん)満(まん)の相(そう)に戻る訳には行かぬ。この故(ゆえ)に動(どう)と名のつくものは必ず卑しい。運(うん)慶(けい)の仁(にお)王(う)も、北(ほく)斎(さい)の漫(まん)画(が)も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画(がこ)工(う)の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範(はん)疇(ちゅう)のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静(しずか)である。眼は五(ご)分(ぶ)のすきさえ見出すべく動いている。顔は下(しも)膨(ぶくれ)の瓜(うり)実(ざね)形(がた)で、豊かに落ちつきを見せているに引き易(か)えて、額(ひたい)は狭(せま)苦(くる)しくも、こせついて、いわゆる富(ふじ)士(びた)額(い)の俗(ぞく)臭(しゅう)を帯びている。のみならず眉(まゆ)は両方から逼(せま)って、中間に数滴の薄(はっ)荷(か)を点じたるごとく、ぴくぴく焦(じ)慮(れ)ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画(え)にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一(ひと)癖(くせ)あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
元来は静(せい)であるべき大(だい)地(ち)の一角に陥(かん)欠(けつ)が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背(そむ)くと悟って、力(つと)めて往(むか)昔(し)の姿にもどろうとしたのを、平(へい)衡(こう)を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今(こん)日(にち)は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
それだから軽(けい)侮(ぶ)の裏(うら)に、何となく人に縋(すが)りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎(つつし)み深い分(ふん)別(べつ)がほのめいている。才に任せ、気を負(お)えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢(いきおい)の下から温(おと)和(な)しい情(なさ)けが吾知らず湧(わ)いて出る。どうしても表情に一致がない。悟(さと)りと迷(まよい)が一軒の家(うち)に喧(けん)嘩(か)をしながらも同居している体(てい)だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧(お)しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不(ふし)仕(あわ)合(せ)な女に違ない。
﹁ありがとう﹂と繰り返しながら、ちょっと会(えし)釈(ゃく)した。
﹁ほほほほ御部屋は掃(そう)除(じ)がしてあります。往(い)って御覧なさい。いずれ後(のち)ほど﹂
と云うや否(いな)や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽(かろ)気(げ)に馳(か)けて行った。頭は銀(いち)杏(ょう)返(がえし)に結(い)っている。白い襟(えり)がたぼの下から見える。帯の黒(くろ)繻(じゅ)子(す)は片(かた)側(かわ)だけだろう。