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第参章
︵一︶
もとより銀之助は丑松の素性を知る筈がない。二人は長野の師範校に居る頃から、極く好く気性の合つた友達で、丑松が佐(さく)久(ちひ)小(さが)県(た)あたりの灰色の景色を説き出すと、銀之助は諏(す)訪(は)湖(こ)の畔(ほとり)の生れ故郷の物語を始める、丑松が好きな歴史の話をすれば、銀之助は植物採集の興味を、と言つたやうな風に、互ひに語り合つた寄宿舎の窓は二人の心を結びつけた。同窓の記憶はいつまでも若く青々として居る。銀之助は丑松のことを思ふ度に昔を思出して、何となく時の変(うつ)遷(りかはり)を忍ばずには居られなかつた。同じ寄宿舎の食堂に同じ引割飯の香(にほひ)を嗅いだ其友達に思ひ比べると、実に丑松の様子の変つて来たことは。あの憂(いう)欝(うつ)――丑松が以前の快活な性質を失つた証拠は、眼付で解る、歩き方で解る、談(はな)話(し)をする声でも解る。一体、何が原(も)因(と)で、あんなに深く沈んで行くのだらう。とんと銀之助には合点が行かない。﹃何かある――必ず何か訳がある。﹄斯う考へて、どうかして友達に忠告したいと思ふのであつた。
丑松が蓮華寺へ引越した翌(あく)日(るひ)、丁度日曜、午後から銀之助は尋ねて行つた。途中で文平と一緒になつて、二人して苔(こけ)蒸(む)した石の階段を上ると、咲残る秋草の径(みち)の突当つたところに本堂、左は鐘楼、右が蔵裏であつた。六角形に出来た経堂の建(たて)築(も)物(の)もあつて、勾配のついた瓦屋根や、大陸風の柱や、白壁や、すべて過去の壮大と衰(すゐ)頽(たい)とを語るかのやうに見える。黄ばんだ銀(いて)杏(ふ)の樹の下に腰を曲(こゞ)め乍ら、余念もなく落葉を掃いて居たのは、寺男の庄太。﹃瀬川君は居りますか。﹄と言はれて、馬鹿丁寧な挨拶。やがて庄太は箒(はうき)をそこに打捨てゝ置いて、跣(すあ)足(し)の儘(まゝ)で蔵裏の方へ見に行つた。
急に丑松の声がした。あふむいて見ると、銀(いて)杏(ふ)に近い二階の窓の障子を開けて、顔を差出して呼ぶのであつた。
﹃まあ、上りたまへ。﹄
と復た呼んだ。
︵二︶
銀之助文平の二人は丑松に導かれて暗い楼(はし)梯(ごだん)を上つて行つた。秋の日は銀杏の葉を通して、部屋の内へ射しこんで居たので、変色した壁紙、掛けてある軸、床の間に置並べた書(ほ)物(ん)と雑誌の類(たぐひ)まで、すべて黄に反射して見える。冷(ひや)々(〴〵)とした空気は窓から入つて来て、斯の古い僧坊の内にも何となく涼(さは)爽(やか)な思を送るのであつた。机の上には例の﹃懴悔録﹄、読伏せて置いた其本に気がついたと見え、急に丑松は片隅へ押隠すやうにして、白い毛布を座蒲団がはりに出して薦(すゝ)めた。
﹃よく君は引越して歩く人さ。﹄と銀之助は身(あた)辺(り)を眺め廻し乍ら言つた。﹃一度瀬川君のやうに引越す癖が着くと、何度でも引越したくなるものと見える。まあ、部屋の具合なぞは、先の下宿の方が好ささうぢやないか。﹄
﹃何(な)故(ぜ)御引越になつたんですか。﹄と文平も尋ねて見る。
﹃どうも彼(あそ)処(こ)の家(うち)は喧(やかま)しくつて――﹄斯(か)う答へて丑松は平気を装はうとした。争はれないもので、困つたといふ気(けし)色(き)はもう顔に表れたのである。
﹃そりやあ寺の方が静は静だ。﹄と銀之助は一向頓着なく、﹃何ださうだねえ、先の下宿では穢多が逐(おひ)出(だ)されたさうだねえ。﹄
﹃さう〳〵、左(さ)様(う)いふ話ですなあ。﹄と文平も相(あひ)槌(づち)を打つた。
﹃だから僕は斯う思つたのさ。﹄と銀之助は引取つて、﹃何か其(そ)様(ん)な一寸したつまらん事にでも感じて、それで彼(あの)下宿が嫌に成つたんぢやないかと。﹄
﹃どうして?﹄と丑松は問ひ反した。
﹃そこがそれ、君と僕と違ふところさ。﹄と銀之助は笑ひ乍ら、﹃実は此(こな)頃(ひだ)或雑誌を読んだところが、其中に精神病患者のことが書いてあつた。斯うさ。或人が其男の住(すま)居(ひ)の側(わき)に猫を捨てた。さあ、其猫の捨ててあつたのが気になつて、妻君にも相談しないで、其日の中にぷいと他へ引越して了つた。斯ういふ病的な頭(あた)脳(ま)の人になると、捨てられた猫を見たのが移(ひつ)転(こし)の動機になるなぞは珍しくも無い、といふ話があつたのさ。はゝゝゝゝ――僕は瀬川君を精神病患者だと言ふ訳では無いよ。しかし君の様子を見るのに、何処か身体の具合でも悪いやうだ。まあ、君は左(さ)様(う)は思はないかね。だから穢多の逐(おひ)出(だ)された話を聞くと、直に僕は彼(あ)の猫のことを思出したのさ。それで君が引越したくなつたのかと思つたのさ。﹄
﹃馬鹿なことを言ひたまへ。﹄と丑松は反(そり)返(かへ)つて笑つた。笑ふには笑つたが、然しそれは可(をか)笑(し)くて笑つたやうにも聞えなかつたのである。
﹃いや、戯(じよ)言(うだん)ぢやない。﹄と銀之助は丑松の顔を熟(みま)視(も)つた。﹃実際、君の顔色は好くない――診(み)て貰つては奈(ど)何(う)かね。﹄
﹃僕は君、其(そ)様(ん)な病人ぢや無いよ。﹄と丑松は微(ほゝ)笑(ゑ)み乍ら答へた。
﹃しかし。﹄と銀之助は真(ま)面(じ)目(め)になつて、﹃自分で知らないで居る病人はいくらも有る。君の身体は変調を来して居るに相違ない。夜寝られないなんて言ふところを見ても、どうしても生理的に異常がある――まあ僕は左(さ)様(う)見た。﹄
﹃左(さ)様(う)かねえ、左様見えるかねえ。﹄
﹃見えるともサ。妄(まう)想(さう)、妄想――今の患者の眼に映つた猫も、君の眼に映つた新平民も、皆(みん)な衰弱した神経の見せる幻(まぼ)像(ろし)さ。猫が捨てられたつて何だ――下らない。穢多が逐(おひ)出(だ)されたつて何だ――当(あた)然(りまへ)ぢや無いか。﹄
﹃だから土屋君は困るよ。﹄と丑松は対(あひ)手(て)の言葉を遮(さへぎ)つた。﹃何(い)時(つ)でも君は早呑込だ。自分で斯うだと決めて了ふと、もう他の事は耳に入らないんだから。﹄
﹃すこし左(さ)様(う)いふ気味も有ますなあ。﹄と文平は如才なく。
﹃だつて引越し方があんまり唐(だし)突(ぬけ)だからさ。﹄と言つて、銀之助は気を変へて、﹃しかし、寺の方が反つて勉強は出来るだらう。﹄
﹃以(ま)前(へ)から僕は寺の生活といふものに興味を持つて居た。﹄と丑松は言出した。丁度下女の袈(け)裟(さ)治(ぢ)︵北信に多くある女の名︶が湯(ゆわ)沸(かし)を持つて入つて来た。
︵三︶
信州人ほど茶を嗜(たしな)む手合も鮮(すく)少(な)からう。斯(か)ういふ飲(のみ)料(もの)を好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四五回づゝ集つて飲むことを楽みにする家族が多いのである。丑松も矢(やは)張(り)茶好の仲間には泄(も)れなかつた。茶器を引寄せ、無造作に入れて、濃く熱いやつを二人の客にも勧め、自分も亦茶椀を口(くち)唇(びる)に押(おし)宛(あ)て乍(なが)ら、香(かう)ばしく焙(あぶ)られた茶の葉のにほひを嗅いで見ると、急に気分が清々する。まあ蘇(いき)生(かへ)つたやうな心(こゝ)地(ろもち)になる。やがて丑松は茶椀を下に置いて、寺住の新しい経験を語り始めた。
﹃聞いて呉れ給へ。昨日の夕方、僕はこの寺の風呂に入つて見た。一日働いて疲(くた)労(ぶ)れて居るところだつたから、入つた心(こゝ)地(ろもち)は格別さ。明(あか)窓(りまど)の障子を開けて見ると紫(しを)の花なぞが咲いてるぢやないか。其時僕は左(さ)様(う)思つたねえ。風呂に入り乍ら蟋(きり)蟀(〴〵す)を聴くなんて、成(なる)程(ほど)寺らしい趣味だと思つたねえ。今迄の下宿とは全(まる)然(で)様子が違ふ――まあ僕は自分の家(うち)へでも帰つたやうな心(こゝ)地(ろもち)がしたよ。﹄
﹃左(さ)様(う)さなあ、普通の下宿ほど無趣味なものは無いからなあ。﹄と銀之助は新しい巻煙草に火を点(つ)けた。
﹃それから君、種(いろ)々(〳〵)なことがある。﹄と丑松は言葉を継いで、﹃第一、鼠の多いには僕も驚いた。﹄
﹃鼠?﹄と文平も膝を進める。
﹃昨(ゆう)夜(べ)は僕の枕(まく)頭(らもと)へも来た。慣(な)れなければ、鼠だつて気味が悪いぢやないか。あまり不思議だから、今朝其話をしたら、奥様の言草が面白い。猫を飼つて鼠を捕らせるよりか、自然に任せて養つてやるのが慈悲だ。なあに、食(くひ)物(もの)さへ宛(あて)行(が)つて遣(や)れば、其(そん)様(な)に悪(いた)戯(づら)する動物ぢや無い。吾(う)寺(ち)の鼠は温(おと)順(な)しいから御覧なさいツて。成程左(さ)様(う)言はれて見ると、少(すこ)許(し)も人を懼(おそ)れない。白(ひる)昼(ま)ですら出て遊(あす)んで居る。はゝゝゝゝ、寺の内(なか)の光(けし)景(き)は違つたものだと思つたよ。﹄
﹃そいつは妙だ。﹄と銀之助は笑つて、﹃余程奥様といふ人は変つた婦(をん)人(な)と見えるね。﹄
﹃なに、それほど変つても居ないが、普通の人よりは宗教的なところがあるさ。さうかと思ふと、吾(わた)儕(しども)だつて高(たか)砂(さご)で一緒になつたんです、なんて、其(そ)様(ん)なことを言出す。だから、尼(あ)僧(ま)ともつかず、大(だい)黒(こく)ともつかず、と言つて普通の家(うち)の細君でもなし――まあ、門(もん)徒(とで)寺(ら)に日を送る女といふものは僕も初めて見た。﹄
﹃外にはどんな人が居るのかい。﹄斯う銀之助は尋ねた。
﹃子坊主が一人。下女。それに庄太といふ寺男。ホラ、君等の入つて来た時、庭を掃いて居た男があつたらう。彼(あれ)が左(さ)様(う)だあね。誰も彼(あの)男(をとこ)を庄太と言ふものは無い――皆(みん)な﹁庄馬鹿﹂と言つてる。日に五(ごた)度(び)づつ、払(あけ)暁(がた)、朝八時、十二時、入(いり)相(あひ)、夜の十時、これだけの鐘を撞(つ)くのが彼(あの)男(をとこ)の勤(つと)務(め)なんださうだ。﹄
﹃それから、あの何は。住職は。﹄とまた銀之助が聞いた。
﹃住職は今留守さ。﹄
斯う丑松は見たり聞いたりしたことを取交ぜて話したのであつた。終(しまひ)に、敬之進の娘で、是寺へ貰はれて来て居るといふ、そのお志保の話も出た。
﹃へえ、風間さんの娘なんですか。﹄と文平は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。﹃此(こな)頃(ひだ)一度校友会に出て来た――ホラ、あの人でせう?﹄
﹃さう〳〵。﹄と丑松も思出したやうに、﹃たしか僕等の来る前の年に卒業して出た人です。土屋君、左(さ)様(う)だつたねえ。﹄
﹃たしか左様だ。﹄
︵四︶
其日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精(しや)進(うじ)物(んもの)を作るので多(いそ)忙(が)しかつた。月々の持(ぢさ)斎(い)には経を上げ膳を出す習(なら)慣(はし)であるが、殊に其日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯を炊(た)いて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調(とゝの)つた頃、奥様は台所を他(ひと)に任せて置いて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひ乍ら、書生の談(はな)話(し)も解つて、よく種(いろ)々(〳〵)なことを知つて居た。時々宗(をし)教(へ)の話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光(あり)景(さま)を語り聞かせた。其冬の日は男(をと)女(こをんな)の檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御(おで)伝(んせ)抄(う)の朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、其御通夜の儀式のさま〴〵を語り聞かせた。
﹃なむあみだぶ。﹄
と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。
奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りで無い。あの酒を断つたらば、とは克(よ)く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また〳〵縒(より)が元へ戻つて了ふ。飲めば窮(こま)るといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不(ふし)幸(あはせ)な父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。
﹃左(さ)様(う)ですか――いよ〳〵退職になりましたか。﹄
斯う言つて奥様は嘆息した。
﹃道理で。﹄と丑松は思出したやうに、﹃昨日私が是(こち)方(ら)へ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故斯うして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、左(さ)様(う)言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ。﹄
﹃へえ、吾(う)寺(ち)の前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ――まあ、それが親子の情ですから。﹄
と奥様は復(ま)た深い溜息を吐(つ)いた。
斯ういふ談(はな)話(し)に妨(さまた)げられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折(せつ)角(かく)言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯が出来たからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、と斯う考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。
夕飯は例になく蔵(く)裏(り)の下座敷であつた。宵の勤(おつ)行(とめ)も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がして呉れた。五(ごぶ)分(し)心(ん)の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法(ころ)衣(も)は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光(あり)景(さま)は三人の注意を引いた。就(わけ)中(ても)、銀之助は克(よ)く笑つて、其高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終(しまひ)にはお志保までも来て、奥様の傍に倚(より)添(そ)ひ乍ら聞いた。
急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのが是男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性愛(あい)嬌(けう)のある上に、清(すゞ)しい艶のある眸(ひとみ)を輝かし乍ら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。
銀之助はそんなことに頓着なしで、軈(やが)て思出したやうに、
﹃たしか吾(わた)儕(しども)の来る前の年でしたなあ、貴(あな)方(たが)等(た)の卒業は。﹄
斯う言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。
﹃はあ。﹄と答へた時は若々しい血潮が遽(にはか)にお志保の頬に上つた。そのすこし羞(は)恥(ぢ)を含んだ色は一(ひと)層(しほ)容(おも)貌(ばせ)を娘らしくして見せた。
﹃卒業生の写真が学校に有ますがね、﹄と銀之助は笑つて、﹃彼(あの)頃(ころ)から見ると、皆(みん)な立派な姉さんに成りましたなあ――どうして吾(わた)儕(しども)が来た時分には、まだ鼻(は)洟(な)を垂らしてるやうな連中もあつたツけが。﹄
楽しい笑声は座敷の内に溢(あふ)れた。お志保は紅(あか)くなつた。斯ういふ間にも、独り丑松は洋(ラン)燈(プ)の火(ほか)影(げ)に横になつて、何か深く物を考へて居たのである。
︵五︶
﹃ねえ、奥様。﹄と銀之助が言つた。﹃瀬川君は非常に沈んで居ますねえ。﹄
﹃左(さや)様(う)さ――﹄と奥様は小首を傾(かし)げる。
﹃一(さき)昨(をと)々(ゝ)日(ひ)、﹄と銀之助は丑松の方を見て、﹃君が斯のお寺へ部屋を捜しに来た日だ――ホラ、僕が散歩してると、丁度本町で君に遭(でつ)遇(くは)したらう。彼(あの)時(とき)の君の考へ込んで居る様子と言つたら――僕は暫(しば)時(らく)そこに突立つて、君の後姿を見送つて、何とも言ひ様の無い心(こゝ)地(ろもち)がしたねえ。君は猪子先生の﹁懴悔録﹂を持つて居た。其時僕は左(さ)様(う)思つた。あゝ、また彼(あ)の先生の書いたものなぞを読んで、神経を痛めなければ可(いゝ)がなあと。彼(あ)様(ゝ)いふ本を読むのは、君、可くないよ。﹄
﹃何故?﹄と丑松は身を起した。
﹃だつて、君、あまり感化を受けるのは可くないからサ。﹄
﹃感化を受けたつても可いぢやないか。﹄
﹃そりやあ好い感化なら可いけれども、悪い感化だから困る。見たまへ、君の性質が変つて来たのは、彼の先生のものを読み出してからだ。猪子先生は穢多だから、彼(あ)様(ゝ)いふ風に考へるのも無理は無い。普通の人間に生れたものが、なにも彼(あ)の真似を為なくてもよからう――彼(あれ)程(ほど)極端に悲まなくてもよからう。﹄
﹃では、貧民とか労働者とか言ふやうなものに同情を寄せるのは不(いか)可(ん)と言ふのかね。﹄
﹃不可と言ふ訳では無いよ。僕だつても、美しい思想だとは思ふさ。しかし、君のやうに、左(さ)様(う)考へ込んで了つても困る。何故君は彼(あ)様(ゝ)いふものばかり読むのかね、何故君は沈んでばかり居るのかね――一体、君は今何を考へて居るのかね。﹄
﹃僕かい? 別に左(さ)様(う)深く考へても居ないさ。君等の考へるやうな事しか考へて居ないさ。﹄
﹃でも何かあるだらう。﹄
﹃何かとは?﹄
﹃何か原因がなければ、そんなに性質の変る筈が無い。﹄
﹃僕は是で変つたかねえ。﹄
﹃変つたとも。全(まる)然(で)師範校時代の瀬川君とは違ふ。彼(あ)の時分は君、ずつと快活な人だつたあね。だから僕は斯う思ふんだ――元来君は欝(ふさ)いでばかり居る人ぢや無い。唯あまり考へ過ぎる。もうすこし他の方面へ心を向けるとか、何とかして、自分の性質を伸ばすやうに為たら奈(ど)何(う)かね。此(こな)頃(ひだ)から僕は言はう〳〵と思つて居た。実際、君の為に心配して居るんだ。まあ身体の具合でも悪いやうなら、早く医者に診せて、自分で自分を救ふやうに為るが可(いゝ)ぢやないか。﹄
暫(しば)時(らく)座敷の中は寂(しん)として話声が絶えた。丑松は何か思出したことがあると見え、急に喪心した人のやうに成つて、茫(ばう)然(ぜん)として居たが。やがて気が付いて我に帰つた頃は、顔色がすこし蒼ざめて見えた。
﹃どうしたい、君は。﹄と銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めて、﹃はゝゝゝゝ、妙に黙つて了つたねえ。﹄
﹃はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。﹄
と丑松は笑ひ紛(まぎらは)して了つた。銀之助も一緒になつて笑つた。奥様とお志保は二人の顔を見比べて、熱心に聞き惚れて居たのである。
﹃土屋君は﹁懴悔録﹂を御読みでしたか。﹄と文平は談(はな)話(し)を引取つた。
﹃否(いゝえ)、未(ま)だ読んで見ません。﹄斯う銀之助は答へた。
﹃何か彼の猪子といふ先生の書いたものを御覧でしたか――私は未だ何(なん)にも読んで見ないんですが。﹄
﹃左(さ)様(う)ですなあ、僕の読んだのは﹁労働﹂といふものと、それから﹁現代の思潮と下層社会﹂――あれを瀬川君から借りて見ました。なか〳〵好いところが有ますよ、力のある深刻な筆で。﹄
﹃一体彼の先生は何処を出た人なんですか。﹄
﹃たしか高等師範でしたらう。﹄
﹃斯ういふ話を聞いたことが有ましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でも兎(と)に角(かく)彼(あ)様(ゝ)いふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所が無かつたとか。其(そ)様(ん)なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞(や)めてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ。﹄
﹃僕も其は不思議に思つてる。﹄
﹃彼(あ)様(ん)な下等人種の中から、兎に角思想界へ頭を出したなんて、奈(ど)何(う)しても私には其理由が解らない。﹄
﹃しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひは其病気の為に、彼(あそ)処(こ)まで到(い)つたものかも知れません。﹄
﹃へえ、肺病ですか。﹄
﹃実際病人は真面目ですからなあ。﹁死﹂といふ奴を眼(めの)前(まへ)に置いて、平(しよ)素(つちゆう)考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となく斯う人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭で豪(えら)く成つた人はいくらもある。﹄
﹃はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ。﹄
﹃いや、左(さ)様(う)笑つたものでも無い。見たまへ、病気は一種の哲学者だから。﹄
﹃して見ると、穢多が彼(あ)様(ゝ)いふものを書くんぢや無い、病気が書かせるんだ――斯う成りますね。﹄
﹃だつて、君、左(さ)様(う)釈(さと)るより外に考へ様は無いぢやないか――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか――はゝゝゝゝ。﹄
斯ういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、洋(ラン)燈(プ)の火を熟(み)視(つ)めて居た。自(おの)然(づ)と外(そ)部(と)に表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容(おも)貌(ばせ)を沈(ちん)欝(うつ)にして見せたのである。
茶が出てから、三人は別の話(はな)頭(し)に移つた。奥様は旅先の住職の噂(うはさ)なぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱に凭(もた)れて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米を舂(つ)く音であらう。夜も更(ふ)けた。
︵六︶
友達が帰つた後、丑松は心の激昂を制(おさ)へきれないといふ風で、自分の部屋の内を歩いて見た。其日の物語、あの二人の言つた言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思出して見ると、何となく胸(むな)肉(じゝ)の戦(ふ)慄(る)へるやうな心地がする。先輩の侮辱されたといふことは、第一口(く)惜(や)しかつた。賤民だから取るに足らん。斯(か)ういふ無法な言草は、唯考へて見たばかりでも、腹立たしい。あゝ、種族の相違といふ屏(わだ)の前には、いかなる熱い涙も、いかなる至情の言葉も、いかなる鉄(てつ)槌(つゐ)のやうな猛烈な思想も、それを動かす力は無いのであらう。多くの善良な新平民は斯うして世に知られずに葬り去らるゝのである。
斯(こ)の思(かん)想(がへ)に刺激されて、寝床に入つてからも丑松は眠らなかつた。目を開いて、頭を枕につけて、種(さま)々(〴〵)に自分の一生を考へた。鼠が復た顕れた。畳の上を通る其足音に妨げられては、猶(なほ)々(〳〵)夢を結ばない。一旦吹消した洋燈を細目に点(つ)けて、枕(まく)頭(らもと)を明くして見た。暗い部屋の隅の方に影のやうに動く小(ちひさ)な動物の敏(はし)捷(こ)さ、人を人とも思はず、長い尻尾を振り乍ら、出たり入つたりする其有様は、憎らしくもあり、をかしくもあり、﹃き、き﹄と鳴く声は斯の古い壁の内に秋の夜の寂(さび)寥(しさ)を添へるのであつた。
それからそれへと丑松は考へた。一つとして不安に思はれないものはなかつた。深く注意した積りの自分の行(おこ)為(なひ)が、反つて他(ひと)に疑はれるやうなことに成らうとは――まあ、考へれば考へるほど用意が無さ過ぎた。何(な)故(ぜ)、あの大日向が鷹匠町の宿から放逐された時に、自分は静(じ)止(つ)として居なかつたらう。何(な)故(ぜ)、彼(あん)様(な)に泡を食つて、斯の蓮華寺へ引越して来たらう。何故、あの猪子蓮太郎の著述が出る度に、自分は其を誇り顔に吹(ふい)聴(ちやう)したらう。何故、彼様に先輩の弁護をして、何か斯う彼の先輩と自分との間には一種の関係でもあるやうに他(ひと)に思はせたらう。何故、彼の先輩の名前を彼(あ)様(ゝ)他(ひと)の前で口に出したらう。何故、内証で先輩の書いたものを買はなかつたらう。何故、独りで部屋の内に隠れて、読みたい時に密(そつ)と出して読むといふ智慧が出なかつたらう。
思ひ疲れるばかりで、結(まと)局(まり)は着かなかつた。
一夜は斯ういふ風に、褥(しとね)の上で慄(ふる)へたり、煩(はん)悶(もん)したりして、暗いところを彷(さま)徨(よ)つたのである。翌(あく)日(るひ)になつて、いよ〳〵丑松は深く意(こゝろ)を配るやうに成つた。過(すぎ)去(さ)つた事は最(も)早(う)仕方が無いとして、是(これ)から将(さ)来(き)を用心しよう。蓮太郎の名――人物――著述――一切、彼(あ)の先輩に関したことは決して他(ひと)の前で口に出すまい。斯う用心するやうに成つた。
さあ、父の与へた戒(いましめ)は身に染(しみ)々(〴〵)と徹(こた)へて来る。﹃隠せ﹄――実にそれは生(いき)死(しに)の問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守り窶(やつ)れる多くの戒も、是(こ)の一戒に比べては、寧(いつ)そ何でもない。祖師を捨てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。﹃決してそれとは告(うち)白(あ)けるな﹄とは堅く父も言ひ聞かせた。これから世に出て身を立てようとするものが、誰が好んで告(うち)白(あ)けるやうな真似を為よう。
丑松も漸(やうや)く二十四だ。思へば好い年(と)齢(し)だ。
噫(あゝ)。いつまでも斯うして生きたい。と願へば願ふほど、余計に穢多としての切ない自覚が湧き上るのである。現世の歓楽は美しく丑松の眼に映じて来た。たとへ奈(い)何(か)なる場合があらうと、大切な戒ばかりは破るまいと考へた。