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====日本におけるちまき==== |
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倭名類聚鈔には﹁知萬木﹂という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを[[灰汁]]で煮込むという製法が載せられている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では中に[[餡]]を包み込むなど[[和菓子]]化していった。
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承平年間(931~938)に編纂された﹃[[倭名類聚鈔]]﹄には﹁'''和名知萬木'''﹂という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを[[灰汁]]で煮込むという製法が載せられている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では中に[[餡]]を包み込むなど[[和菓子]]化していった。
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もともとササではなく[[チガヤ]]の葉で巻いて作られたため'''ちまき'''と呼ばれる。ただし、後述するように包む葉はチガヤ、ササ、タケの皮、ワラなど様様である。
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もともとササではなく[[チガヤ]]の葉で巻いて作られたため'''ちまき'''と呼ばれる。ただし、後述するように包む葉はチガヤ、ササ、タケの皮、ワラなど様様である。
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2005年1月21日 (金) 08:47時点における版
粽︵粽子、糭子。ちまき︶は、もち米やうるち米、米粉などでつくった餅を三角形︵または円錐形︶に作り、ササの葉で巻き、イグサで縛った料理。葉ごと蒸したりゆで、葉を剥いて食べる。もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった。
日本におけるちまき
承平年間(931~938)に編纂された﹃倭名類聚鈔﹄には﹁和名知萬木﹂という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むという製法が載せられている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では中に餡を包み込むなど和菓子化していった。
もともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたためちまきと呼ばれる。ただし、後述するように包む葉はチガヤ、ササ、タケの皮、ワラなど様様である。
江戸時代、1697年に刊行された本草書﹃本朝食鑑﹄には4種類の粽が紹介されている。
●1 蒸らした米を搗き、餅にしてコモの葉で包んでイグサで縛り、湯で煮た物。クチナシの汁で餅を染める場合もある。
●2 うるち米の団子を笹の葉で包んだ物。御所粽、内裏粽とも呼ぶ。
●3 もち米の餅をワラで包んだ飴粽。
●4 サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿潤させ、これを原料に餅を作りワラで包んだ物。朝比奈粽と呼ばれ、駿河国朝比奈の名物という。
このうち、2は現在の和菓子屋で作られる和菓子のちまきの原型であり、現在の餅の原料は葛に代わっている。笹の葉を用いたのは川端道喜という京の菓子職人であり道喜粽とも言われる。現在でも川端家は粽を製造しており、代表的な京菓子の一つである。京都をはじめ、各地の和菓子屋で製造されるちまきは大半がこのカテゴリーに入る物と思われる。端午の節句に作る店が多い。
また、羊羹や麩饅頭をササで包んだものも、時としてちまきと呼ばれ、このカテゴリーから発展した物と考えられる。
4は最も原型に近いちまきであり、灰汁による保存と品質維持を期待した保存食といえる。鹿児島県で作られる﹁あくまき﹂、﹁つのまき﹂、長崎県で作られる﹁唐灰汁ちまき﹂に似通った製法である。また、新潟県︵筆者未詳。情報お願い致します︶や台湾においてもほぼ同じ製法のちまきが作られているという。
ただし、この朝比奈粽そのものは現在は作られていない。江戸時代にはこの原型に近い製法が日本各地で用いられていた可能性はある。
このカテゴリーは、灰汁の匂いや風味によって好き嫌いがはっきりする事がある。きな粉や砂糖を混ぜた醤油で食べる。
1は4から簡略化された形のちまきで、現在でもよく作られるちまきである。うるち米の粉で餅を作った後、これをササやコモの葉で包む。これを茹でるか蒸篭で蒸らして作る。醤油や砂糖をつけて食べる。民間でよく作られてきた物と思われ、個人的な経験として筆者の祖母が現在も作っている。
柏餅と同様に端午の節句の供物とされる。
︵未完︶
中国におけるちまき
もち米と一緒に豚肉やタケノコ、シイタケなどに甘辛く味付けしたものを竹の皮で
正四面体状に巻いて、イグサで縛り、蒸しあげた料理は﹁中華ちまき﹂と呼ばれる。