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第八章
︵一︶
西乃入に葬られた老牧夫の噂(うはさ)は、直に根津の村中へ伝(ひろ)播(が)つた。尾(をひ)鰭(れ)を付けて人は物を言ふのが常、まして種牛の為に傷けられたといふ事実は、些(すく)少(な)からず好(もの)奇(ずき)な手合の心を驚かして、到(いた)る処に茶話の種となる。定めし前(さき)の世には恐しい罪を作つたことも有つたらう、と迷信の深い者は直に其を言つた。牧夫の来歴に就いても、南佐久の牧場から引移つて来た者だの、甲州生れだの、いや会津の武士の果で有るのと、種(さま)々(〴〵)な臆測を言ひ触らす。唯(たゞ)、小(こも)諸(ろ)の穢多町の﹃お頭(かしら)﹄であつたといふことは、誰一人として知るものが無かつたのである。
﹃御苦労招(よ)び﹄︵手伝ひに来て呉れた近所の人々を招く習慣︶のあつた翌(あく)日(るひ)、丑松は会葬者への礼廻りに出掛けた。叔父も。姫子沢の家には叔母一人留守居。御茶漬後(すぎ)︵昼飯後︶は殊更温(あた)暖(ゝか)く、日の光が裏庭の葱(ねぎ)畠(ばたけ)から南(かぼ)瓜(ちや)を乾し並べた縁側へ射し込んで、いかにも長(のど)閑(か)な思をさせる。追ふものが無ければ鶏も遠慮なく、垣根の傍に花を啄(つ)むもあり、鳴くもあり、座敷の畳に上つて遊ぶのもあつた。丁度叔母が表に出て、流のところに腰を曲(こゞ)め乍ら、鍋(なべ)を洗つて居ると、そこへ立つて丁寧に物を尋ねる一人の紳士がある。﹃瀬川さんの御宅は﹄と聞かれて、叔母は不思議さうな顔付。つひぞ見掛けぬ人と思ひ乍ら、冠つて居る手拭を脱(と)つて挨拶して見た。
﹃はい、瀬川は手前でごはすよ――失礼乍ら貴(あん)方(た)は何(どち)方(らさ)様(ま)で?﹄
﹃私ですか。私は猪子といふものです。﹄
蓮太郎は丑松の留守に尋ねて来たのであつた。﹃もう追(おつ)付(つ)け帰つて参じやせう﹄を言はれて、折(せつ)角(かく)来たものを、兎(と)も角(かく)も其では御邪魔して、暫(しば)時(らく)休ませて頂かう、といふことに極め、軈(やが)て叔母に導かれ乍ら、草(くさ)葺(ぶき)の軒を潜(くゞ)つて入つた。日頃農夫の生活に興を寄せる蓮太郎、斯(か)うして炉(ろば)辺(た)で話すのが何より嬉(うれ)敷(しい)といふ風で、煤(すゝ)けた屋根の下を可(なつ)懐(か)しさうに眺(なが)めた。農家の習ひとして、表から裏口へ通り抜けの庭。そこには炭俵、漬物桶、又は耕作の道具なぞが雑(ごち)然(や〳〵)置き並べてある。片隅には泥の儘(まゝ)の﹃かびた芋﹄︵馬鈴薯︶山のやうに。炉は直ぐ上(あが)り端(はな)にあつて、焚火の煙のにほひも楽しい感(かん)想(じ)を与へるのであつた。年々の暦と一緒に、壁に貼(はり)付(つ)けた錦絵の古く変色したのも目につく。
﹃生(あい)憎(にく)と今(こん)日(ち)は留守にいたしやして――まあ吾(う)家(ち)に不幸がごはしたもんだで、その礼廻りに出掛けやしてなあ。﹄
斯(か)う言つて、叔母は丑松の父の最後を蓮太郎に語り聞かせた。炉の火はよく燃えた。木製の自在鍵に掛けた鉄(てつ)瓶(びん)の湯も沸(ふつ)々(〳〵)と煮立つて来たので、叔母は茶を入れて款(もて)待(な)さうとして、急に――まあ、記憶といふものは妙なもので、長く〳〵忘れて居た昔の習慣を思出した。一体普通の客に茶を出さないのは、穢多の家の作法としてある。煙(たば)草(こ)の火ですら遠慮する。瀬川の家も昔は斯ういふ風であつたので其を破つて普通の交際を始めたのは、斯(こ)の姫子沢へ移(ひつ)住(こ)してから以(この)来(かた)。尤(もつと)も長い月日の間には、斯の新しい交際に慣れ、自(おの)然(づ)と出入りする人々に馴(な)染(じ)み、茶はおろか、物の遣り取りもして、春は草餅を贈り、秋は蕎(そ)麦(ば)粉(こ)を貰ひ、是(こち)方(ら)で何とも思はなければ、他(ひと)も怪みはしなかつたのである。叔母が斯(こ)様(ん)な昔の心(こゝ)地(ろもち)に帰つたは近頃無いことで――それも其(その)筈(はず)、姫子沢の百姓とは違つて気恥しい珍客――しかも突(だし)然(ぬけ)に――昔者の叔母は、だから、自分で茶を汲む手の慄へに心付いた程。蓮太郎は其(そ)様(ん)なことゝも知らないで、さも〳〵甘(うま)さうに乾いた咽(の)喉(ど)を濡(うるほ)して、さて種(さま)々(〴〵)な談(はな)話(し)に笑ひ興じた。就(わけ)中(ても)、丑松がまだ紙(た)鳶(こ)を揚げたり独(こ)楽(ま)を廻したりして遊んだ頃の物語に。
﹃時に、﹄と蓮太郎は何か深く考へることが有るらしく、﹃つかんことを伺ふやうですが、斯(こ)の根津の向町に六左衛門といふ御(おだ)大(いじ)尽(ん)があるさうですね。﹄
﹃はあ、ごはすよ。﹄と叔母は客の顔を眺めた。
﹃奈(ど)何(う)でせう、御聞きでしたか、そこの家(うち)につい此頃婚礼のあつたとかいふ話を。﹄
斯う蓮太郎は何気なく尋ねて見た。向町は斯の根津村にもある穢多の一部落。姫子沢とは八町程離れて、西町の町はづれにあたる。其処に住む六左衛門といふは音に聞えた穢多の富(もの)豪(もち)なので。
﹃あれ、少(ちつ)許(と)も其(そ)様(ん)な話は聞きやせんでしたよ。そんなら聟(むこ)さんが出来やしたかいなあ――長いこと彼(あす)処(こ)の家の娘も独(ひと)身(り)で居りやしたつけ。﹄
﹃御存じですか、貴方は、その娘といふのを。﹄
﹃評判な美しい女でごはすもの。色の白い、背のすらりとした――まあ、彼(あ)様(ん)な身分のものには惜しいやうな娘(こ)だつて、克(よ)く他(ひと)が其を言ひやすよ。へえもう二十四五にも成るだらず。若く装(つく)つて、十九か二十位にしか見せやせんがなあ。﹄
斯ういふ話をして居る間にも、蓮太郎は何か思ひ当ることがあるといふ風であつた。待つても〳〵丑松が帰つて来ないので、軈て蓮太郎はすこし其(そこ)辺(いら)を散歩して来るからと、田(たん)圃(ぼ)の方へ山の景色を見に行つた――是非丑松に逢ひたい、といふ言(こと)伝(づて)を呉々も叔母に残して置いて。
︵二︶
﹃これ、丑松や、猪子といふ御客様(さん)がお前(めへ)を尋ねて来たぞい。﹄斯(か)う言つて叔母は駈寄つた。
﹃猪子先生?﹄丑松の目は喜(よろ)悦(こび)の色で輝いたのである。
﹃多(はあ)時(るか)待つて居なすつたが、お前が帰らねえもんだで。﹄と叔母は丑松の様子を眺め乍ら、﹃今々其処へ出て行きなすつた――ちよツくら、田(たん)圃(ぼ)の方へ行つて見て来るツて。﹄斯う言つて、気を変へて、﹃一体彼(あ)の御客様は奈(ど)何(う)いふ方だえ。﹄
﹃私の先生でさ。﹄と丑松は答へた。
﹃あれ、左(さ)様(う)かつちや。﹄と叔母は呆れて、﹃そんならそのやうに、御礼を言ふだつたに。俺はへえ、唯お前の知つてる人かと思つた――だつて、御友達のやうにばかり言ひなさるから。﹄
丑松は蓮太郎の跡を追つて、直に田圃の方へ出掛けようとしたが、丁度そこへ叔父も帰つて来たので、暫(しば)時(らく)上(あが)り端(はな)のところに腰掛けて休んだ。叔父は酷(ひど)く疲れたといふ風、家の内へ入るが早いか、﹃先づ、よかつた﹄を幾度と無く繰返した。何もかも今は無事に済んだ。葬式も。礼廻りも。斯ういふ思(かん)想(がへ)は奈(どん)何(な)に叔父の心を悦(よろこ)ばせたらう。﹃ああ――これまでに漕(こぎ)付(つ)ける俺の心配といふものは。﹄斯う言つて、また思出したやうに安心の溜息を吐くのであつた。﹃全く、天の助けだぞよ。﹄と叔父は附加して言つた。
平和な姫子沢の家の光(あり)景(さま)と、世の変(うつ)遷(りかはり)も知らずに居る叔父夫婦の昔(むか)気(しか)質(たぎ)とは、丑松の心に懐旧の情を催さした。裏庭で鳴き交す鶏の声は、午後の乾(はし)燥(や)いだ空気に響き渡つて、一層長(のど)閑(か)な思を与へる。働好な、壮(たつ)健(しや)な、人の好い、しかも子の無い叔母は、いつまでも児(こど)童(も)のやうに丑松を考へて居るので、其児(こど)童(もあ)扱(つか)ひが又、些(すく)少(な)からず丑松を笑はせた。﹃御覧やれ、まあ、あの手付なぞの阿(おや)爺(ぢ)さんに克く似てることは。﹄と言つて笑つた時は、思はず叔母も涙が出た。叔父も一緒に成つて笑つた。其時叔母が汲んで呉れた渋茶の味の甘かつたことは。款(もて)待(なし)振(ぶり)の田(ゐな)舎(かま)饅(んぢ)頭(ゆう)、その黒砂糖の餡(あん)の食ひ慣れたのも、可(なつ)懐(か)しい少年時代を思出させる。故郷に帰つたといふ心(こゝ)地(ろもち)は、何よりも深く斯ういふ場合に、丑松の胸を衝(つ)いて湧(わき)上(あが)るのであつた。
﹃どれ、それでは行つて見て来ます。﹄
と言つて家を出る。叔父も直ぐに随いて出た。何か用事ありげに呼留めたので、丑松は行かうとして振返つて見ると、霜(しも)葉(ば)の落ちた柿の樹の下のところで、叔父は声を低くして
﹃他(ほ)事(か)ぢやねえが、猪子で俺は思出した。以(も)前(と)師範校の先生で猪子といふ人が有つた。今日の御客様は彼(あの)人(ひと)とは違ふか。﹄
﹃それですよ、その猪子先生ですよ。﹄と丑松は叔父の顔を眺め乍ら答へる。
﹃むゝ、左(さ)様(う)かい、彼人かい。﹄と叔父は周(あた)囲(り)を眺め廻して、やがて一寸親指を出して見せて、﹃彼人は是(これ)だつて言ふぢやねえか――気を注(つ)けろよ。﹄
﹃はゝゝゝゝ。﹄と丑松は快活らしく笑つて、﹃叔父さん、其(そ)様(ん)なことは大丈夫です。﹄
斯う言つて急いだ。
︵三︶
﹃大丈夫です﹄とは言つたものゝ、其実丑松は蓮太郎だけに話す気で居る。先輩と自分と、唯二人――二度とは無い、斯(か)ういふ好い機会は。と其を考へると、丑松の胸はもう烈しく踊るのであつた。
枯々とした草土手のところで、丑松は蓮太郎と一緒に成つた。聞いて見ると、先輩は細君を上田に残して置いて、其日の朝根津村へ入つたとのこと。連(つれ)は市村弁護士一人。尤(もつと)も弁護士は有権者を訪問する為に忙(せは)しいので、旅(やど)舎(や)で別れて、蓮太郎ばかり斯の姫子沢へ丑松を尋ねにやつて来た。都合あつて演説会は催さない。随つて斯の村で弁護士の政論を聞くことは出来ないが、そのかはり蓮太郎は丑松とゆつくり話せる。まあ、斯ういふ信濃の山の上で、温(あた)暖(ゝか)な小春の半日を語り暮したいとのことである。
其日のやうな楽しい経験――恐らく斯の心(こゝ)地(ろもち)は、丑松の身にとつて、さう幾度もあらうとは思はれなかつた程。日頃敬慕する先輩の傍に居て、其人の声を聞き、其人の笑顔を見、其人と一緒に自分も亦た同じ故郷の空気を呼吸するとは。丑松は唯話すばかりが愉快では無かつた。沈(だ)黙(ま)つて居る間にも亦た言ふに言はれぬ愉快を感ずるのであつた。まして、蓮太郎は――書いたものゝ上に表れたより、話して見ると又別のおもしろみの有る人で、容(かほ)貌(つき)は厳(やかま)しいやうでも、存外情の篤(あつ)い、優しい、言はゞ極く平民的な気象を持つて居る。左(さ)様(う)いふ風だから、後進の丑松に対しても城(へだ)郭(て)を構へない。放(ほし)肆(いまゝ)に笑つたり、嘆息したりして、日あたりの好い草土手のところへ足を投出し乍ら、自分の病気の話なぞを為た。一度車に乗せられて、病院へ運ばれた時は、堪へがたい虚(から)咳(ぜき)の後で、刻むやうにして喀(かく)血(けつ)したことを話した。今は胸も痛まず、其程の病苦も感ぜず、身体の上のことは忘れる位に元気づいて居る――しかし彼(あ)様(ゝ)いふ喀血が幾回もあれば、其時こそ最(も)早(う)駄目だといふことを話した。
斯ういふ風に親しく言葉を交へて居る間にも、とは言へ、全く丑松は自分を忘れることが出来なかつた。﹃何(い)時(つ)例のことを切出さう。﹄その煩(はん)悶(もん)が胸の中を往つたり来たりして、一(いつ)時(とき)も心を静(や)息(す)ませない。﹃あゝ、伝(う)染(つ)りはすまいか。﹄どうかすると其(そ)様(ん)なことを考へて、先輩の病気を恐しく思ふことも有る。幾度か丑松は自分で自分を嘲(あざけ)つた。
千(ちく)曲(まが)川(は)沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ〴〵に遺した中世の古蹟、信越線の鉄道に伴ふ山上の都会の盛衰、昔の北国街道の栄(えい)花(ぐわ)、今の死駅の零落――およそ信濃路のさま〴〵、それらのことは今二人の談(はな)話(し)に上つた。眼(めの)前(まへ)には蓼(たて)科(しな)、八つが嶽、保(ほふ)福(く)寺(じ)、又は御(みさ)射(や)山(ま)、和田、大門などの山々が連つて、其山腹に横はる大傾斜の眺望は西(にし)東(ひがし)に展(ひら)けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享(う)けた自然のこと、土地の案内にも委(くは)しいところからして、一々指差して語り聞かせる。蓮太郎は其話に耳を傾けて、熱心に眺め入つた。対岸に見える八重原の高原、そこに人家の煙の立ち登る光(さ)景(ま)は、殊に蓮太郎の注意を引いたやうであつた。丑松は又、谷底の平地に日のあたつたところを指差して見せて、水に添ふて散布するは、依(よだ)田(く)窪(ぼ)、長瀬、丸(まり)子(こ)などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎(そ)麦(ば)の花の咲く頃には斯(この)辺(へん)からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。
蓮太郎に言はせると、彼も一度は斯ういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は﹃パノラマ﹄として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶(おと)される程のものであらう――成(なる)程(ほど)、大きくはある。然し深い風(おも)趣(むき)に乏しい――起きたり伏たりして居る波(な)濤(み)のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感(かん)想(じ)をも与へない――それに対(むか)へば唯心が掻(かき)乱(みだ)されるばかりである。斯う蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にも斯の思(かん)想(がへ)は今度の旅行で破(ぶち)壊(こは)されて了(しま)つて、始めて山といふものを見る目が開(あ)いた。新しい自然は別に彼の眼(めの)前(まへ)に展けて来た。蒸(む)し煙(けぶ)る傾斜の気(い)息(き)、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもする杜(もり)の呼吸、其間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目に注(つ)いて、﹃平野は自然の静息、山嶽は自然の活動﹄といふ言葉の意味も今更のやうに思ひあたる。一概に平凡と擯(しり)斥(ぞ)けた信州の風景は、﹃山気﹄を通して反(かへ)つて深く面白く眺められるやうになつた。
斯ういふ蓮太郎の観察は、山を愛する丑松の心を悦(よろこ)ばせた。其日は西の空が開けて、飛(ひ)騨(だ)の山脈を望むことも出来たのである。見れば斯の大谿谷のかなたに当つて、畳み重なる山と山との上に、更に遠く連なる一列の白壁。今年の雪も早や幾度か降り添ふたのであらう。その山々は午後の日をうけて、青空に映り輝いて、殆んど人の気(たま)魄(しひ)を奪ふばかりの勢であつた。活(いき)々(〳〵)とした力のある山塊の輪郭と、深い鉛(えん)紫(し)の色を帯びた谷々の影とは、一層その眺望に崇高な趣を添へる。針木嶺、白馬嶽、焼嶽、鎗が嶽、または乗(のり)鞍(くら)嶽(がたけ)、蝶が嶽、其他多くの山獄の峻(けは)しく競(きそ)ひ立つのは其処だ。梓川、大白川なぞの源を発するのは其処だ。雷鳥の寂しく飛びかふといふのは其処だ。氷河の跡の見られるといふのは其処だ。千古人跡の到らないといふのは其処だ。あゝ、無言にして聳(そび)え立つ飛騨の山脈の姿、長(とこ)久(しへ)に荘(おご)厳(そか)な自然の殿堂――見れば見る程、蓮太郎も、丑松も、高い気象を感ぜずには居られなかつたのである。殊に其日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、斯の広(ひ)濶(ろ)い谿(たに)谷(あひ)を盛んに煙(けぶ)るやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入り乍ら、互に山のことを語り合つた。
︵四︶
噫(あゝ)。幾度丑松は蓮太郎に自分の素性を話さうと思つたらう。昨夜なぞは遅くまで洋(ラン)燈(プ)の下で其事を考へて、もし先輩と二人ぎりに成るやうな場合があつたなら、彼(あ)様(ゝ)言はうか、此(か)様(う)言はうかと、さま〴〵の想像に耽(ふけ)つたのであつた。蓮太郎は今、丑松の傍に居る。さて逢(あ)つて見ると、言出しかねるもので、風景なぞのことばかり話して、肝心の思ふことは未(ま)だ話さなかつた。丑松は既に種(いろ)々(〳〵)なことを話して居乍ら、未だ何(なんに)も蓮太郎に話さないやうな気がした。
夕飯の用意を命じて置いて来たからと、蓮太郎に誘はれて、丑松は一緒に根津の旅(やど)舎(や)の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを言はう〳〵として見た。それを言つたら、自分の真情が深く先輩の心に通ずるであらう、自分は一(もつ)層(と)先輩に親むことが出来るであらう、斯う考へて、其を言はうとして、言ひ得ないで、時々立止つては溜息を吐くのであつた。秘密――生(いき)死(しに)にも関はる真(ほん)実(たう)の秘密――仮(たと)令(ひ)先(さ)方(き)が同じ素性であるとは言ひ乍ら、奈(ど)何(う)して左(さ)様(う)容(たや)易(す)く告(うち)白(あ)けることが出来よう。言はうとしては躊(ちう)躇(ちよ)した。躊躇しては自分で自分を責めた。丑松は心の内(な)部(か)で、懼(おそ)れたり、迷つたり、悶えたりしたのである。
軈(やが)て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇(たゝ)立(ず)むあたりは、向(むか)町(ひまち)――所(いは)謂(ゆる)穢多町で、草(くさ)葺(ぶき)の屋(や)造(ね)が日あたりの好い傾斜に添ふて不規則に並んで居る。中にも人目を引く城のやうな一(ひと)郭(かまへ)、白壁高く日に輝くは、例の六左衛門の住(すみ)家(か)と知れた。農業と麻(あさ)裏(うら)製(づく)造(り)とは、斯(こ)の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、其他獣皮に関したものの製造、または斃(へい)馬(ば)の売買なぞに従事して居るやうな手合は一人も無い。麻裏はどの穢多の家(うち)でも作るので、﹃中抜き﹄と言つて、草履の表に用(つか)ふ美しい藁がところ〴〵の垣根の傍に乾してあつた。丑松は其を見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克(よ)く其の﹃中抜き﹄を編んで居たことを思出した。自分も亦(ま)た少年の頃には、戸隠から来る﹃かはそ﹄︵草履裏の麻︶なぞを玩(おも)具(ちや)にして、父の傍で麻裏造る真似をして遊んだことを思出した。
六左衛門のことは、其時、二人の噂(うはさ)に上つた。蓮太郎はしきりに彼の穢多の性質や行(おこ)為(なひ)やらを問ひ尋ねる。聞かれた丑松とても委(くは)敷(しく)は無いが、知つて居る丈(だけ)を話したのは斯うであつた。六左衛門の富は彼が一代に作つたもの。今日のやうな俄(には)分(かぶ)限(げん)者(しや)と成つたに就いては、甚(はなは)だ悪しざまに罵るものがある。慾深い上に、虚栄心の強い男で、金の力で成ることなら奈(ど)何(ん)な事でもして、何(どう)卒(か)して﹃紳士﹄の尊称を得たいと思つて居る程。恐らく上流社会の華(はな)やかな交際は、彼が見て居る毎日の夢であらう。孔雀の真似を為(す)る鴉(からす)の六左衛門が東京に別荘を置くのも其為である。赤十字社の特別社員に成つたのも其為である。慈善事業に賛成するのも其為である。書画骨(こつ)董(とう)で身の辺(まはり)を飾るのも亦た其為である。彼(あれ)程(ほど)学問が無くて、彼程蔵書の多いものも鮮(すく)少(な)からう、とは斯(この)界(かい)隈(わい)での一つ話に成つて居る。
斯ういふことを語り乍ら歩いて行くうちに、二人は六左衛門の家の前へ出て来た。丁度午後の日を真(まと)面(も)にうけて、宏(おほ)壮(き)な白壁は燃える火のやうに見える。建物幾(いく)棟(むね)かあつて、長い塀(へい)は其周(まは)囲(り)を厳(いかめ)しく取(とり)繞(かこ)んだ。新平民の子らしいのが、七つ八つを頭(かしら)にして、何か﹃めんこ﹄の遊びでもして、其塀の外に群り集つて居た。中には頬の紅(あか)い、眼付の愛らしい子もあつて、普通の家の小供と些(すこ)少(し)も相違の無いのがある。中には又、卑しい、愚(おろ)鈍(か)しい、どう見ても日蔭者の子らしいのがある。是れを眺めても、穢多の部落が幾通りかの階級に別れて居ることは知れた。親らしい男は馬を牽(ひ)いて、其小供の群に声を掛けて通り、姉らしい若い女は細帯を巻付けた儘(まゝ)で、いそ〳〵と二人の側を影のやうに擦(すり)抜(ぬ)けた。斯うして無智と零落とを知らずに居る穢多町の空気を呼吸するといふことは、可(いた)傷(ま)しいとも、恥かしいとも、腹立たしいとも、名のつけやうの無い思をさせる。﹃吾(われ)儕(〳〵)を誰だと思ふ。﹄と丑松は心に憐んで、一(いつ)時(とき)も早く是処を通過ぎて了(しま)ひたいと考へた。
﹃先生――行かうぢや有ませんか。﹄
と丑松はそこに佇(たゝ)立(ず)み眺(なが)めて居る蓮太郎を誘ふやうにした。
﹃見たまへ、まあ、斯の六左衛門の家(うち)を。﹄と蓮太郎は振返つて、﹃何(ど)処(こ)から何処まで主人公の性質を好く表してるぢや無いか。つい二三日前、是の家に婚礼が有つたといふ話だが、君は其(そ)様(ん)な噂(うはさ)を聞かなかつたかね。﹄
﹃婚礼?﹄と丑松は聞(きゝ)咎(とが)める。
﹃その婚礼が一通りの婚礼ぢや無い――多分彼(あ)様(ゝ)いふのが政治的結婚とでも言ふんだらう。はゝゝゝゝ。政事家の為(す)ることは違つたものさね。﹄
﹃先生の仰(おつしや)ることは私に能(よ)く解りません。﹄
﹃花嫁は君、斯の家の娘さ。御(おむ)聟(こ)さんは又、代議士の候補者だから面白いぢやないか――﹄
﹃ホウ、代議士の候補者? まさか彼の一緒に汽車に乗つて来た男ぢや有ますまい。﹄
﹃それさ、その紳士さ。﹄
﹃へえ――﹄と丑松は眼を円くして、﹃左(さ)様(う)ですかねえ――意外なことが有れば有るものですねえ――﹄
﹃全く、僕も意外さ。﹄といふ蓮太郎の顔は輝いて居たのである。
﹃しかし何処で先生は其(そ)様(ん)なことを御聞きでしたか。﹄
﹃まあ、君、宿屋へ行つて話さう。﹄