それはたいそう大きな蝙蝠傘でした。
幹みき子こは、この頃ごろ田いな舎かの方から新しくこちらの学校へ入ってきた新入生でした。髪の形も着物も、東京の少女に較くらべると、かなり田舎染みて見えました。けれど、幹子はそんな事を少しも気にかけないで、学科の勉強とか運動とか、つまり、少女のすべきことだけをやってのけると言った質たちの少女でした。たとえば青い空に葉をさしのべ、太陽の方へ向いてぐんぐん育ってゆく若木のようにのんびりした少女でした。
それにしても、幹子が毎日学校へ持ってくる蝙蝠傘は非常に大きなもので、忽たちまち学校中の評判になりました。
どこの級にも、頓とん智ちがあってたいへん口が軽く、気の利いたことを言っては皆を笑わせることの好きな愚おろかな生徒が一人や二人はあるものです。幹子の級にも、時とき子こと朝あさ子こという口のわるい生徒がありました。
ある日、幹みき子こは学校へゆく途中で、この口のわるい連中に出会いました。むろんこの時、幹子は例の蝙こう蝠もり傘がさを持っていたので、忽たちまちそれが冷笑の的になりました。
﹁あら何ど処この紳士かと思ったら、幹子さんだったわ、幹子さんお早う﹂
時とき子こが言った。なるほど幹子の蝙蝠傘は、黒い毛けじ繻ゅす子ば張りで柄の太い大きなものだから、どう見ても、祖おじ父いさ様んの古いのをさしたとしか見えませんでした。事実またそうであったかもしれません。この場合﹁何処の紳士かと思ったら﹂というのは、ほんとに適評だったので、皆はどっと笑いくずれました。
幹子も一緒になって笑いながら﹁お早う﹂と挨あい拶さつして、つまらないお友達にかまってはいられないと言ったように、さっさとそこを通りぬけて、まっすぐに学校の方へ歩いた。
﹁あのくらい蝙蝠傘が大きかったら日にやけないで好いいわね﹂
﹁ええ、だから幹子さんは、お色が白いわよ﹂
そう言って冷笑しているのも幹子の耳へ這は入いった。けれど幹子は何を言われても平気でいた。
﹁でも幹子さんの田いな舎かじゃあれでたいへんハイカラなのかも知れないわ﹂
﹁そうね。私はこう思うの、幹子さんのお父様はきっと薬屋さんに違いないわ。だから幹子さんをいまに薬くす売りうりにするんだわ。ほら、よく薬売があんな大きな蝙蝠傘をさして来るでしょう。﹁本家、讃さぬ岐きは高たか松まつ千せん金きん丹たん……つて歌って来るじゃないの﹂そう言って時子は、面白く節をつけて歌って見せた。
﹁そうよ、そうよ﹂
﹁きっとそうだわ﹂
と口口に言うのでした。
この時、幹子は静かに気にもかけないような風で振返りながら、
﹁私が薬屋になったら、好よい薬を売ってあげますから、安心していらっしゃいな﹂
幹子は、笑いながらそう言って、すたすたと行ってしまった。
そう言われると、口のわるい連中も、さすがに何も言えないで黙っていた。
それから四五日してから学校の授業中、俄にわかに雨が降りだして、授業の終る頃ころには流れるように降ってきた。
今こそ、この冷笑の種になった大きな蝙蝠傘が役にたつ時が来た。
幹子は、時子や朝あさ子こが、小さな美しい蝙蝠傘を持てあましているのを見かねて、
﹁皆様この中へ這入っていらっしゃいな、大きいからみんな這入れてよ﹂
三人は仲よく、大きなハイカラな蝙蝠傘のお蔭かげで、少しも雨にぬれないで家うちへ帰ることが出来たのでした。