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第六章
︵一︶
天長節の夜は宿直の当番であつたので、丑松銀之助の二人は学校に残つた。敬之進は急に心細く、名残惜しくなつて、いつまでも此処を去り兼ねる様子。夕飯の後、まだ宿直室に話しこんで、例の愚痴の多い性質から、生(おひ)先(さき)長い二人に笑はれて居るうちに、壁の上の時計は八時打ち、九時打つた。それは翌(よく)朝(あさ)の霜の烈しさを思はせるやうな晩で、日中とは違つて、めつきり寒かつた。丑松が見廻りの為に出て行つた後、まだ敬之進は火鉢の傍に齧(かじ)り付いて、銀之助を相手に掻(かき)口(く)説(ど)いて居た。
軈(やが)て二十分ばかり経つて丑松は帰つて来た。手(てさ)提(げラ)洋(ン)燈(プ)を吹消して、急いで火鉢の側(わき)に倚添ひ乍ら、﹃いや、もう屋(そ)外(と)は寒いの寒くないのツて、手も何も凍(かじか)んで了ふ――今夜のやうに酷(き)烈(び)しいことは今(こと)歳(し)になつて始めてだ。どうだ、君、是通りだ。﹄と丑松は氷のやうに成つた手を出して、銀之助に触つた。﹃まあ、何といふ冷い手だらう。﹄斯(か)う言つて、自分の手を引込まして、銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めたのである。
﹃顔色が悪いねえ、君は――奈(ど)何(う)かしやしないか。﹄
と思はず其を口に出した。敬之進も同じやうに不審を打つて、
﹃我輩も今、其を言はうかと思つて居たところさ。﹄
丑松は何か思出したやうに慄へて、話さうか、話すまいか、と暫(しば)時(らく)躊(ちう)躇(ちよ)する様子にも見えたが、あまり二人が熱心に自分の顔を熟(みま)視(も)るので、つい〳〵打明けずには居られなく成つて来た。
﹃実はねえ――まあ、不思議なことがあるんだ。﹄
﹃不思議なとは?﹄と銀之助も眉をひそめる。
﹃斯ういふ訳さ――僕が手(てさ)提(げラ)洋(ン)燈(プ)を持つて、校舎の外を一廻りして、あの運動場の木馬のところまで行くと、誰か斯う僕を呼ぶやうな声がした。見れば君、誰も居ないぢやないか。はてな、聞いたやうな声だと思つて、考へて見ると、其(その)筈(はず)さ――僕の阿(おや)爺(ぢ)の声なんだもの。﹄
﹃へえ、妙なことが有れば有るものだ。﹄と敬之進も不(いぶ)審(か)しさうに、﹃それで、何ですか、奈(ど)何(ん)な風に君を呼びましたか、其声は。﹄
﹃﹁丑松、丑松﹂とつゞけざまに。﹄
﹃フウ、君の名前を?﹄と敬之進はもう目を円(まる)くして了(しま)つた。
﹃はゝゝゝゝ。﹄と銀之助は笑出して、﹃馬鹿なことを言ひたまへ。瀬川君も余(よツ)程(ぽど)奈(ど)何(う)かして居るんだ。﹄
﹃いや、確かに呼んだ。﹄と丑松は熱心に。
﹃其(そ)様(ん)な事があつて堪るものか。何かまた間違へでも為たんだらう。﹄
﹃土屋君、君は左(さ)様(う)笑ふけれど、確かに僕の名を呼んだに相違ないよ。風が呻(う)吟(な)つたでも無ければ、鳥が啼いたでも無い。そんな声を、まさかに僕だつて間違へる筈も無からうぢやないか。どうしても阿爺だ。﹄
﹃君、真(ほん)実(たう)かい――戯(じよ)語(うだん)ぢや無いのかい――また欺(かつ)ぐんだらう。﹄
﹃土屋君は其だから困る。僕は君これでも真(ま)面(じ)目(め)なんだよ。確かに僕は斯(こ)の耳で聞いて来た。﹄
﹃其耳が宛(あて)に成らないサ。君の父(おと)上(つ)さんは西(にし)乃(のい)入(り)の牧場に居るんだらう。あの烏(ゑ)帽(ぼ)子(し)ヶ嶽(だけ)の谷(たに)間(あひ)に居るんだらう。それ、見給へ。其父(おと)上(つ)さんが斯(こ)様(ん)な隔(かけ)絶(はな)れた処に居る君の名前を呼ぶなんて――馬鹿らしい。﹄
﹃だから不思議ぢやないか。﹄
﹃不思議? ちよツ、不思議といふのは昔の人のお伽(とぎ)話(ばなし)だ。はゝゝゝゝ、智識の進んで来た今日、そんな馬鹿らしいことの有るべき筈が無い。﹄
﹃しかし、土屋君。﹄と敬之進は引取つて、﹃左(さ)様(う)君のやうに一概に言つたものでもないよ。﹄
﹃はゝゝゝゝ、旧弊な人は是だから困る。﹄と銀之助は嘲(あざけ)るやうに笑つた。
急に丑松は聞耳を立てた。復(ま)た何か聞きつけたといふ風で、すこし顔色を変へて、言ふに言はれぬ恐(おそ)怖(れ)を表したのである。戯れて居るので無いといふことは、其真面目な眼付を見ても知れた。
﹃や――復た呼ぶ声がする。何だか斯う窓の外の方で。﹄と丑松は耳を澄まして、﹃しかし、あまり不思議だ。一寸、僕は失敬するよ――もう一度行つて見て来るから。﹄
ぷいと丑松は駈出して行つた。
さあ、銀之助は友達のことが案じられる。敬之進はもう心に驚いて了(しま)つて、何かの前(しら)兆(せ)では有るまいか――第一、父親の呼ぶといふのが不思議だ、と斯う考へつゞけたのである。
﹃それはさうと、﹄と敬之進は思付いたやうに、﹃斯うして吾(われ)儕(〳〵)ばかり火鉢にあたつて居るのも気(きが)懸(ゝ)りだ。奈(ど)何(う)でせう、二人で行つて見てやつては。﹄
﹃むゝ、左(さ)様(う)しませうか。﹄と銀之助も火鉢を離れて立上つた。﹃瀬川君はすこし奈(ど)何(う)かしてるんでせうよ。まあ、僕に言はせると、何か神経の作用なんですねえ――兎(と)に角(かく)、それでは一寸待つて下さい。僕が今、手(てさ)提(げラ)洋(ン)燈(プ)を点(つ)けますから。﹄
︵二︶
深い思に沈み乍ら、丑松は声のする方へ辿(たど)つて行つた。見れば宿直室の窓を泄(も)れる灯(ひ)が、僅に庭の一部分を照して居るばかり。校舎も、樹木も、形を潜めた。何もかも今は夜の空気に包まれて、沈まり返つて、闇に隠れて居るやうに見える。それは少(すこ)許(し)も風の無い、とした晩で、寒(さむ)威(さ)は骨に透(しみ)徹(とほ)るかのやう。恐らく山国の気候の烈しさを知らないものは、斯(か)うした信濃の夜を想像することが出来ないであらう。
父の呼ぶ声が復(ま)た聞えた。急に丑松は立留つて、星明りに周(そこ)囲(いら)を透(すか)して視(み)たが、別に人の影らしいものが目に入るでも無かつた。すべては皆な無言である。犬一つ啼いて通らない斯の寒い夜に、何が音を出して丑松の耳を欺かう。
﹃丑松、丑松。﹄
とまた呼んだ。さあ、丑松は畏(おそ)れず慄(ふる)へずに居られなかつた。心はもう底の底までも掻(かき)乱(みだ)されて了(しま)つたのである。たしかに其は父の声で――皺(しや)枯(が)れた中にも威厳のある父の声で、あの深い烏(ゑ)帽(ぼ)子(し)ヶ嶽(だけ)の谷(たに)間(あひ)から、遠く斯(こ)の飯山に居る丑松を呼ぶやうに聞えた。目をあげて見れば、空とても矢(やは)張(り)地の上と同じやうに、音も無ければ声も無い。風は死に、鳥は隠れ、清(すゞ)しい星の姿ところ〴〵。銀河の光は薄い煙のやうに遠く荘(おご)厳(そか)な天を流れて、深大な感動を人の心に与へる。さすがに幽(かすか)な反射はあつて、仰げば仰ぐほど暗い藍色の海のやうなは、そこに他界を望むやうな心地もせらるゝのであつた。声――あの父の呼ぶ声は、斯の星夜の寒空を伝つて、丑松の耳の底に響いて来るかのやう。子の霊(たま)魂(しひ)を捜すやうな親の声は確かに聞えた。しかし其意味は。斯う思ひ迷つて、丑松はあちこち〳〵と庭の内を歩いて見た。
あゝ、何を其(そん)様(な)に呼ぶのであらう。丑松は一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。自分の精神の内(な)部(か)の苦(くる)痛(しみ)が、子を思ふ親の情からして、自然と父にも通じたのであらうか。飽くまでも素性を隠せ、今日までの親の苦心を忘れるな、といふ意味であらうか。それで彼の牧場の番小屋を出て、自分のことを思ひ乍ら呼ぶ其声が谿(た)谷(に)から谿谷へ響いて居るのであらうか。それとも、また、自分の心の迷ひであらうか。といろ〳〵に想像して見て、終(しまひ)には恐(おそ)怖(れ)と疑(うた)心(がひ)とで夢中になつて、﹃阿(おと)爺(つ)さん、阿爺さん。﹄と自分の方から目(あて)的(ど)もなく呼び返した。
﹃やあ、君は其処に居たのか。﹄
と声を掛けて近(ちかづ)いたのは銀之助。つゞいて敬之進も。二人はしきりに手(てさ)提(げラ)洋(ン)燈(プ)をさしつけて、先づ丑松の顔を調べ、身の周(まは)囲(り)を調べ、それから闇を窺(うかゞ)ふやうにして見て、さて丑松からまた〳〵父の呼声のしたことを聞取つた。
﹃土屋君、それ見たまへ。﹄
敬之進は寒さと恐(おそ)怖(れ)とで慄へ乍ら言つた。銀之助は笑つて、
﹃どうしても其(そ)様(ん)なことは理窟に合はん。必(きつ)定(と)神経の故(せゐ)だ。一体、瀬川君は妙に猜(うた)疑(がひ)深(ぶか)く成つた。だから其(そ)様(ん)な下らないものが耳に聞えるんだ。﹄
﹃左(さ)様(う)かなあ、神経の故(せゐ)かなあ。﹄斯う丑松は反省するやうな調子で言つた。
﹃だつて君、考へて見たまへ。形の無いところに形が見えたり、声の無いところに声が聞えたりするなんて、それそこが君の猜(うた)疑(がひ)深(ぶか)く成つた証拠さ。声も、形も、其は皆な君が自分の疑心から産(うみ)出(だ)した幻だ。﹄
﹃幻?﹄
﹃所(いは)謂(ゆる)疑心暗鬼といふ奴だ。耳に聞える幻――といふのも少(すこ)許(し)変な言葉だがね、まあ左(さ)様(う)いふことも言へるとしたら、其が今夜君の聞いたやうな声なんだ。﹄
﹃あるひは左(さ)様(う)かも知れない。﹄
暫(しば)時(らく)、三人は無言になつた。天も地もとして、声が無かつた。急に是の星夜の寂(せき)寞(ばく)を破つて、父の呼ぶ声が丑松の耳の底に響いたのである。
﹃丑松、丑松。﹄
と次第に幽(かすか)になつて、啼(な)いて空を渡る夜の鳥のやうに、終(しまひ)には遠く細く消えて聞えなくなつて了つた。
﹃瀬川君。﹄と銀之助は手提洋燈をさしつけて、顔色を変へた丑松の様子を不思議さうに眺め乍ら、﹃どうしたい――君は。﹄
﹃今、また阿(おや)爺(ぢ)の声がした。﹄
﹃今? 何にも聞えやしなかつたぢやないか。﹄
﹃ホウ、左(さ)様(う)かねえ。﹄
﹃左様かねえもないもんだ。何(なんに)も声なぞは聞えやしないよ。﹄と言つて、銀之助は敬之進の方へ向いて、﹃風間さん、奈(ど)何(う)でした――何か貴方には聞えましたか。﹄
﹃いゝえ。﹄と敬之進も力を入れた。
﹃ホウラ。風間さんにも聞えなければ、僕にも聞えない。聞いたのは、唯君ばかりだ。神経、神経――どうしても其に相違ない。﹄
斯う言つて、軈て銀之助はあちこちと闇を照らして見た。天は今僅かに星の映る鏡、地は今大な暗い影のやう。一つとして声のありさうなものが、手提洋燈の光に入るでもなかつた。﹃はゝゝゝゝ。﹄と銀之助は笑ひ出して、﹃まあ、僕は耳に聞いたつて信じられない。目に見たつて信じられない。手に取つて、触(さは)つて見て、それからでなければ其(そ)様(ん)なことは信じられない。いよ〳〵こりやあ、僕の観察の通りだ。生理的に其様な声が聞えたんだ。はゝゝゝゝ。それはさうと、馬鹿に寒く成つて来たぢやないか。僕は最(も)早(う)斯うして立つて居られなくなつた――行かう。﹄
︵三︶
其晩、寝床へ入つてからも、丑松は父と先輩とのことを考へて、寝られなかつた。銀之助は直にもう高(たか)鼾(いびき)。どんなに丑松は傍に枕を並べて居る友達の寝顔を熟(みま)視(も)つて、その平(おだ)穏(やか)な、安(しづ)静(か)な睡(ねむ)眠(り)を羨んだらう。夜も更(ふ)けた頃、むつくと寝床から跳(はね)起(お)きて、一旦細くした洋(ラン)燈(プ)を復た明くしながら、蓮太郎に宛てた手紙を書いて見た。今はこの病気見舞すら人目を憚(はゞか)つて認(したゝ)める程に用心したのである。時々丑松は書きかけた筆を止めて、洋燈の光に友達の寝顔を窺つて見ると、銀之助は死んだ魚のやうに大な口を開いて、前後も知らず熟睡して居た。
全く丑松は蓮太郎を知らないでも無かつた。人の紹介で逢つて見たことも有るし、今(こと)歳(し)になつて二三度手紙の往(とり)復(やり)もしたので、幾(いく)分(ら)か互ひの心(こゝ)情(ろもち)は通じた。然し、蓮太郎は篤志な知己として丑松のことを考へて居るばかり、同じ素性の青年とは夢にも思はなかつた。丑松もまた、其秘密ばかりは言ふことを躊(ちう)躇(ちよ)して居る。だから何となく奥歯に物が挾まつて居るやうで、其晩書いた丑松の手紙にも十分に思つたことが表れない。何(な)故(ぜ)是(これ)程(ほど)に慕つて居るか、其さへ書けば、他の事はもう書かなくても済(す)む。あゝ――書けるものなら丑松も書く。其を書けないといふのは、丑松の弱点で、とう〳〵普通の病気見舞と同じものに成つて了つた。﹃東京にて、猪子蓮太郎先生、瀬川丑松より﹄と認(したゝ)め終つた時は、深く〳〵良(こゝ)心(ろ)を偽(いつは)るやうな気がした。筆を投(なげう)つて、嘆息して、復(ま)た冷い寝床に潜り込んだが、少(すこ)許(し)とろ〳〵としたかと思ふと、直に恐しい夢ばかり見つゞけたのである。
翌朝のことであつた。蓮華寺の庄馬鹿が学校へやつて来て、是非丑松に逢ひたいと言ふ。﹃何の用か﹄を小使に言はせると、﹃御目に懸つて御渡ししたいものが御(ござ)座(い)ます﹄とか。出て行つて玄関のところで逢へば、庄馬鹿は一通の電報を手渡しした。不(とり)取(あへ)敢(ず)開封して読下して見ると、片仮名の文字も簡短に、父の死去したといふ報(しら)知(せ)が書いてあつた。突然のことに驚いて了つて、半信半疑で繰返した。確かに死去の報知には相違なかつた。発信人は根津の叔父。﹃直ぐ帰れ﹄としてある。
﹃それはどうも飛んだことで、嘸(さぞ)御力落しで御座ませう――はい、早速帰りまして、奥様にも申上げまするで御座ます。﹄
斯(か)う庄馬鹿が言つた。小(こど)児(も)のやうに死を畏れるといふ様子は、其愚(おろか)しい目付に顕(あら)はれるのであつた。
丑松の父といふは、日頃極めて壮健な方で、激(は)烈(げ)しい気候に遭(で)遇(あ)つても風邪一つ引かず、巌(がん)畳(でふ)な体(から)躯(だ)は反(かへ)つて壮(わか)夫(もの)を凌(しの)ぐ程の隠居であつた。牧夫の生(しや)涯(うがい)といへばいかにも面白さうに聞えるが、其実普通の人に堪へられる職業では無いのであつて、就(わけ)中(ても)西乃入の牧場の牛飼などと来ては、﹃彼(あ)の隠居だから勤まる﹄と人にも言はれる程。牛の性質を克(よ)く暗記して居るといふ丈では、所(しよ)詮(せん)あの烏(ゑ)帽(ぼ)子(し)ヶ嶽(だけ)の深い谿(たに)谷(あひ)に長く住むことは出来ない。気候には堪へられても、寂(さび)寥(しさ)には堪へられない。温(あた)暖(ゝか)い日の下に産れて忍耐の力に乏しい南国の人なぞは、到底斯(か)ういふ山の上の牧夫に適しないのである。そこはそれ、北部の信州人、殊に丑松の父は素朴な、勤勉な、剛健な気象で、労苦を労苦とも思はない上に、別に人の知らない隠遁の理由をも持つて居た。思慮の深い父は丑松に一生の戒を教へたばかりで無く、自分も亦た成るべく人目につかないやうに、と斯う用心して、子の出世を祈るより外にもう希(のぞ)望(み)もなければ慰(なぐ)藉(さめ)もないのであつた。丑松のため――其を思ふ親の情からして、人里遠い山の奥に浮世を離れ、朝夕炭焼の煙りを眺め、牛の群を相手に寂しい月日を送つて来たので。月々丑松から送る金の中から好(すき)な地酒を買ふといふことが、何よりの斯(この)牧夫のたのしみ。労苦も寂(さび)寥(しさ)も其の為に忘れると言つて居た。斯ういふ阿(おや)爺(ぢ)が――まあ、鋼鉄のやうに強いとも言ひたい阿爺が、病気の前(まへ)触(ぶれ)も無くて、突然死去したと言つてよこしたとは。
電報は簡短で亡くなつた事情も解らなかつた。それに、父が牧場の番小屋に上るのは、春雪の溶け初める頃で、また谷々が白く降り埋(うづ)められる頃になると、根津村の家へ下りて来る毎(まい)年(とし)の習慣である。もうそろ〳〵冬籠りの時節。考へて見れば、亡くなつた場処は、西乃入か、根津か、其すら斯電報では解らない。
しかし、其時になつて、丑松は昨(ゆう)夜(べ)の出来事を思出した。あの父の呼声を思出した。あの呼声が次第に遠く細くなつて、別(わか)離(れ)を告げるやうに聞えたことを思出した。
斯の電報を銀之助に見せた時は、流(さす)石(が)の友達も意外なといふ感(かん)想(じ)に打たれて、暫(しば)時(らく)茫(ぼん)然(やり)として突立つた儘(まゝ)、丑松の顔を眺めたり、死去の報(しら)告(せ)を繰返して見たりした。軈(やが)て銀之助は思ひついたやうに、
﹃むゝ、根津には君の叔父さんがあると言つたツけねえ。左(さ)様(う)いふ叔父さんが有れば、万事見ては呉れたらう。しかし気の毒なことをした。なにしろ、まあ早速帰る仕度をしたまへ。学校の方は、君、奈(ど)何(う)にでも都合するから。﹄
斯う言つて呉れる友達の顔には真実が輝き溢(あふ)れて居た。たゞ銀之助は一(ひと)語(こと)も昨夜のことを言出さなかつたのである。﹃死は事実だ――不思議でも何でも無い﹄と斯(こ)の若い植物学者は眼で言つた。
校長は時刻を違(たが)へず出勤したので、早速この報(しら)知(せ)を話した。丑松は直にこれから出掛けて行きたいと話した。留守中何分宜(よろ)敷(しく)、受持の授業のことは万事銀之助に頼んで置いたと話した。
﹃奈(どん)何(な)にか君も吃(びつ)驚(くり)なすつたでせう。﹄と校長は忸(なれ)々(〳〵)敷(しい)調子で言つた。﹃学校の方は君、土屋君も居るし、勝野君も居るし、其(そ)様(ん)なことはもう少(すこ)許(し)も御心配なく。実に我輩も意外だつた、君の父(おと)上(つ)さんが亡(な)くならうとは。何(どう)卒(か)、まあ、彼(あち)方(ら)の御用も済み、忌(きぶ)服(く)でも明けることになつたら、また学校の為に十分御尽力を願ひませう。吾(われ)儕(〳〵)の事(しご)業(と)が是(これ)丈(だけ)に揚つて来たのも、一つは君の御骨折からだ。斯うして君が居て下さるんで、奈(どん)何(な)にか我輩も心強いか知れない。此(こな)頃(ひだ)も或処で君の評判を聞いて来たが、何だか斯う我輩は自分を褒められたやうな心(こゝ)地(ろもち)がした。実際、我輩は君を頼りにして居るのだから。﹄と言つて気を変へて、﹃それにしても、出掛けるとなると、思つたよりは要(かゝ)るものだ。少(すこ)許(しぐ)位(らゐ)は持合せも有ますから、立替へて上げても可(いゝ)のですが、どうです少(すこ)許(し)御持ちなさらんか。もし御(おい)入(りよ)用(う)なら遠慮なく言つて下さい。足りないと、また困りますよ。﹄
と言ふ校長の言葉はいかにも巧みであつた。しかし丑松の耳には唯わざとらしく聞えたのである。
﹃瀬川君、それでは届を忘れずに出して行つて下さい――何も規則ですから。﹄
斯う校長は添(つけ)加(た)して言つた。
︵四︶
丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈(どん)何(な)に二人は丑松の顔を眺めて、この可(いた)傷(ま)しい報(しら)知(せ)の事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くの例(ためし)を思出して、死を告げる前(しら)兆(せ)、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人(ひと)魂(だま)の迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。
﹃それはさうと、﹄と奥様は急に思付いたやうに、﹃まだ貴方は朝飯前でせう。﹄
﹃あれ、左(さ)様(う)でしたねえ。﹄とお志保も言葉を添へた。
﹃瀬川さん。そんなら準(した)備(く)して御(おい)出(で)なすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。是(これ)から御出掛なさるといふのに、生(あい)憎(にく)何にも無くて御気の毒ですねえ――塩(しほ)鮭(びき)でも焼いて上げませうか。﹄
奥様はもう涙ぐんで、蔵(く)裏(り)の内をぐる〳〵廻つて歩いた。長い年月の精(しや)舎(うじや)の生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。
﹃なむあみだぶ。﹄
と斯(こ)の有(うは)髪(つ)の尼(あま)は独(ひと)語(りごと)のやうに唱へて居た。
丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。場合が場合、土産も買はず、荷物も持たず、成るべく身軽な装(なり)をして、叔母の手織の綿入を行(かう)李(り)の底から出して着た。丁度そこへ足を投出して、脚(きや)絆(はん)を着けて居るところへ、下女の袈裟治に膳を運ばせて、つゞいて入つて来たのはお志保である。いつも飯(めし)櫃(びつ)は出し放し、三度が三度手盛りでやるに引きかへ、斯うして人に給仕して貰ふといふは、嬉(うれ)敷(しく)もあり、窮屈でもあり、無造作に膳を引寄せて、丑松はお志保につけて貰つて食つた。其日はお志保もすこし打解けて居た。いつものやうに丑松を恐れる様子も見えなかつた。敬之進の境涯を深く憐むといふ丑松の真実が知れてから、自然と思(おも)惑(はく)を憚(はゞか)る心も薄らいで、斯うして給仕して居る間にも種(いろ)々(〳〵)なことを尋ねた。お志保はまた丑松の母のことを尋ねた。
﹃母ですか。﹄と丑松は淡(さつ)泊(ぱり)とした男らしい調子で、﹃亡くなつたのは丁度私が八(やつ)歳(つ)の時でしたよ。八歳といへば未だほんの小供ですからねえ。まあ、私は母のことを克(よ)く覚えても居ない位なんです――実際母親といふものゝ味を真(ほん)実(たう)に知らないやうなものなんです。父(おや)親(ぢ)だつても、矢張左(さ)様(う)で、この六七年の間は一緒に長く居て見たことは有ません。いつでも親子はなれ〴〵。実は父親も最(も)早(う)好い年でしたからね――左(さ)様(う)ですなあ貴方の父(おと)上(つ)さんよりは少(すこ)許(し)年(う)長(へ)でしたらう――彼(あ)様(ゝ)いふ風に平(ふだ)素(ん)壮(たつ)健(しや)な人は、反(かへ)つて病気なぞに罹(かゝ)ると弱いのかも知れませんよ。私なぞは、ですから、親に縁の薄い方の人間なんでせう。と言へば、まあお志保さん、貴方だつても其御仲間ぢや有ませんか。﹄
斯(こ)の言葉はお志保の涙を誘ふ種となつた。あの父親とは――十三の春に是寺へ貰はれて来て、それぎり最(も)早(う)一緒に住んだことがない。それから、あの生(うみ)の母親とは――是はまた子供の時分に死別れて了つた。親に縁の薄いとは、丁度お志保の身の上でもある。お志保は自分の家の零落を思出したといふ風で、すこし顔を紅(あか)くして、黙つて首を垂れて了つた。
そのお志保の姿を注意して見ると、亡くなつた母親といふ人も大(おほ)凡(よそ)想像がつく。﹃彼(あの)娘(こ)の容(かほ)貌(つき)を見ると直(すぐ)に前(せん)の家内が我輩の眼に映る﹄と言つた敬之進の言葉を思出して見ると、﹃昔風に亭主に便(たよる)といふ風で、どこまでも我輩を信じて居た﹄といふ女の若い時は――いづれこのお志保と同じやうに、情の深い、涙(なみ)脆(だもろ)い、見る度に別の人のやうな心(こゝ)地(ろもち)のする、姿ありさまの種(いろ)々(〳〵)に変るやうな人であつたに相違ない。いづれこのお志保と同じやうに、醜くも見え、美しくも見え、ある時は蒼く黄ばんで死んだやうな顔付をして居るかと思ふと、またある時は花のやうに白い中(うち)にも自然と紅(あか)味(み)を含んで、若く、清く、活々とした顔付をして居るやうな人であつたに相違ない。まあ、お志保を通して想像した母親の若い時の俤(おもかげ)は斯(か)うであつた。快活な、自然な信州北部の女の美質と特色とは、矢張丑松のやうな信州北部の男(をと)子(こ)の眼に一番よく映るのである。
旅の仕度が出来た後、丑松はこの二階を下りて、蔵(く)裏(り)の広間のところで皆(みんな)と一緒に茶を飲んだ。新しい木製の珠(じゆ)数(ず)、それが奥様からの餞別であつた。やがて丑松は庄馬鹿の手作りにしたといふ草(わら)鞋(ぢ)を穿(は)いて、人々のなさけに見送られて蓮華寺の山門を出た。