瀬島龍三

日本の軍人・実業家

  1911︿44129 - 2007︿1994[1]4451退[2]
瀬島 龍三
瀬島龍三参謀(大尉時代)
生誕 1911年12月9日
日本の旗 日本 富山県西砺波郡松沢村
(現在の小矢部市
死没 (2007-09-04) 2007年9月4日(95歳没)
日本の旗 日本 東京都調布市
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1932年 - 1945年
最終階級 中佐(陸軍)
除隊後 実業家
墓所 築地本願寺和田堀廟所
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生涯

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初期

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191144129西[3]192413

16退19327442/315[4][5]103511162630

193813128511/51[6][7]1939141154515511194015

太平洋戦争時

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1941161281945207[8]

#194419122使[8]

19452011536[9][9][10]2[8]3[8]4 - 658調沿55#[11]

19452071[3][8][3]815819[12]24[12]

使9514[12]

シベリア抑留

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45[13]11[14][15]

東京裁判証人として出廷

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19469172033沿[16]

194318[17]1950

[18]

19472219502547006374552[19]

伊藤忠商事時代

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195631[3]1[][20]p.244

1958



1960[3]3196136196237196843197247197752197853

198156198762 [20]197211F[3]

1971463[21][22]1978[21][21][23][24][25]

[23][23][25]ASEAN[21]

198156[21][21][23][25]調調[21][23][25][23]調[25]19821987[21][25][3] 1980[3]

使[]

198459200012退

200719姿[26]530[26]1030%[26]

62190394調95[3][27]1017

軍歴

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193277 - 44[8]
1025 - [8]35[8]

1934910 - [8]

1935101 - 4 [8]
6 - 1936118 [8]

12 9[8]

1936118 [8]
12 [8]

19371211 [8]

19381312 51[8]

1939141 4[8]
5 - 5[8]

1122 - [8]

194116101 - [8]

1944198 - 1945206  [8]
12 - 1945202 使[8]

1945202 -  [8]
3 - [8]

71 - [8]

戦後の公職

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親族

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1916-20071935[28]婿

1935鹿[28][29][30][28]

2[28]

発言

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1941112650km128[31]

1996
政治的、経済的な情報を含む国力の総合的な判断を無視した。こういった情報が不足しており、民族の性格上、合理的かつ客観的な判断をせず、心情的、希望的な判断へと流れていった。[32]

と書いている。

  • 晩年にフジテレビの番組『新・平成日本のよふけ』に出演し、自らの人生や日本のこれからについて滔々と語った。この中で太平洋戦争について、個々の局面においては判断ミスがあったことを認め、戦火の拡大、日本国民及び周辺諸国への被害の拡大、敗戦についての責任の一端は自分にあるとの発言をしたが、計画戦争ではなくアメリカに石油を止められた「窮鼠猫をかむ」という防衛戦争であり、あの状況(ABCD包囲網ハル・ノート)ではあれ(真珠湾攻撃)しかなかったし、あの状況に日本を追い込んだのはアメリカの強硬政策であると開戦については不可避であったとの認識を示した。
作戦を立てるときの心構えとして、私たちは「悲観的に準備をし、楽観的に対処せよ」と教育されたのですが、これはいまでも、いろんなところに生かすことができるのではないでしょうか。人間というのは、どうしても楽観的に準備をして、そして事が起きたならば悲観的になりがちですから。 非常に不遇で、非常に苦しい目に遭ったときに、山中鹿之助は三日月を仰いで、「憂き事のなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」と詠いましたが、私たちはそういう訓練を受けたわけです。[33]



9[34]6[32]

[26]

人物評価

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42[20][20]36[20]

4[35]

[36]

ソ連との関係

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日本軍人をソ連へ労働力として提供説

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816使[37]

1996[38][12][39]

2002No.9898CC1945823[12][12]

[26] 稿119[20][20]

ソ連のスパイ

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1954CIA117006[19]

CIA西[20] [19] KGB[40]

 [41]197910[42]

各説

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参謀としての機密情報取り扱い

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使[18]

[26]

瀬島機関

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[43][43][44] [44]

昭和天皇との関係

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[45] [45]

1979殿

著書

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単著

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 1995ISBN 4-594-01809-2 

 :  PHP1997ISBN 4-569-55534-9

 PHP︿PHP2000ISBN 4-569-57427-0

共著

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 [20]54849

 : 50 1995ISBN 4-89041-264-6

91 : ? 2003ISBN 4-594-04200-7

  : 2003ISBN 4-594-03880-8

関連作品

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[46][47][48]





13 103323  - 

脚注

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注釈

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出典

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(一)^ 19112007 /  [478]. WEB. 2024511

(二)^ ITmedia姿200710261100 

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(六)^ 姿. ITmedia . (20071026). 2020218. https://megalodon.jp/2020-0218-2219-19/https://mag.executive.itmedia.co.jp:443/executive/articles/0710/26/news006.html 2020218 

(七)^  2005, pp. 545611, 3 -I -1.

(八)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxy 2005, p. 88, 1 --

(九)^ ab 2005, p. 81, 1 --

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(15)^  簿1949216NDLJP:1276156  

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(20)^ abcdefghi 2008,vol.36,p18-20.

(21)^ abcdefgh#207-215

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(25)^ abcdef  - 

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(29)^ @Engineer

(30)^  退 News2u20050128

(31)^ p.195-196

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(35)^ #p.8

(36)^   2020730

(37)^  

(38)^ 

(39)^  20034

(40)^ KGB 2007/07/13() 08:58:35

(41)^ 19922702

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(43)^ ab20 13 19112007. . 201597

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(45)^ ab1993ISBN 4-16-347550-8

(46)^ p102

(47)^   p422-424454455489-491506

(48)^ 1992p55-5694-95

参考文献

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 22005 



 ︿1987ISBN 4-16-342110-6 

  1719958ISBN 4-8083-0544-5 

  1996ISBN 4-16-352260-3

  : 1999ISBN 4-10-122421-8 

   2008ISBN 978-4-06-214838-2

 20,vol.36

D9

簿調

簿調

 簿

簿1949

関連項目

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外部リンク

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先代
新設
同台経済懇話会代表幹事
1975年(昭和50年) - 1990年(平成2年)
次代
山本卓眞
先代
越後正一
伊藤忠商事会長
1978年(昭和53年) - 1981年(昭和56年)
次代
戸崎誠喜
先代
五島昇
亜細亜学園理事長
第4代:1983年(昭和58年) -
次代
清水仁
  1. ^ 「瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人」(著:鬼塚英昭、出版:成甲書房、ISBN-10:4880862886、ISBN-13:978-4880862880)