世紀の遺書
書誌情報
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●﹃世紀の遺書﹄編集‥東京都 巣鴨プリズン内巣鴨遺書編纂会、発行‥巣鴨遺書編纂会刊行事務所、印刷所‥信行社 1953年12月 Webcat Plus
●﹃復刻 世紀の遺書﹄編集‥巣鴨遺書編纂会、編集著作権者‥白菊遺族会、発行‥講談社 昭和59年︵1984年︶、3800円 ISBN 4-06-200836-X
復刊に際し遺族が再掲に同意しなかった部分は空白となっている。
内容
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第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国から戦争犯罪容疑者として国際軍事法廷で裁かれ﹁戦争犯罪人﹂として、日本及び外地で亡くなった人々の遺書を可能な限り収集し、編纂したもの。
戦犯死没者約1000名は亡くなった場所もさまざまで、日本、中国、蘭印︵蘭領東印度︶、ビルマ、マレー・北ボルネオ、香港、豪州、仏印︵仏領印度支那︶、比島、グアム島など、広汎にわたる。また階級も大将から工員、民間人までさまざまである。軍属や通訳であった朝鮮・台湾出身45名も含まれる。﹃世紀の遺書﹄に掲載された遺書ないし遺稿は701篇に上った。
編纂委員会は、死刑となった人々だけでなく収容中に病死、事故死、あるいは自決した人も﹁戦争裁判のために斃れた人々﹂として、その遺書をこの中に含めている[2]。なお関係者は﹁法務死﹂と呼んでいる。
この書により、それまであまり知られていなかったBC級戦犯の存在に世間の注目が集まり、短期間に4版を重ねたという[3]。
名前の由来
編集この出版実現に奔走した中村正行(のちに勝五郎に改名)は、「世紀の遺書」という書名は、「二十世紀が後世にのこす遺書」の意であるとする[4]。
刊行
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1952年︵昭和27年︶4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、正式に日本国政府と連合国との間の﹁戦争状態﹂は終結し講和独立が成立した。昭和27年8月に、巣鴨プリズンで﹁巣鴨遺書編纂会﹂が結成された。会は戦犯死没者の遺族に遺書を寄せるよう呼び掛け、集まった遺書をまとめていった。編纂会は﹁数人﹂で構成されたが、具体名は﹃世紀の遺書﹄には記されていない[5][6]。
当初は出版のあてもなく、ただ 謄写印刷して遺族や公共機関に配布予定だったが、重要性を鑑み活版印刷が望ましいということになり、巣鴨プリズン担当の教誨師田嶋隆純︵真言宗僧侶︶から請われた二代目中村勝五郎・正行父子の援助を得て、1953年︵昭和28年︶に﹃世紀の遺書﹄出版が実現した。装丁は中村岳陵、外函装丁は東山魁夷である[7]。
中村家は、千葉県市川市で味噌製造業を営む傍ら、芸術家を後援し競馬会でも重きをなしていたが、戦犯者への援助も行っていたため、遺稿集出版への助力を請われたもの。中村の人脈により、装丁には中村岳陵の手になる三羽の鳩︵表表紙︶、鉄格子をしのばせる縦縞︵裏表紙︶、山桜の花︵見返し︶、東山魁夷による黎明の山の姿︵外函︶が無償で提供された。また印刷を受け持った信行社も実費で引き受けたため、出版に要した経費は大幅に削減されたという[8]。
著作権と許諾
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1958年︵昭和33年︶5月、巣鴨プリズンがGHQから日本に返還され、同月30日には最後の戦犯18名が釈放され、編纂会も解散した。この﹃世紀の遺書﹄の編集著作権は白菊遺族会に寄贈された。第4版は遺族会から出版され[9]、その利益金は遺族会の一助となった[8]。
その後、遺族会は復刻の薦めを断り続けていたが、1983年、三代目中村勝五郎を通して講談社から復刻再版の提案があり、遺族会としては再版について中村に一任することになり、1984年、復刻再版が実現した[10]。
講談社の復刻版でも、編集著作権者として白菊遺族会の名前が併記されている。復刻に際し講談社は遺族に可能な限り連絡をとり、掲載許可を求めた。遺族に了承を求めたが得られなかった37人の箇所は空白状態になっている︵併せて約100頁分ある︶。
アガペの像(愛の像)
編集脚注
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(一)^ 中村勝五郎︵正行︶﹁後世にのこすべき遺書﹂﹃復刻 世紀の遺書﹄付録より
(二)^ ﹃復刻 世紀の遺書﹄﹁戦犯死没者名簿﹂12-55頁、﹁後記﹂743頁
(三)^ ﹃東京裁判ハンドブック﹄143頁
(四)^ 中村正行︵三代目勝五郎︶﹁後世にのこすべき遺書﹂﹃復刻 世紀の遺書﹄付録
(五)^ ﹃世紀の遺書﹄織り込み冊子﹁余禄﹂
(六)^ 上坂冬子﹃巣鴨プリズン13号鉄扉﹄では、巻頭で6名の名前を挙げている。
(七)^ 後記744頁
(八)^ abc上坂﹃巣鴨プリズン13号鉄扉﹄の巻頭
(九)^ Webcat Plusによれば、奥付に出版者として﹁白菊会出版部﹂の名がある。
(十)^ 木村可縫﹁平和への永遠の道しるべ﹂﹃復刻 世紀の遺書﹄付録
(11)^ 伊藤 2008、51-53頁
(12)^ “﹁丸の内駅前広場と﹃愛の像﹄﹂(ここに注目!︶”. NHK・解説委員室 (2017年12月7日). 2017年12月8日閲覧。[リンク切れ]
(13)^ アガペの像︵愛の像︶
参考文献
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●﹃復刻 世紀の遺書﹄巣鴨遺書編纂会編 講談社 1984年
●添付冊子は、初版︵昭28.10.31︶と復刻版︵1984年8月15日︶あり。
●牛村圭 ﹃再考﹁世紀の遺書﹂と東京裁判 - 対日戦犯裁判の精神史﹄ PHP研究所 2004年 ISBN 4569638260
●伊藤隆 編、2008年、﹃﹁戦犯者﹂を救え 笹川良一と東京裁判︿2﹀﹄、中央公論新社 ISBN 9784120039683
﹁戦犯者﹂およびその家族と笹川間の書簡288通を収録
●上坂冬子 ﹃巣鴨プリズン13号鉄扉﹄ 新潮社 1981年。新潮文庫、中公文庫、PHP研究所で再刊。
●東京裁判ハンドブック編集委員会編﹃東京裁判ハンドブック﹄青木書店 1989年
編集委員‥角谷雄幸・赤澤史朗・内海愛子・幼方直吉・小田部雄次
関連項目
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●戦争犯罪 - A級戦犯 - BC級戦犯
●極東国際軍事裁判 ︵東京裁判︶
●白菊遺族会 - 戦犯者の遺族の会
●明日への遺言 - 岡田資︵一部が収録︶
●加藤哲太郎 - 私は貝になりたい
●きけ わだつみのこえ
●雲ながるる果てに
●田嶋隆純 - 僧侶、教誨師。編著に﹃わがいのち果てる日に 巣鴨プリズン・BC級戦犯者の記録﹄︵講談社エディトリアル、新版2021年︶。評伝に、田嶋信雄﹃巣鴨の父 田嶋隆純﹄︵文藝春秋企画出版、新版2020年︶
外部リンク
編集- 市川市名誉市民(平成16年決定)、中村勝五郎略歴 市川市役所
- アガペの像(写真あり)