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禁酒できない >
2009-04-18
■
山口
登(二代目
山口組
組長)
山
口
登
︵
や
ま
ぐ
ち
の
ぼ
る
︶
。
明
治
35
年
︵
1
9
0
2
年
︶
、
兵
庫
県
神
戸
市
兵
庫
区
で
生
ま
れ
た
。
父
は
、
初
代
山
口
組
・
山
口
春
吉
組
長
だ
っ
た
。
山
口
組
事
務
所
は
、
神
戸
市
兵
庫
区
西
出
町
に
あ
っ
た
。
大
正
14
年
︵
1
9
2
5
年
︶
、
山
口
春
吉
の
引
退
に
よ
り
、
山
口
組
二
代
目
を
継
承
し
た
。
こ
の
時
、
山
口
組
は
ま
だ
、
大
島
組
・
大
島
秀
吉
組
長
の
系
列
組
織
だ
っ
た
。
同
年
、
神
戸
市
須
磨
の
料
亭
で
、
山
口
組
二
代
目
相
続
披
露
宴
が
行
わ
れ
た
。
跡
目
相
続
の
儀
式
は
、
大
島
組
幹
部
・
浦
安
五
助
の
仲
人
で
行
わ
れ
た
。
披
露
宴
に
は
、
大
島
秀
吉
、
大
島
組
幹
部
・
川
端
勝
次
、
大
島
組
幹
部
・
本
多
仁
介
、
そ
の
他
の
大
島
組
幹
部
、
大
島
秀
吉
の
舎
弟
、
大
島
秀
吉
の
若
衆
、
兵
庫
県
県
議
会
議
員
、
神
戸
市
市
議
会
議
員
な
ど
が
出
席
し
た
。
山
口
春
吉
の
手
か
ら
離
れ
、
新
し
く
山
口
登
の
子
分
と
な
っ
た
者
は
、
34
人
だ
っ
た
。
難
波
島
之
助
は
、
山
口
登
の
舎
弟
と
な
り
、
参
謀
格
と
な
っ
た
。
そ
の
後
、
山
口
組
組
員
と
大
島
組
組
員
の
喧
嘩
が
多
発
し
た
。
山
口
登
は
、
大
島
組
組
員
と
の
喧
嘩
を
諌
め
る
こ
と
は
し
な
か
っ
た
。
昭
和
2
年
︵
1
9
2
7
年
︶
1
月
、
大
島
秀
吉
宅
に
年
賀
に
行
っ
た
。
大
島
秀
吉
は
、
山
口
登
に
、
山
口
組
組
員
と
大
島
組
組
員
の
喧
嘩
が
多
発
し
て
い
る
こ
と
を
咎
め
た
。
山
口
登
が
詫
び
を
入
れ
る
と
、
川
端
勝
次
が
山
口
登
に
本
心
で
詫
び
を
入
れ
て
い
る
の
か
を
詰
問
し
た
。
山
口
登
は
激
怒
し
た
。
本
多
仁
介
が
、
川
端
勝
次
と
山
口
登
を
な
だ
め
た
。
昭
和
3
年
︵
1
9
2
8
年
︶
3
月
、
金
融
恐
慌
が
発
生
し
た
。
山
口
組
は
、
神
戸
市
兵
庫
区
古
湊
通
り
の
鮮
魚
・
塩
干
物
の
朝
市
を
縄
張
り
と
し
、
仲
買
人
の
魚
を
小
売
店
に
運
搬
す
る
利
権
を
独
占
し
て
い
た
。
そ
の
た
め
、
経
済
的
な
打
撃
が
限
定
的
だ
っ
た
。
同
年
、
山
口
登
は
大
島
組
へ
の
上
納
金
を
や
め
た
。
昭
和
4
年
︵
1
9
2
9
年
︶
1
月
、
山
口
登
は
、
大
島
組
へ
の
上
納
金
を
や
め
た
た
め
に
、
大
島
秀
吉
か
ら
破
門
さ
れ
た
。
昭
和
5
年
︵
1
9
3
0
年
︶
3
月
、
神
戸
市
は
、
失
業
者
対
策
と
し
て
、
兵
庫
区
浜
新
町
に
神
戸
中
央
卸
売
市
場
の
建
設
を
計
画
し
た
。
新
浜
町
は
、
大
島
組
の
縄
張
り
だ
っ
た
。
こ
の
利
権
を
巡
り
、
山
口
組
は
大
島
組
と
対
立
し
た
。
同
年
7
月
、
神
戸
市
新
開
地
で
、
山
口
登
の
若
衆
・
田
尻
春
吉
が
川
端
勝
次
を
射
殺
し
た
。
同
年
8
月
6
日
夜
、
山
口
登
は
、
山
口
組
組
員
に
拳
銃
や
日
本
刀
を
持
た
せ
て
、
5
台
の
荷
馬
車
に
、
神
戸
市
兵
庫
区
西
出
町
の
山
口
組
事
務
所
の
家
財
道
具
全
部
を
載
せ
て
、
山
口
組
事
務
所
を
出
発
し
、
同
区
切
戸
町
に
向
か
っ
た
。
一
部
の
山
口
組
組
員
は
、
切
戸
町
の
新
し
い
山
口
組
事
務
所
で
待
機
し
て
い
た
。
他
の
山
口
組
組
員
は
、
大
島
組
本
家
を
監
視
し
て
い
た
。
同
年
8
月
7
日
午
前
3
時
、
山
口
登
は
山
口
組
事
務
所
を
、
兵
庫
区
西
出
町
か
ら
同
区
切
戸
町
に
移
し
た
。
こ
こ
は
大
島
組
の
縄
張
り
で
、
神
戸
市
中
央
卸
売
市
場
建
設
予
定
地
の
近
所
だ
っ
た
。
同
年
8
月
7
日
、
神
戸
中
央
卸
売
市
場
の
杭
打
ち
が
始
ま
っ
た
。
山
口
組
組
員
は
武
器
を
持
参
し
て
、
工
事
現
場
に
寝
泊
り
し
た
。
同
年
10
月
、
、
田
岡
一
雄
︵
通
称
は
ク
マ
。
後
の
山
口
組
三
代
目
︶
が
、
新
開
地
本
通
り
の
剣
劇
小
屋
﹁
湊
座
﹂
で
、
料
金
を
支
払
わ
ず
に
入
場
し
た
た
め
、
木
戸
番
か
ら
咎
め
ら
れ
た
。
田
岡
一
雄
は
木
戸
番
を
殴
り
倒
し
、
湊
座
の
舞
台
に
上
が
っ
て
暴
れ
た
。
山
口
組
が
湊
座
の
用
心
棒
を
務
め
て
い
た
。
そ
の
後
の
い
き
さ
つ
に
は
2
説
あ
る
。
溝
口
敦
・
笠
井
和
弘
・
も
も
な
り
高
﹃
実
録
・
山
口
組
武
闘
史
血
と
抗
争
!
菱
の
男
た
ち
1
﹄
竹
書
房
、
2
0
0
2
年
、
I
S
B
N
4
-
8
1
2
4
-
5
6
5
8
-
4
や
正
延
哲
士
・
天
龍
寺
弦
・
池
田
鷹
一
﹃
実
録
鬼
頭
良
之
助
と
山
口
組
二
代
目
激
動
ヤ
ク
ザ
伝
﹄
竹
書
房
、
2
0
0
6
年
、
I
S
B
N
4
-
8
1
2
4
-
6
3
6
2
-
9
で
は
﹁
田
岡
一
雄
は
山
口
組
舎
弟
・
古
川
松
太
郎
︵
山
口
登
の
娘
婿
︶
や
山
口
組
若
衆
・
山
田
久
一
︵
通
称
は
ト
ラ
。
後
の
三
代
目
山
口
組
初
代
若
頭
︶
に
捕
ま
っ
た
。
田
岡
一
雄
は
神
戸
市
切
戸
町
の
山
口
組
事
務
所
に
連
行
さ
れ
、
暴
行
を
受
け
た
が
、
根
を
あ
げ
な
か
っ
た
。
山
口
登
は
田
岡
を
古
川
松
太
郎
に
行
儀
見
習
い
と
し
て
預
け
た
。
田
岡
は
古
川
の
自
宅
に
居
候
し
た
﹂
と
な
っ
て
い
る
。
飯
干
晃
一
﹃
山
口
組
三
代
目
1
野
望
篇
﹄
徳
間
書
店
<
徳
間
文
庫
>
、
1
9
8
2
年
、
I
S
B
N
4
-
1
9
-
5
9
7
3
4
4
-
9
で
は
﹁
数
日
後
、
田
岡
一
雄
は
、
山
口
組
組
員
に
捕
ま
り
、
山
口
登
の
舎
弟
・
灘
波
島
之
介
の
自
宅
に
連
行
さ
れ
た
。
灘
波
島
之
介
は
、
山
口
組
組
員
が
田
岡
を
暴
行
し
よ
う
と
す
る
の
を
止
め
て
、
田
岡
の
身
柄
を
預
か
っ
た
。
田
岡
一
雄
は
、
灘
波
島
之
介
の
家
に
寄
宿
し
た
。
そ
の
後
、
灘
波
島
之
介
は
、
田
岡
を
古
川
松
太
郎
に
預
け
た
。
古
川
松
太
郎
が
田
岡
に
行
儀
を
仕
込
ん
だ
﹂
と
な
っ
て
い
る
。
昭
和
6
年
︵
1
9
3
1
年
︶
1
月
、
須
磨
の
料
亭
で
、
宴
会
を
開
き
、
馴
染
み
の
花
隈
の
芸
妓
・
ぽ
ん
太
を
呼
ん
だ
。
そ
の
後
、
月
に
2
、
3
度
、
ぽ
ん
太
と
逢
引
し
た
。
昭
和
7
年
︵
1
9
3
2
年
︶
5
月
、
山
口
登
が
後
援
会
長
を
努
め
る
大
関
・
玉
錦
︵
後
に
横
綱
︶
が
、
前
頭
の
宝
川
と
揉
め
た
。
田
岡
一
雄
は
、
日
本
刀
を
持
ち
、
山
田
久
一
や
玉
錦
、
山
口
組
舎
弟
・
西
田
幸
一
ら
に
連
れ
ら
れ
て
、
宝
川
の
元
に
押
し
か
け
た
。
田
岡
は
、
日
本
刀
で
、
宝
川
の
指
を
切
り
落
と
し
た
。
同
年
7
月
7
日
、
須
磨
の
待
合
で
、
山
口
登
は
ぽ
ん
太
と
会
っ
た
。
同
日
午
後
10
時
す
ぎ
、
大
島
組
の
刺
客
・
守
屋
謙
造
に
襲
撃
さ
れ
た
。
山
口
登
の
若
衆
・
村
上
常
吉
が
1
ヶ
月
の
重
傷
を
負
っ
た
が
、
山
口
登
は
待
合
か
ら
逃
げ
た
。
同
年
7
月
8
日
、
守
屋
謙
造
は
、
山
口
登
殺
害
に
失
敗
し
た
た
め
、
大
島
組
を
去
っ
た
。
そ
の
後
、
本
多
仁
介
は
、
﹁
日
本
が
軍
国
調
に
な
っ
て
い
く
と
き
に
、
抗
争
事
件
を
起
こ
す
の
は
ま
ず
い
﹂
と
大
島
秀
吉
に
進
言
し
た
。
大
島
秀
吉
は
、
本
多
仁
介
の
進
言
を
容
れ
て
、
大
島
組
か
ら
山
口
組
へ
の
殴
り
込
み
を
禁
止
し
た
。
そ
れ
か
ら
、
山
口
登
は
、
山
口
組
の
新
し
い
資
金
源
と
し
て
、
浪
曲
興
行
に
着
目
し
た
。
神
戸
市
議
会
議
員
・
福
森
庄
太
郎
に
相
談
す
る
と
、
福
森
か
ら
浪
曲
師
・
松
風
軒
栄
楽
と
鬼
頭
良
之
助
︵
本
名
は
森
田
良
吉
。
父
・
山
口
春
吉
の
兄
弟
分
︶
を
紹
介
さ
れ
た
。
同
年
7
月
、
山
口
登
は
四
国
で
、
松
風
軒
栄
楽
の
花
興
行
を
催
し
た
。
興
行
は
赤
字
だ
っ
た
。
庄
村
吉
之
助
︵
通
称
は
ホ
ラ
吉
︶
が
、
松
風
軒
栄
楽
の
マ
ネ
ー
ジ
ャ
ー
だ
っ
た
。
山
口
登
は
、
庄
村
吉
之
助
を
引
き
抜
き
、
山
口
組
興
行
部
を
作
っ
て
、
庄
村
を
山
口
組
興
行
部
支
配
人
に
据
え
た
。
ま
た
、
庄
村
吉
之
助
の
側
に
、
山
口
登
の
若
衆
・
笠
種
次
を
付
け
た
。
同
年
12
月
、
神
戸
中
央
卸
売
市
場
が
開
業
し
た
。
山
口
組
は
中
央
卸
売
市
場
の
利
権
を
獲
得
し
、
市
場
に
賭
場
を
開
い
た
。
同
年
、
も
し
く
は
昭
和
11
年
︵
1
9
3
6
年
︶
1
月
20
日
[
1
]
、
山
口
登
は
田
岡
一
雄
を
若
衆
と
し
た
。
昭
和
8
年
︵
1
9
3
3
年
︶
4
月
、
山
口
組
興
行
部
は
、
神
戸
市
湊
川
神
社
前
の
﹁
八
千
代
座
﹂
で
、
鼈
甲
斎
虎
丸
、
東
家
楽
燕
、
初
代
天
中
軒
雲
月
ら
に
よ
る
浪
曲
大
会
を
開
い
た
。
昭
和
9
年
︵
1
9
3
4
年
︶
4
月
、
山
口
組
興
行
部
は
、
八
千
代
座
で
、
デ
ィ
ッ
ク
・
ミ
ネ
、
美
ち
奴
、
楠
繁
夫
、
東
海
林
太
郎
ら
に
よ
る
興
行
を
行
っ
た
。
同
年
8
月
、
海
員
争
議
が
起
こ
り
、
会
社
側
か
ら
山
口
登
に
、
紛
争
解
決
の
調
停
役
を
依
頼
さ
れ
た
。
山
口
組
舎
弟
の
西
田
幸
一
と
田
尻
春
吉
が
、
山
口
登
の
代
理
人
と
し
て
会
議
に
出
席
し
た
。
西
田
と
田
尻
は
、
組
合
と
話
し
合
い
を
持
っ
た
が
、
組
合
側
の
右
翼
や
総
会
屋
と
こ
じ
れ
て
、
乱
闘
と
な
っ
た
。
西
田
幸
一
は
殺
害
さ
れ
、
田
尻
春
吉
は
意
識
不
明
の
重
体
に
陥
っ
た
。
田
岡
一
雄
と
、
田
岡
の
親
友
・
岡
精
義
は
、
西
田
幸
一
死
亡
の
知
ら
せ
を
受
け
、
海
員
組
合
争
議
本
部
に
乗
り
込
ん
だ
。
田
岡
が
、
日
本
刀
で
組
合
長
を
斬
り
つ
け
、
重
傷
を
負
わ
せ
た
。
田
岡
一
雄
は
傷
害
罪
で
懲
役
1
年
の
実
刑
判
決
を
受
け
、
神
戸
刑
務
所
に
服
役
し
た
。
同
年
9
月
3
日
夜
、
山
口
登
は
、
庄
村
吉
之
助
と
笠
種
次
を
伴
っ
て
、
法
善
寺
横
町
近
く
の
料
亭
で
、
吉
本
興
業
社
長
・
吉
本
せ
い
と
会
い
、
吉
本
興
業
の
東
京
進
出
に
尽
力
す
る
こ
と
を
約
束
し
た
。
同
年
10
月
13
日
か
ら
、
吉
本
せ
い
が
東
京
・
新
橋
演
舞
場
で
大
阪
漫
才
公
演
を
開
催
す
る
と
、
こ
の
東
京
興
行
の
応
援
に
駆
け
付
け
た
。
翌
日
、
吉
本
せ
い
か
ら
﹁
自
分
が
東
京
に
い
る
間
は
、
浪
曲
師
・
広
沢
虎
造
を
吉
本
興
業
の
専
属
に
し
た
い
﹂
と
云
う
相
談
を
受
け
、
快
諾
し
た
。
そ
の
日
の
公
演
が
終
わ
っ
た
後
に
、
吉
本
せ
い
と
共
に
、
東
京
浅
草
の
浪
花
家
金
蔵
宅
を
訪
ね
た
。
浪
花
家
金
蔵
と
の
話
し
合
い
の
結
果
、
広
沢
虎
造
を
吉
本
興
業
の
専
属
に
す
る
こ
と
と
、
広
沢
虎
造
の
マ
ネ
ー
ジ
ャ
ー
を
引
き
続
き
浪
花
家
金
蔵
が
行
う
こ
と
が
を
取
り
決
め
ら
れ
た
。
昭
和
10
年
︵
1
9
3
5
年
︶
、
山
口
登
は
、
藤
田
仙
太
郎
︵
元
関
脇
・
山
錦
善
治
郎
。
本
名
は
山
田
善
治
郎
︶
を
若
衆
と
し
た
。
同
年
10
月
、
田
岡
一
雄
は
神
戸
刑
務
所
か
ら
出
所
し
た
。
昭
和
11
年
︵
1
9
3
6
年
︶
1
月
20
日
、
も
し
く
は
昭
和
7
年
︵
1
9
3
2
年
︶
[
3
]
、
山
口
登
は
田
岡
一
雄
を
若
衆
と
し
た
。
同
年
2
月
、
不
二
拳
倶
楽
部
主
催
者
・
岡
本
不
二
夫
か
ら
、
国
技
館
で
、
チ
ャ
ン
ピ
オ
ン
・
ピ
ス
ト
ン
堀
口
と
挑
戦
者
・
ジ
ョ
ー
・
イ
ー
グ
ル
の
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
開
催
の
依
頼
を
受
け
た
。
岡
本
不
二
夫
は
、
日
本
拳
闘
倶
楽
部
の
協
力
を
得
て
、
国
技
館
に
、
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
開
催
を
打
診
し
た
。
国
技
館
は
﹁
西
洋
の
ス
ポ
ー
ツ
で
あ
る
ボ
ク
シ
ン
グ
の
試
合
を
開
催
さ
せ
る
こ
と
は
で
き
な
い
﹂
と
し
て
、
岡
本
の
要
望
を
は
ね
つ
け
て
い
た
。
山
口
登
は
、
岡
本
の
依
頼
を
引
き
受
け
た
。
同
日
、
嘉
納
健
治
︵
通
称
は
ピ
ス
健
。
嘉
納
治
五
郎
の
弟
。
大
日
拳
創
立
者
︶
に
会
い
、
国
技
館
で
の
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
開
催
の
了
承
を
得
た
。
そ
の
後
、
上
京
し
て
、
相
撲
協
会
と
会
談
し
、
国
技
館
で
の
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
開
催
の
了
承
を
得
た
。
翌
日
、
右
翼
団
体
40
、
50
人
が
、
山
口
登
の
宿
に
押
し
か
け
、
国
技
館
で
の
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
開
催
に
抗
議
し
た
。
山
口
登
は
、
頭
山
満
と
会
い
、
右
翼
団
体
を
抑
え
て
く
れ
る
よ
う
に
依
頼
し
た
。
頭
山
満
は
、
山
口
登
の
依
頼
を
快
諾
し
た
。
同
年
7
月
、
田
岡
は
、
昼
夜
2
回
の
浪
曲
師
広
沢
虎
造
の
花
興
行
を
行
っ
た
。
昼
席
は
福
原
の
﹁
大
正
座
﹂
で
行
い
、
夜
席
は
兵
庫
県
県
会
議
事
堂
で
行
っ
た
。
昼
の
興
行
の
利
益
は
全
て
、
山
口
登
に
上
納
さ
れ
た
。
同
月
、
田
岡
一
雄
が
口
答
え
を
し
た
た
め
に
、
怒
っ
た
。
田
岡
は
山
口
の
怒
り
が
収
ま
る
ま
で
、
東
京
の
玉
錦
の
元
に
身
を
寄
せ
た
。
そ
の
後
、
若
衆
の
大
長
政
吉
︵
通
称
‥
悪
漢
政
。
二
代
目
山
口
組
若
衆
頭
・
大
長
一
雄
の
弟
︶
を
破
門
に
し
た
。
大
長
政
吉
が
新
開
地
で
酔
っ
て
大
暴
れ
し
、
堅
気
の
人
間
3
人
を
傷
付
け
た
た
め
で
あ
っ
た
。
昭
和
12
年
︵
1
9
3
7
年
︶
1
月
27
日
、
国
技
館
で
、
ピ
ス
ト
ン
堀
口
と
ジ
ョ
ー
・
イ
ー
グ
ル
の
東
洋
フ
ェ
ザ
ー
級
タ
イ
ト
ル
マ
ッ
チ
が
行
わ
れ
、
山
口
組
は
国
技
館
の
警
護
に
当
た
っ
た
。
ジ
ョ
ー
・
イ
ー
グ
ル
の
判
定
勝
ち
が
決
ま
る
と
、
田
岡
一
雄
が
リ
ン
グ
に
上
が
り
、
審
判
に
詰
め
寄
っ
た
。
田
岡
は
警
官
に
取
り
押
さ
え
ら
れ
、
拘
留
さ
れ
た
。
同
年
2
月
、
玉
錦
の
と
り
な
し
で
、
田
岡
を
許
し
た
。
田
岡
は
神
戸
市
に
戻
っ
た
。
同
年
2
月
25
日
、
大
長
政
吉
が
、
新
開
地
の
菊
水
館
で
、
支
配
人
︵
元
、
山
口
春
吉
の
舎
弟
︶
を
殴
打
し
、
売
上
金
を
勝
手
に
持
ち
出
し
た
。
菊
水
館
の
用
心
棒
だ
っ
た
山
口
組
の
若
衆
・
山
田
久
一
は
、
田
岡
一
雄
と
と
も
に
、
大
長
政
吉
を
探
し
、
福
原
遊
郭
の
﹁
大
阪
楼
﹂
に
い
る
こ
と
を
突
き
止
め
た
。
2
人
は
大
阪
楼
を
急
襲
し
た
。
田
岡
が
大
長
政
吉
を
鉄
瓶
で
殴
打
し
、
大
怪
我
を
負
わ
せ
た
。
こ
れ
に
激
高
し
た
大
長
政
吉
の
弟
・
大
長
八
郎
︵
二
代
目
山
口
組
若
衆
︶
が
、
そ
の
日
の
う
ち
に
、
切
戸
町
の
山
口
組
事
務
所
に
殴
り
込
ん
で
き
た
。
田
岡
が
大
長
八
郎
を
日
本
刀
で
斬
り
殺
し
た
。
同
日
、
田
岡
は
警
察
に
自
首
し
た
。
同
年
2
月
27
日
、
田
岡
は
懲
役
8
年
の
実
刑
判
決
を
受
け
、
服
役
し
た
。
同
年
、
神
戸
市
の
荷
役
業
者
の
鶴
井
組
・
広
田
寿
太
郎
組
長
、
酒
井
組
・
酒
井
新
太
郎
組
長
、
藤
原
組
・
藤
原
光
次
郎
組
長
が
兄
弟
分
の
盃
を
交
わ
し
、
﹁
鶴
酒
藤
﹂
を
結
成
し
た
。
昭
和
13
年
︵
1
9
3
8
年
︶
、
山
口
登
の
舎
弟
・
新
居
利
治
は
、
徳
島
県
小
松
島
市
で
、
小
天
竜
組
を
結
成
し
た
。
ま
も
な
く
、
大
長
一
雄
は
山
口
組
を
去
っ
た
。
昭
和
15
年
︵
1
9
4
0
年
︶
、
山
口
登
は
、
広
田
寿
太
郎
、
酒
井
新
太
郎
、
藤
原
光
次
郎
と
兄
弟
分
の
盃
を
交
わ
し
た
。
広
田
寿
太
郎
、
酒
井
新
太
郎
、
藤
原
光
次
郎
が
拠
点
を
横
浜
港
に
移
す
と
、
山
口
登
は
鶴
酒
藤
神
戸
支
部
長
と
な
っ
た
。
同
年
7
月
、
広
沢
虎
造
が
吉
本
興
業
に
無
断
で
下
関
・
籠
寅
組
︵
組
長
は
保
良
浅
之
助
︶
の
企
画
に
よ
る
映
画
出
演
の
誓
約
書
を
書
い
た
。
こ
れ
に
、
吉
本
せ
い
は
立
腹
し
、
山
口
登
に
調
停
を
依
頼
し
た
。
山
口
登
は
、
下
関
で
保
良
浅
之
助
と
交
渉
し
、
映
画
出
演
を
白
紙
に
戻
さ
せ
た
。
同
年
7
月
28
日
、
浅
草
の
浪
花
家
金
蔵
は
籠
寅
組
幹
部
・
山
村
周
平
の
訪
問
を
受
け
、
﹁
籠
寅
組
で
映
画
を
作
り
た
い
の
だ
が
、
広
沢
虎
造
を
出
演
さ
せ
た
い
﹂
と
い
う
申
し
出
を
受
け
た
。
翌
日
、
浪
花
家
金
蔵
は
神
戸
に
行
き
、
山
口
登
に
相
談
し
た
。
山
口
登
は
﹁
8
月
2
日
に
、
浪
花
家
金
蔵
宅
で
、
籠
寅
組
と
話
し
合
い
を
し
た
い
﹂
と
云
う
旨
の
電
報
を
保
良
浅
之
助
に
打
っ
た
。
同
年
8
月
2
日
、
山
口
登
は
東
京
・
浅
草
の
浪
花
家
金
蔵
宅
で
籠
寅
組
と
話
し
合
い
を
持
っ
た
。
こ
の
と
き
、
ボ
デ
ィ
ー
ガ
ー
ド
に
客
分
の
中
島
武
雄
を
連
れ
て
い
た
。
和
解
金
と
し
て
用
意
し
た
、
十
円
札
で
1
0
0
0
円
の
札
束
を
胴
巻
に
入
れ
て
い
た
。
籠
寅
組
か
ら
は
5
人
が
臨
席
し
た
。
山
口
登
は
﹁
広
沢
虎
造
を
籠
寅
組
に
は
貸
さ
な
い
﹂
と
云
う
旨
を
伝
え
た
が
、
籠
寅
組
の
5
人
に
襲
わ
れ
た
。
中
島
武
雄
が
日
本
刀
で
刺
殺
さ
れ
た
。
山
口
登
は
庭
に
出
た
が
、
日
本
刀
や
あ
い
く
ち
で
18
ヶ
所
の
傷
を
受
け
た
。
た
だ
、
胴
巻
の
札
束
が
刃
を
止
め
、
一
命
を
取
り
留
め
た
。
浪
花
家
金
蔵
が
浅
草
の
地
回
り
の
一
団
を
連
れ
て
き
た
た
め
に
、
籠
寅
組
の
刺
客
た
ち
は
退
散
し
た
。
昭
和
17
年
︵
1
9
4
2
年
︶
10
月
4
日
、
山
口
登
は
、
こ
の
傷
が
も
と
で
、
死
亡
し
た
。
享
年
、
41
。
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