「メルセデス・ベンツ・W201」を編集中
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=== 内装 === |
=== 内装 === |
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メルセデス最小の車種として登場したW201だが、中央に速度計を置き、右に回転計と時計を、左に燃料計・燃費計・水温計・油量計を配置した3連の計器の配置やギザギザが付けられたシフトゲートなど、その操作性や配置は上級車種と同様である。但し左右非対称のメーターナセルがなだらかに傾斜してセンタークラスタまで伸びたデザインは当時は勿論、近年までメルセデスでは他に類を見ないものであった。空調の操作系はW123で多く見られた3連ダイヤル式のマニュアルエアコンの他、海外ではW126で多く見られたボタン式のオートエアコン(クライメートコントロール)を選択することもでき、いずれも中央の送風孔の下に設置されていた。その下部にはカーステレオのヘッドユニットが配置された。また16バルブのエンジンを搭載したモデルでは更にその下に電圧計、デジタルストップウォッチ、油温計が3連で配置され、スポーティーな印象を強めていた。 |
メルセデス最小の車種として登場したW201だが、中央に速度計を置き、右に回転計と時計を、左に燃料計・燃費計・水温計・油量計を配置した3連の計器の配置やギザギザが付けられたシフトゲートなど、その操作性や配置は上級車種と同様である。但し左右非対称のメーターナセルがなだらかに傾斜してセンタークラスタまで伸びたデザインは当時は勿論、近年までメルセデスでは他に類を見ないものであった。空調の操作系はW123で多く見られた3連ダイヤル式のマニュアルエアコンの他、海外ではW126で多く見られたボタン式のオートエアコン(クライメートコントロール)を選択することもでき、いずれも中央の送風孔の下に設置されていた。その下部にはカーステレオのヘッドユニットが配置された。また16バルブのエンジンを搭載したモデルでは更にその下に電圧計、デジタルストップウォッチ、油温計が3連で配置され、スポーティーな印象を強めていた。マイナーチェンジ後はセンターパネルが下方に延長されてセンターコンソールと連続する形状になり、また木目パネルの範囲が拡大されて豪華になっている。
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=== メカニズム === |
=== メカニズム === |
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エンジンはフロントに縦置きされ、後輪を駆動するオーソドックスなもの。当初はガソリンエンジンもディーゼルエンジンも直列4気筒のみ(M102、OM601)であった |
エンジンはフロントに縦置きされ、後輪を駆動するオーソドックスなもの。しかし高速走行に耐えるためにソジウム入バルブが採用されていた。ボッシュのKジェトロニックの機械式燃料噴射が採用されていた。当初はガソリンエンジンもディーゼルエンジンも直列4気筒のみ(M102、OM601)であった。その後M102にはコスワース製のヘッドを搭載した16バルブモデルが追加された他、ディーゼルでは直列5気筒エンジン(OM602)が、ガソリンでは直列6気筒エンジン(M103)が追加投入されている。変速機は標準は4速ATだったが16バルブモデルの5速MTは[[ゲトラグ]]製だった。
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足回りはメルセデス初となる前:[[ストラット式サスペンション|マクファーソン・ストラット]]、後:[[マルチリンク式サスペンション]]であり、これらはW124など多くの車種に引き継がれてた。[[ストラット式サスペンション|マクファーソン・ストラット]]はスプリングとダンパーが別体でダブルウィッシュボーンの上側アームを省略した形式であった。16バルブのDOHCエンジンのモデルでは、後輪に油圧式のレベライザーが搭載され車高を一定に保つ機構となっていた。また動作中伸縮することで払拭面積を拡大するパノラミックワイパーが中央に一本装備されたが豪雨時にも払拭速度が遅く、また伸びる時に隣の車線や歩道まで水を飛ばす欠点があった。 |
足回りはメルセデス初となる前:[[ストラット式サスペンション|マクファーソン・ストラット]]、後:[[マルチリンク式サスペンション]]であり、これらはW124など多くの車種に引き継がれてた。[[ストラット式サスペンション|マクファーソン・ストラット]]はスプリングとダンパーが別体でダブルウィッシュボーンの上側アームを省略した形式であった。16バルブのDOHCエンジンのモデルでは、後輪に油圧式のレベライザーが搭載され車高を一定に保つ機構となっていた。また動作中伸縮することで払拭面積を拡大するパノラミックワイパーが中央に一本装備されたが豪雨時にも払拭速度が遅く、また伸びる時に隣の車線や歩道まで水を飛ばす欠点があった。 |
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*1985年 - デビューから2年以上を要してようやく発売。当初から右ハンドル仕様も用意された。価格は535万円。
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*1985年 - デビューから2年以上を要してようやく発売。当初から右ハンドル仕様も用意された。価格は535万円。
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*1986年 - 若干ギア比を変更、常用パターンにおいての加速が改善された。南[[イタリア]]の[[ナルド・サーキット]]に於いて5万キロを平均速度247.939km/hで走行した2.3-16が発売。直列5気筒[[ディーゼルエンジン]]を搭載した190D 2.5を発売、190E同様5ナンバーである。ダイムラー/ベンツ1号車から100年を記念して特別仕様車を発売。 |
*1986年 - 若干ギア比を変更、常用パターンにおいての加速が改善された。南[[イタリア]]の[[ナルド・サーキット]]に於いて5万キロを平均速度247.939km/hで走行した2.3-16が発売。直列5気筒[[ディーゼルエンジン]]を搭載した190D 2.5を発売、190E同様5ナンバーである。ダイムラー/ベンツ1号車から100年を記念して特別仕様車を発売。 |
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*1987年 - 直列6気筒エンジンを搭載した190E 2.6を発売、熱対策のためか後期型のバンパーをいち早く採用していた。190Eに装備を簡略化したアンファング、高級化したコンプレットが加わり、アンファングは日本では[[教習車]]のベース車両として使われた。火薬法が改正され、ようやく[[エアバッグ]]の認可が下りた。特別仕様車190Eエアバッグ・スペシャルを発売。 |
*1987年 - 直列6気筒エンジンを搭載した190E 2.6を発売、熱対策のためか後期型のバンパーをいち早く採用していた。190Eに装備を簡略化したアンファング、高級化したコンプレットが加わり、アンファングは日本では[[教習車]]のベース車両としても使われた。火薬法が改正され、ようやく[[エアバッグ]]の認可が下りた。特別仕様車190Eエアバッグ・スペシャルを発売。
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*1988年 - マイナーチェンジ。ボディサイドに[[ブルーノ・サッコ#サッコプレート|サッコプレート]]と通称されるプロテクトパネルが装着され、前後バンパーもデザインが変更され、エアバッグが装備された。また、ワイパーは伸縮式の「パノラマワイパー」となった。フロントシート形状も改良され、リアレッグスペースを拡大された。2.3-16を[[ドイツツーリングカー選手権]]に投入。これに伴い2.3-16は排気量を拡大し2.5-16へ発展、2.3時代には選択できたマニュアルトランスミッション車が日本仕様から外された。 |
*1988年 - マイナーチェンジ。ボディサイドに[[ブルーノ・サッコ#サッコプレート|サッコプレート]]と通称されるプロテクトパネルが装着され、前後バンパーもデザインが変更され、エアバッグが装備された。また、ワイパーは伸縮式の﹁パノラマワイパー﹂となった。フロントシート形状も改良され、リアレッグスペースを拡大された。センターコンソールが拡大された。2.3-16を[[ドイツツーリングカー選手権]]に投入。これに伴い2.3-16は排気量を拡大し2.5-16へ発展、2.3時代には選択できたマニュアルトランスミッション車が日本仕様から外された。
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*1989年 - 190E 2.6に右ハンドル車を用意。190Eおよび190E 2.6にスポーツライン登場、スポーツシートやリアスポイラーが装備された。 |
*1989年 - 190E 2.6に右ハンドル車を用意。190Eおよび190E 2.6にスポーツライン登場、スポーツシートやリアスポイラーが装備された。 |
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*1990年 - 直列4気筒SOHCエンジンを搭載した190E 2.3を発売、右ハンドルのみの設定。190D 2.5ターボを発売、左ハンドルのみの設定。190D 2.5は右ハンドルのみの設定となった。
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*1990年 - 直列4気筒SOHCエンジンを搭載した190E 2.3を発売、右ハンドルのみの設定。190D 2.5ターボを発売、左ハンドルのみの設定。190D 2.5は右ハンドルのみの設定となった。
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