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'''アマル'''︵Harakat Amal︶は、[[レバノンの政党]]・[[民兵]]組織。[[1975年]]に[[シリア]]の支援によって結成された。[[イスラーム教]][[シーア派]]︵十二イマーム派︶が支持母体である。結成当初はイスラム教原理主義者が多く存在していたが、[[弁護士]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]市民権も持つ世俗派のナビー・ベッリーが代表に就任後は世俗路線を明確にしていった。なお、排除された[[イスラーム主義]]派は、﹁イスラーミーヤ・アマル﹂と呼ばれる反主流派を形成したが、80年代初頭に[[イラン]]のバックアップの下、[[ヒズブッラー |
'''アマル'''︵Harakat Amal︶は、[[レバノンの政党]]・[[民兵]]組織。[[1975年]]に[[シリア]]の支援によって結成された。[[イスラーム教]][[シーア派]]︵十二イマーム派︶が支持母体である。結成当初はイスラム教原理主義者が多く存在していたが、[[弁護士]]で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]市民権も持つ世俗派のナビー・ベッリーが代表に就任後は世俗路線を明確にしていった。なお、排除された[[イスラーム主義]]派は、﹁イスラーミーヤ・アマル﹂と呼ばれる反主流派を形成したが、80年代初頭に[[イラン]]のバックアップの下、[[ヒズブッラー]]が結成されて発展的解消となった。
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[[レバノン内戦|内戦]]中は[[シリア]]の支援を下に強力な民兵組織を築いていた。親シリアの姿勢が明確であり、時としてはキャンプ戦争︵シリアと[[パレスチナ解放機構|PLO]]の軍事衝突の一つ︶の様にシリアの[[傭兵]]として行動を取る事もあった。世俗路線を取る事から、原理主義を嫌悪するシーア派住民に支持されているとされ、ヒズ |
[[レバノン内戦|内戦]]中は[[シリア]]の支援を下に強力な民兵組織を築いていた。親シリアの姿勢が明確であり、時としてはキャンプ戦争︵シリアと[[パレスチナ解放機構|PLO]]の軍事衝突の一つ︶の様にシリアの[[傭兵]]として行動を取る事もあった。世俗路線を取る事から、原理主義を嫌悪するシーア派住民に支持されているとされ、ヒズブッラーと勢力を二分する。内戦終結後に武装解除され、政党化されたが、現在も限定的に重火器を保有すると考えられている。
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代表のナビー・ベッリーはレバノン国民会議(国会)の議長に就任した。 |
代表のナビー・ベッリーはレバノン国民会議(国会)の議長に就任した。 |
2009年6月30日 (火) 02:49時点における版
アマル︵Harakat Amal︶は、レバノンの政党・民兵組織。1975年にシリアの支援によって結成された。イスラーム教シーア派︵十二イマーム派︶が支持母体である。結成当初はイスラム教原理主義者が多く存在していたが、弁護士でアメリカ市民権も持つ世俗派のナビー・ベッリーが代表に就任後は世俗路線を明確にしていった。なお、排除されたイスラーム主義派は、﹁イスラーミーヤ・アマル﹂と呼ばれる反主流派を形成したが、80年代初頭にイランのバックアップの下、ヒズブッラーが結成されて発展的解消となった。
内戦中はシリアの支援を下に強力な民兵組織を築いていた。親シリアの姿勢が明確であり、時としてはキャンプ戦争︵シリアとPLOの軍事衝突の一つ︶の様にシリアの傭兵として行動を取る事もあった。世俗路線を取る事から、原理主義を嫌悪するシーア派住民に支持されているとされ、ヒズブッラーと勢力を二分する。内戦終結後に武装解除され、政党化されたが、現在も限定的に重火器を保有すると考えられている。
代表のナビー・ベッリーはレバノン国民会議︵国会︶の議長に就任した。