有松町
日本の愛知県知多郡にあった町
ありまつちょう 有松町 | |
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有松町 | |
廃止日 | 1964年12月1日 |
廃止理由 |
編入合併 有松町、大高町→名古屋市 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 知多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 2.98 km2. |
総人口 |
4,544人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 | 名古屋市、愛知郡豊明町、知多郡大高町、大府町 |
有松町役場 | |
所在地 | 愛知県知多郡有松町大字有松橋東南62-1(現・名古屋市緑区有松3008) |
座標 | 北緯35度03分59秒 東経136度58分15秒 / 北緯35.06625度 東経136.97094度座標: 北緯35度03分59秒 東経136度58分15秒 / 北緯35.06625度 東経136.97094度 |
ウィキプロジェクト |
現在の名古屋市緑区の一部(有松町大字有松・有松町大字桶狭間・桶狭間切戸・桶狭間清水山・桶狭間神明・桶狭間森前・清水山・南陵・文久山・有松・桶狭間・桶狭間上の山・桶狭間南など)である。
概要
編集沿革
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●1340年︵興国元年・暦応3年︶ - 桶狭間村が開拓される。
●1608年︵慶長13年︶ - 尾張藩が桶狭間村と鳴海村の間に新たな村︵後の有松村︶を開拓。高札により知多郡全域に移住を呼びかける。
●1625年︵寛永2年︶ - 有松村が桶狭間村から分立。
●1784年︵天明4年︶ - 村全域が火災により焼失する。
●1876年︵明治9年︶ - 追分村、追分新田、木之山村、八ツ屋新田、又右衛門新田、伊右衛門新田、桶狭間村、長草村が合併し、共和村となる。
●1881年︵明治14年︶ - 桶狭間村が共和村から分立する。
●1889年︵明治22年︶ - 町村制施行により、有松村が発足。
●1892年︵明治25年︶9月13日 -
●桶狭間村が共和村に編入される。
●有松村が町制施行し、有松町となる。
●1893年︵明治26年︶11月 - 共和村の一部︵旧・桶狭間村︶が有松町に編入される。
●1964年︵昭和39年︶12月1日 - 名古屋市緑区に編入される。旧・有松町役場は緑区役所有松支所となる[注5]。
以下、旧有松町の町域において旧有松町時代からの物件に関して生じた事項について記述する。
●1984年︵昭和59年︶3月 - 旧東海道沿いの町並みが名古屋市の﹁有松町並み保存地区﹂に指定される。
●1992年︵平成4年︶10月5日 - 町並みの建物の一部が名古屋市の都市景観重要建築物等に指定される。
●2016年︵平成28年︶5月20日 - 旧東海道沿いの町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。
●2019年︵令和元年︶5月20日 - 旧東海道沿いの町並み等が、文化庁より日本遺産に認定される。
交通
編集名所・旧跡
編集祭礼
編集- 有松天満社秋季大祭
参考文献
編集脚注
編集注釈
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(一)^ 桶迫間、桶廻間とも表記されていた。地名が桶狭間に統一されたのは1876年︵明治9年︶頃。
(二)^ ﹁知多郡の内 桶狭間村新町の儀 諸役御免許候間 望之者有之においては 彼地へ可被者也仍如件﹂という文面であった。尚、桶狭間は、桶迫間、桶廻間などと表記されていたという。
(三)^ この年が有松村が開村した年となっている。
(四)^ 名古屋市の町並み保存地区に指定されている町並みは、有松の他に﹁白壁・主税・橦木︵東区︶﹂・﹁四間道︵西区︶﹂・﹁中小田井︵西区︶﹂の計4か所である。
(五)^ 1974年廃止。跡地は有松・鳴海絞会館となっている。
(六)^ 正確には旧・有松町の駅ではなく、旧・鳴海町の駅である。
出典
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(一)^ “名古屋市:町並み保存地区”. 住宅都市局まちづくり企画部歴史まちづくり推進室 (名古屋市). (2012年10月23日). オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。
(二)^ ab“名古屋市:都市景観重要建築物等指定物件”. 住宅都市局都市計画部都市景観室 (名古屋市). (2012年9月25日) 2012年12月30日閲覧。
(三)^ マイ広報なごや 有松の町並み 重要伝統的建造物群保存地区に選定へ