ノート:辛未洋擾
最新のコメント:8 年前 | トピック:改名提案 | 投稿者:Takabeg
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経緯
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●1866年
●8月14日 [1]海美県調琴津に異様な船が停泊していることがわかった。イギリス人と清国人合計30名程度。イギリス人は(Ernst Jacob Oppert戴抜)で春に来た者で、再度の交易の願いだった。
●8月16日[2]異様な船は碇を上げて去る。
(一)^ 高宗實錄 三年 七月 辛酉の条
(二)^ 高宗實錄 三年 七月 壬戌の条
死傷者数その他
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中央日報を元に以下の記述が投稿されましたが、信頼できる情報源ではなくまた記事元で情報源が明らかにされていない証言情報そのまま引用している問題もありますのでノートに移動させます。このように広く一般に知られた知識﹁ではない﹂情報については、学術論文など他の信頼できる情報源により記述されるべきでしょう。
・・・装備の差はいかんともしがたく、アメリカ軍は死者3名、負傷者10名に対して朝鮮軍の死者は243名に達している[1]。アメリカ軍のシュレー少佐は、この戦いにおける朝鮮軍の戦いぶりについて、﹁朝鮮軍は反撃のために弾薬を入れかえる時間もなくなると、フェンスの上にはい上がり、石を投げて米軍の進撃を防ごうとした。槍や剣で対抗する兵士もいたが、大半が素手で敵に立ち向かい、敵の目を傷付けようと砂をまいていた。ある兵士は首を刺して自殺し、自ら海に飛び込んだ﹂、﹁朝鮮軍は命がけで壮絶に戦い、何も恐れない姿で陣地を死守する途中に死んでいった。家族と国家のために、これほど壮絶に戦う国民を二度と見ることができない﹂︵それぞれ中央日報より引用︶と賞賛している[1]
(一)^ ab︻そのときの今日︼朝鮮軍の血で染まった辛未洋擾、傲慢と無知が呼んだ悲劇 - 中央日報日本語版2009年6月10日
大和屋敷︵会話︶ 2012年6月19日 (火) 06:22 (UTC)
改名提案
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日本語版のWikipedia:記事名の付け方の﹁基本的には日本語での正式名称 (common name の誤訳?)を使用します﹂と﹁正式な名称がない場合は日本語での適切な名称を採用します﹂により、﹁朝米戦争﹂が適切であるため改名を提案します。なお、﹁米朝戦争﹂もないわけではありませんが、こちらは、過去にその瀬戸際まで来た戦争 (これから起きるかもしれない戦争)であるアメリカ合衆国と北朝鮮との戦争を指す場合が多いようです。Takabeg︵会話︶ 2015年7月14日 (火) 10:16 (UTC)
●ciniiでの使用頻度は辛未洋擾10に対して朝米戦争1です。きちんと調査のうえ提案してください。--大和屋敷︵会話︶ 2015年7月21日 (火) 23:15 (UTC)
まず﹁洋擾﹂は日本語には無い用語です。朝鮮語文献からそのまま転記して使用している場合は﹁辛未洋擾﹂と書かれているに過ぎません。﹁朝米戦争﹂については、横山伊徳﹃幕末維新と外交﹄吉川弘文館215頁、吉野誠﹃明治維新と征韓論: 吉田松陰から西郷隆盛へ﹄明石書店138頁、﹃環 Vol.23︿特集﹀﹁日韓関係﹂再考――過去・現在・未来﹄藤原書店249頁、﹃F.ベアト写真集2: 外国人カメラマンが撮った幕末日本﹄明石書店43頁、諸洪ー﹁廃藩置県後の国際関係と朝鮮政策﹂﹃史淵﹄223、1996年2月、84-85頁、 歴史教育者協議会編﹃日本史・歴史教科書の争点50問50答: 中学生の疑問に答える﹄国土社92頁などで使用されています。特に﹁廃藩置県後の国際関係と朝鮮政策﹂では、朝米戦争と呼称されるべき理由が明示されています。﹁韓米戦争﹂という用語を使用している例もありますが大韓帝国は1897年に成立していますので矛盾してしまいます。そして何よりも重視されるべきが、独特の自分か中心主義的な歴史観を背景に多用されてきた﹁胡乱﹂、﹁倭乱﹂、﹁洋擾﹂などの用語が、中立性を大いに害してしまっているという事実です。そのため大和屋敷さんが上記の反論を提示する以前に改名を実行するに至ったのであります。大和屋敷さんにおかれましては、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないを熟読し、ルールに従って、再度Wikipedia:改名提案を経て行ってください。よろしくお願い致します。Takabeg︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 00:05 (UTC)
本ノートでは、独特の自分か︵ママ︶中心主義的な歴史観を背景に多用されてきた﹁胡乱﹂、﹁倭乱﹂、﹁洋擾﹂などの用語が、中立性を大いに害してしまっている と廃止を主張しながら、なぜノート:鮮人では、極めてデリケートかつ今日現在において差別語として問題になっている﹁鮮人﹂という単語を 戦前の公文書では普通に使用されている用語であり、文書から引用する際など有益な場合が多々あります として存続を支持するのでしょうか? 失礼ながら、ダブルスタンダードとしかいいようがありません。 --Tonbi ko︵会話︶ 2015年7月30日 (木) 05:46 (UTC)
●編集ルールをてこにおかしな提案を維持しないでください。ちょっと調査すればどちらの用法が優勢であるかは判明するはずです。title﹁朝米戦争﹂が間違っているわけでも新たな用語の提案︵独自研究︶というわけでもありませんので今般の移動を一週間程度保持することに問題はありませんが、認知度の高さは記事名選定の重要な基準であり論文等での用法例のカウント程度は行って欲しいところです。--大和屋敷︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 01:22 (UTC)
●なおTakabeg氏は﹁どちらのタイトルがふさわしくて中立的か﹂をwikipedia上で議論しwikipedianの討論によって結論をえようと企図されておられるようですが、wikipediaはそのような場所ではありません。われわれは﹁名無し﹂の﹁どこの誰とも分からない﹂無名の編集者ですので、我々がいくら合意し多数派を形成しようが学術上なんら意味をなすことはありません。我々wikipedianはかぎりなく俗物であるべきであって編集方針としてあくまで﹁認知度の高さ﹂を要求されているかぎり、誠実にその基準に準じるべきです。すなわち、仮に朝米戦争という用語をwikipediaのタイトルとして採用したいのであれば、現実の論文で多用することをもって、外部の信頼できる情報源で多数派を形成してから再度ご提案ください。title選定はwikipediaにとって非常にもめる原因となる要素ですのでガイドラインに慎重に従うようお願いします。--大和屋敷︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 01:32 (UTC)
●Takabeg︵会話︶氏は、❝﹁洋擾﹂は日本語には無い用語です❞ という主張の根拠を示してください。日本語には新たな言葉が常に生まれ、また朝鮮・中国から流入していますが、いつの時点をもって﹁正しい日本語はここまで﹂と主張されるつもりでしょうか? また、大和屋敷︵会話︶氏のおっしゃるとおり、歴史上の事件名称の中立性をWikipedia編者が議論することは明らかな独自研究であり、ご自分の主張をもとに歴史用語を改変するのは歴修修正主義者の手法です。厳に慎まれることを要求します。○○の乱、○○の役、○○の擾乱などをすべて○○戦争に変更されるつもりですか? --Tonbi ko︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 02:18 (UTC)
まず、ご質問に回答します。1.日本語の国語辞典で﹁洋擾﹂という項が見つからないためです。2.﹁○○の乱、○○の役、○○の擾乱などをすべて○○戦争に変更﹂するつもりは毛頭ありません。戦争や戦闘は当事者が複数おりますので、ある一つの当事者の観点からつけられた記事名やその観点から書かれた記事を問題視しております。本件の場合、李氏朝鮮から見れば﹁洋擾﹂なのかもしれませんが、アメリカ合衆国から見れば﹁洋擾﹂とはなりません。中立性に大きな問題のある記事名にWikipedia:信頼できる情報源に裏打ちされたオールターナティブがあるのであれば、より中立なものが選択されるのがウィキペディアのあるべき姿であると考えています。Takabeg︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 03:46 (UTC)
1. 国語辞典に載っていない=日本語ではない=ja.wikipediaにその語を使った見出しを作ってはならない、というご意見のようですが、そのようなルールが Wikipediaにあるのなら明示してください。たとえば、中国史の記事には﹁○○起義﹂のようなものがいくつかありますが、﹁起義﹂はたいていの国語辞典には載っていないでしょう。また漢語だけではなく、欧米語新語のカナ転記による記事名もja.wikipediaたくさんありますよね? これに関しては不服なようであれば、コメント依頼で広く議論を募りたいと思います。 2. それはあなたが史学会で訴えてください。 --Tonbi ko︵会話︶ 2015年7月28日 (火) 17:57 (UTC)
コメントTakabegさんは、丙子胡乱から丙子の乱への改名と丁卯胡乱から丁卯の乱への改名では記事冒頭にTemplate:改名提案を貼りましたが、丙寅洋擾から朝仏戦争への改名と辛未洋擾から朝米戦争への改名では改名テンプレートを貼らずに改名したのは、なぜですか?--211.14.206.193 2015年7月22日 (水) 03:38 (UTC)
うっかりミスです。すみません。Takabeg︵会話︶ 2015年7月22日 (水) 03:46 (UTC)
手続の不備ということですので、もとの記事名に戻しました。悪しからず。 --Tonbi ko︵会話︶ 2015年7月28日 (火) 18:04 (UTC)
●Googleで﹁丙寅洋擾﹂で検索したらコトバンクの丙寅洋擾がみつかり、図書館で平凡社﹃世界大百科事典﹄2007年改訂新版の29巻138頁に﹁洋擾﹂という見出しがあり、ここに﹁丙寅洋擾﹂と﹁辛未洋擾﹂の説明がある事を確認しました。
中国語はzh:辛未洋擾、ハングルもko:신미양요すなわち辛未洋擾としているのに、同じ漢字文化圏の日本だけどうして﹃辛未洋擾じゃダメだ!﹄となるのでしょうか。コトバンクの洋擾も併せてご覧ください。
common name は誤訳ではないと思いますが、(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方に追記しました) en:United States expedition to Korea の "expedition" を"戦争”と訳すのは誤訳ではないでしょうか。戦闘とか作戦のようなニュアンスになるかと思われます。記事冒頭にちゃんと﹁交戦である﹂と書いてあるのを読んでいないのですか。
失礼ですが、この記事の編集履歴を拝見しました結果、Takabeg さんの本記事への内容面における貢献はゼロかと存じます。それでいきなり記事移動をして改名議論を起こすというのは、いかがなものでしょうか。--114.181.36.77 2015年7月29日 (水) 09:31 (UTC)
提案 ﹁改名せず﹂で議論終結を提案します。 理由: 図書館等で入手できる文献を調査した結果、 ●﹃辛未洋擾﹄の名称がつかわれているもの ●平凡社﹃世界大百科事典 改訂新版﹄第29巻138頁の﹁洋擾﹂の見出し p. 138 ●朝鮮史研究会﹃朝鮮の歴史﹄ p. 207 ●武田幸男 ﹃朝鮮史﹄ p. 225 ●姜在彦﹃歴史物語 朝鮮半島﹄ p. 182 ●平凡社﹃朝鮮を知る事典﹄新訂増補版第5刷 p. 421 ●朴永圭﹃朝鮮王朝実録﹄改訂版 p. 446 ●水野俊平﹃韓国の歴史﹄ p. 155 ●﹁朝米戦争﹂の名称がつかわれているもの ●調査した範囲ではゼロ。 という結果でした。Takabeg さんの改名提案ですが、 ●どの書籍の何ページにこの戦闘が﹁朝米戦争﹂をいう名前で扱われているのか示されていない ●改名の根拠だった”洋擾は日本語には無い用語”という主張が崩壊している ために、これではもはや改名議論として成立しない状況ですので、議論の終結を提案します。 追伸: ささやかではありますが、本記事への出典強化とハングル版より写真を追記致しました。Takabeg さんにおかれましても、議論無き改名提案 → 速攻で記事移動 → 強引なやり方に反発を招き対立を招いて改名議論勃発、のような事をするより、何か記事に対し内容面での貢献を重視するようにお願いします。--114.181.36.77 2015年8月15日 (土) 01:07 (UTC) ﹁調査した範囲ではゼロ﹂というのは調査が足りないからだと思いますよ。﹁どの書籍の何ページにこの戦闘が﹁朝米戦争﹂をいう名前で扱われているのか示されていない﹂というのは悪質な印象操作ではありませんか?既に上記に使用例が挙がっています。それと、朝鮮POVなのは申し上げましたが、ご存知のように、李氏朝鮮では、女真 (後金、清)を胡と位置づけ、政治的に清が朝鮮の宗主国となった後も、文化的には夷狄即胡虜視していました。19世紀になりキリスト教の浸透や﹁西洋﹂からの軍事的圧力が強まるにつれ、清に対して使用していた夷狄という語を﹁西洋﹂に対して用いるようになりました。それが﹁洋夷﹂という語です。そして、欧米諸国を﹁貨色に溺れ人倫を欠いた禽獣の地﹂とし、﹁世界で唯一の汚れなき地﹂である朝鮮を守るために﹁洋夷﹂を撃退しなければならない、という論理が採用されました。明治維新後、欧米文化を受容しようとした日本も﹁洋夷﹂と同一の﹁倭夷﹂と位置付けました。これを﹁倭洋一体﹂と言います (姜在彦﹁小中華思想﹂、原田環﹁衛正斥邪﹂﹃韓国朝鮮を知る事典﹄などを読んでいただければ概要はわかると思いますよ)。﹁洋擾﹂という語は、衛正斥邪や小中華思想に基づいてつけられた呼称であり、自文化中心主義的であり、今風の言い方をすればレイシズムの発想に基づいた差別的呼称であり差別表現なのです。複数の当事者 (朝鮮とアメリカ)が存在する本記事の名称としては、余りにも中立的な観点から外れたものなのです。Takabeg︵会話︶ 2015年8月15日 (土) 07:47 (UTC)
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提案 ﹁改名せず﹂で議論終結を提案します。 理由: 図書館等で入手できる文献を調査した結果、 ●﹃辛未洋擾﹄の名称がつかわれているもの ●平凡社﹃世界大百科事典 改訂新版﹄第29巻138頁の﹁洋擾﹂の見出し p. 138 ●朝鮮史研究会﹃朝鮮の歴史﹄ p. 207 ●武田幸男 ﹃朝鮮史﹄ p. 225 ●姜在彦﹃歴史物語 朝鮮半島﹄ p. 182 ●平凡社﹃朝鮮を知る事典﹄新訂増補版第5刷 p. 421 ●朴永圭﹃朝鮮王朝実録﹄改訂版 p. 446 ●水野俊平﹃韓国の歴史﹄ p. 155 ●﹁朝米戦争﹂の名称がつかわれているもの ●調査した範囲ではゼロ。 という結果でした。Takabeg さんの改名提案ですが、 ●どの書籍の何ページにこの戦闘が﹁朝米戦争﹂をいう名前で扱われているのか示されていない ●改名の根拠だった”洋擾は日本語には無い用語”という主張が崩壊している ために、これではもはや改名議論として成立しない状況ですので、議論の終結を提案します。 追伸: ささやかではありますが、本記事への出典強化とハングル版より写真を追記致しました。Takabeg さんにおかれましても、議論無き改名提案 → 速攻で記事移動 → 強引なやり方に反発を招き対立を招いて改名議論勃発、のような事をするより、何か記事に対し内容面での貢献を重視するようにお願いします。--114.181.36.77 2015年8月15日 (土) 01:07 (UTC) ﹁調査した範囲ではゼロ﹂というのは調査が足りないからだと思いますよ。﹁どの書籍の何ページにこの戦闘が﹁朝米戦争﹂をいう名前で扱われているのか示されていない﹂というのは悪質な印象操作ではありませんか?既に上記に使用例が挙がっています。それと、朝鮮POVなのは申し上げましたが、ご存知のように、李氏朝鮮では、女真 (後金、清)を胡と位置づけ、政治的に清が朝鮮の宗主国となった後も、文化的には夷狄即胡虜視していました。19世紀になりキリスト教の浸透や﹁西洋﹂からの軍事的圧力が強まるにつれ、清に対して使用していた夷狄という語を﹁西洋﹂に対して用いるようになりました。それが﹁洋夷﹂という語です。そして、欧米諸国を﹁貨色に溺れ人倫を欠いた禽獣の地﹂とし、﹁世界で唯一の汚れなき地﹂である朝鮮を守るために﹁洋夷﹂を撃退しなければならない、という論理が採用されました。明治維新後、欧米文化を受容しようとした日本も﹁洋夷﹂と同一の﹁倭夷﹂と位置付けました。これを﹁倭洋一体﹂と言います (姜在彦﹁小中華思想﹂、原田環﹁衛正斥邪﹂﹃韓国朝鮮を知る事典﹄などを読んでいただければ概要はわかると思いますよ)。﹁洋擾﹂という語は、衛正斥邪や小中華思想に基づいてつけられた呼称であり、自文化中心主義的であり、今風の言い方をすればレイシズムの発想に基づいた差別的呼称であり差別表現なのです。複数の当事者 (朝鮮とアメリカ)が存在する本記事の名称としては、余りにも中立的な観点から外れたものなのです。Takabeg︵会話︶ 2015年8月15日 (土) 07:47 (UTC)