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「地獄 (キリスト教)」の版間の差分

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==== 地獄に堕ちる者の割合 ====

==== 地獄に堕ちる者の割合 ====

カトリックの前近代までの地獄観では、新約聖書の記述などから、しばしば極少数のみが救われて天国や煉獄に入り、死者の殆どは地獄に堕ちてしまう、とされてきた。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref>具体的に、18世紀のカトリックの[[聖人]]、ポルト・マウリチオの聖レオナルドは、他の聖人の啓示によると、ある例では死者33000人中、僅かに2人が天国に、3人が煉獄に行き、残り全員が地獄に堕ちることで滅ぼされた、とした。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref><ref>[http://gokyo.ganriki.net/translated/little_number.html ポルト・マウリチオの聖レオナルド「救われる人の数の少なさ」]</ref>また同じくある婦人を通じた啓示によると死者60000人のうち、僅かに3人だけが煉獄に行って救われ、残り全員が永遠の地獄に堕ちた、とした。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref><ref>[http://gokyo.ganriki.net/translated/little_number.html ポルト・マウリチオの聖レオナルド「救われる人の数の少なさ」]</ref>彼の他に、少なくとも19人の著名な[[ローマ教皇]]、カトリック聖人、教父が似たような教えを説いており、代表的なものを挙げると、聖[[トマス・アクィナス]]は、救われる者は少なく滅びる者は多いが、幾人かは天国に招かれ、それゆえ天主の望みが最高に現れる、<ref>「第1部第23問第7項 第3異論への回答」『神学大全』</ref>と主張し、教皇[[レオ1世]]は、あらゆる人のうち永遠の救いの道に至るものは少なく、それを見つけるのは殆ど難しい、と言った。<ref>Migne Latin Tomus 54. col. 302</ref>また、聖[[アウグスティヌス]]は「マニ教徒ファウストゥス論駁」の中で、教会に参加する者は多いが救われるのは僅かな者のみ、とし<ref>アウグスティヌス『マニ教徒ファウストゥス論駁 第一三巻』(Migne Latin Tomus 42. col. 291)</ref>、「ドナチストのクレスコニウス論駁」では、偽りのキリスト者は多いが本当のキリスト者は少ないので、僅かしか救われない、として<ref>アウグスティヌス『ドナチストのクレスコニウス論駁』(第三巻第六十六章)</ref>、最終的に「それゆえに、地獄に落とされる人に比べて救われる人はほとんどいない。」と結論している。他に、教皇[[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]<ref>Homelia VIIIa et XIVa</ref><ref>Homelia XIXa</ref>、聖[[アンブロシウス|アンブロジオ]]<ref>Migne PL tomus XXIV</ref>、聖イェロニモ<ref>EPISTOLA [(c) 2Kb] CXLVIII [(d) 1Kb] . AD CELANTIAM MATRONAM. De ratione pie vivendiI</ref>、聖ヒラリオ<ref>184 TRACTATUS PSALMI</ref>、聖ヨハネ・カッシアノ<ref>『修道生活についての教え』四巻第38章(JOANNIS CASSIANI ABBATIS MASSILIENSIS DE COENOBIORUM INSTITUTIS LIBRI DUODECIM LIBER QUARTUS. DE INSTITUTIS RENUNTIANTIUM. CAPUT XXXVIII. De renuntiantis praeparatione, adversum tentationes, et de paucis imitandis.)</ref>、聖アンセルモ<ref>「オドンとランゾンへの手紙」(Liber I. Epistolae II Migne. Pat. Lat. Tomus CLVIII col 1065)</ref><ref>Liber III. Epistolae XVIII, Migne. Pat. Lat. CI col 43</ref>、聖ベルナルド<ref>TROISIÈME SERMON POUR LA VEILLE DE NOËL. Sur ces paroles : « Et vous verrez demain matin éclater la gloire du Seigneur, car vous saurez que le Seigneur va venir aujourd'hui même. (Exod. XVI, 7)</ref>、シエナの聖ベルナルディーノ<ref>「罪の鏡」</ref>、聖ディオニジウス<ref>Opera selecta. Dion. Carthus.</ref>などが、よく似た内容の言及をし、20世紀ローマ教皇庁に公認された奇跡[[ファチマの聖母]]出現において、[[聖母マリア]]は、ヤンシタを通じて、次の戦争で死ぬ者の殆ど全てが地獄に堕ちる、と啓示している<ref>[http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_2.html ファチマの秘密](シスター・ルチア 第三手記からの引用)聖ピオ十世会</ref>。

カトリックの前近代までの地獄観では、新約聖書の記述などから、しばしば極少数のみが救われて天国や煉獄に入り、死者の殆どは地獄に堕ちてしまう、とされてきた。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref>具体的に、18世紀のカトリックの[[聖人]]、ポルト・マウリチオの聖レオナルドは、他の聖人の啓示によると、ある例では死者33000人中、僅かに2人が天国に、3人が煉獄に行き、残り全員が地獄に堕ちることで滅ぼされた、とした。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref><ref>[http://gokyo.ganriki.net/translated/little_number.html ポルト・マウリチオの聖レオナルド「救われる人の数の少なさ」]</ref>また同じくある婦人を通じた啓示によると死者60000人のうち、僅かに3人だけが煉獄に行って救われ、残り全員が永遠の地獄に堕ちた、とした。<ref>St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved</ref><ref>[http://gokyo.ganriki.net/translated/little_number.html ポルト・マウリチオの聖レオナルド「救われる人の数の少なさ」]</ref>彼の他に、少なくとも19人の著名な[[ローマ教皇]]、カトリック聖人、教父が似たような教えを説いており、代表的なものを挙げると、聖[[トマス・アクィナス]]は、救われる者は少なく滅びる者は多いが、幾人かは天国に招かれ、それゆえ天主の望みが最高に現れる、<ref>「第1部第23問第7項 第3異論への回答」『神学大全』</ref>と主張し、教皇[[レオ1世]]は、あらゆる人のうち永遠の救いの道に至るものは少なく、それを見つけるのは殆ど難しい、と言った。<ref>Migne Latin Tomus 54. col. 302</ref>また、聖[[アウグスティヌス]]は「マニ教徒ファウストゥス論駁」の中で、教会に参加する者は多いが救われるのは僅かな者のみ、とし<ref>アウグスティヌス『マニ教徒ファウストゥス論駁 第一三巻』(Migne Latin Tomus 42. col. 291)</ref>、「ドナチストのクレスコニウス論駁」では、偽りのキリスト者は多いが本当のキリスト者は少ないので、僅かしか救われない、として<ref>アウグスティヌス『ドナチストのクレスコニウス論駁』(第三巻第六十六章)</ref>、最終的に「それゆえに、地獄に落とされる人に比べて救われる人はほとんどいない。」と結論している。他に、教皇[[グレゴリウス1世 (ローマ教皇)|グレゴリウス1世]]<ref>Homelia VIIIa et XIVa</ref><ref>Homelia XIXa</ref>、聖[[アンブロシウス|アンブロジオ]]<ref>Migne PL tomus XXIV</ref>、聖イェロニモ<ref>EPISTOLA [(c) 2Kb] CXLVIII [(d) 1Kb] . AD CELANTIAM MATRONAM. De ratione pie vivendiI</ref>、聖ヒラリオ<ref>184 TRACTATUS PSALMI</ref>、聖ヨハネ・カッシアノ<ref>『修道生活についての教え』四巻第38章(JOANNIS CASSIANI ABBATIS MASSILIENSIS DE COENOBIORUM INSTITUTIS LIBRI DUODECIM LIBER QUARTUS. DE INSTITUTIS RENUNTIANTIUM. CAPUT XXXVIII. De renuntiantis praeparatione, adversum tentationes, et de paucis imitandis.)</ref>、聖アンセルモ<ref>「オドンとランゾンへの手紙」(Liber I. Epistolae II Migne. Pat. Lat. Tomus CLVIII col 1065)</ref><ref>Liber III. Epistolae XVIII, Migne. Pat. Lat. CI col 43</ref>、聖ベルナルド<ref>TROISIÈME SERMON POUR LA VEILLE DE NOËL. Sur ces paroles : « Et vous verrez demain matin éclater la gloire du Seigneur, car vous saurez que le Seigneur va venir aujourd'hui même. (Exod. XVI, 7)</ref>、シエナの聖ベルナルディーノ<ref>「罪の鏡」</ref>、聖ディオニジウス<ref>Opera selecta. Dion. Carthus.</ref>などが、よく似た内容の言及をし、20世紀ローマ教皇庁に公認された奇跡[[ファチマの聖母]]出現(1917年)において、[[聖母マリア]]は、ヤンシタを通じて、次の戦争で死ぬ者の殆ど全てが地獄に堕ちる、と啓示している<ref>[http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_2.html ファチマの秘密](シスター・ルチア 第三手記からの引用)聖ピオ十世会</ref>。



ただし、このような解釈は、現代のカトリック教会では一部の保守派の神学教授・聖職者<ref>[http://www.d-b.ne.jp/mikami/fc9212.htm 三上茂(南山大学教授)ファチマ・クルーセイダー]</ref>や[[聖ピオ十世会]]<ref>[http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/6844e63390d1901ee2625a32cc06b276 【死者の月】死と救われる人々の数についての黙想][[小野田圭志]](ピオ十世会司祭)</ref>など保守系団体を除くと、殆ど行われておらず、特に[[第二バチカン公会議]]以降、説教上の地獄に関する言及は減る傾向にある。教皇[[ヨハネ・パウロ二世]]は、地獄の問題は[[オリゲネス]]から始まって、ミカイル・ブルガコフやハンス・ウルス・フォン・バルタザールに至るまで、常に思想家達を悩ませてきた、としながら、教会の長として教理上は地獄の存在を肯定せざる得ないものの、そこに誰が入っているかは誰一人として分からず、果たしてキリストを裏切ったユダがそこにいるかどうかさえわからない、としている。<ref>Crossing the Threshold of Hope pp185-186</ref>

ただし、このような解釈は、現代のカトリック教会では一部の保守派の神学教授・聖職者<ref>[http://www.d-b.ne.jp/mikami/fc9212.htm 三上茂(南山大学教授)ファチマ・クルーセイダー]</ref>や[[聖ピオ十世会]]<ref>[http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/6844e63390d1901ee2625a32cc06b276 【死者の月】死と救われる人々の数についての黙想][[小野田圭志]](ピオ十世会司祭)</ref>など保守系団体を除くと、殆ど行われておらず、特に[[第二バチカン公会議]]以降、説教上の地獄に関する言及は減る傾向にある。教皇[[ヨハネ・パウロ二世]]は、地獄の問題は[[オリゲネス]]から始まって、ミカイル・ブルガコフやハンス・ウルス・フォン・バルタザールに至るまで、常に思想家達を悩ませてきた、としながら、教会の長として教理上は地獄の存在を肯定せざる得ないものの、そこに誰が入っているかは誰一人として分からず、果たしてキリストを裏切ったユダがそこにいるかどうかさえわからない、としている。<ref>Crossing the Threshold of Hope pp185-186</ref>


2012年4月26日 (木) 09:02時点における版


: hell

γεενναδης2"hell"2

22


[1][2]

[3]


"hell"γέενναδης使[4]
"": 2007

[5]姿[3]



[4][2]

[4]

22:1313:50[2]




使ΓέενναgĕhennaδηςInfernum[6]使ΓέενναГееннаδηςАдъ[7][8]

"hell"hell17[9]





日本語訳聖書における訳し分け対照表
ギリシャ語 聖書箇所 日本正教会訳聖書 ラゲ訳聖書 大正改訳聖書 口語訳聖書 新改訳聖書 新共同訳聖書
γέεννα マタイ
5:22
地獄
(ルビ:「ゲエンナ」)
地獄 ゲヘナ 地獄 ゲヘナ 地獄
マタイ
18:9
地獄
(ルビ:「ゲエンナ」)
地獄 ゲヘナ 地獄 ゲヘナ 地獄
マルコ
18:9
地獄
(ルビ:「ゲエンナ」)
地獄 ゲヘナ 地獄 ゲヘナ 地獄
ルカ
12:5
地獄
(ルビ:「ゲエンナ」)
地獄 ゲヘナ 地獄 ゲヘナ 地獄
ᾍδης マタイ
11:23
地獄
(ルビ:「ぢごく」)
地獄 黄泉 黄泉 ハデス 陰府
ルカ
16:23
地獄
(ルビ:「ぢごく」)
地獄 黄泉 黄泉 ハデス 陰府
使徒行伝
2:31
地獄
(ルビ:「ぢごく」)
冥府 黄泉 黄泉 ハデス 陰府
黙示録
1:18
地獄
(ルビ:「ぢごく」)
地獄 陰府 黄泉 ハデス 陰府
黙示録
20:13
地獄
(ルビ:「ぢごく」)
冥府 陰府 黄泉 ハデス 陰府

聖書箇所







 5:22

 5:295:30 - 

 10:2818:923:1523:33

 9:43 - 9:48

 12:5

 3:6 


 11:23

 16:18

 10:1516:23

使 2:27

使 2:31

 1:186:820:13

 20:14 

西



Herrad von LandsbergHortus Deliciarum1180
 


[10]

[10]退[11]

 3:9[10]

14


[12]183300023[13][14]600003[15][16]19[17]1[18][19][20]1[21][22][23][24][25][26][27][28][29][30][31]201917[32]

[33][34][35]

[36]

プロテスタント

ルーテル教会


17[37]




32 33[38]

[39][40][41][42][43]



[44]

[45][46][47]



 5:22 

 9:48 



1:7-1:9 使退



 20:10 

 20:15 

 21:8 



[48]

 5:2213:5022:13 9:44 8:3116:23 3:19 2:10[48]

[48]

[49]

姿姿[50]

14

 9:16 3:9[3]

 2:1[51]

[51]

(一)[51]

(二)[51]

[51]


[3]

西[3]

霊魂消滅説・絶滅説


SDASDA

万人救済説

地獄の存在を否定し、万人が天国に行くと主張するグループもある。宗教多元主義ジョン・ヒックジョン・A・T・ロビンソンは万人救済説を唱えた[52][53]

脚注



(一)^  46952 

(二)^ abc1526 - 529

(三)^ abcde187 - 191 2004

(四)^ abc5401261 - 1262  ISBN 9784764240063

(五)^  38352 

(六)^ Biblia Sacra Vulgata (Stuttgartensia)/Matthaeus

(七)^ Евангелие от Матфея (PDF)

(八)^ Полный церковнославянский словарь

(九)^ J.I. 使p.69

(十)^ abc310 - 312 2002/07  ISBN 9784877501013

(11)^  

(12)^ St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved

(13)^ St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved

(14)^ 

(15)^ St. Leonard of Port Maurice,The Little Number of Those Who Are Saved

(16)^ 

(17)^ 1237 3

(18)^ Migne Latin Tomus 54. col. 302

(19)^  Migne Latin Tomus 42. col. 291

(20)^ 

(21)^ Homelia VIIIa et XIVa

(22)^ Homelia XIXa

(23)^ Migne PL tomus XXIV

(24)^ EPISTOLA [(c) 2Kb] CXLVIII [(d) 1Kb] . AD CELANTIAM MATRONAM. De ratione pie vivendiI

(25)^ 184 TRACTATUS PSALMI

(26)^ 38JOANNIS CASSIANI ABBATIS MASSILIENSIS DE COENOBIORUM INSTITUTIS LIBRI DUODECIM LIBER QUARTUS. DE INSTITUTIS RENUNTIANTIUM. CAPUT XXXVIII. De renuntiantis praeparatione, adversum tentationes, et de paucis imitandis.

(27)^ Liber I. Epistolae II Migne. Pat. Lat. Tomus CLVIII col 1065

(28)^ Liber III. Epistolae XVIII, Migne. Pat. Lat. CI col 43

(29)^ TROISIÈME SERMON POUR LA VEILLE DE NOËL. Sur ces paroles : « Et vous verrez demain matin éclater la gloire du Seigneur, car vous saurez que le Seigneur va venir aujourd'hui même. (Exod. XVI, 7)

(30)^ 

(31)^ Opera selecta. Dion. Carthus.

(32)^  

(33)^ 

(34)^ 

(35)^ Crossing the Threshold of Hope pp185-186

(36)^ Interview a La Croix, 13 avril 1983, p.9

(37)^ 西

(38)^ 

(39)^ 2:73:1912:7

(40)^ 16:23-249-10

(41)^ 20:135:28-29使4:15

(42)^ 25:41,461:8-920:10,12-1521:8

(43)^ 

(44)^ p.381 

(45)^ 

(46)^ 

(47)^ 

(48)^ abcd102 - 103 1980

(49)^ 911977ISBN 978-4-560-05607-3 (4-560-05607-2)

(50)^   280 - 283 198610ISBN 9784326100668

(51)^ abcde1 44 - 45 西

(52)^ 

(53)^ 

関連項目

外部リンク