唐律疏義
成立の経緯
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長孫無忌等19人により編纂され、永徽4年︵653年︶に頒布された﹁永徽律疏﹂とされてきたが、仁井田陞らは開元25年︵737年︶に李林甫らによって編纂された﹁開元律疏﹂であると主張した[3]。﹃唐律疏義﹄は魏晋南北朝以来の律を集成しそれに注疏を付した内容となっている。その内容から﹁疏在律後,律以疏存︵疏は律の後に在り、律は疏を以って存す︶﹂と称され、中国のみならず東アジアでの律令体制の重要典籍となり、漢代に開始された﹁春秋決獄﹂が正式に廃止されることとなった。﹃唐律疏義﹄の正式名称は﹃永徽律疏﹄であり、﹃唐律疏議﹄の名称は後代の通称である。なお宋元代には﹃故唐律疏義﹄の名称で呼ばれていた[3]。
高宗の詔勅で﹁律学未有定疏,毎年所挙明法,遂無憑準︵律には公式の注釈がなく、毎年の科挙で基準が定まっていない︶﹂と現状を指摘し、太尉長孫無忌・司空李勣・尚書左僕射于志寧・刑部尚書唐臨・大理卿段宝玄・尚書右丞劉燕客・御史中丞賈敏行等に命じ衛禁・職制・戸婚・厩庫・擅興・賊盗・鬥訟・詐偽・雑律・捕亡・断獄の12篇・502条からなる永徽律を編纂させ、条文の後ろに注釈を加え﹃永徽律疏﹄が完成した。
﹃唐律疏義﹄は唐代にわたり改変されることなく、またその後の﹃大宋刑律統類︵宋刑統︶﹄・﹃大明律﹄・﹃大清律例﹄などの成立に影響を与えるとともに、日本[4]や朝鮮・ベトナムでの律令体制確立にも直接の影響を与えた。
日本の律への影響
編集脚注
編集参考文献
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●律令研究会 編﹃譯註日本律令5﹄ 唐律疏議譯註篇1、東京堂出版、1979年。ISBN 4-490-30212-6。
●律令研究会 編﹃譯註日本律令6﹄ 唐律疏議譯註篇2、東京堂出版、1984年。doi:10.11501/11931094。
●律令研究会 編﹃譯註日本律令7﹄ 唐律疏議譯註篇3、東京堂出版、1987年。doi:10.11501/11931141。
●律令研究会 編﹃譯註日本律令8﹄ 唐律疏議譯註篇4、東京堂出版、1996年。doi:10.11501/11931104。
●佐藤誠実 (1899). “律令考”. 國學院雜誌 5(13): 1 - 11. doi:10.11501/3364702.
●佐藤誠実 (1899). “律令考︵承前︶”. 國學院雜誌 5(14): 14 - 24. doi:10.11501/3364703.
●瀧川政次郎 (1967). “﹁律令考﹂解題”. 國學院雜誌 68(8): 6.
●仁井田陞、牧野巽﹁故唐律疏議製作年代考︵上︶﹂﹃東方学報﹄第1巻、1931年、70-158頁。
●仁井田陞、牧野巽﹁故唐律疏議製作年代考︵下︶﹂﹃東方学報﹄第2巻、1931年、50-226頁。
●川北靖之﹃日唐律令法の基礎的研究﹄国書刊行会、2015年。ISBN 9784336058775。
●川北靖之﹃日唐律比較研究序説﹄汲古書院︿律令制の諸問題 : 滝川政次郎博士米寿記念論集﹀、1984年、145-169頁。