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キツネノヘダマ
狐ノ屁(ヘダ)玉(マ)、妙な名である。また天(テン)狗(グ)ノ屁(ヘダ)玉(マ)という。これは一つの菌類であって、しかも屁のような悪臭は全然なく、それのみならずそれが食用になるとは聞き捨てならぬキノコ︵木の子︶、いやジノコ︵地の子︶であって、常に忽然として地面の上に白く丸く出現する怪物である。
五、六月の侯、竹藪、樹林下あるいは芝地のようなところに生えて吾人に見参し、形円くあるいは多少平円でその大きなものは宛として人の頭ほどになる。初めは小さいが次第に膨らんできて意外に大きくなる。最初は色が白く肉質で中が実しており、脆くて豆腐を切るようだが、後ちには漸次に色が変わり遂に褐色に移り行って軽虚となり、中から煙が吹き出て気中に散漫するようになるが、この煙はすなわちその胞子であるから、今これを胞子煙と名づけてもまんざらではあるまい。今から一〇九〇年も前に出来た深(ふか)江(えの)輔(すけ)仁(ひと)の﹃本(ほん)草(ぞう)和(わみ)名(ょう)﹄に﹁和名、於爾布須倍﹂すなわちオニフスベと出ているが、しかもその書にはなにもその意味は書いてない。しかしこれは誰にでも鬼を燻べる意味だと取れるであろうことは、もっとものように感ぜられるが、ただし私の考えではこのフスベは贅すなわち瘤のことであろうと思う。源(みな)順(もとのしたごう)の﹃倭(わみ)名(ょう)類(るい)聚(じゅ)鈔(しょう)﹄瘡類中の贅を布須倍︵フスベ︶としてある。そこでオニフスベは鬼の瘤の意であると推考せられ得る。瘤々しくずっしりと太った体の鬼のことだから、すばらしく大きな瘤が膨れ出てもよいのだ。そして鬼を燻べるということだと解する人があったら、その人の考えは浅薄な想像の説であるように私には感ぜられる。
このオニフスベは嫩いとき食用になる。今から二八二年前の正徳五年︵1715︶に発行の﹃倭(わか)漢(んさ)三(んさ)才(い)図(ず)会(え)﹄に﹁薄皮アリテ灰白色肉白ク頗ル麦(ショ)蕈(ウロ)ニ似タリ煮テ食ウニ味淡甘ナリ﹂と書かれて、この時代既にこんな菌を食することを知っていたのは面白い事実である。この異菌の食われることは西洋での姉妹種 Lasiosphaera Fenzlii Keichardt と同様である。それが無論無毒であって食ってもいっこうに差し支えないことが先年理学士石川光春君の試食によって証明せられ、同君は当時これをバターでめて賞味したことを親しく私に話された。
オニフスベは前にも書いたように最も古くから知られた名である。今小(おの)野(らん)蘭(ざ)山(ん)の﹃本(ほん)草(ぞう)綱(こう)目(もく)啓(けい)蒙(もう)﹄によれば、次のようにたくさんの名が列挙せられてある。
オニフスベ︵古名︶○ヤブダマ○ヤブタマゴ○イシワタ○イシノワタ︵予州︶○ウマノクソダケ○ウマノホコリダケ○ホコリダチ︵﹃大和本草﹄︶○ホコリダケ○ケムダシ○ケムリタケ○ミヽツブレ○ミヽツブシ︵讃州︶○ツンボダケ○キツネノハイブクロ︵若州︶○メツブシ○キツネノチャブクロ︵和州︶○チトメ○キツネノヒキチャ︵勢州︶○キツネビ︵南部︶○キツネノハイダハラ︵越前︶○カザブクロ︵奥州︶○ホウホウダケ︵備前︶○カハソノヘ︵江州︶○カゼノコ︵江州︶○ヂホコリ︵佐州︶︵以上︶、ほかにケムリタケ、ヤマダマ、キツネノヘダマ、テングノヘダマ、ボウレイシがある。
なおこの他に右に漏れた方言がいずれかの国にあろうと思う。もしかあったら何卒御知らせを願いたい。
オニフスベの漢名は馬(バボ)勃(ツ)である。よく牛(ギュ)溲(ウソウ)、馬勃、敗鼓の皮といわれ、こんなものでも薬になるかと評せられたものだ。これはまだよい方だが、中国では病人の衣、敗れ傘の骨、首縊りの縄、死人の寝床、厠のチウ木、小便桶(タゴ)の古板、頭の雲(フ)脂(ケ)、耳糞、歯(ハク)屎(ソ)、唾液、人糞、小便、月経、陰毛、精液なども薬になると書かれているが、それでもさすが夢は薬になるとは書いてない。
オニフスベはキツネノチャブクロ科で、その学名は今日では Lasiosphaera nipponica Kobayashi となっているが、もとの学名は Calvatia nipponica Kawamura であって、これを日本の特産菌と認め初めてその新学名を作り発表したのは川(かわ)村(むら)清(せい)一(いち)博士であった。
キツネノヘダマすなわちオニフスベ
Lasiosphaera nipponica Kobayashi︵=Calvatia nipponica Kawamura︶