●アスレチックスのチーフ・ベンダーは1903年に19歳でアスレチックスに投手として入団して次第に頭角を現し、この年に初めて20勝ラインに達し最高勝率投手であった。また対ナップス戦でノーヒットノーランを記録している。アスレチックスの5度の優勝に貢献し、コニー・マック監督が引退した時に﹁私の50年の監督生活で最も勝負強い投手﹂としてチーフ・ベンダーの名を挙げていた。通算212勝︵208勝とする資料もある︶。︵1953年に殿堂入り︶
●ワシントン・セネタースのウォルター・ジョンソン投手は4年目に入った。デビューしてから5勝ー14勝ー13勝ときて、25勝で最多奪三振313の結果をこの年に残した。やがて1913年から1918年まで最多勝5回︵その後1回増えて通算6回︶、最優秀防御率5回、1910年から1924年までの15年間に最多奪三振12回の記録を残したジョンソン時代の絢爛たる幕開けであった。
この年は終盤に首位打者争いが白熱して、球史に残る打率争いとなった。シーズン最終日の試合前、タイ・カッブが509打数196安打で打率.385、ナップ・ラジョイは打率.376と9厘差であった。そして首位打者を確信したカッブは最終日の試合を欠場し、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ︵現‥ボルチモア・オリオールズ︶戦のダブルヘッダーで9打数8安打を打って、最終成績は591打数227安打で打率.384となった。惜しくもラジョイの方が1厘差及ばず、カッブの首位打者が決まった。しかし、この最終戦でのラジョイの8安打について相手チームのブラウンズのオコーナー監督とハウエル・コーチがラジョイに首位打者を取らせるために、新人のコリデン三塁手をわざと後方に守らせてバントヒットを量産させたとして、オコーナーとハウエルは解雇されてやがて球界から永久追放の処分を受けた。しかも話はこれで終わらなかった。
1981年、スポーティング・ニューズ社により1910年の打撃成績の集計に誤りが指摘され、タイ・カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打で打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかしコミッショナー特別委員会はその後の八百長疑惑から監督とコーチが永久追放処分となった影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。
現在、打率1位の記録を残した選手と首位打者を獲得した選手とが違うというケースは、1902年のエド・デラハンティとナップ・ラジョイの例があるが、これはラジョイの規定試合出場数が足りないためで、この年のナップ・ラジョイとタイ・カッブの例はどちらも規定出場試合数を超えており、問題があった。また打率1位でありながら規定打席数や規定出場試合数がたびたび基準変更されたため、今日の基準から見て首位打者の資格を有しないとして、1914年のタイ・カッブ、1926年のバブルス・ハーグレイブ、1940年のデブス・ガームズ、1942年のアーニー・ロンバルディなどについて異なった見解がある。
この年の開幕戦に、当時のアメリカ大統領だったウィリアム・タフトが来場し、始球式を行ない、試合が始まってからも大統領は観戦していた。しかし堅いイスにずっと座っていたので歴代大統領の中でも最大の巨漢(140キロ)と言われたタフト大統領は7回に入ってから、席から立ち上がり体を伸ばしていると、観客は大統領のお帰りと勘違いして席を立ち拍手を送った(今でいうスタンディングオペレーション)。この出来事が後になって、7回表に観客が席を立って背伸びをする習慣(7回の背伸び)となってセブン・イニング・ストレッチの始まりとする説がある。しかしさらに遡って1869年にシンシナティ・レッドストッキングスのハリー・ライト監督が友人へ送った手紙の中に「試合が7回になると観客は固いベンチに座り続けて疲れたため脚を伸ばし、楽しげに歩き回っている」と書いており、これが記録に残る最古のセブン・イニング・ストレッチとされている。
●この年からコルク製の芯を持つボールが採用される。
●審判員の組織が体系化される。
●ゲーム毎に責任審判員が指名され、球審・塁審の指名は責任審判員が行うこととなった。
●個別の判定については各審判員の判断を尊重し、他の審判員による判定への干渉は基本的にしないこととした。
●没収試合を宣言する権限は責任審判員が担うこととなった。
●全ての選手交代について、チームのキャプテンから責任審判員に通知することが義務付けられた。
●ベンチにいる選手の過剰な野次への対応として、審判員はその選手を退場などの処分にする前に一度警告をすることになった。
●審判員に、全てのグラウンドルールを試合前に発表する義務が課せられた。
10/17 – |
カブス |
1 |
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4 |
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アスレチックス
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10/18 – |
カブス |
3 |
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9 |
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アスレチックス
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10/20 – |
アスレチックス |
12 |
- |
5 |
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カブス
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10/22 – |
アスレチックス |
3 |
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4 |
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カブス
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10/23 – |
アスレチックス |
7 |
- |
2 |
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カブス
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- 『アメリカ・プロ野球史』≪第2章 二大リーグの対立≫ 77-78P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1910年≫ 53P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ナポレオン・ラジョイ≫ 54P参照
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪チーフ・ベンダー≫ 54P参照
- 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』20-21P参照 「ウォルター・ジョンソン」1997年10月発行 日本スポーツ出版社
- 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』100-101P参照 「ナポレオン・ラジョイ」
- 『野球は言葉のスポーツ』 164P参照 伊東一雄・馬立勝 共著 1991年4月発行 中公新書