櫛引町 (さいたま市)
埼玉県さいたま市大宮区および北区の町丁
櫛引町︵くしひきちょう︶は、埼玉県さいたま市の町名。現行行政地名は櫛引町一丁目及び櫛引町二丁目。櫛引町一丁目が大宮区、櫛引町二丁目が北区に属する。いずれも住居表示未実施地区[3]。郵便番号は330-0851︵一丁目︶、331-0825︵二丁目︶。
■■櫛引町 | |
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大宮西郵便局 | |
北緯35度54分44秒 東経139度36分36秒 / 北緯35.91222度 東経139.61000度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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区 | 大宮区・北区 |
人口 | |
• 合計 | 11,723人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
330-0851(一丁目) 331-0825(二丁目) |
市外局番 | 048[2] |
ナンバープレート | 大宮 |
※座標は熊野下公園の位置を示す。 |
地理
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さいたま市中北部の大宮台地上に位置し、町域の西部から東部に向かって緩やかに傾斜している。切敷川を挟んだ大成町と同様に南北に細長い町域を有し、町域の中央を櫛引通[4]が縦断する。大成町[5]、北区日進町、大宮区上小町・三橋と隣接する。地内は市街化区域で主に住宅地︵第一種住居地域[6]︶である。
地価
編集住宅地の地価は2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば大宮区櫛引町1丁目582番8の地点で17万9000円/m2、北区櫛引町2丁目453番3の地点で15万4000円/m2となっている[7]。
歴史
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もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する櫛引村で、古くは中世末期頃より存在した高鼻荘に属していた[8]。櫛引は﹃武蔵国田園簿﹄や﹃元禄郷帳﹄では串引とも称された。村高は正保年間の﹃武蔵田園簿﹄では150石︵田51石余、畑98石余︶、﹃元禄郷帳﹄では150石、﹃天保郷帳﹄では227石余であった[8]。助郷は中山道大宮宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた[8]。化政期の戸数は40軒で、村の規模は東西3町、南北15町余であった[8][9]。
●はじめは幕府領、なお村内に当たる領域は1614年︵慶長19年︶より知行は旗本安藤氏[8]。なお、検地は1643年︵寛永20年︶に実施[9]。
●1828年︵文政11年︶より大宮宿寄場55か村組合に所属していた[8]。
●幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の﹃旧高旧領取調帳﹄の記載によると、安藤次右衛門の知行[10]。
●1868年︵慶応4年︶6月19日 - 武蔵知県事・山田政則︵忍藩士︶の管轄となる。
●1869年︵明治2年︶
●1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。県庁は東京府馬喰町に置かれる。
●9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
●12月2日 - 旗本領が上知され、浦和県の管轄となる︵府藩県三治制も参照︶。
●1871年︵明治4年︶11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
●1879年︵明治12年︶3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制施行に伴い、大成村が上内野村、西内野村、櫛引村、西谷村、上加村、下加村、と合併して日進村となる[11]。日進村の大字櫛引となる。
●1925年︵大正14年︶ - 地内に大宮町立工業学校︵現、埼玉県立大宮工業高等学校、現在の所在地はさいたま市北区本郷町︶が開校する[8][12]。
●1940年︵昭和15年︶11月3日 - 日進村が北足立郡大宮町・宮原村・大砂土村・三橋村と合併し、市制施行により大宮市となる[13]。大宮市の大字となる。
●1947年︵昭和22年︶ - 地内に大宮市立第三中学校︵現さいたま市立日進中学校︶が開校する。
●1950年︵昭和25年︶2月28日 - 地内に日進幼稚園が開園する[14]。
●1956年︵昭和31年︶11月1日 - 大字櫛引の一部が分割され、桜木町四丁目の一部となる[15][8]。
●1958年︵昭和33年︶7月10日 - 区画整理の実施により、大宮市大字櫛引、下加、大成の各一部から櫛引町一丁目及び二丁目が成立[15][8]。
●1959年︵昭和34年︶4月20日 - 大字櫛引が三橋一丁目となる[16][8]。これにより大字櫛引は消滅する。
●1975年︵昭和50年︶2月28日 - 地内に深井学園明和幼稚園が開園する[14]。
●1987年︵昭和62年︶
●4月 - 地内に埼玉県立浦和通信制高等学校が、埼玉県立大宮中央高等学校と改称のうえ移転する。
●6月1日 - 地内に大宮市立西部図書館︵現、さいたま市立大宮西部図書館︶が開館する。
●8月24日 - 地内に大宮西郵便局が開局する。
●2001年︵平成13年︶5月1日 - 大宮市が、浦和市、与野市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名となる。
●2003年︵平成15年︶4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、一丁目は大宮区、二丁目が北区の所属となる。
櫛引村に存在していた小字
編集- 神明・宮前・宮後・宮下・三嶋下・三島[17]
地名の由来
編集丘が長く連なる高まりのことを「クシ」と呼んでいた。当地も台地由来の高まりが南北に長く連なっていて、その様子から地名が付けられたと思われている[8]。
世帯数と人口
編集2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
区 | 丁目 | 世帯数 | 人口 |
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大宮区 | 櫛引町一丁目 | 2,936世帯 | 6,617人 |
北区 | 櫛引町二丁目 | 2,184世帯 | 5,130人 |
計 | 5,120世帯 | 11,747人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[18]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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櫛引町一丁目 | 全域 | さいたま市立大成小学校 | さいたま市立大成中学校 |
櫛引町二丁目 | 全域 | さいたま市立日進小学校 | さいたま市立日進中学校 |
交通
編集鉄道
編集町内には鉄道は敷設されていない。日進駅・鉄道博物館駅・大宮駅が利用できる。
道路
編集- 埼玉県道216号上野さいたま線
- 埼玉県道2号さいたま春日部線 - 町域の最南端で掠める。
- 櫛引通り[4]
- 三橋公園通り[4]
施設
編集- 埼玉県立大宮中央高等学校
- さいたま市立日進中学校
- さいたま市立大宮西部図書館
- 埼玉県立職業能力開発センター
- 日進幼稚園
- 明和幼稚園
- 大宮西郵便局
- 大宮櫛引郵便局
- 川口信用金庫大宮支店
- イオン大宮店
- 櫛引町一丁目自治会館
- 櫛引町二丁目自治会館
- 県営櫛引団地
- 天満宮
- 観音堂
- 氷川神社
- 櫛引公園
- 櫛引南公園
- 櫛引北公園
- 櫛引二丁目公園
- 大宮三島公園
- 熊野下公園
- 宮後公園
脚注
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(一)^ ab“さいたま市の人口・世帯︵時系列結果︶”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
(二)^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
(三)^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年10月9日閲覧。
(四)^ abc﹃﹁街の達人﹂でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷﹄昭文社、2013年、101頁。ISBN 978-4-398-60135-3。
(五)^ 大宮区大成町と北区大成町の双方に隣接する。
(六)^ 外部リンク節の﹃さいたま市地図情報﹄を参照。
(七)^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
(八)^ abcdefghijk﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 330-331頁。
(九)^ ab新編武蔵風土記稿 櫛引村.
(十)^ ﹁旧高旧領取調帳データベース﹂の検索結果も参照。
(11)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 663頁。
(12)^ 大宮工業高校沿革 - 埼玉県立大宮工業高等学校.2019年10月8日閲覧。
(13)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 1420頁。
(14)^ ab﹃大宮のむかしといま﹄ 資料-28-29頁。
(15)^ ab﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 957頁。
(16)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 962頁。
(17)^ ﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄ 1388頁。
(18)^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
参考文献
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●﹁角川日本地名大辞典﹂編纂委員会﹃角川日本地名大辞典11埼玉県﹄角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
●﹃大宮のむかしといま﹄大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
●旧高旧領取調帳データベース
●﹁櫛引村﹂﹃新編武蔵風土記稿﹄ 巻ノ153足立郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/63。