[yamāntaka]西
大威徳明王像(平安時代、ボストン美術館蔵)

概説

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大威徳明王像(13世紀、ボストン美術館所蔵)

vajrabhairava yamāri [1] mahiasavara 

姿

gshin rje gshedrdo rje 'jigs byed

 (hrī)

[1]姿

使姿

666

[2]


チベット密教におけるヤマーンタカ

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忿(sgrub pa bka' brgyad)[3]


成立史

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1210[4][5]

姿形

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チベットでは、ヤマーンタカ(大威徳明王)を前身とし様々な尊格へと発展していった。それが、最終的に同一存在として統合された。

ヤマーンタカ=ヴァジュラバイラヴァ

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ヤマーンタカ。大英博物館所蔵

忿[2]姿[6]寿
説話
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チベット仏教の伝説では、悪鬼と化した修行僧を折伏するために文殊菩薩が変化したとも言われる。これによると昔、ある修行僧が悟りを開く直前に盗賊達に襲われ、共にいた水牛ともども首を刎ねられて殺された。 悟りの境地に至る直前にその望みを絶たれた修行僧の怒りは凄まじく、そばに落ちていた水牛の首を拾って自分の胴体に繋げ、盗賊達を皆殺しにした。彼はそれだけでは飽き足らず、ついに関係のない人々をも無差別に殺す悪鬼・死神に成り果ててしまった。これに困った人々は文殊菩薩に助けを求めた。そこで文殊菩薩はその悪鬼と同じような牛面で、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪鬼を倒した。この姿が大威徳明王(ヤマーンタカ)なのだという。

クリシュナ・ヤマーリ

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: sādhanamālā[7]姿調

ラクタ・ヤマーリ

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[6]

著名な大威徳明王像

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絵画

彫像

真言

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  • オン・シュチリ・キャラロハ・ウン・ケン・ソワカ[9](oṃ ṣṭrīḥ kāla-rūpa hūṃ khaṃ svāhā[9])など。

ギャラリー

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脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、他と姿形が異なり、格も落ちる。
  2. ^ 陰茎を怒張させている。

出典

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(一)^  

(二)^ pp180-186

(三)^ 西  pp108-109p161

(四)^  2021, p. 108.

(五)^  2021, p. 112.

(六)^ ab 2021, p. 94.

(七)^  2021, p. 92.

(八)^   ()[1]

(九)^ ab2017430p209

参考文献

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西  1982

(): 便2021127ISBN 978-4-393-11276-2 
4  

関連項目

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外部リンク

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