とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。 思へば小学校の頃からだ。 例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、 唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。 格別、先生の口唇が、鼻腔が可を笑かしいといふのぢやない、 起立して、先生の後あとから歌ふ生徒等が可笑しいといふのでもない、 それどころか、俺は大体、此の世に笑ふべきものがあらうとは思つちやゐなかつた。 それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない。 すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。 俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。 俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。 別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、 それにしてもだ、先生がカン〳〵になつてたことは事実だし、 先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬらしいことも事実だし、 俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。 俺は廊下に立たされて、何がなし、﹁運命だ﹂と思ふのだつた。 大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。 夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。 やがて俺は人生が、すつかり自然と遊離してゐるやうに感じだす。 すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。 格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、 理想派でも虚無派でもあるわけではない。 孤高を以て任ずるなどといふのぢや尚更ない。 しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。 どうして笑はざゐられぬか、実以て俺自身にも分らない。 しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。 ︵一九三七・七・一二︶