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[[ファイル:Edwin_Reischauer.png|サムネイル|307x307ピクセル|<small>駐日大使の頃のエドウィン・ライシャワー。</small>]] |
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ハーバード大学で本格的な日本研究が開始されたのは、1931年、ロシア生まれの東洋学者[[セルゲイ・エリセーエフ]]が教員として招聘されたときとされている<ref>{{Cite |
ハーバード大学で本格的な日本研究が開始されたのは、1931年、ロシア生まれの東洋学者[[セルゲイ・エリセーエフ]]が教員として招聘されたときとされている<ref>{{Cite journal|和書|author=ボライソ・ハロルド(BOLITHO, Harold) |date=1991-05 |url=https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/3973 |title=ハーバード大学の日本研究 |journal=世界の日本研究 |ISSN=0919-0465 |publisher=国際日本文化研究センター |volume=2 |pages=55-59 |doi=10.15055/00003967 |CRID=1390572174798070016 |access-date=2024-05-22}}</ref>。エリセーエフは日本語が堪能で、明治末期に[[東京帝国大学]]に滞在して[[夏目漱石]]や[[谷崎潤一郎]]らとも交流を深めた。
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エリセーエフが着任後に始まった日本学研究で、最初の生徒の1人が[[エドウィン・O・ライシャワー|エドウィン・ライシャワー]]である。ライシャワーは日本生まれ・日本育ちですでに日本語を話すことができたが、ハーバード大学院に入学後、エリセーエフからの薫陶を受けて東洋学全般への造詣を深めた<ref name=":7">Packard, George R., Edwin O. ''Reischauer and the American discovery of Japan'' (Columbia University Press, 2010)</ref>。ライシャワーは[[円仁]]『[[入唐求法巡礼行記]]』を扱った論文で学位を受けたのち、日本学研究者としてハーバードに着任した<ref>{{Cite web |title=Edwin O. Reischauer {{!}} Reischauer Institute of Japanese Studies |url=https://rijs.fas.harvard.edu/edwin-o-reischauer |website=rijs.fas.harvard.edu |access-date=2024-05-13}}</ref>。 |
エリセーエフが着任後に始まった日本学研究で、最初の生徒の1人が[[エドウィン・O・ライシャワー|エドウィン・ライシャワー]]である。ライシャワーは日本生まれ・日本育ちですでに日本語を話すことができたが、ハーバード大学院に入学後、エリセーエフからの薫陶を受けて東洋学全般への造詣を深めた<ref name=":7">Packard, George R., Edwin O. ''Reischauer and the American discovery of Japan'' (Columbia University Press, 2010)</ref>。ライシャワーは[[円仁]]『[[入唐求法巡礼行記]]』を扱った論文で学位を受けたのち、日本学研究者としてハーバードに着任した<ref>{{Cite web |title=Edwin O. Reischauer {{!}} Reischauer Institute of Japanese Studies |url=https://rijs.fas.harvard.edu/edwin-o-reischauer |website=rijs.fas.harvard.edu |access-date=2024-05-13}}</ref>。 |
2024年5月22日 (水) 00:11時点における版
ラテン語: Universitas Harvardiana | |
モットー | Veritas |
---|---|
モットー (英語) | Truth |
種別 | 私立、研究大学 |
設立年 | 1636年 |
資金 | 約370億ドル |
学長 | アラン・ガーバー(暫定学長) |
教員数 | 2,400人 |
学生総数 | 22,000人 |
学部生 | 6,700人 |
大学院生 | 15,200人 |
所在地 |
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ケンブリッジ 北緯42度22分28秒 西経71度07分01秒 / 北緯42.374444度 西経71.116944度座標: 北緯42度22分28秒 西経71度07分01秒 / 北緯42.374444度 西経71.116944度 |
ノーベル賞受賞者数 | 160 |
スクールカラー | クリムゾン |
スポーツ | 42チーム |
ニックネーム | Harvard Crimson |
NAICU AICUM AAU URA | |
公式サイト |
harvard |
歴史・校風
イギリス植民地時代の1636年9月18日に招集されたマサチューセッツ湾植民地の議会で﹁学校またはカレッジ﹂新設のために資金を支出することが議決されたため[11]、これが創立年とみなされている。創立時は男子校で、1650年には法人化された。 当初はピューリタンの聖職者を育成する機関として意図されており、設立当初の目的は﹁社会と教会の指導者を育成する﹂となっており、教育標語はヨハネ福音書17章3節から取った﹁神とその子キリストを知る﹂だった。現在でも神学校があり、卒業式にはプロテスタント関係者が参加するなどの関係がある。また、キャンパス内にあるメモリアル教会でも宗教関連の行事が開かれる[要出典]。 ハーバードは拡大とともに一般教育機関として成長し、新しい科目や、自由な教育方針が導入されるようになった[1]。とくに18世紀初頭にジョン・レバレット︵John Leverett︶が学長に就いたのちこの傾向が加速し、学内の施設が大幅に拡充されるとともに、入学者数も急増していった[1]。 1782年の医学部設立とともにカレッジからユニバーシティ (University) となる[12]。1817年にはハーバード・ロー・スクールが設立された[13]。 1879年に創立されたラドクリフ女子大学とは長く提携関係にあったが、1970年代にいたって施設と教員を共有する連携カレッジ制度が創設され、ラドクリフのすべての学位がハーバードから授与されるようになった。1999年にラドクリフが正式にハーバードと合併し、男女共学の学部機関となっている[1]。 校風はリベラルと言われることもあるが、政財界の中枢で活躍する卒業生を多く輩出しており保守的とみなされることも多い[1]。2023年の調査では、教員の77%が自らを﹁リベラル寄り﹂とみなしている[14]。 大学の中核キャンパスは、ボストン近郊ケンブリッジのハーバードヤードにある。3キロほど離れた場所にキャンパスがあるマサチューセッツ工科大学を筆頭に周辺には60を超える大学があり、国内有数の学園都市を形成している。特筆すべき関係者
学部・大学院
College/school | 設立年度 |
---|---|
Harvard College | 1636年 |
Medicine | 1782年 |
Divinity | 1816年 |
Law | 1817年 |
Dental Medicine | 1867年 |
Arts and Sciences | 1872年 |
Business | 1908年 |
Extension | 1910年 |
Design | 1914年 |
Education | 1920年 |
Public Health | 1922年 |
Government | 1936年 |
Engineering and Applied Sciences | 2007年 |
学部
大学院
主要大学ランキング
日本との関係
ハーバード大学関係の日本人会
●Kennedy School 日本人会[29] ●Business School 日本人会[30] ●Public Health School 日本人会[31] ●ボストン日本人研究者会[32] ●HarvardMed-J[33]学生像
人種構成 2022年時点でハーバード大学の人種構成は、白人が最も多く36%、アジア系21%、ヒスパニック系12%、黒人11%で、このほかが宇﹄国籍の学生が11%を占める。[34] 卒業生 超富裕層︵UHNW、Ultra High-Net-Worthの略︶に関するリサーチや評価を行うWealth-Xが資産が3000万ドルを超える超富裕層がどの大学に通っていたかを分析した結果︵Wealth-Xは学部と大学院両方の学位所有者を卒業生としてカウント。修了証書取得者・名誉学位受賞者・中退者などは集計から除いた︶、2017年に発表した時点で、ハーバード大学出身者は全米一位の1,906人いると報じられた[35]。学生生活・課外活動
学生寮
学生会
学生が代表を務める学部生徒会と大学院生徒会は、12の大学院および専門職大学院の学生を代表するもので、ほとんどの大学院および専門職大学院にも学生自治会がある。[36]スポーツ
その他
●WHRB: 学生により運営されているFM局︵95.3MHz︶ ●ローブ・ドラマ・センター︵Loeb Drama Center︶‥現代劇上演劇場。 ●ヘイスティ・プディング・シアトリカルズ︵Hasty Pudding Theatricals︶ ●M2: ハーバード大学ケンブリッジキャンパス、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学メディカルキャンパス︵ロングウッド地区︶の3キャンパスを結ぶシャトルバス。ハーバード大学の学生は無料で利用できる。 ●ハーバード・クリムゾン: ハーバード大学日刊の学生新聞。 ●ハーバード・ガゼット[37]: ハーバード大学の広報新聞。 ●ハーバード・ランプーン: 全米最古の風刺雑誌。キャンパス
オールドヤード
ハーバードホール︵1766年︶、マサチューセッツホール︵1720年︶、ホールデンチャペルのある付近がハーバード大学の一番古い部分であり、オールドヤードと呼ばれる。ユニバーシティーホール︵1815年、ワシントンDCアメリカ合衆国連邦議会議事堂と同じチャールズ・ブルフィンチ設計︶の裏側のメモリアル教会、ワイドナー図書館がある部分は、6月に卒業式が行われる広場でターセンテナリー劇場という。[注 2]ワズワースハウス
ワズワースハウス︵Wadsworth House︶は1726年建築で、19世紀半ばまで学長の住居だった。独立戦争時にジョージ・ワシントンが司令部を置いたことで知られる。メモリアルホール
南北戦争の戦死者を祈念して作られたゴシック風建築。内部は、サンダース劇場と呼ばれるコンサートホールになっている。毎年9月末恒例のイグノーベル賞︵ノーベル賞のパロディー賞︶の授賞式はここで行われる。下部は、ロッカーコモンズと言われ、学生食堂、溜まり場になっている。フォッグ美術館
ハーバード大学最古の美術館。西洋美術、印象派やピカソの作品が有名。連結したブッシュ・ライジンガー美術館は、北欧美術。アーサー・M・サックラー美術館
東洋美術、イスラム美術など非西洋美術が中心。東洋美術、イスラム美術や写本など非西洋美術が中心。自然史博物館
ハーバード大学の教授であった博物学者ルイ・アガシーの理想である﹃Study Nature, not books︵書籍でなく自然から学べ︶﹄を実現した博物館。鉱物学地質学博物館、比較動物学博物館、有名なガラス製植物標本があるハーバード大学標本館・植物博物館からなっている。ピーボディー考古学・民族学博物館と物理的に接続している。ルイ・アガシーは、大森貝塚を発見したエドワード・S・モースと師弟関係にある。ホリオキセンター
ホリオキセンター︵Holyoke center︶はハーバード大学の運営事務棟。一階には、ハーバード大学の案内所などがある。学生によるハーバード大学ツアーの開始点。そのほか
ザ・コープ︵英: The Coop︶ハーバード大学生協であるが、マサチューセッツ工科大学にもある。ハーバードスクエアには、書籍を扱う店とハーバードグッズを扱う店[38]の2店がある。 ハーバード大学に入学した学生は、1年次をハーバードヤードとその周辺にある寮で過ごすが、2年次から4年次卒業までは、﹁ハウス House﹂と呼ばれるシステムに属し、大部分の学生がハウスに寄宿する全寮制となっている。ハーバード大学のハウスは、ハーバードヤードからチャールズ川の間を中心に12個ある。それぞれのハウスには、専攻、学年、人種の違う学生が400人ほど集まり、専任の教員がいて指導が行われ、同窓会組織も強い。日本の皇后雅子がハーバード在学中に寄宿したローウェルハウスなど、外観が優美な建築物も多い。図書館
批判・不祥事
学長辞任
●2023年にクローディン・ゲイが黒人として初の学長に就任。しかし同年秋に起きたイスラエルとガザ間での激しい戦闘をめぐり、学内での抗議運動への対処などが融和的だとして議会で批判を集め、また教員時代の研究不正が発覚、1年足らずで辞任した[40]。2024年5月現在、同大学経済学部教授であるアラン・ガーバーが暫定学長に就いている[10]。サマーズ発言と不信任決議
カンニング
2012年5月、リベラルアーツ学部で行われた政治学︵﹁連邦会議入門﹂︶の試験で学生たちのカンニングが発生した。後日、学年の約半数にあたる125名が退学や停学、仮進級といった処分を受けた。この5月の試験は﹁Take Home Exam﹂と呼ばれ、出題された課題を学生は自宅で答案︵レポート︶としてまとめて提出するものであった[43]。 この試験は、インターネット等の資料の閲覧が認められるものの、丸写しや他の学生との相談による作成は認められていない。しかし多数の学生の答案の回答ぶりがどれも酷似していたことから、大学側が調査を開始し、学生たちの不正行為が判明した。一部の学生側からは、特定の学生のノートをコピーして資料として使用したもので、答案作成そのものを相談して作成した訳ではない、との弁明が出されたが、大学側は大量処分に踏み切った[44]。女子学生のレイプ被害
2015年9月21日、ハーバード大学は、2014年春に行なった学内での性的暴行、レイプ被害の調査結果を発表した[45]。その結果、ハーバード大学の4年生のうち、3分の1近くが在学中に様々な形での非合意の性行為と性的接触を受けていた、ハーバード大学4年生の女子学生では、そのうち、29.2%が非合意の性行為と性的接触を受けたと回答し、27校の平均値である27.2%を上回っていたという。ハーバード大学のドルー・ギルピン・ファウスト学長は9月21日、全学生と教師あてにメールを送り、そのメールの中で、この状況に対する憂慮を表明した[45][46]。献体臓器売買
2023年6月15日、ペンシルベニア州ミドル地区連邦検事事務所は、同大医学部の遺体保管責任者ら6名を、献体された遺体から臓器を密売した疑いで起訴した[47]。エピソード
フィクションに登場したハーバード大学
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脚注
注釈
出典
関連文献
- .Bethell, John T., Harvard observed : an illustrated history of the university in the twentieth century, Cambridge, Mass. : Harvard University Press, 1998.
- Bradley, Richard, Harvard rules : the struggle for the soul of the world's most powerful university, New York, NY : HarperCollinsPublishers, c2005.
- Bunting, Bainbridge, Harvard : an architectural history, Cambridge, Mass. : Belknap Press of Harvard University Press, 1985.
- Wagner, Charles A., Harvard; four centuries and freedoms, New York, Dutton, 1950.
- 菅野恵理子『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる : 21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』アルテスパブリッシング、201
- 古村治彦『ハーヴァード大学の秘密』PHP研究所、2014
関連項目
- 植民地時代に創立したアメリカ合衆国の大学の一覧
- ハーバード燕京研究所
- ハーバード・アジア国際関係プロジェクト
- ハーバード・ハウス
- 大学基金
- プライベート・エクイティ・ファンド
- ヘッジファンド
- 公平な入学選考を求める学生たち対ハーバード事件