「尹東柱」を編集中
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{{朝鮮の人物 |
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'''尹 東柱'''︵ユン・ドンジュ<ref>{{Cite web|和書 |title=尹東柱とは |url=https://kotobank.jp/word/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1-33067 |website= |access-date=2022-12-31 |language=ja |first= |last=}}</ref>、{{lang-ko-short|'''윤동주'''}}、{{lang-en-short|'''Yun Dong-ju'''}}、[[1917年]][[12月30日]]<ref>戸籍上は1918年12月30日生まれとなっている。これは出生届けが遅れたため。伊吹︵1984︶p.258-259.</ref> - [[1945年]][[2月16日]]︶は、[[中華民国]]時代の[[満州]]出身の[[朝鮮族|朝鮮人]]の[[詩人]]である。[[朝鮮語]]で多数の[[詩]]を創作し、代表作﹁故郷の家――満州でうたう﹂︵1936年︶を通して心の故郷(南の空のそこ—朝鮮半島を意味)への愛を表現した。<ref>{{cite journal|和書|title=윤동주의 ‘고향’과 시적 도정|journal=한국학연구|date=2020年5月|issue=57|page=126|author=이단비|url=https://newdept.inha.ac.kr/sites/inhakorea/upfiles/tb_kor_study/57/04.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210218034352/https://newdept.inha.ac.kr/sites/inhakorea/upfiles/tb_kor_study/57/04.pdf|archivedate=2021-02-18}} 日本語訳‥{{Cite web|和書|title=故郷の家――満州でうたう|publisher=福岡・尹東柱の詩を読む会|date=2007-08-19|last=|first=|url=https://dongju-fukuoka.at.webry.info/200708/article_4.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210218035307/https://dongju-fukuoka.at.webry.info/200708/article_4.html|archivedate=2021-02-18|accessdate=2021-02-18}}</ref>[[福岡刑務所]]で獄死した。死後に﹃{{仮リンク|空と風と星と詩|ko|하늘과 바람과 별과 시}}﹄などの作品が知られるようになった。創氏改名<ref>1940年2月11日~8月10日の﹁設定創氏﹂申請受付期間中に一家で﹁平沼﹂との創氏届け提出。1942年1月に改名届を提出し、読み仮名を日本の[[音読み]]へ変更。</ref>後は﹁平沼東柱﹂となり<ref name=":4" /><ref name=":8">﹁尹東柱 青春の詩人﹂,宋友恵,筑摩書房,1991年10月</ref><ref name=":7">﹁韓国と日本国﹂ p125 , 權五琦&[[若宮啓文]] · 2004年11月,[[朝日新聞社]]</ref>、以後は[[中国]]と[[日本国籍]]であった<ref name="楊智強2018">{{cite book|和書 |title=最陌生的鄰居‥韓國 |ISBN=9789570531640 |publisher=[[商務印書館]] |date=2018年9月 |location=台湾 |last=楊智強 |url= |language=中国語}} 孫引き‥{{cite news|和書 |title=延邊朝鮮族‥全中國﹁最聽話﹂的少數民族自治州 |publisher=關鍵評論網 |location=台湾 |date=2018-10-08 |last=楊智強 |first= |url=https://www.thenewslens.com/article/105343 |archiveurl=https://archive.is/8qFWD |archivedate=2021-02-18 |language=中国語 |quote=尹東柱去世時,雖然國籍為中國與日本雙重國籍 }}</ref><ref name=":7" />。
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|title=尹東柱 |
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'''尹 東柱'''︵ユン・ドンジュ、{{lang-ko-short|'''윤동주'''}}、{{lang-en-short|'''Yun Dong-ju'''}}、[[1917年]][[12月30日]]<ref>戸籍上は1918年12月30日生まれとなっている。これは出生届けが遅れたため。伊吹︵1984︶p.258-259.</ref> - [[1945年]][[2月16日]]︶は、[[中華民国]]時代の[[満州]]・[[間島]]出身の[[朝鮮民族]]の[[詩人]]である。[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]に[[朝鮮語]]で多数の[[詩]]を創作したが、[[日本]]の[[刑務所]]で27歳の若さで獄死。死後に﹃空と風と星と詩﹄などの作品が知られるようになった。一部の資料によると、存命時は日本籍であったとされる<ref name="楊智強2018">{{cite book|和書|title=最陌生的鄰居‥韓國|ISBN=9789570531640|publisher=[[商務印書館]]|date=2018年9月|location=台湾|last=楊智強|url=|language=中国語}} 孫引き‥{{cite news|title=延邊朝鮮族‥全中國﹁最聽話﹂的少數民族自治州|publisher=關鍵評論網|location=台湾|date=2018-10-08|last=楊智強|first=|url=https://www.thenewslens.com/article/105343|archiveurl=https://archive.is/8qFWD|archivedate=2021-02-18|language=中国語|quote=尹東柱去世時,雖然國籍為日本,但他自認為是朝鮮人}}</ref>。
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[ファイル:Yun dj & Mun Ih & Chang Jh.jpg|thumb|中学時代の友人と撮った写真。後列右が尹東柱、中央がクリスチャンで民主化運動指導者の{{仮リンク|文益煥|ko|문익환}}牧師。]]
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1917年12月30日、[[満洲]]の北[[間島]]地域である[[中華民国]][[吉林省 (中華民国)|吉林省]][[竜井市|延吉県]]明東村︵現・[[中華人民共和国]][[吉林省]][[延辺朝鮮族自治州]]龍井市明東村︶にて |
[[1917年]]12月30日、[[満洲]]の北[[間島]]地域である[[中華民国]][[吉林省 (中華民国)|吉林省]][[竜井市|延吉県]]明東村︵現・[[中華人民共和国]][[吉林省]][[延辺朝鮮族自治州]]龍井市明東村︶にて尹永錫・金龍の長男として生まれた<ref name="京都地裁">昭和十九年三月三十一日, [[京都地方裁判所]]第二刑事部, 平沼東柱の判決.</ref>。父方の曽祖父は[[咸鏡道]]の[[鍾城郡]]︵現在の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]][[咸鏡北道]][[清津府]]から間島に移住した朝鮮人移民<ref name="西日本新聞2017">{{cite news|title=西日本新聞セレクト九州の100冊︻九州の100冊︼~リクエスト編︵中︶﹃空と風と星と詩﹄ 尹東柱 今宵も星が風に吹きさらされる|work=[[西日本新聞]]|date=2017-04-27|last=|first=|url=http://www.nishinippon.co.jp/feature/kyushu_select_books/article/324569/|archiveurl=http://web.archive.org/web/20171206154345/http://www.nishinippon.co.jp/feature/kyushu_select_books/article/324569/|archivedate=2017-12-06|quote=東柱は一九一七年、中国東北部の北間島明東村で朝鮮人開拓民の子孫として生まれた。}}</ref>。1900年、祖父の尹夏鉉が明東村に移り住み、一家は1910年頃に[[キリスト教]]に入信していた。尹夏鉉は開拓によって小地主となり、地域のキリスト教会の長老であった。また、東柱が生まれた当時、父は明東学校の教員であった。幼名は海煥︵{{Lang|kn|해환}}︶で、のちにこの名を[[号 (称号)|号]]とした。
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⚫ | 1932年3月に[[満州国]]が建国され、龍井を含めた満州地域全土が日本統治下となった。同年4月に龍井にあるキリスト教系学校・恩真中学に入学、一家も龍井に移住した。1935年に同様に日本統治にあった朝鮮半島の[[平壌]]のプロテスタント系学校・[[崇実中学校]]に編入学するが、崇実中学は神社参拝問題のために[[1936年]]に当局によって廃校とされた。東柱は満州国龍井に帰り、日本人経営の光明学園中学部に編入。1936年頃より、[[延吉市|延吉]]で発行されていた雑誌『カトリック少年』に、「尹童柱」「尹童舟」などの名義で童詩を発表し始める。 |
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===満洲国時代=== |
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1932年3月に[[満州国]]が建国され、龍井を含めた満州地域全土が日本統治下となった。同年4月に龍井にあるキリスト教系学校・恩真中学に入学、一家も龍井に移住した。1935年に同様に日本統治にあった朝鮮半島の[[ |
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その後、[[京城府]](現・[[ソウル特別市|ソウル]])の延禧専門学校(現代の日本における「専門学校」レベルではなく、戦前の日本における「[[旧制専門学校]]」で[[高等教育機関]]。現・[[延世大学校]])文科に入学し、在学中に朝鮮語講座を担当していた[[崔鉉培]]から朝鮮語を学んでいる<ref name=":2">[http://japanese.joins.com/article/456/231456.html 中央日報 2017年07月20日【コラム】韓日中が詩人・尹東柱を記憶する方法(1)]</ref>。 |
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[[1938年]]、日本人経営の光明学園中等部を卒業した。その後、[[京城府|京城]]([[ソウル特別市|ソウル]])の延禧専門学校(現・[[延世大学校]])文科に入学し、在学中に朝鮮語を担当していた[[崔鉉培]]から朝鮮語を学んでいる。1940年に卒業後の日本本土の大学進学のため渡航しやすくするため[[創氏改名]]に申請し、「平沼東柱」とした<ref>中央日報 2017年07月20日【コラム】韓日中が詩人・尹東柱を記憶する方法(1)[http://japanese.joins.com/article/456/231456.html]</ref> 。この間、[[朝鮮日報]]や雑誌『少年』に詩を投稿している。1941年12月、延禧専門学校を卒業。学校卒業時に、代表作となる「序詩」を含む自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画するが、恩師とも相談の上、時局柄出版は難しいとの判断から出版を断念、自薦詩集として3部を制作。1部は恩師にもう1部は友人のチョン・ピョンオクに託す。 |
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===大学進学前後=== |
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1940年2月11日~8月10日の﹁[[設定創氏]]﹂申請受付期間中に尹一家は、一家の氏を﹁平沼﹂とすることを希望する創氏届けを提出した<ref name=":8" /><ref name=":7" />。この間、[[朝鮮日報]]や雑誌﹃少年﹄に詩を投稿し、掲載されている。1941年12月、延禧専門学校を卒業した。卒業時に、死後に代表作となる﹁序詩﹂を含む自選詩集﹃空と風と星と詩﹄の出版を計画するが、恩師と相談の上で戦時中の時局柄、出版は難しいとの判断した。出版を断念した代わりに、自薦詩集として3部を自主制作した。1部は相談した恩師に、もう1部は友人のチョン・ピョンオクに渡している<ref>空と風と星と詩: 尹東柱全詩集 -p 216, 尹東柱 ,1984</ref>。
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一旦帰郷した東柱は、日本で |
一旦帰郷した東柱は、父に日本で医学部に留学を勧められたが、自身は文学部への進学を希望していたため進学先について揉める。最終的に父の医学部進学希望を拒否し、東柱は[[1942年]]に日本に渡り、4月に自身の望みだった[[立教大学]][[立教大学大学院文学研究科・文学部|文学部]]英文科選科に入学する。同年9月、[[京都市|京都]]に移り、10月[[同志社大学]][[同志社大学文学部|文学部]]英文学科選科に入学する。
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[[太平洋戦争]]の真っただ中だった時代で戦争以前から現在の[[高等学校]]レベル以上の高等教育を受けられるのは日本籍でも珍しく、第2次世界大戦時で日本の若者たちは[[徴用]]や戦場へ[[徴兵]]されたりしている状況だった。現在の[[韓国]]において、日本統治時代には朝鮮人が[[ハングル]]の使用を禁止されていたと信じられているが、[[趙甲濟]]によれば、東柱はチェヒョンベ教授の朝鮮語の講義を受けるなど同志社大学の自由な学風を堪能し、宋夢奎ら友人たちとかなり安定した留学生活を送ることができたという記述があったことを述べている<ref>{{Cite web| author = [[趙甲濟]] | url = https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=133344&cpage=1&no=116839 | title = '윤동주 소개 내용' 리뷰(Review) | website = 趙甲濟.com | date = 2016-02-17 | accessdate = 2020-09-28 | language = ko }}</ref>。 |
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1943年7月 |
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[[1943年]]7月14日、以前から[[朝鮮独立運動]]をしていた従兄の宋夢奎と日本の朝鮮での政策を非難したり、他の留学していた朝鮮人らに対して朝鮮独立を訴えたり、民族運動の煽動したとして[[治安維持法]]違反容疑で逮捕された<ref>﹃特高月報﹄︵1944年1月20日︶の﹁朝鮮人運動の状況﹂のなかに﹁在京都朝鮮人学生民族主義グループ事件策動概要﹂として記載されている。ただし、ここ記された尹東柱の経歴には多くの誤記があると指摘される。伊吹︵1984︶p.259-260.</ref>。1944年2月22日、尹東柱と宋夢奎は起訴され、3月31日に[[京都地方裁判所]]で日本国家が禁止する思想を宣伝・扇動したことに対する懲役1年以上10年以下の法定刑に対し、懲役2年の実刑判決を言い渡される。2人は[[福岡刑務所]]に収監された。その一年後の[[1945年]]2月16日、福岡刑務所で原因不明の死因により獄死した︵満27歳没︶<ref>{{Cite web|title=尹東柱記事の間違い(産経新聞︶: 辻本武 tsujimoto blog|url=http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/09/7568265|website=tsujimoto.asablo.jp|accessdate=2021-07-15}}</ref>。
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中国と韓国の間に、尹東柱は何人であるかの論争がある。韓国側は彼は「韓国人」、中国側は「朝鮮族」との立場を取っている<ref name=":9">{{Cite web |title=中国ポータル「百度」で韓国詩人・尹東柱の「朝鮮族」表記削除…国籍は相変らず中国のまま |url=https://s.japanese.joins.com/JArticle/312005?sectcode=A30&servcode=A00 |website=中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref><ref name=":1" />。 |
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=== 韓国 === |
=== 韓国において === |
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[[ファイル:The tomb of Yoon Dong ju.jpg|サムネイル|詩人尹東柱之墓]] |
[[ファイル:The tomb of Yoon Dong ju.jpg|サムネイル|詩人尹東柱之墓]] |
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1947年2月13日に、ソウルの[[京郷新聞]]に﹁たやすく書かれた詩﹂が紹介される。尹東柱との面識はなかったものの同志社の先輩として[[鄭芝溶]]が紹介文を書いた。<ref>{{cite news|title=쉽게 씨위진|newspaper=[[京郷新聞]]|date=1947-02-13|last=[[鄭芝溶]]|language= |
1947年2月13日に、ソウルの[[京郷新聞]]に﹁たやすく書かれた詩﹂が紹介される。尹東柱との面識はなかったものの同志社の先輩として[[鄭芝溶]]が紹介文を書いた。<ref>{{cite news|title=쉽게 씨위진|newspaper=[[京郷新聞]]|date=1947-02-13|last=[[鄭芝溶]]|language=韓国語}}. 孫引き‥{{cite journal|和書|title=同志社大学の尹東柱詩碑建立過程の余談|journal=同志社時報|issue=第134号|date=2012年10月|page=69|last=[[徐正敏]]|first=|url=https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-1773/139426/file/134tokubetukiko.pdf}}</ref>同じ年、ソウルに移住していた弟の尹一柱や友人たちによる追悼会が開かれた。1948年に詩や散文を集めた﹃空と風と星と詩﹄︵原題{{lang|ko|︽하늘과 바람과 별과 시︾}}、日本語訳題には﹃天と風と星と詩﹄もある︶がソウルで正音社から刊行され、抒情詩人・民族詩人・抵抗詩人として知られるようになった。1968年には母校[[延世大学校]]において、尹東柱が暮らした寄宿舎の前に﹁尹東柱詩碑﹂が建立された。
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戦後に韓国で詩作が紹介されたことで[[大韓民国の民族主義|韓国の民族主義]]教育に取り入れられ、代表的な﹁民族詩人﹂として知られるようになった。2012年頃の大韓民国のアンケートより、95%以上の20代が尹東柱を知っていた<ref name="私と同志社と尹東柱">{{cite web|和書|title=私と同志社と尹東柱|work=同志社大学キリスト教文化センター主催する﹁同志社スピリット・ウィーク﹂[[同志社大学]]京田辺校地講演|date=2012-05-30|last=[[徐正敏]]|first=|url=http://www.christian-center.jp/dsweek/12sp/0530.html|archiveurl= |
戦後に韓国で詩作が紹介されたことで[[大韓民国の民族主義|韓国の民族主義]]教育に取り入れられ、代表的な﹁民族詩人﹂として知られるようになった。2012年頃の大韓民国のアンケートより、95%以上の20代が尹東柱を知っていた<ref name="私と同志社と尹東柱">{{cite web|和書|title=私と同志社と尹東柱|work=同志社大学キリスト教文化センター主催する﹁同志社スピリット・ウィーク﹂[[同志社大学]]京田辺校地講演|date=2012-05-30|last=[[徐正敏]]|first=|url=http://www.christian-center.jp/dsweek/12sp/0530.html|archiveurl=http://web.archive.org/web/20170423164625/http://www.christian-center.jp/dsweek/12sp/0530.html|archivedate=2017-04-23|accessdate=2017-04-23}} </ref>。
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幼馴染である[[文益煥]]牧師は、現在の韓国と日本の関係について、「お互いの国を嫌って心の痛む批判を繰り返している」とし、尹の詩全体について、非常に解釈の難しい詩ばかりであると述べている。特に1940年以降の代表作群はその傾向が強いとし、「単に過去の一民族の悲哀や過ちを告発するにとどまらず、全人類に共通する「人間の罪」を告発し乗り越えようとした」モノと述べている<ref name=":4" />。 |
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韓国側は朝鮮族だとしていることに中国抗議している<ref name=":9" />。 |
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[[ファイル:龍井市にある生家.jpg|サムネイル|[[龍井市]]にある生家]] |
[[ファイル:龍井市にある生家.jpg|サムネイル|[[龍井市]]にある生家]] |
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韓国と[[延辺朝鮮族自治州|延辺]](中国)との交流が盛んになる1980年代まで、尹東柱の故郷であり多くの[[朝鮮族]]が暮らす延辺でも、その存在は知られていなかった。1985年に尹東柱の墓の場所を40年ぶりに確認した[[大村益夫]]・[[早稲田大学]]教授は、「尹東柱という詩人についても、延辺の文学者たちはまったくその存在を知らず、その作品も知らなかった。東柱の親戚たちも数多く延辺に生活しているが、東柱が韓国で国民的詩人として人々の尊敬を受けているとは夢想だにしなかったようだ」(大村益夫「尹東柱の事跡について」『朝鮮学報』)と記している。 |
韓国と[[延辺朝鮮族自治州|延辺]](中国)との交流が盛んになる1980年代まで、尹東柱の故郷であり多くの[[朝鮮族]]が暮らす延辺でも、その存在は知られていなかった。1985年に尹東柱の墓の場所を40年ぶりに確認した[[大村益夫]]・[[早稲田大学]]教授は、「尹東柱という詩人についても、延辺の文学者たちはまったくその存在を知らず、その作品も知らなかった。東柱の親戚たちも数多く延辺に生活しているが、東柱が韓国で国民的詩人として人々の尊敬を受けているとは夢想だにしなかったようだ」(大村益夫「尹東柱の事跡について」『朝鮮学報』)と記している。 |
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[[2020年]][[10月]]、[[アメリカ合衆国の高等教育|アメリカの大学]]に進学する全世界の学生が使用する[[SAT (大学進学適性試験)|SAT]]と[[アドバンスト・プレイスメント|AP]]の[[教科書]]が、歴史上ほとんどの期間、[[朝鮮]]は[[中国]]の[[植民地]]だったと記述していることが[[JTBCニュースルーム]]の取材で明らかになったが<ref name="JTBC">{{Cite news |author= |url=https://mnews.jtbc.joins.com/News/Article.aspx?news_id=NB11973829 |title="한반도는 대대로 중국 땅"?…미 교재 '엉터리 세계사' |newspaper=[[JTBCニュースルーム]] |publisher=|date=2020-10-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201028204752/https://mnews.jtbc.joins.com/News/Article.aspx?news_id=NB11973829 |archivedate=2020-10-28 |deadlinkdate=}}</ref>、[[JTBCニュースルーム]]によると、[[百度]]が運営する[[百度百科]]でも、尹東柱や[[尹奉吉]]や[[安重根]]や[[金九]]が[[朝鮮族]]と表記されており、尹東柱は[[国籍]]も中国になっている<ref name="JTBC"/>。[[朝鮮族]]が中国籍を取得したのが[[1954年]]であることを勘案すれば、事実関係が間違っており、これらの独立活動家が[[満州|満洲]]、[[上海市|上海]]、[[吉林省]]に居住して独立活動を行っていたためとみられるが、この場合、朝鮮の[[抗日パルチザン|抗日運動]]が中国の抗日運動の歴史に編入されることになる<ref name="JTBC"/>。 |
[[2020年]][[10月]]、[[アメリカ合衆国の高等教育|アメリカの大学]]に進学する全世界の学生が使用する[[SAT (大学進学適性試験)|SAT]]と[[アドバンスト・プレイスメント|AP]]の[[教科書]]が、歴史上ほとんどの期間、[[朝鮮]]は[[中国]]の[[植民地]]だったと記述していることが[[JTBCニュースルーム]]の取材で明らかになったが<ref name="JTBC">{{Cite news |author= |url=https://mnews.jtbc.joins.com/News/Article.aspx?news_id=NB11973829 |title="한반도는 대대로 중국 땅"?…미 교재 '엉터리 세계사' |newspaper=[[JTBCニュースルーム]] |publisher=|date=2020-10-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201028204752/https://mnews.jtbc.joins.com/News/Article.aspx?news_id=NB11973829 |archivedate=2020-10-28 |deadlinkdate=}}</ref>、[[JTBCニュースルーム]]によると、[[百度]]が運営する[[百度百科]]でも、尹東柱や[[尹奉吉]]や[[安重根]]や[[金九]]が[[朝鮮族]]と表記されており、尹東柱は[[国籍]]も中国になっている<ref name="JTBC"/>。[[朝鮮族]]が中国籍を取得したのが[[1954年]]であることを勘案すれば、事実関係が間違っており、これらの独立活動家が[[満州|満洲]]、[[上海市|上海]]、[[吉林省]]に居住して独立活動を行っていたためとみられるが、この場合、朝鮮の[[抗日パルチザン|抗日運動]]が中国の抗日運動の歴史に編入されることになる<ref name="JTBC"/>。 |
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[[File:Yun Dongju Poem Doshisha University.jpg|thumb|right|尹東柱詩碑([[同志社大学]][[同志社大学今出川キャンパス|今出川キャンパス]])]] |
[[File:Yun Dongju Poem Doshisha University.jpg|thumb|right|尹東柱詩碑([[同志社大学]][[同志社大学今出川キャンパス|今出川キャンパス]])]] |
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一方で、民族主義の象徴としての尹東柱の扱いに疑問を挟む声も存在する。[[京都大学]]教授で韓国や東アジアについて専門としている[[小倉紀蔵]]は、尹の詩を[[韓国の民族主義|民族主義的]]など偏った考えで解釈すること、そしてその解釈を﹁﹃正答﹄であると威圧的かつ声高に主張﹂したり﹁﹃道徳的正答﹄という暴力的な概念をふりまわして、それ以外の解釈や思考を威圧したり排除﹂したりすることを不適切だとして、詩の言葉を特定の政治的・道徳的立場に本質化して吸収することは﹁尹の詩への冒瀆﹂と厳しく批判している。更に尹の詩には政治的・民族的・イデオロギー的なものは皆無であり、イデオロギーありきで解釈する人々が尹を評価する理由が詩そのものよりも、彼が第二次大戦中に逮捕、独立後の南北と保革対立に巻き込まれずに死亡した事にあると結論づけた<ref>﹃言葉のなかの日韓関係 教育・翻訳通訳・生活﹄、[[徐 勝]]と小倉 紀蔵(編) 、発行‥明石書店、ISBN 978-4-7503-3805-7 C0036、発売日 2013年4月1日︵19頁、23頁︶</ref>。
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一方で、民族主義の象徴としての尹東柱の扱いに疑問を挟む声も存在する。[[京都大学]]教授で韓国や東アジアについて専門としている[[小倉紀蔵]]は、尹の詩を[[韓国の民族主義|民族主義的]]など偏った考えで解釈すること、そしてその解釈を﹁﹃正答﹄であると威圧的かつ声高に主張﹂したり﹁﹃道徳的正答﹄という暴力的な概念をふりまわして、それ以外の解釈や思考を威圧したり排除﹂したりすることを不適切だとして、詩の言葉を特定の政治的・道徳的立場に本質化して吸収することは﹁尹の詩への冒瀆﹂と厳しく批判している。更に尹の詩には政治的・民族的・イデオロギー的なものは皆無であり、イデオロギーありきで解釈する人々が尹を評価する理由が詩そのものよりも、彼が第二次大戦中に逮捕、独立後の南北と保革対立に巻き込まれずに死亡した事にあると結論づけた<ref>﹃言葉のなかの日韓関係 教育・翻訳通訳・生活﹄、[[徐 勝]]と小倉 紀蔵(編) 、発行‥明石書店、ISBN 978-4-7503-3805-7 C0036、発売日 2013年4月1日︵19頁、23頁︶</ref>。
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[[同志社大学]][[同志社大学今出川キャンパス|今出川キャンパス]]にて[[1995年]]、尹東柱詩碑が建立された。同志社大学の校祖[[新島襄]]の言葉に「人一人一人が大切なり」の言葉があるが同志社大学に尹東柱の詩碑が建てられたことは「同志社大学の良心教育が日本の良心を呼び起こした結果である」とは詩碑を建立した「尹東柱を偲ぶ会の関係者」の言葉である。またこの詩碑の左側には[[カラムラサキツツジ|チンダルレ]]が、右側には[[ムクゲ]]が植えられている。これはこの詩碑を建立した「尹東柱を偲ぶ会」と「同志社コリア同窓会」が「ワンコリア」の精神でこの詩碑を建てたことから朝鮮民主主義人民共和国の[[国花]]チンダルレ、大韓民国の国花ムクゲが植えられることなったという経緯がある。その前庭には新島襄が愛した[[ウメ|梅]]の花が植えられている。「尹東柱を偲ぶ会」と「同志社コリア同窓会」は共同で毎年尹東柱の命日の2月16日、その日が土曜日の場合はその日、土曜日でない場合は16日の前の土曜日に「献花式」と講演会等を開催している。(詩碑には尹の代表作「序詩」が日本語とハングルの2か国語で刻まれている。日本語の訳は伊吹郷氏。また裏面には早稲田大学教授大村益夫氏による詩碑及び尹東柱の説明文が刻まれている。) |
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[[京都芸術大学]]︵旧・京都造形芸術大学︶の高原キャンパス内には尹東柱がかつて生活した下宿跡地があり、2006年に尹東柱の作品﹃序詩﹄の[[石碑|詩碑]]をキャンパス内に建立し、毎年命日に[[追悼]][[法要]]を行っている<ref>{{Cite web |
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同志社大学内に「尹東柱を偲ぶ会」が結成された1992年当時、大学内に生前の尹東柱を知っている人は皆無であった。その後NHKと韓国のKBSが企画から撮影・編集・放映まで最初から最後まで協力して作られたドキュメンタリー「空と風と星と詩・尹東柱日本統治下の青春と死」の調査過程で生前最後の写真が発見される。 |
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[[2010年]]、立教大の教職員と卒業生による﹁詩人尹東柱を記念する立教の会﹂が、立教大学の韓国人留学生向け奨学金﹁尹東柱国際交流奨学金﹂を設立した。各学部1人ずつ計8人<ref name=":0">{{Cite web |
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[[京都芸術大学]]︵旧・京都造形芸術大学︶の高原キャンパス内には尹東柱がかつて生活した下宿跡地があり、2006年に尹東柱の作品﹃序詩﹄の[[石碑|詩碑]]をキャンパス内に建立し、毎年命日に[[追悼]][[法要]]を行っている<ref>{{Cite web|title=﹁尹東柱の夢﹂…美術家の姜益中氏が京都造形芸術大に寄贈|url=https://www.mindan.org/old/front/newsDetail8a70.html|website=www.mindan.org|accessdate=2020-12-05}}</ref>。京都造形芸術大学創設者の[[徳山詳直]]は1950年に、[[朝鮮戦争]]に反対する運動に身を投じて、[[爆弾]]の搬送を阻止しようとして逮捕された。徳山詳直は﹁尹東柱先生が[[民族]][[独立]]の闘いの途上で獄死してから5年後、私の闘いは朝鮮との関連で始まった。そしてこの地に大学を創立し、芸術を通した[[平和]]を追求している。﹂と語った。<ref>{{Cite web|title=京都造形芸術大で尹東柱追悼会、統一と平和誓った参列者たち|url=http://korea-np.co.jp/j-2011/01/1101j0219-00001.htm|website=korea-np.co.jp|accessdate=2020-12-06}}</ref>。[[2019年]]、京都造形芸術大学側が主催する詩人尹東柱追悼会及び交流会が、大学のキャンパスの詩碑前で2月15日に開かれた。この日は、理事長の徳山豊や学長の[[尾池和夫]]をはじめ、[[在日韓国・朝鮮人]]、駐大阪[[大韓民国]][[総領事館]]の吳泰奎総領事など関係者ら約80人が参加した。<ref>{{Cite web|title=京都造形芸術大学主催 詩人尹東柱追悼会(2.15) 상세보기{{!}}総領事館 活動駐大阪大韓民国総領事館|url=http://overseas.mofa.go.kr/jp-osaka-ja/brd/m_22882/view.do?seq=760922&srchFr=&srchTo=&srchWord=&srchTp=&multi_itm_seq=0&itm_seq_1=0&itm_seq_2=0&company_cd=&company_nm=&page=14|website=overseas.mofa.go.kr|accessdate=2020-12-05}}</ref>。
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[[2010年]]、立教大の教職員と卒業生による﹁詩人尹東柱を記念する立教の会﹂が、立教大学の韓国人留学生向け奨学金﹁尹東柱国際交流奨学金﹂を設立した。各学部1人ずつ計8人<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.konest.com/contents/news_detail.html?id=8471|title=立教大・尹東柱奨学生1号誕生﹁韓日交流に貢献する﹂ {{!}} 韓国の社会・文化ニュース|accessdate=2018-05-27|website=www.konest.com|language=ja}}</ref>︵のちに10人<ref>{{Cite news|title=立教大学総長の郭洋春氏、﹁立教大の誇り、尹東柱…韓国の学生がもっと多く来てほしい﹂|date=2018-05-25|url=http://japanese.donga.com/3/all/27/1331007/1|accessdate=2018-05-27|language=ja|work=japanese.donga.com}}</ref>︶に、留学生の年間授業料︵48万8000~67万9000円︶<ref name=":0" />とほぼ同額の60万円を支給している。
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== 家族 == |
== 家族 == |
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尹一柱([[弟]]) |
尹一柱([[弟]])<br> |
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尹光朱(弟)<br> |
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尹仁石([[甥]]) - [[成均館大学校|成均館大学]]教授。 |
尹仁石([[甥]]) - [[成均館大学校|成均館大学]]教授。 |
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== 作品 == |
== 作品 == |
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『空と風と星と詩』は、以下の日本語訳が刊行されている。 |
『空と風と星と詩』には、以下の日本語訳版が刊行されている。 |
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*尹一柱編(伊吹郷訳)『空と風と星と詩-尹東柱全詩集』([[影書房]]、1984年) ISBN 4877140646 |
*尹一柱編([[伊吹郷]]訳)『空と風と星と詩-尹東柱全詩集』([[影書房]]、1984年) ISBN 4877140646 |
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*(上野潤編訳)『空と風と星と詩-尹東柱詩集』(詩画工房、1998年) ISBN 4916041321 |
*([[上野潤]]編訳)『空と風と星と詩-尹東柱詩集』(詩画工房、1998年) ISBN 4916041321 |
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*(金時鐘訳)『空と風と星と詩-尹東柱詩集』(もず工房、2004年) ISBN 4990173104 |
*([[金時鐘]]訳)『空と風と星と詩-尹東柱詩集』(もず工房、2004年) ISBN 4990173104 |
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*([[金時鐘]]編訳)『尹東柱詩集 |
*([[金時鐘]]編訳)『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(岩波書店、2012年) ISBN 9784003207512 ※底本は、ソウル正音社1955年版。 |
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*(上野都訳)『空と風と星と詩-尹東柱詩集』([[コールサック社]]、2015年) ISBN 486435197X |
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== 関連書籍 == |
== 関連書籍 == |
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== 註 == |
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{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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*[[立教大学]] |
*[[立教大学]] |
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*[[金芝河]] |
*[[金芝河]] |
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*[[朝鮮民族]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{Wikisourcelang|ko|글쓴이:윤동주|尹東柱の作品}} |
{{Wikisourcelang|ko|글쓴이:윤동주|尹東柱の作品}} |
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* [http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/71.htm 延辺が生んだ詩聖・尹東柱-朝鮮族ネット] |
* [http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/71.htm 延辺が生んだ詩聖・尹東柱-朝鮮族ネット](日本語) |
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* [http://trip.ungou.com/spot/105640/ 中国・延辺の生家保存](中国語) |
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:<small>※生地の表現に誤りを含むことに留意。生年の1917年当時、[[満州国]]も[[間島省]]も成立していない。[[袁世凱]]死後の[[軍閥時代|軍閥割拠時代]]で、[[安徽派]]が[[北京政府#安徽派政権(1916年 - 1920年)|北京政府]]の実権を握り、[[中国東北部|東北]]では[[奉天派]]の[[張作霖]]が伸張した時期にあたる。ただし、[[南満州鉄道附属地]]とは別個に、[[日本統治時代の朝鮮|日本領朝鮮]]に隣接した和龍県を含む[[間島]]には、日本の勢力がおよんでいた。[[間島#間島協約]]、[[間島出兵#背景]]、[[日清協約#間島協約]]、および[[在間島日本総領事館#領事裁判権]]も参照。</small> |
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* [https://archive.fo/g01zE#selection-1519.5-1519.50 尹东柱故居,延边旅游景点,联合网]{{zh-cn icon}}(2013年4月28日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - 中国・延辺の生家の再建 |
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* [https://yoondongju.yonsei.ac.kr/yoondongju_m/index.do 연세대학교 윤동주기념관]{{ko icon}} |
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** [https://yoondongju.yonsei.ac.kr/yoondongju_m/ydj/ydj_2_1_1.do 윤동주기념관 | 시인 윤동주 | 작가연보 | 1917 ~ 1945]{{ko icon}} |
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* [https://www.jfac.or.kr/site/main/content/yoondj01 윤동주문학관 | 종로문화재단]{{ko icon}} |
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* [https://www.seoulnavi.com/miru/1900/ 尹東柱文学館 | 観光-ソウルナビ]{{ja icon}} |
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[[Category:獄死した人物]] |
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[[Category:日本留学経験者]] |
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[[Category:延辺朝鮮族自治州出身の人物]] |
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[[Category:1917年生]] |
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[[Category:1945年没]] |
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[[Category:中華民国の人物 ゆ]] |
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[[Category:坡平尹氏]] |