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同時に大関に昇進した双葉山と粂川は関取になる前から兄弟のような付き合いをして互いに信頼し、粂川は双葉山から「兄貴」と呼ばれていた<ref>[[佐藤垢石]]著[https://dl.ndl.go.jp/pid/1123458/1/44 『耳舌談:随筆』76頁「力士と人間」,桜井書店,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション] </ref>。 |
同時に大関に昇進した双葉山と粂川は関取になる前から兄弟のような付き合いをして互いに信頼し、粂川は双葉山から「兄貴」と呼ばれていた<ref>[[佐藤垢石]]著[https://dl.ndl.go.jp/pid/1123458/1/44 『耳舌談:随筆』76頁「力士と人間」,桜井書店,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション] </ref>。 |
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その後戦況の悪化により、福岡県[[太宰府市|太宰府町]]に「双葉山相撲錬成道場」を設立という名目で疎開し、一般人や青少年に無料開放して専門的な指導員を置いて相撲を学ぶ場とするとともに、当時の報道には「屯田相撲」とも書かれていたようである。将来的には双葉山ら力士達も居住して、相撲道の発展に尽くすことを目指したものであった |
その後戦況の悪化により、福岡県[[太宰府市|太宰府町]]に「双葉山相撲錬成道場」を設立という名目で疎開し、一般人や青少年に無料開放して専門的な指導員を置いて相撲を学ぶ場とするとともに、当時の報道には「屯田相撲」とも書かれていたようである。将来的には双葉山ら力士達も居住して、相撲道の発展に尽くすことを目指したものであった。この錬成道場の開設は、戦時色が強まっていた当時の報国の意図も含まれていた。戦時中は太宰府を拠点に勤労奉仕隊を結成、[[炭鉱]]で働くなど難局を乗り切ろうとした。 |
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現役引退後には年寄・時津風を襲名して道場名を[[時津風部屋]]に改称する<ref group="注釈">ちなみに時津風部屋は、現在でも﹁双葉山相撲道場﹂の看板を正式な部屋名と共に掲げている。[[北葉山英俊]]が入門する際、﹁時津風部屋はどこですか?﹂と聞いても誰も知らず、﹁︵双葉山︶﹃道場﹄ならそこだよ﹂と教えられたという。</ref>。戦後の部屋再建においては、戦前の苦労を分かち合ってきた[[玉ノ海梅吉]]から[[銀行]]からの融資の受け方など資金のやり繰りの方法を指南してもらった。錬成場の方は1948年に福岡県へ売却されて歴史を終えた<ref name="tokittsu">﹃大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋﹄p10-11</ref>。
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現役引退後には年寄・時津風を襲名して道場名を[[時津風部屋]]に改称する<ref group="注釈">ちなみに時津風部屋は、現在でも﹁双葉山相撲道場﹂の看板を正式な部屋名と共に掲げている。[[北葉山英俊]]が入門する際、﹁時津風部屋はどこですか?﹂と聞いても誰も知らず、﹁︵双葉山︶﹃道場﹄ならそこだよ﹂と教えられたという。</ref>。戦後の部屋再建においては、戦前の苦労を分かち合ってきた[[玉ノ海梅吉]]から[[銀行]]からの融資の受け方など資金のやり繰りの方法を指南してもらった。錬成場の方は1948年に福岡県へ売却されて歴史を終えた<ref name="tokittsu">﹃大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋﹄p10-11</ref>。
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=== 模範とする土俵態度 === |
=== 模範とする土俵態度 === |
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どんな相手に対しても同じような態度で臨んだ。力水は一回しかつけず、自ら待ったをかけることはなく、相手力士がかけ声を発すれば制限時間前であっても、一回の仕切りでさえ受けて立った︵一回の仕切りで立った取組でも勝利している︶。後述のように双葉山が土俵上での短い仕切り時間に無駄な動作を嫌って極限まで集中力を高めたためだが、こうした土俵態度も今日まで力士の模範とされている |
どんな相手に対しても同じような態度で臨んだ。力水は一回しかつけず、自ら待ったをかけることはなく、相手力士がかけ声を発すれば制限時間前であっても、一回の仕切りでさえ受けて立った(一回の仕切りで立った取組でも勝利している)。後述のように双葉山が土俵上での短い仕切り時間に無駄な動作を嫌って極限まで集中力を高めたためだが、こうした土俵態度も今日まで力士の模範とされている。相撲態度に関しては文句が無かった一方で、[[横綱土俵入り]]に関しては男女ノ川と同様に腕を廻して[[柏手]]を行ったため、酷評されたことがある。後年にはそういうことは無くなったが、当初は土俵入りの際の力みも目立った。 |
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=== 残した不滅の足跡 === |
=== 残した不滅の足跡 === |