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万葉歌のイチシ
万葉人の歌、それは﹃万葉集﹄巻十一に出ている歌に﹁みちのべのいちしのはなのいちじろく、ひとみなしりぬあがこひづまは﹂︵路辺壱師花灼然、人皆知我恋麗︶というのがある。そしてこの歌の中に詠みこまれている壱師ノ花とあるイチシとは一体全体どんな植物なのか。古来誰もその真物を言い当てたとの証拠もなく、徒らにあれやこれやと想像するばかりである。なぜなれば、現代では最早そのイチシの名が廃たれて疾くにこの世から消え去っているから、今その実物が掴めないのである。ゆえにいろいろの学者が単に想像を逞しくして暗中模索をやっているにすぎない。
甲の人はそれはシであるギシギシ︵羊蹄︶だといっている。乙の人はそれはメハジキのヤクモソウ︵蔚(ジュウイ)すなわち益母草︶だといっている。丙の人はそれはイチゴの類だといっている。 丁の人はクサイチゴだといっている。戌の人はそれはエゴノキだといっている。そして一向に首肯すべきその結論に到着していない。
そこで私もこの植物について一考してみた。初めもしやそれは諸方に多いケシ科のタケニグサすなわちチャンパギク︵博落廻︶ではないだろうかと想像してみた。この草は丈高く大形で、夏に草原、山原、路傍、圃地の囲回り、山路の左右などに多く生えて茂り、その茎の梢に高く抽んでている大形の花穂そのものは密に白色の細花を綴って立っており、その姿は遠目にさえも著しく見えるものである。だが私はそれよりも、もっともっとよいものを見つけて、ハッ! これだなと手を打った。すなわちそれはマンジュシャゲ︵曼珠沙華の意︶、一名ヒガンバナ︵彼岸花の意︶で、学名を Lycoris radiata Herb. と呼び、漢名を石(セキ)蒜(サン)といい、ヒガンバナ科︵マンジュシャゲ科︶に属するいわゆる球根植物で襲(しゅ)重(うじ)鱗(ゅう)茎(りんけい)︵Tunicated Bulb︶を地中深く有するものである。
さてこのヒガンバナが花咲く深秋の季節に、野辺、山辺、路の辺、河の畔りの土堤、山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並びアノ赫(かく)灼(しゃく)たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は、誰の眼にも気がつかぬはずがない。そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。だからこの草には狐(キツネ)ノタイマツ、火(カエ)焔(ン)ソウ、野ダイマツなどの名がある。すなわちこの草の花ならその歌中にある﹁灼(いち)然(じろく)﹂の語もよく利くのである。また﹁人皆知りぬ﹂も適切な言葉であると受け取れる。ゆえに私は、この万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナすなわちマンジュシャゲの古名であったろうときめている。が、ただし現在何十もあるヒガンバナの諸国方言中にイチシに彷彿たる名が見つからぬのが残念である。どこからか出て来い、イチシの方言!