14世紀
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 13世紀 - 14世紀 - 15世紀 |
十年紀: |
1300年代 1310年代 1320年代 1330年代 1340年代 1350年代 1360年代 1370年代 1380年代 1390年代 |
14世紀︵じゅうよんせいき︶は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。
14世紀の歴史[編集]
世界[編集]
14世紀のユーラシア大陸では東アジアに発し中央アジアを経てヨーロッパにまで達したペストの大流行が起き、また19世紀半ばまで続くことになる小氷期がいよいよ本格化して寒冷化により農耕牧畜への大きな被害が出たため人口が大きく減少した。さらに、パクス・モンゴリカによる交易の広範な活性化により財貨の過剰流動性の制御が困難となり、また当時のユーラシア大陸全体に保有されていた銀の総量に従属する決済能力を超えて交易が拡大した結果、全世界的に経済活動が急激に縮小した。この事により歴史は新たな相へと向かう。 ヨーロッパではペストにより人口が大きく減少︵詳細は後述︶した後、イタリア・ルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換した︵イタリア・ルネサンス年表も参照のこと︶。 13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明朝やティムール朝などモンゴル帝国の体制の影響を受けながらも地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の皇帝直轄政権たる大元ウルスは中央政府の権力闘争による混乱のもと、中国本土の内乱の中から台頭した明朝の脅威から逃れるため、大都を捨て北部モンゴル高原へ退去した︵以後、北元と呼ばれる︶。一方、13世紀末に成立したオスマン帝国も勢力を拡大した。これらの中規模帝国は、モンゴル帝国の統治下で普及した黒色火薬を用いた火砲︵大砲や小銃︶を軍制の中核に据える事で戦術の大規模な変貌を来して軍隊が急激に膨張、この巨大化した軍隊を扱う戦略の再編を経てやがて歴史学で火薬帝国と呼ばれる国家体制を成立させることとなる。ペスト︵黒死病︶の大流行[編集]
正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、病原体の拡散の障壁が失われたことが、この大流行の背景にあると考えられている。日本[編集]
14世紀の日本は、時代区分上では中世、鎌倉時代後期から室町時代の初期︵南北朝時代の全期間を含む︶にあたる。鎌倉時代[編集]
2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動、平禅門の乱などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。南北朝時代・室町時代[編集]
後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏・新田義貞ら有力御家人が参入した結果鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は天皇が中華皇帝的な専制統治を行う方向性を志向しており、唐突な改革による混乱と恩賞のあり方などが武士のみならず公家の不満を招き、離反した尊氏が京都に室町幕府を開いて北朝を立て、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝と対立する︵南北朝時代︶。 その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟直義が対立する内紛︵観応の擾乱︶が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代将軍足利義満の時代まで続き、抗争により有力守護大名が南朝に奔るといった状態が繰り返される。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件﹁康暦の政変﹂も起こっており、以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する。近隣諸国との関係・琉球の情勢[編集]
元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船︵寺社造営料唐船︶の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており︵14世紀の倭寇は﹁前期倭寇﹂と呼ばれる︶、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして﹁日本国王﹂となり、大陸との交流は絶頂を迎える。 一方、当時の朝鮮半島でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た李成桂が高麗王朝を倒し李氏朝鮮が成立する。 琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明王朝に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。できごと[編集]
1300年代[編集]
詳細は「1300年代」を参照
●1300年 - 1350年頃
●メキシコのミシュテカ族によるオアハカ州モンテ・アルバン7号墓が造営される。
●1301年
●オゴデイ家のカイドゥが没し、30年にわたるカイドゥの乱が終わる。
●後伏見天皇が譲位し、第94代後二条天皇が即位。 北条師時が鎌倉幕府第10代執権に就任。
●ハンガリー国王アンドラーシュ3世の死によりアールパード朝が断絶。
●イングランド王エドワード1世が王子エドワードに﹁プリンス・オブ・ウェールズ﹂の称号を授ける。
●イングランド王位継承者としての﹁プリンス・オブ・ウェールズ﹂の始まり。
●1302年
●教皇ボニファティウス8世の回勅﹁ウナム・サンクタム︵唯一聖なる︶﹂。
●フランス王フィリップ4世による三部会の招集。
●ブリュージュの朝課事件と、続く金拍車の戦い︵コルトレイクの戦い︶でフランドルがフランスから独立。
●1303年
●アナーニ事件。
●マージ・アル・サファーの戦いでマムルーク朝がイルハン朝のシリア進軍を阻止する。
●ハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーがメーワール王国の都チットールガルを攻撃し滅亡させる。
●1305年
●元のテムル︵成宗︶にオゴデイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。
●嘉元の乱︵北条宗方の乱︶。
●1306年
●チャガタイ家のドゥアがアルタイ山脈以西からオゴデイ家を追放し中央アジアを統一。
●ボヘミア国王ヴァーツラフ3世の死によりプシェミスル朝が断絶。
●ロバート1世がスクーンでスコットランド国王として戴冠する。
●1307年
●フランス王フィリップ4世が国内のテンプル騎士団団員を一斉に逮捕。
●ドルチーノ派指導者フラ・ドルチーノが異端として処刑される。
●ハルジー朝のマリク・カーフールの南征始まる。
●ヤーダヴァ朝︵1307年︶、チャンデーラ朝︵1309年︶、カーカティーヤ朝︵1310年︶、ホイサラ朝・パーンディヤ朝︵1311年︶に遠征、貢納を約束させる。
●元のテムル︵成宗︶死去、皇后ブルガンが監国となるも、コンギラト派に打倒され、カイシャン︵武宗︶が皇帝となる。
●ラシードゥッディーンが﹃集史︵ジャーミウッタワーリーフ︶﹄をオルジェイトゥに献呈する︵補足分の完成は1314年︶。
●1308年
●神聖ローマ皇帝アルブレヒト1世が甥ヨーハンに暗殺される。
●ハンガリー国王カーロイ1世が即位し、ハンガリー・アンジュー朝が成立。
●後二条天皇が没し、第95代花園天皇が即位。
●守邦親王が鎌倉幕府第9代将軍となる。
●ルーム・セルジューク朝滅亡。
●1309年
●アヴィニョン捕囚︵教皇のバビロン捕囚︶。
●聖ヨハネ騎士団がロドス島を奪取し、ロドス騎士団と呼ばれる。
1310年代[編集]
詳細は「1310年代」を参照
●1310年
●パリ条約。神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世のイタリア遠征︵ - 1313年︶。
●皇帝ハインリヒ7世の子ヨハンが故ボヘミア王ヴァーツラフ3世の妹エリシュカと結婚しボヘミア王に選ばれる。
●1311年
●ヴィエンヌ公会議。
●イングランドのリンカン大聖堂が完成。
●尖塔までの高さは160mで初めてクフ王のピラミッドの高さを超えた建造物となる。
●北条宗宣が鎌倉幕府第11代執権に就任。
●1312年
●北条煕時が鎌倉幕府第12代執権に就任。
●ハインリヒ7世がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠される。
●ジェノヴァの航海者ランチェロット・マルチェロがカナリア諸島に到達。
●1314年
●バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
●フランスで﹁ネールの塔事件﹂が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
●1315年
●北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
●元のアユルバルワダ︵仁宗︶が科挙を復活させる︵延祐復科︶。
●モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
●ニュージーランド北島のタラウェラ山の大規模噴火︵カハロア噴火︶。
●1315年-1321年頃
●ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷期。
●1316年
●北条高時が鎌倉幕府第14代執権に就任。
●1317年
●鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる︵文保の和談︶。
●アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅﹁クォルムダム・エクスィギト﹂により清貧論争を激化させる。
●アヴィニョン教皇ヨハネス22世が回勅﹁スポンデント・パリテル﹂により錬金術を禁止。
●ジャック・フルニエ︵後の教皇ベネディクトゥス12世︶が南フランスのパミエ司教に就任する。
●この時の異端審問の記録がエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの歴史書﹃モンタイユー﹄のもととなる。
●1318年
●花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
●イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。
●マルセイユにおいて教皇と総長に不服従を示したフランシスコ会厳格派︵スピリトゥアル派︶の修道士が処刑される。
●1319年
●アルメニア大地震で、アニが壊滅的な被害。
1320年代[編集]
詳細は「1320年代」を参照
●1320年
●デリーでトゥグルク朝が成立。
●1320年の羊飼い十字軍。
●スコットランドでアーブロース宣言を採択、イングランドからの独立が決定的に。
●1321年
●ダンテ・アリギエーリが﹃神曲﹄を完成させ、この年に死去してラヴェンナに葬られる。
●東ローマ皇帝アンドロニコス2世に対し孫のアンドロニコスが反乱を起こす。
●1322年
●ミュールドルフの戦いで、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がハプスブルク家のフリードリヒ美王に勝利。
●安藤氏の内紛から津軽大乱が発生。
●1323年
●南坡の変で、元の英宗が御史大夫テクシに暗殺される。
●トゥグルク朝の王子ウルグ・ハーンが南インド遠征でカーカティーヤ朝とパーンディヤ朝を滅ぼし、ホイサラ朝を再服従させる。
●1303年とこの年のエジプトの大地震により、アレクサンドリアの大灯台が完全に崩壊する。
●1323年頃
●元から日本へ向かう東福寺造営料唐船が現在の韓国全羅南道新安郡沖で沈没。
●ウィリアム・オッカムが﹃論理学大全︵Summa Logicae︶﹄を執筆。
●1324年
●正中の変。
●後醍醐天皇の倒幕運動であるとの疑いがもたれ、土岐頼員が討ち死にし、日野資朝が流罪とされる。
●マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。
●1325年
●イブン・バットゥータのメッカ巡礼、以後30年にわたる大旅行の始まり。
●アステカ人がテスココ湖の島に都市テノチティトランを築く。
●パリ司教エティエンヌ・タンピエの神学の異端的教説に関する布告が撤回される。
●正中の宗論にて、大徳寺の宗峰妙超が南都北嶺の学僧に勝利。
●藤沢の清浄光寺が創建される。
●1326年
●嘉暦の騒動。
●北条貞顕が鎌倉幕府第15代執権に就任。わずか10日で辞職。
●北条守時が鎌倉幕府第16代執権に就任。
●チャガタイ・ハン国の東西分裂。
●ウィリアム・オッカムが異端宣告を受ける。
●1327年
●王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。
●ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。
●キプチャク・ハン国に対するトヴェリ蜂起。
●パドヴァのマルシリウスが破門される。
●ウルムのツンフト闘争。
●1328年
●元で天暦の変。
●フランスでカペー朝本家が断絶。分家のフィリップ6世が即位しヴァロワ朝が始まる。
●ルートヴィヒ4世がイタリア遠征途上のローマで神聖ローマ皇帝として戴冠する。この戴冠式は多くの貴族や教会の指導者たちが出席した。
●東ローマ皇帝アンドロニコス2世が退位させられ、孫のアンドロニコス3世が即位。
●モスクワ公イヴァン1世が、ウズベク・ハンからウラジーミル大公の位を獲得して、モスクワ大公に昇格する。
●キエフと全ルーシの府主教座がウラジーミルからモスクワに遷される。
●イスラム法学者イブン・タイミーヤがダマスクスで獄死する。
●1329年
●マイスター・エックハルトの著作と教説が異端宣告される。
1330年代[編集]
詳細は「1330年代」を参照
●1330年
●イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
●1330年頃
●兼好法師が﹃徒然草﹄を執筆。
●1331年
●元弘の乱︵ - 1333年︶。
●7月 元弘地震。この地震の罹災者から疫病が流行し、疫病封じのための知恩寺に﹁百万遍﹂の号が下賜される。
●8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。笠置山の戦い、赤坂城の戦い。
●9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。
●10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。
●元朝で﹁至順2年の疫病﹂。
●1332年
●鎌倉幕府が後醍醐天皇を隠岐島に流す。佐渡で日野資朝が、鎌倉で日野俊基が処刑される。
●デンマーク王クリストファ2世死去、デンマークの空位時代始まる( - 1340年)。
●1333年
●鎌倉幕府の滅亡。
●2月 千早城の戦い。後醍醐天皇が隠岐島を脱出し、船上山の戦いで幕府軍を退ける。
●5月 足利尊氏が六波羅探題を制圧し、近江国番場蓮華寺で幕府軍を壊滅させる。
●5月 新田義貞が鎌倉を陥落させる︵鎌倉の戦い︶。東勝寺で北条氏一族郎党が自害︵東勝寺合戦︶。
●5月 後醍醐天皇が、光厳天皇と正慶の年号を廃止する。
●建武の新政の始まり。
●6月 後醍醐天皇が京都に入る。足利尊氏が鎮守府将軍に、護良親王が征夷大将軍になる。
●7月 記録所を復置する。
●9月 雑訴決断所を設置する。
●1334年
●二条河原の落書が書かれる。
●南禅寺を五山の第一とする。
●スコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命。
●1335年
●北条時行が中先代の乱を起す。足利直義が鎌倉脱出の際に護良親王を殺害。
●ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハンによるヴィシェグラード会議。
●アヴィニョン教皇宮殿が建設される( - 1364年)。
●イルハン朝のアブー・サイードが暗殺され、フレグ王統は断絶。
●1336年
●建武政権の崩壊。
●1月 後醍醐天皇が足利尊氏追討を命じる︵建武の乱︶。
●箱根・竹ノ下の戦いで足利尊氏が結城親光を滅ぼす。
●3月 筑前国の多々良浜の戦いで足利尊氏が菊池武敏を破る。
●5月 湊川の戦いで足利尊氏が楠木正成を滅ぼし、新田義貞は逃亡。
●6月 足利尊氏が京都を制圧、千種忠顕や名和長年を滅ぼす。
●後醍醐天皇は比叡山で抵抗するも、花山院に幽閉される。
●9月 足利尊氏が擁立した北朝第2代光明天皇が即位する。
●光厳院が治天の君となり、土御門東洞院殿が天皇の御所となる(現在の京都御所の原型)。
●11月 後醍醐天皇が北朝に三種の神器を渡す。足利尊氏が是円・真恵兄弟を起草者として﹃建武式目﹄を定める。
●12月 後醍醐天皇が吉野へ逃れ吉野行宮︵吉水院ほか︶を定める︵南北朝分立︵ - 1392年︶︶。
●ハリハラとブッカがトゥグルク朝から独立を宣言し、ヴィジャヤナガル王国を建国。
●1337年
●イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる︵-1453年︶。
●フランドル伯を追放したヤコブ・ヴァン・アルテベルデがフランドル都市連合を結成する。
●1338年
●室町幕府の成立。
●5月 北畠顕家が高師直らと堺浦石津に戦うが敗死。
●7月 新田義貞が斯波高経らと越前藤島で戦うが敗死。
●8月 北朝が足利尊氏を征夷大将軍︵室町幕府初代将軍︶とする。
●レンゼ選帝侯会議により、神聖ローマ皇帝の選出にローマ教皇の承認は不必要だと決定される。
●カザフスタン東南部のバルハシ湖からイシク湖近辺のステップ地帯でペストが発生。
●1339年
●8月15日、後醍醐天皇が譲位し、第97代後村上天皇が即位。翌16日、後醍醐天皇が52歳で没する。
●北畠親房が﹃神皇正統記﹄を執筆︵ - 1343年︶。
●福建省晋江市に残るマニ教の寺院・草庵摩尼教寺︵中国国家重要文化財︶が建立される。
1340年代[編集]
詳細は「1340年代」を参照
●1340年
●サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。
●スロイスの海戦で、イングランド軍がフランス軍に勝利し、制海権を握る。
●イルハン朝のジハーン・テムルを廃し、タージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグがジャライル朝を建国。
●ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる︵ - 1392年︶。
●妙法院焼き討ち事件で佐々木道誉が上総に配流される。
●1341年
●塩冶高貞が高師直の讒言により討たれる。
●ブルターニュ継承戦争︵ - 1365年︶。
●東ローマ帝位継承戦争︵1341 - 1347年︶
●ヨハネス5世パレオロゴスとヨハネス6世カンタクゼノスの帝位争い。
●この混乱で帝国はバルカン半島の領土の多くを喪失し、小国家へと転落。
●1342年
●花園法皇が関山慧玄を開山に迎え妙心寺が創建される。
●東ローマ帝国の都市テッサロニキでゼーロータイ︵熱心党︶の反乱が起こる︵ - 1350年︶。
●1343年
●ナポリ地震による津波で近隣のアマルフィ市街が壊滅。
●1344年
●アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。
●アトス山から来たアタナシオスによりメテオラに修道院が作られる︵後のメガロ・メテオロン修道院︶。
●プラハの聖ヴィート大聖堂が設立され、プラハ大司教区が置かれる。
●至正4年の黄河大氾濫︵1344年の黄河大氾濫︶。
●1345年
●足利尊氏が夢窓疎石を開山に迎え天龍寺が創建される。
●イブン・バトゥータが泉州から上陸し、大都で元のトゴン・テムル︵順帝︶に会う。
●1346年
●クレシーの戦い。
●ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが﹁セルビア人とローマ人の皇帝﹂となる。
●オスマン朝のオルハンが東ローマ皇帝ヨハネス6世の娘テオドラ︵オルハンの妻︶を妻に迎える。
●デンマーク王ヴァルデマー4世がエストニアをドイツ騎士団に売却する。
●1347年
●ジョチ・ウルスのジャーニー・ベクによるカッファ包囲戦。
●カッファは黒海北岸クリミア半島のジェノヴァの植民都市で、この戦いからヨーロッパ最初のペスト感染が確認される。
●ヨーロッパにおけるペスト大流行。
●ペストの感染は南イタリアからアルプスを超えて全域に拡大、ヨーロッパや北アフリカの人口が激減︵ - 1351年︶。
●カレー包囲戦によりカレー市がイングランド軍に降伏︵﹁カレーの市民﹂︶。
●ハンガリー王ラヨシュ1世がナポリ女王ジョヴァンナ1世を追放、都ナポリを占領︵ラヨシュ1世のナポリ遠征︶。
●1348年
●南アルプスのフリウリ地方からケルンテン地方に至る1348年大地震発生。フィラッハで最大級の被害。
●四條畷の戦いで、高師直が楠木正行を敗死させる。南朝の吉野行宮が攻撃され、後村上天皇は賀名生行宮に退避。北朝第3代崇光天皇が即位する。
●浙江で方国珍の乱が起こる。
●イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。
●神聖ローマ皇帝カール4世の命でプラハ大学︵現カレル大学︶が設立される。
●ニュルンベルクのツンフト闘争︵ - 1349年︶。
●1349年
●足利尊氏の四男基氏が初代鎌倉公方として下向。
●京都四条河原で﹁︵貞和5年の︶桟敷崩れの勧進田楽﹂。
●セルビアで﹁ドゥシャン法典﹂が公布される。
●教皇クレメンス6世が﹁鞭打ち苦行者﹂︵フラゲラント︶を非難し禁圧する回勅を布告。
1350年代[編集]
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●1350年
●タイでアユタヤ王朝成立。
●室町幕府で足利直義と高師直との抗争が勃発︵観応の擾乱 - 1352年︶。
●1351年
●紅巾の乱。
●高師直らが族滅され、尊氏と直義の対立が激化。正平の一統により北朝の崇光天皇が廃位される。
●東ローマ皇帝ヨハネス6世カンタクゼノス主催の教会会議で静寂主義︵ヘシュカスム︶の教義が勝利する。
●1352年
●足利直義が急死する。八幡の戦いにより南朝が京都から脱出し、正平の一統が崩壊。
●広義門院寧子が治天の君の代行となり、北朝第4代後光厳天皇が即位。
●フランス王ジャン2世が、エトワール騎士団を創設する。
●1353年
●トガ・テムルが殺害され、イルハン朝が滅亡する。
●ラオス初の統一王朝であるラーンサーン王国が成立する。
●1354年
●マルマラ海沿岸のガリポリで大地震、これに乗じてオスマン帝国のオルハンが東ローマ帝国から奪取︵ガリポリ陥落︶。
●1355年
●ヴェネツィア元首︵ドージェ︶マリーノ・ファリエロのクーデターが失敗に終わる
●1356年
●神聖ローマ皇帝カール4世によって、帝国の基本的な体制を規定する金印勅書が発布される。
●ポワティエの戦い。フランス国王ジャン2世がイングランド軍の捕虜になる。
●アトス山出身の修道士アナスタシオスが、メテオラのメガロ・メテオロン修道院を創設する。
●元朝で交鈔が廃止になる。朱元璋が集慶路︵南京・金陵︶を占領し応天府と改め根拠地とする。
●1357年
●ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。
●1358年
●足利義詮が室町幕府第2代将軍となる。
●エティエンヌ・マルセルの乱、ジャックリーの乱。
●商人ハンザと都市ハンザの統合でハンザ都市同盟が正式に発足。
●ドゥブロヴニクを中心とするラグサ共和国がハンガリー王国から独立する。
●1359年
●ジョチ・ウルス、君主︵ハン︶乱立時代に入る︵ - 1378年︶。
●ルドルフ4世︵建設公︶がオーストリア大公を自称。また同年、ウィーンにシュテファン大聖堂を建立。
●筑後川の戦いで九州における南朝側が優位に立つ。
1360年代[編集]
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●1360年
●ブレティニー条約︵ブレティニ・カレー条約︶が結ばれる。
●イギリス王はフランス王位請求権を破棄、イギリス王のガスコーニュ・ギュイエンヌ領有をフランス王は承認。
●1361年
●康安の変で、幕府執事細川清氏が佐々木道誉らにより失脚させられる。
●スコータイ朝のリタイ王がスリランカから高僧を招き出家する。
●これはタイの君主として初めての出家で、経緯を記録したマンゴー林石碑が建てられる。
●1362年
●デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる︵ - 1370年︶。
●1363年
●ヴァロワ家のフィリップ豪胆公がブルゴーニュ公となる︵ブルゴーニュ公国の成立︶。
●ルドルフ4世がチロル伯領を奪取。
●鄱陽湖の戦い。
●1364年
●アヴィニョン教皇宮殿が完成する︵1335年 - ︶。
●ポーランド最古のクラクフ大学︵ヤギェウォ大学︶が創建される。
●1365年
●元で皇太子アユルシリダラと結んだ将軍ココテムルがボロト・テムル政権を倒す。
●オーストリア公ルドルフ4世がウィーン大学を創設する。
●1366年
●オスマン帝国のムラト1世がブルサからエディルネに遷都。
●貞治の変で、幕府執事斯波義将とその父斯波高経が佐々木道誉らに失脚させられる。
●カスティーリャ王ペドロ1世が庶兄エンリケに追放される︵第一次カスティーリャ継承戦争の始まり︶。
●1367年
●ナヘラの戦いで、エドワード黒太子の協力によりペドロ1世がカスティーリャ王に復帰。
●フランス王シャルル5世による王室文庫が設立される︵フランス国立図書館の始まり︶。
●1368年
●摂津国住吉行宮で後村上天皇が死去し、第98代長慶天皇が即位。
●足利義満が室町幕府第3代将軍となる。 応安の半済令施行。
●朱元璋が応天府︵南京︶にて明朝を建て、一世一元の制のもと洪武帝となる。
●明軍の北伐により元朝の順帝は大都を捨て、漠北に逃れる︵北元︶。
●アウクスブルクのツンフト闘争が成功する。
●1369年
●モンティエルの戦いでカスティーリャ王ペドロ1世が殺害される。
●殺害したトラスタマラ伯エンリケがエンリケ2世として王位に就く︵トラスタマラ朝の成立︶。
●ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公とフランドル女伯マルグリット3世の結婚。
●南朝方の左兵衛督楠木正儀が北朝方に出奔する。
●日本最大の板碑である野上下郷石塔婆︵埼玉県秩父郡長瀞町︶が建立される。
1370年代[編集]
詳細は「1370年代」を参照
●1370年
●ティムールがアミール・フサインを倒しバルフを占領、さらにサマルカンドに遷都。
●西チャガタイ=ハン国の﹁キュレゲン﹂として、マー・ワラー・アンナフルを統一。
●リモージュの虐殺。
●シュトラールズント条約がデンマークとハンザ同盟の間で結ばれる。
●北元の順帝︵トゴン・テムル︶が応昌府にて死去。
●息子のアユルシリダラが即位し、カラコルムに移動。
●応昌府が明によって攻略され、﹁元主嫡孫﹂マイダリ・バラが捕虜となる。
●1371年
●明の洪武帝による海禁令。
●﹁日本国王良懐﹂が明に遣使し、冊封を受ける。
●後光厳天皇が譲位し、北朝第5代後円融天皇が即位する。
●現存最古の﹃古事記﹄の写本が真福寺︵大須観音︶の僧賢瑜により筆写される。
●スコットランド王ロバート2世が即位して、ステュアート朝が始まる。
●マリツァ川の戦いで、オスマン帝国軍がセルビア諸侯連合軍を撃破する。
●戦後まもなくセルビア皇帝ステファン・ウロシュ5世が急逝し、ネマニッチ朝は断絶。
●1372年
●万里の長城の最西端にある嘉峪関を設置する。
●九州探題今川了俊により太宰府陥落、懐良親王と菊池武光らを追う。
●1373年
●英葡永久同盟。
●北朝軍が南朝の河内天野行宮を攻略。
●明の洪武帝が﹃祖訓録﹄を頒布。
●1375年
●アステカ王国の成立。
●八聖人戦争で、フィレンツェとローマ教皇庁が戦う。
●﹁カタロニア地図︵フランス国立図書館蔵︶﹂が作成される。
●マムルーク朝がキリキア・アルメニア王国を滅ぼす。
●明で歴史上最大の紙幣である大明宝鈔が発行される。
●1375年頃
●チムー王国がトゥクメのシカン文化圏を征服する。
●1376年
●イングランドで﹁善良議会﹂が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。
●シュヴァーベン都市同盟がウルムで結ばれる。
●空印の案。
●1377年
●イングランドで﹁悪政議会﹂が招集される。エドワード3世が死去し、孫のリチャード2世が国王に即位。
●ヴェネツィアで世界最初の﹁海上検疫﹂が行われる。
●教皇グレゴリウス11世がアヴィニョンからローマに帰還。
●イブン・ハルドゥーンが﹃助言書﹄の第一部﹁歴史序説︵ムカディマ︶﹂を執筆。
●ジャワ島中東部のマジャパヒト王国がスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を征服する。
●1378年
●花の御所の造営開始。
●神聖ローマ皇帝カール4世がパリのフランス王シャルル5世を訪問。この訪問は両国間の政治的・文化的な交流を深める目的があり、多くの議題が話し合われた。この年に皇帝カール4世が死去。
●ローマとアヴィニヨンで教皇が分立し、教会大分裂︵シスマ︶。
●フィレンツェでチョンピの乱が起きる。
●モスクワ府主教位をめぐるミチャイ事件。
●1379年
●康暦の政変で、管領細川頼之が斯波義将らに失脚させられる。
1380年代[編集]
詳細は「1380年代」を参照
●1380年
●クリコヴォの戦いでルーシ諸侯連合軍がジョチ・ウルスに勝利。
●キオッジャの戦いでヴェネツィアがジェノヴァに勝利し覇権を確立する。
●胡惟庸の獄。洪武帝が中書省を廃止し、六部を皇帝の直属とする。五軍都督府の設置。
●1381年
●イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす︵ワット・タイラーの乱︶。
●明で全国に里甲制を導入し、魚鱗図冊・賦役黄冊の作成を行う。万里の長城の最東端にある山海関が整備される。
●雲南地方の梁王バツァラワルミが明に滅ぼされる。
●オスマン帝国のムラト1世が東ローマ帝国を属国とする。
●1382年
●明で錦衣衛が創設される。
●足利義満により相国寺が創建される。北朝第6代後小松天皇が即位する。
●ポーランドのチェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院に﹁黒い聖母﹂が納められる。
●ウエストミンスター大聖堂で、イギリス王リチャード2世と神聖ローマ皇女アンの成婚が行われる。
●ナポリ女王ジョヴァンナ1世が暗殺され、アンジュー家傍流のカルロ3世が即位。
●ハーッジー2世を廃位したバルクークがマムルーク朝の君主となる︵バフリー・マムルーク朝からブルジー・マムルーク朝へ︶。
●1383年
●長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
●1385年
●ポーランド王国とリトアニア大公国がクレヴォの合同を結ぶ。
●ジョアン1世がアヴィス朝を創始。アルジュバロタの戦いでカスティーリャ王国軍撃破。
●カンブレー二重結婚。
●1386年
●ポーランド・リトアニア連合王国成立︵ヤギェウォ朝︶。
●ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。
●フランスでカルージュ対ル・グリ事件︵最後の決闘裁判︶。
●イングランドで﹁驚嘆議会﹂が召集される。
●南禅寺を首位とし京都・鎌倉を並立させる五山制度が成立する。
●1388年
●ブイル・ノール湖畔の戦いで明が北元に勝利。
●逃亡したトグス・テムル︵天元帝︶が殺害され、王子ディボド︵地保奴︶は琉球に配流される。
●北元でクビライ家の皇帝︵ハーン︶が断絶し、アリクブケ家に帝位が移る。
●イングランドで﹁無慈悲議会﹂が召集され、国王リチャード2世の寵臣らが弾劾される。
●バイヨンヌ条約によりトラスタマラ朝カスティーリャ王国が再統一される。
●威化島回軍により、李成桂が政変を起こし高麗の実権を握る。
●1389年
●コソヴォの戦いで、オスマン帝国がセルビアを従属させる。
●オスマン帝国のムラト1世が謁見の際にセルビア人貴族ミロシュ・オビリッチに暗殺される。
●ファルシェーピングの戦いで、デンマーク=ノルウェー摂政マルグレーテが勝利し、メクレンブルク家のスウェーデン王アルブレクトを廃位する。
1390年代[編集]
詳細は「1390年代」を参照
●1390年
●熊野新宮の遷宮で現存最古の﹁古神宝類︵国宝︶﹂が奉納される。
●朱元璋が雲南地方を明に併合し、雲南布政司を置く。
●李善長の獄。
●1391年
●明徳の乱で、山名氏清が幕府軍に討たれる。
●1392年
●高麗の恭譲王を廃位した李成桂が王となり李氏朝鮮を建国。
●明徳の和約による南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
●フランス国王シャルル6世が発狂する。
●モスクワ大公ヴァシーリー1世がニジニー・ノヴゴロド・スーズダリ公国を併合する。
●チベット仏教の僧ツォンカパが﹁ガワドン︵dga ba gdong︶の啓示﹂を受ける。
●1393年
●オスマン帝国のタルノヴォ征服により第二次ブルガリア帝国が滅亡する。
●フランスで﹁燃える人の舞踏会﹂事件。
●藍玉の獄。
●1394年
●足利義満が将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
●李成桂が開京︵開城︶から漢陽︵漢城、今のソウル︶に遷都。
●1395年
●ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かる︵ミラノ公国の成立︶。
●テレク河の戦いで、ティムールがジョチ・ウルスのトクタミシュに勝利、ティムールはジョチ・ウルスの都サライを破壊。
●1396年
●ニコポリスの戦いで、オスマン帝国がキリスト教諸国同盟軍を撃破する。
●1397年
●カルマル同盟成立し、デンマークが盟主となる。
●足利義満が北山山荘︵その一部が現在の鹿苑寺金閣︶の造営を始める。
●1398年
●ティムールのインド北部侵攻。トゥグルク朝を敗走させティムールはデリーに入城。
●リューネブルクとリューベックを結ぶ塩街道にシュテックニッツ運河が開通する。
●1399年
●靖難の変で、燕王朱棣が建文帝に対し兵を上げる。
●李氏朝鮮に、大内義弘自らが百済の後裔だと主張し、土地割譲求める。
●応永の乱で、首謀者大内義弘戦死、義弘の弟大内弘茂降伏。
●イングランド王リチャード2世が廃位され、ヘンリー4世が即位してランカスター朝が成立。
1400年代[編集]
詳細は「1400年代」を参照
●1400年
●ベトナムで胡季犛が陳朝を滅ぼし胡朝初代君主となる。