﹃春と修羅﹄
宮沢賢治
.
心象スケツチ
春と修羅
大正十一、二年
序
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
︵あらゆる透明な幽霊の複合体︶
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
︵ひかりはたもち その電燈は失はれ︶
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
︵すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの︶
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
︵すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから︶
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
︵あるいは修羅の十億年︶
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論デー料タといつしよに
︵因果の時空的制約のもとに︶
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日宮沢賢治
春と修羅
屈折率
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜あえ鉛んの雲へ
陰気な郵便脚きや夫くふのやうに
︵またアラツデイン 洋ラム燈プとり︶
急がなければならないのか
︵一九二二、一、六︶
くらかけの雪
たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり黝くすんだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵かう母ぼのふうの
朧おぼろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
︵ひとつの古こふ風うな信仰です︶
︵一九二二、一、六︶
日輪と太市
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面めんを
どんどん侵してかけてゐる
吹フ雪キも光りだしたので
太市は毛けつ布との赤いズボンをはいた
︵一九二二、一、九︶
丘の眩惑
ひとかけづつきれいにひかりながら
そらから雪はしづんでくる
電でんしんばしらの影の藍インや
ぎらぎらの丘の照りかへし
あすこの農夫の合かつ羽ぱのはじが
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年代だいの
佐野喜の木版に相当する
野はらのはてはシベリヤの天末まつ
土耳古玉ぎよ製くせ玲いれ瓏いろうのつぎ目も光り
︵お日さまは
そらの遠くで白い火を
どしどしお焚きなさいます︶
笹の雪が
燃え落ちる 燃え落ちる
︵一九二二、一、一二︶
カーバイト倉庫
まちなみのなつかしい灯とおもつて
いそいでわたくしは雪と蛇サー紋ベン岩タインとの
山さん峡けふをでてきましたのに
これはカーバイト倉庫の軒
すきとほつてつめたい電燈です
︵薄はく明めいどきのみぞれにぬれたのだから
巻烟草に一本火をつけるがいい︶
これらなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのでなく
またさびしいためからだけでもない
︵一九二二、一、一二︶
コバルト山地
コバルト山さん地ちの氷ひよ霧うむのなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛けな無しの森もりのきり跡あたりの見けん当たうです
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えてゐます
︵一九二二、一、二二︶
ぬすびと
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱らん反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
︵一九二二、三、二︶
恋と病熱
けふはぼくのたましひは疾み
烏からすさへ正視ができない
あいつはちやうどいまごろから
つめたい青ブロ銅ンヅの病室で
透明薔ば薇らの火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
︵一九二二、三、二〇︶
春と修羅
︵mental sketch modified︶
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂てん曲ごく模様
︵正午の管くわ楽んがくよりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき︶
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
︵風景はなみだにゆすれ︶
砕ける雲の眼め路ぢをかぎり
れいろうの天の海には
聖せい玻は璃りの風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光エー素テルを吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
︵かげろふの波と白い偏光︶
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
︵玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥︶
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
︵気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ︶
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
︵かなしみは青々ふかく︶
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
︵まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる︶
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
︵このからだそらのみぢんにちらばれ︶
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
︽一九二二、四、八︾
春光呪咀
いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
春は草穂に呆ぼうけ
うつくしさは消えるぞ
︵ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ︶
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
︵おおこのにがさ青さつめたさ︶
︵一九二二、四、一〇︶
有明
起伏の雪は
あかるい桃の漿しるをそそがれ
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天に咽の喉どを鳴らし
もいちど散乱のひかりを呑む
︵波ハラ羅サム僧ギヤ羯テ諦イ 菩ボー提ジユ 薩ソ婆ハ訶カ︶
︵一九二二、四、一三︶
谷
ひかりの澱
三角ばたけのうしろ
かれ草層の上で
わたくしの見ましたのは
顔いつぱいに赤い点うち
硝子様やう鋼青のことばをつかつて
しきりに歪み合ひながら
何か相談をやつてゐた
三人の妖女たちです
︵一九二二、四、二〇︶
陽ざしとかれくさ
どこからかチーゼルが刺し
光くわうパラフヰンの 蒼いもや
わをかく わを描く からす
烏の軋り……からす器械……
︵これはかはりますか︶
︵かはります︶
︵これはかはりますか︶
︵かはります︶
︵これはどうですか︶
︵かはりません︶
︵そんなら おい ここに
雲の棘をもつて来い はやく︶
︵いゝえ かはります かはります︶
………………………刺し
光パラフヰンの蒼いもや
わをかく わを描く からす
からすの軋り……からす機関
︵一九二二、四、二三︶
雲の信号
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩がん頸けいだつて岩がん鐘しようだつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲かかげられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
︵一九二二、五、一〇︶
風景
雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
さつきはすなつちに廐きう肥ひをまぶし
︵いま青ガラスの模型の底になつてゐる︶
ひばりのダムダム弾だんがいきなりそらに飛びだせば
風は青い喪神をふき
黄金の草 ゆするゆする
雲はたよりないカルボン酸
さくらが日に光るのはゐなか風ふうだ
︵一九二二、五、一二︶
習作
キンキン光る
西すぱ班に尼あ製です
︵つめくさ つめくさ︶
こんな舶来の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で唄つてもいい
と ┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ┃ ふくふくしてあたたかだ
よ ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
と ┃ 秋には熟したいちごにもなり
す ┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ ┃ 立ちどまりたいが立ちどまらない
ば ┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ ┃ みきは黒くて黒こく檀たんまがひ
の ┃ ︵あたまの奥のキンキン光つて痛いもや︶
手 ┃ このやぶはずゐぶんよく据ゑつけられてゐると
か ┃ かんがへたのはすぐこの上だ
ら ┃ じつさい岩のやうに
こ ┃ 船のやうに
と ┃ 据ゑつけられてゐたのだから
り ┃ ……仕方ない
は ┃ ほうこの麦の間に何を播いたんだ
そ ┃ すぎなだ
ら ┃ すぎなを麦の間作ですか
へ ┃ 柘つ植げさんが
と ┃ ひやかしに云つてゐるやうな
ん ┃ そんな口くて調うがちやんとひとり
で ┃ 私の中に棲んでゐる
行 ┃ 和わ賀がの混こんだ松並木のときだつて
く ┃ さうだ
︵一九二二、五、一四︶
休息
そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
︵上等の bバuツtタtカeツrプ-cup ですが
牛バタ酪ーよりは硫黄と蜜とです︶
下にはつめくさや芹がある
ぶりき細工のとんぼが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
︵よしきりはなく なく
それにぐみの木だつてあるのだ︶
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
このかれくさはやはらかだ
もう極上のクツシヨンだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨きな網の目になつた
それが底びかりする鉱物板だ
よしきりはひつきりなしにやり
ひでりはパチパチ降つてくる
︵一九二二、五、一四︶
おきなぐさ
風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠くわ毛んもうの質しつ直ぢき
松とくるみは宙に立ち
︵どこのくるみの木にも
いまみな金きんのあかごがぶらさがる︶
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光くわ酸うさんの雲
︵一九二二、五、一七︶
かはばた
かはばたで鳥もゐないし
︵われわれのしよふ燕オー麦トの種た子ねは︶
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
︵一九二二、五、一七︶
真空溶媒
真空溶媒
︵Eine Phantasie im Morgen︶
融銅はまだ眩くらめかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたり陰かげつたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれてゐる
おれは新らしくてパリパリの
銀いて杏ふなみきをくぐつてゆく
その一本の水平なえだに
りつぱな硝子のわかものが
もうたいてい三角にかはつて
そらをすきとほしてぶらさがつてゐる
けれどもこれはもちろん
そんなにふしぎなことでもない
おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ
いてふの葉ならみんな青い
冴えかへつてふるへてゐる
いまやそこらは alcohol 瓶のなかのけしき
白い輝きう雲んのあちこちが切れて
あの永久の海かい蒼さうがのぞきでてゐる
それから新鮮なそらの海なま鼠この匂
ところがおれはあんまりステツキをふりすぎた
こんなににはかに木がなくなつて
眩ゆい芝しば生ふがいつぱいいつぱいにひらけるのは
さうとも 銀いて杏ふな並み樹きなら
もう二哩もうしろになり
野の緑ろく青しやうの縞のなかで
あさの練兵をやつてゐる
うらうら湧きあがる昧まい爽さうのよろこび
氷ひばりも啼いてゐる
そのすきとほつたきれいななみは
そらのぜんたいにさへ
かなりの影えいきやうをあたへるのだ
すなはち雲がだんだんあをい虚空に融けて
たうとういまは
ころころまるめられたパラフヰンの団だん子ごになつて
ぽつかりぽつかりしづかにうかぶ
地平線はしきりにゆすれ
むかふを鼻のあかい灰いろの紳士が
うまぐらゐあるまつ白な犬をつれて
あるいてゐることはじつに明らかだ
︵やあ こんにちは︶
︵いや いゝおてんきですな︶
︵どちらへ ごさんぽですか
なるほど ふんふん ときにさくじつ
ゾンネンタールが没なくなつたさうですが
おききでしたか︶
︵いゝえ ちつとも
ゾンネンタールと はてな︶
︵りんごが中あたつたのださうです︶
︵りんご ああ なるほど
それはあすこにみえるりんごでせう︶
はるかに湛たたへる花紺青の地面から
その金いろの苹りん果ごの樹が
もくりもくりと延びだしてゐる
︵金皮のまゝたべたのです︶
︵そいつはおきのどくでした
はやく王水をのませたらよかつたでせう︶
︵王水 口をわつてですか
ふんふん なるほど︶
︵いや王水はいけません
やつぱりいけません
死ぬよりしかたなかつたでせう
うんめいですな
せつりですな
あなたとはご親類ででもいらつしやいますか︶
︵えゝえゝ もうごくごく遠いしんるゐで︶
いつたいなにをふざけてゐるのだ
みろ その馬ぐらゐあつた白犬が
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
いまではやつと南なん京きん鼠ねずみのくらゐにしか見えない
︵あ わたくしの犬がにげました︶
︵追ひかけてもだめでせう︶
︵いや あれは高た価かいのです
おさへなくてはなりません
さよなら︶
苹りん果ごの樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗りん木ぼくのしたの
ただいつぴきの蟻でしかない
犬も紳士もよくはしつたもんだ
東のそらが苹りん果ごば林やしのあしなみに
いつぱい琥珀をはつてゐる
そこからかすかな苦くへ扁んた桃うの匂がくる
すつかり荒すさんだひるまになつた
どうだこの天頂ちやうの遠いこと
このものすごいそらのふち
愉快な雲ひば雀りもとうに吸ひこまれてしまつた
かあいさうにその無むき窮ゆう遠ゑんの
つめたい板の間まにへたばつて
瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない
もう冗談ではなくなつた
画かきどものすさまじい幽霊が
すばやくそこらをはせぬけるし
雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
それからけはしいひかりのゆきき
くさはみな褐藻類にかはられた
こここそわびしい雲の焼け野原
風のヂグザグや黄いろの渦
そらがせはしくひるがへる
なんといふとげとげしたさびしさだ
︵どうなさいました 牧師さん︶
あんまりせいが高すぎるよ
︵ご病気ですか
たいへんお顔いろがわるいやうです︶
︵いやありがたう
べつだんどうもありません
あなたはどなたですか︶
︵わたくしは保安掛りです︶
いやに四かくな背はい嚢だ
そのなかに苦くみ味ち丁ん幾きや硼はう酸さんや
いろいろはひつてゐるんだな
︵さうですか
今日なんかおつとめも大へんでせう︶
︵ありがたう
いま途中で行き倒だふれがありましてな︶
︵どんなひとですか︶
︵りつぱな紳士です︶
︵はなのあかいひとでせう︶
︵さうです︶
︵犬はつかまつてゐましたか︶
︵臨りん終じゆうにさういつてゐましたがね
犬はもう十五哩もむかふでせう
じつにいゝ犬でした︶
︵ではあのひとはもう死にましたか︶
︵いゝえ露がおりればなほります
まあちよつと黄いろな時間だけの仮か死しですな
ううひどい風だ まゐつちまふ︶
まつたくひどいかぜだ
たふれてしまひさうだ
沙漠でくされた駝だて鳥うの卵
たしかに硫化水素ははひつてゐるし
ほかに無水亜硫酸
つまりこれはそらからの瓦斯の気流に二つある
しようとつして渦になつて硫黄華くわができる
気流に二つあつて硫黄華ができる
気流に二つあつて硫黄華ができる
︵しつかりなさい しつかり
もしもし しつかりなさい
たうとう参つてしまつたな
たしかにまゐつた
そんならひとつお時計をちやうだいしますかな︶
おれのかくしに手を入れるのは
なにがいつたい保安掛りだ
必要がない どなつてやらうか
どなつてやらうか
どなつてやらうか
どなつ……
水が落ちてゐる
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
悪い瓦斯はみんな溶けろ
︵しつかりなさい しつかり
もう大丈夫です︶
何が大丈夫だ おれははね起きる
︵だまれ きさま
黄いろな時間の追剥め
飄然たるテナルデイ軍曹だ
きさま
あんまりひとをばかにするな
保安掛りとはなんだ きさま︶
いゝ気味だ ひどくしよげてしまつた
ちゞまつてしまつたちひさくなつてしまつた
ひからびてしまつた
四角な背嚢ばかりのこり
たゞ一かけの泥でい炭たんになつた
ざまを見ろじつに醜みにくい泥炭なのだぞ
背嚢なんかなにを入れてあるのだ
保安掛り じつにかあいさうです
カムチヤツカの蟹の缶詰と
陸をか稲ぼの種子がひとふくろ
ぬれた大きな靴が片つ方
それと赤鼻紳士の金鎖
どうでもいゝ 実にいゝ空気だ
ほんたうに液体のやうな空気だ
︵ウーイ 神はほめられよ
みちからのたたふべきかな
ウーイ いゝ空気だ︶
そらの澄ちよう明 すべてのごみはみな洗はれて
ひかりはすこしもとまらない
だからあんなにまつくらだ
太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
おれは数しれぬほしのまたたきを見る
ことにもしろいマヂエラン星雲
草はみな葉緑素を恢復し
葡萄糖を含む月げつ光くわ液うえきは
もうよろこびの脈さへうつ
泥炭がなにかぶつぶつ言つてゐる
︵もしもし 牧師さん
あの馳せ出した雲をごらんなさい
まるで天の競馬のサラアブレツドです︶
︵うん きれいだな
雲だ 競馬だ
天のサラアブレツドだ 雲だ︶
あらゆる変幻の色彩を示し
……もうおそい ほめるひまなどない
虹彩はあはく変化はゆるやか
いまは一むらの軽い湯ゆ気げになり
零下二千度の真しん空くう溶よう媒ばいのなかに
すつととられて消えてしまふ
それどこでない おれのステツキは
いつたいどこへ行つたのだ
上着もいつかなくなつてゐる
チヨツキはたつたいま消えて行つた
恐るべくかなしむべき真空溶媒は
こんどはおれに働きだした
まるで熊の胃袋のなかだ
それでもどうせ質量不変の定律だから
べつにどうにもなつてゐない
といつたところでおれといふ
この明らかな牧師の意識から
ぐんぐんものが消えて行くとは情ない
︵いやあ 奇遇ですな︶
︵おお 赤鼻紳士
たうとう犬がおつかまりでしたな︶
︵ありがたう しかるに
あなたは一体どうなすつたのです︶
︵上着をなくして大へん寒いのです︶
︵なるほど はてな
あなたの上着はそれでせう︶
︵どれですか︶
︵あなたが着ておいでになるその上着︶
︵なるほど ははあ
真空のちよつとした奇ツリ術ツクですな︶
︵えゝ さうですとも
ところがどうもをかしい
それはわたしの金鎖ですがね︶
︵えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です︶
︵ははあ 泥炭のちよつとした奇ツリ術ツクですな︶
︵さうですとも
犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか︶
︵なあにいつものことです︶
︵大きなもんですな︶
︵これは北極犬です︶
︵馬の代りには使へないんですか︶
︵使へますとも どうです
お召しなさいませんか︶
︵どうもありがたう
そんなら拝借しますかな︶
︵さあどうぞ︶
おれはたしかに
その北極犬のせなかにまたがり
犬神のやうに東へ歩き出す
まばゆい緑のしばくさだ
おれたちの影は青い沙漠旅りよ行かう
そしてそこはさつきの銀いて杏ふの並樹
こんな華奢な水平な枝に
硝子のりつぱなわかものが
すつかり三角になつてぶらさがる
︽一九二二、五、一八︾
蠕虫舞手
︵えゝ 水ゾルですよ
おぼろな寒アガ天アの液ですよ︶
日は黄き金んの薔薇
赤いちひさな蠕ぜん虫ちゆうが
水とひかりをからだにまとひ
ひとりでをどりをやつてゐる
︵えゝ 8エイト γガムマア eイー 6スイツクス αアルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
羽むしの死骸
いちゐのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
︵ナチラナトラのひいさまは
いまみづ底のみかげのうへに
黄いろなかげとおふたりで
せつかくをどつてゐられます
いゝえ けれども すぐでせう
まもなく浮いておいででせう︶
赤い蠕アン虫ネリ舞ダタ手ンツエーリンは
とがつた二つの耳をもち
燐光珊瑚の環節に
正しく飾る真珠のぼたん
くるりくるりと廻つてゐます
︵えゝ 8エイト γガムマア eイー 6スイツクス αアルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
背中きらきら燦かがやいて
ちからいつぱいまはりはするが
真珠もじつはまがひもの
ガラスどころか空気だま
︵いゝえ それでも
エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
水晶体や鞏きよ膜うまくの
オペラグラスにのぞかれて
をどつてゐるといはれても
真珠の泡を苦にするのなら
おまへもさつぱりらくぢやない
それに日が雲に入つたし
わたしは石に座つてしびれが切れたし
水底の黒い木片は毛虫か海なま鼠このやうだしさ
それに第一おまへのかたちは見えないし
ほんとに溶けてしまつたのやら
それともみんなはじめから
おぼろに青い夢だやら
︵いゝえ あすこにおいでです おいでです
ひいさま いらつしやいます
8エイト γガムマア eイー 6スイツクス αアルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
ふん 水はおぼろで
ひかりは惑ひ
虫は エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
ことにもアラベスクの飾り文字かい
ハツハツハ
︵はい まつたくそれにちがひません
エイト ガムマア イー スイツクス アルフア
ことにもアラベスクの飾り文字︶
︵一九二二、五、二〇︶
小岩井農場
小岩井農場
パート一
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖にたひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりおとなしい農学士だ
さつき盛岡のていしやばでも
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭ぎよ者しやがひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光つ沢や消けしだ
馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気きが軽るなふうで
馬車にのぼつてこしかける
︵わづかの光の交かう錯さくだ︶
その陽ひのあたつたせなかが
すこし屈んでしんとしてゐる
わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといへばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
野はらは黒ぶだう酒しゆのコツプもならべて
わたくしを款待するだらう
そこでゆつくりとどまるために
本部まででも乗つた方がいい
今日ならわたくしだつて
馬車に乗れないわけではない
︵あいまいな思惟の蛍けい光くわう
きつといつでもかうなのだ︶
もう馬車がうごいてゐる
︵これがじつにいゝことだ
どうしようか考へてゐるひまに
それが過ぎて滅なくなるといふこと︶
ひらつとわたくしを通り越す
みちはまつ黒の腐植土で
雨あまあがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端はじは向ふの青い光に尖り
いかにもきさくに馳けて行く
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場ばと
新開地風の飲いん食しよ店くてん
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらぢや sun-maid のから函や
夏みかんのあかるいにほひ
汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
みんな丘かげの茶褐部落や
繋つなぎあたりへ往くらしい
西にまがつて見えなくなつた
いまわたくしは歩測のときのやう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附づけた
そしてこここそ畑になつてゐる
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁プラウをひいて往つたりきたりする
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩わか葉ばがさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
︵ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
ハンスがうぐひすでないよと云つた︶
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき
ひとはふたりで赤い
雲に濾こされた日光のために
いよいよあかく灼やけてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展ひらけてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹じゆ液えきがながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万ばん法ぼふ流るて転んのなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継けい起きするといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯かれ草くさ
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える
パート二
たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいぢやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちやうどまがり目で
すがれの草穂ぼもゆれてゐる
︵山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
かけて行く馬車はくろくてりつぱだ︶
ひばり ひばり
銀の微みぢ塵んのちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやる Brownian movement
おまけにあいつの翅はねときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二ふた重へにもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮ブ標イをなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀そし嚼やくするといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心ここ細ろぼそさうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちやうどそれだけ大たいへんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる
パート三
もう入口だ︹小岩井農場︺
︵いつものとほりだ︶
混こんだ野ばらやあけびのやぶ
︹もの売りきのことりお断り申し候︺
︵いつものとほりだ ぢき医院もある︶
︹禁猟区︺ ふん いつものとほりだ
小さな沢と青い木こだち
沢では水が暗くそして鈍にぶつてゐる
また鉄ゼルの fluorescence
向ふの畑はたけには白樺もある
白樺は好かう摩まからむかふですと
いつかおれは羽田県属に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
︵禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく︶
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
︵ぎゆつく ぎゆつく︶
三またの槍の穂 弧をつくる
青びかり青びかり赤は楊んの木立
のぼせるくらゐだこの鳥の声
︵その音がぼつとひくくなる
うしろになつてしまつたのだ
あるいはちゆういのりずむのため
両方ともだ とりのこゑ︶
木立がいつか並樹になつた
この設計は飾かざ絵りゑ式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
生なまな松の丸太がいつぱいにつまれ
陽ひがいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸じよ気うき圧あつ
一台だけがあるいてゐる
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黒い腐植質と
石せき竹ちくいろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ
この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
︵おい ヘングスト しつかりしろよ
三日月みたいな眼つきをして
おまけになみだがいつぱいで
陰気にあたまを下げてゐられると
おれはまつたくたまらないのだ
威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ︶
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……
……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風ふう……︵蜂函の白ペンキ︶
桜の木には天てん狗ぐす巣びや病うがたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
︵騎手はわらひ︶赤しや銅くどうの人じん馬ばの徽章だ
パート四
本部の気き取どつた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
さつきの光つ沢や消けしの立派な馬車は
いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
五月の黒いオーヴアコートも
どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
︵から松はとびいろのすてきな脚です
向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ︶
葱いろの春の水に
楊ベのム花ベ芽ロももうぼやける……
はたけは茶いろに掘りおこされ
廐肥も四角につみあげてある
並樹ざくらの天狗巣には
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
遠くの縮れた雲にかかるのでは
みづみづした鶯いろの弱いのもある……
あんまりひばりが啼きすぎる
︵育馬部と本部とのあひだでさへ
ひばりやなんか一ダースできかない︶
そのキルギス式の逞ましい耕地の線が
ぐらぐらの雲にうかぶこちら
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
︵白樺だらう 楊ではない︶
耕耘部へはここから行くのがちかい
ふゆのあひだだつて雪がかたまり
馬ばそ橇りも通つていつたほどだ
︵ゆきがかたくはなかつたやうだ
なぜならそりはゆきをあげた
たしかに酵母のちんでんを
冴えた気流に吹きあげた︶
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
︵四列の茶いろな落らく葉えふ松しよう︶
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
︵もつともそれなら暖だん炉ろもまつ赤かだらうし
muscovite も少しそつぽに灼やけるだらうし
おれたちには見られないぜい沢たくだ︶
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白はく金きんと白はく金きん黒こく
そのまばゆい明めい暗あんのなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
︵雲の讃さん歌かと日の軋きしり︶
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜あえ鉛んめ鍍つ金きの雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
︵山鳥ですか? 山で? 夏に?︶
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴾ときいろの花をつけてゐる
︵空でひとむらの海プラ綿チナ白ムス金ポンヂがちぎれる︶
それらかゞやく氷片の懸けん吊てうをふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚たき
さびしい反はん照せうの偏へん光くわうを截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏じゆ羅らや白堊のまつくらな森林のなか
爬はち虫ゆうがけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽ひの錯さく綜そう
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔やう珞らくもゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑ろく金きん寂じや静くじやうのほのほをたもち
これらはあるいは天の鼓こし手ゆ 緊きん那な羅らのこどもら
︵五本の透明なさくらの木は
青々とかげろふをあげる︶
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
︵コロナは八十三万二百……︶
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
︵コロナは八十三万四百……︶
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
︵コロナは七十七万五千……︶
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
︵ぜんたい笛といふものは
きまぐれなひよろひよろの酋長だ︶
みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい
パート五
パート六
パート七
とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
つくづくとそらのくもを見あげ
こんどはゆつくりあるきだす
︵まるで行きつかれたたび人だ︶
汽車の時間をたづねてみよう
こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
もうせんごけも生えてゐる
︵そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
どこかのがまの生えた沼地を
ネー将軍麾き下の騎兵の馬が
泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
すぱすぱ渉つて進軍もした︶
雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる
またあるきだす︵縮れてぎらぎらの雲︶
トツパースの雨の高みから
けらを着た女の子がふたりくる
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
︵Miss Robin︶働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
︵青い草穂は去年のだ︶
あんなにぐらぐらゆれるのだ
さはやかだし顔も見えるから
ここからはなしかけていゝ
シヤツポをとれ︵黒い羅紗もぬれ︶
このひとはもう五十ぐらゐだ
︵ちよつとお訊ぎぎ申しあんす
盛岡行ぎ汽車なん時だべす︶
︵三時だたべが︶
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲き母ら摺ずりの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕オー麦トなのだ
︵燕オー麦ト播まぎすか︶
︵あんいま向もごでやつてら︶
この爺ぢいさんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐こや肥しぐ車るまと
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼さう鉛えんの労働なのか
︵こやし入れだのすか
堆たい肥ひど過くわ燐りん酸さんどすか︶
︵あんさうす︶
︵ずゐぶん気持のいゝ処どごだもな︶
︵ふう︶
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
それはふたつのくるまのよこ
はたけのをはりの天スカ末イラ線イン
ぐらぐらの空のこつち側を
すこし猫ねこ背ぜでせいの高い
くろい外套の男が
雨雲に銃を構へて立つてゐる
あの男がどこか気がへんで
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
あるいは Miss Robin たちのことか
それとも両方いつしよなのか
どつちも心配しないでくれ
わたしはどつちもこはくない
やつてるやつてるそらで鳥が
︵あの鳥何て云ふす 此処らで︶
︵ぶどしぎ︶
︵ぶどしぎて云ふのか︶
︵あん 曇るづどよぐ出はら︶
から松の芽の緑クリ玉ソプ髄レース
かけて行く雲のこつちの射しや手しゆは
またもつたいらしく銃を構へる
︵三時の次あ何時だべす︶
︵五時だべが ゆぐ知らない︶
過燐酸石灰のヅツク袋
水すゐ溶よう十九と書いてある
学校のは十五%だ
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
少しばかり青いつめくさの交つた
かれくさと雨の雫との上に
菩ま薩だ樹皮の厚いけらをかぶつて
さつきの娘たちがねむつてゐる
爺ぢいさんはもう向ふへ行き
射手は肩を怒らして銃を構へる
︵ぼとしぎのつめたい発動機は……︶
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
いつたいなにを射たうといふのだ
爺さんの行つた方から
わかい農夫がやつてくる
かほが赤くて新鮮にふとり
セシルローズ型の円い肩をかゞめ
燐酸のあき袋をあつめてくる
二つはちやんと肩に着てゐる
︵降つてげだごとなさ︶
︵なあにすぐ霽れらんす︶
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたくしもついて行かう
これらのからまつの小さな芽をあつめ
わたくしの童話をかざりたい
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
︵うな いいをなごだもな︶
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
このひとは案外にわかいのだ
すきとほつて火が燃えてゐる
青い炭素のけむりも立つ
わたくしもすこしあたりたい
︵おらも中あだつでもいがべが︶
︵いてす さあおあだりやんせ︶
︵汽車三時すか︶
︵三時四十分
まだ一時にもならないも︶
火は雨でかへつて燃える
自フラ由イシ射ユツ手ツは銀のそら
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
すつかりぬれた 寒い がたがたする
パート九
すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽へう悍かんな四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外そとで
つめたい雨がそそいでゐる
︵天の微光にさだめなく
うかべる石をわがふめば
おゝユリア しづくはいとど降りまさり
カシオペーアはめぐり行く︶
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外それた
あのから松の列のとこから横へ外れた
︽幻想が向ふから迫つてくるときは
もうにんげんの壊れるときだ︾
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
︽あんまりひどい幻想だ︾
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
︵ひばりが居るやうな居ないやうな
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降つてゐる︶
さうです 農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punkt と
呼びたいやうな気がします
この冬だつて耕耘部まで用事で来て
こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで
なにとはなしに聖いこころもちがして
凍えさうになりながらいつまでもいつまでも
いつたり来たりしてゐました
さつきもさうです
どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は
︽そんなことでだまされてはいけない
ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる
それにだいいちさつきからの考へやうが
まるで銅版のやうなのに気がつかないか︾
雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです
あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも
その貝殻のやうに白くひかり
底の平らな巨きなすあしにふむのでせう
もう決定した そつちへ行くな
これらはみんなただしくない
いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
発散して酸えたひかりの澱だ
ちひさな自分を劃ることのできない
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない
さあはつきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理学の法則にしたがふ
これら実在の現象のなかから
あたらしくまつすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる
︵一九二二、五、二一︶
グランド電柱
林と思想
そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
蕈きのこのかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
こゝいらはふきの花でいつぱいだ
︵一九二二、六、四︶
霧とマツチ
︵まちはづれのひのきと青いポプラ︶
霧のなかからにはかにあかく燃えたのは
しゆつと擦られたマツチだけれども
ずゐぶん拡大されてゐる
スヰヂツシ安全マツチだけれども
よほど酸素が多いのだ
︵明方の霧のなかの電燈は
まめいろで匂もいゝし
小学校長をたかぶつて散歩することは
まことにつつましく見える︶
︵一九二二、六、四︶
芝生
風とひのきのひるすぎに
小田中はのびあがり
あらんかぎり手をのばし
灰いろのゴムのまり 光の標本を
受けかねてぽろつとおとす
︵一九二二、六、七︶
青い槍の葉
︵mental sketch modified︶
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲は来るくる南の地平
そらのエレキを寄せてくる
鳥はなく啼く青木のほずゑ
くもにやなぎのくわくこどり
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲がちぎれて日ざしが降れば
黄キ金ンの幻げん燈とう 草くさの青
気圏日本のひるまの底の
泥にならべるくさの列
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲はくるくる日は銀の盤
エレキづくりのかはやなぎ
風が通ればさえ冴ざえ鳴らし
馬もはねれば黒びかり
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲がきれたかまた日がそそぐ
土のスープと草の列
黒くをどりはひるまの燈とう籠ろ
泥のコロイドその底に
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
りんと立て立て青い槍の葉
たれを刺さうの槍ぢやなし
ひかりの底でいちにち日がな
泥にならべるくさの列
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
雲がちぎれてまた夜があけて
そらは黄シト水リ晶ンひでりあめ
風に霧ふくぶりきのやなぎ
くもにしらしらそのやなぎ
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
りんと立て立て青い槍の葉
そらはエレキのしろい網
かげとひかりの六月の底
気圏日本の青野原
︵ゆれるゆれるやなぎはゆれる︶
︽一九二二、六、一二︾
報告
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張つて居ります
︵一九二二、六、一五︶
.
風景観察官
あの林は
あんまり緑ろく青しやうを盛もり過ぎたのだ
それでも自然ならしかたないが
また多少プウルキインの現象にもよるやうだが
も少しそらから橙たう黄わう線せんを送つてもらふやうにしたら
どうだらう
ああ何といふいい精神だ
株式取引所や議事堂でばかり
フロツクコートは着られるものでない
むしろこんな黄シト水リ晶ンの夕方に
まつ青さをな稲の槍の間で
ホルスタインの群ぐんを指導するとき
よく適合し効果もある
何といふいい精神だらう
たとへそれが羊やう羹かんいろでぼろぼろで
あるいはすこし暑くもあらうが
あんなまじめな直立や
風景のなかの敬虔な人間を
わたくしはいままで見たことがない
︵一九二二、六、二五︶
岩手山
そらの散さん乱らん反はん射しやのなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微みぢ塵んけ系いれ列つの底に
きたなくしろく澱よどむもの
︵一九二二、六、二七︶
高原
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪かみ毛け 風吹けば
鹿しし踊りだぢやい
︵一九二二、六、二七︶
印象
ラリツクスの青いのは
木の新鮮と神経の性質と両方からくる
そのとき展望車の藍いろの紳士は
X型のかけがねのついた帯革をしめ
すきとほつてまつすぐにたち
病気のやうな顔をして
ひかりの山を見てゐたのだ
︵一九二二、六、二七︶
高級の霧
こいつはもう
あんまり明るい高ハイ級グレードの霧です
白樺も芽をふき
からすむぎも
農舎の屋根も
馬もなにもかも
光りすぎてまぶしくて
︵よくおわかりのことでせうが
日ひ射ざしのなかの青と金
落ラリ葉ツク松スは
たしかとどまつに似て居ります︶
まぶし過ぎて
空気さへすこし痛いくらゐです
︵一九二二、六、二七︶
電車
トンネルへはひるのでつけた電燈ぢやないのです
車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
こんな豆ばたけの風のなかで
なあに 山火事でござんせう
なあに 山火事でござんせう
あんまり大きござんすから
はてな 向ふの光るあれは雲ですな
木きつてゐますな
いゝえ やつぱり山火事でござんせう
おい きさま
日本の萱の野原をゆくビクトルカランザの配下
帽子が風にとられるぞ
こんどは青い稗ひえを行く貧弱カランザの末輩
きさまの馬はもう汗でぬれてゐる
︵一九二二、八、一七︶
天然誘接
北ほく斎さいのはんのきの下で
黄の風車まはるまはる
いつぽんすぎは天てん然ねん誘よび接つぎではありません
槻つきと杉とがいつしよに生えてい<