小山政長
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小山 政長︵おやま まさなが、生没年不詳︶は、室町時代から戦国時代の武将。小山成長の子。小山小四郎、小山高朝の養父。左京大夫。
永正7年︵1510年︶、古河公方足利政氏・高基が対立し、関東諸侯も2派に分かれて抗争した。小山氏も成長が政氏を小山祇園城に迎えるなど政氏派の主力となって活動したが、永正11年︵1514年︶に佐竹義舜・岩城由隆らと共に宇都宮成綱を攻撃したが、結城政朝に敗れ、政氏方は次第に劣勢になる。
永正13年︵1516年︶、小山氏が高基に転向、政氏は祇園城を追われ、隠居を余儀無くされる。この背景には政長が父成長に代わって小山氏の実権を掌握し、事実上の小山氏の指導者となったからではないかと思われる︵この前後、成長の消息は途絶える︶。しかし、年代は不明ながら政長は男子を残さずに若年のうちに死去してしまったとされる。その跡をめぐって、同族の山川氏出身の小四郎と同じく同族の結城政朝の三男・高朝が争い、高朝が家督を継承した。これにも古河公方家の対立︵足利高基と晴氏︶が関係しているとも、小四郎が先に家督を継いでいたが高朝に奪われたともいわれている。