大工原銀太郎
大工原 銀太郎︵だいくはら ぎんたろう、1868年1月27日︿慶応4年1月3日﹀ - 1934年︿昭和9年﹀3月9日︶は、日本の農学者︵農芸化学︶。勲等は勲二等。学位は農学博士︵1911年︶。旧姓は鈴木︵すずき︶。
大工原 銀太郎 | |
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生誕 |
1868年1月27日 信濃国伊那郡南向村 |
洗礼 | 1890年(小崎弘道から) |
死没 |
1934年3月9日 京都府京都市上京区 |
墓地 | 谷中霊園(東京都台東区) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
松本中学校 東京農林学校 帝国大学農科大学 |
職業 | 農芸化学者 |
著名な実績 | 酸性土壌論 |
宗教 | キリスト教 |
来歴
編集生い立ち
編集農学者として
編集研究
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専門は農学であり、特に農芸化学に関する分野の研究に従事した。土壌の酸性化がアルミニウムによることを世界で初めて発見したことで知られる。カリウム欠乏土壌について研究していたところ、カリウム肥料を施用すると大麦の発芽や生育がむしろ悪化し[1]、硫酸カリウムに比べて塩化カリウムはよりいっそう悪化するという土壌を発見した[1]。さらに研究を進め、この土壌が酸性化していることを明らかにした[1]。
その後、農学者の間では、土壌が酸性化するメカニズムが争点となっていった[1]。大工原は﹁アルミニウム吸着説﹂[1]を提唱し、アルミニウム抱水珪酸塩によるものだと主張した[1]。一方、農学者の大杉繁は﹁水素イオン説﹂[1]を提唱し、風化により塩基が流出して[1]、塩基に対する吸収力の強い膠質物が生じ[1]、これに中性塩を加えると塩基が吸収され遊離酸を生ずると指摘した[1]。強酸塩により浸出されるアルミニウムについて、大工原の説では直接置換によると説明されており[2]、﹁直接置換説﹂とも呼ばれた。大杉の説では二次的に溶解されたと説明されており[2]、﹁間接置換説﹂とも呼ばれた。これは世界中の農学者の間で論争を巻き起こしたが[3]、最終的に大杉が1918年に﹃Soil science﹄で発表した論文により[3]、大杉の間接置換説で決着させた[3]。
信仰
編集著書
編集- 『肥料ト土壌』 神奈川県内務部、1916年
- 『土壌学講義 上、中巻』 裳華房、1916-1919年
- 『肥料問題』 越佐教育雜誌社、1923年
栄典
編集脚注
編集関連人物
編集関連項目
編集参考文献
編集- 『日本キリスト教歴史大事典』 教文館、1988年 ISBN 4-7642-4005-X
- 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年
- 同志社山脈編集委員会 『同志社山脈』 晃洋書房、2002年 ISBN 4771014086
外部リンク
編集- 大工原銀太郎先生余話 - 肥料科学研究所
- 大工原銀太郎博士のデスマスク 九州大学へ移管 - 「散策と思索」(2005年、農業環境技術研究所)