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* [[1905年]](明治38年)[[4月7日]] - [[従六位]]<ref>『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。</ref> |
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* 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 |
* 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 |
2019年9月6日 (金) 12:37時点における版
曽田 孝一郎︵そだ こういちろう、明治5年11月8日︵1872年12月8日︶- 昭和22年︵1947年︶3月2日[1]︶は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
島根県出身。1894年︵明治27年︶7月、陸軍士官学校︵5期︶を卒業 し、同年9月、工兵少尉に任官。1902年︵明治35年︶11月、陸軍大学校︵16期︶を卒業し参謀本部に配属された。日露戦争に出征し、満州軍参謀などを務めた。 1913年︵大正2年︶3月、陸大教官に就任。1914年︵大正3年︶1月、工兵大佐に昇進し参謀本部通信課長に転じた。1916年︵大正5年︶5月、近衛工兵大隊長に就任。 1918年︵大正7年︶8月、陸軍少将に進級し基隆要塞司令官となる。同年11月、台湾総督府陸軍部参謀長に転じた。1919年︵大正8年︶8月、同府陸軍部が台湾軍に改編され初代参謀長となる。1921年︵大正10年︶2月、鎮海湾要塞司令官に就任。 1922年︵大正11年︶8月、工兵監に転じ、1923年︵大正12年︶8月、陸軍中将に進んだ。1926年︵大正15年︶3月に待命、そして予備役編入となった。1928年︵昭和3年︶5月に召集され、第3師団留守司令官に就任し、同年11月、召集解除となった。栄典
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。