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'''汎ゲルマン主義'''(はんゲルマンしゅぎ、{{lang-de-short|Pangermanismus}}<ref name="daijirin">[https://kotobank.jp/word/%E6%B1%8E%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9-117984#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 大辞泉 第三版] [[コトバンク]]. 2019年2月22日閲覧。</ref>、{{lang-en-short|Pan-Germanism}}<ref name="daijirin"/>)は、19世紀末より[[ドイツ人]]の間に生じた民族的な優越と[[膨張主義|膨脹]]を主張する[[イデオロギー]]で<ref>岡部健彦. [https://kotobank.jp/word/%E6%B1%8E%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9-117984#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ)] [[コトバンク]]. 2019年2月22日閲覧。</ref>、[[ゲルマン人|ゲルマン民族]]の団結と[[世界征服|世界の制覇]]達成を主張する[[思想]]・[[社会運動|運動]]である<ref name="daijirin"/>。
'''パン=ゲルマン主義'''︵独: '''Pangermanismus'''、英: '''Pan-Germanism'''︶とは、[[ゲルマン人|ゲルマン民族]]の勢力拡大を主張する[[政治思想]]である。[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]はこのスローガンを掲げバルカン地方へ進出し、パン=スラヴ主義︵[[汎スラヴ主義]]︶と対立し、[[南下政策]]を続ける[[ロシア帝国|ロシア]]との軋轢を招いた。後に[[バルカン半島]]を[[ヨーロッパの火薬庫]]と呼ばれるまでに[[民族]]の対立を激しくした要因の1つである。この結果、列強間による[[帝国主義]]化、軍備拡大は避けられず、[[第一次世界大戦]]を引き起こすこととなった。これは、[[ドイツ統一]]を牽引し、周辺諸国との[[勢力均衡]]を望んでいた[[ドイツ国首相|帝国宰相]][[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の理念からはかけ離れたものとなった。▼ == 概要 ==
パン=ゲルマン主義は、19世紀中葉に行われた﹁[[ドイツ統一]]﹂の理念の拡大であった。ドイツ人の[[民族主義]]の昂揚によって、﹁ドイツ語響く所がドイツである﹂とまで言われた。このゲルマン主義に協調したのは、[[オーストリア・ハンガリー帝国|オーストリア]][[皇帝]][[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]と[[スウェーデン=ノルウェー|スウェーデン]]国王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]であった。▼ {{出典の明記|section=1|date=2019年2月}}
▲ == 経緯 ==
オスカル2世は、当時[[ノルウェー]]を[[同君連合]]とし、[[デンマーク]]を含めた「プロイセン・スカンディナヴィア・バルト中立連合」なるものを構想していたが、デンマークや自国政府の反対により頓挫し、ゲルマン主義から離れてしまった。要するにオスカル2世は、北方[[ノルマン人]]も[[ドイツ人]]と同じ[[民族]]であると考えていたが、すでに[[中立主義]]が根付きつつあった[[北欧諸国]]には受け入れられなかったのである。一方オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、オスカル2世の様な連合構想こそもたなかったが、ドイツ帝国との連携を重視し、[[バルカン半島]]への関与を深める為にドイツの武力を利用したと言える。さらに二重帝国内においては、[[スラヴ人|スラヴ系]]住民を抱え、彼らの汎スラヴ主義への傾倒に苦慮していたという事情もあった。結局、フランツ・ヨーゼフ1世は、ハプスブルク帝国の死守とバルカン問題の狭間で身動きが取れず、ドイツ帝国と共に第一次世界大戦に引きずり込まれ、ハプスブルク帝国の終焉と言う結末を迎えてしまうのである。▼
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▲パン=ゲルマン主義は、19世紀 ▲オスカル2世は、当時[[ノルウェー]]を[[同君連合]]とし、[[デンマーク]]を含めた﹁プロイセン・スカンディナヴィア・バルト中立連合﹂なるものを構想していたが、デンマークや自国政府の反対により頓挫し、ゲルマン主義から離れてしまった。要するにオスカル2世は、北方[[ノルマン人]]も[[ドイツ人]]と同じ[[民族]]であると考えていたが、すでに[[中立主義]]が根付きつつあった[[北欧諸国]]には受け入れられなかったのである。一方オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、オスカル2世の様な連合構想こそもたなかったが、ドイツ帝国との連携を重視し、[[バルカン半島]]への関与を深める為にドイツの武力を利用したと言える。さらに二重帝国内においては、支配民族ドイツ人を遥かに上回る数の[[スラヴ人|スラヴ系]]住民を抱え、彼らの[[汎スラヴ主義]]への傾倒に苦慮していたという事情もあった。結局、フランツ・ヨーゼフ1世は、ハプスブルク帝国の死守とバルカン問題の狭間で身動きが取れず、ドイツ帝国と共に第一次世界大戦に引きずり込まれ、ハプスブルク帝国の終焉と言う結末を迎えてしまうのである。 == 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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*[[ドイツ統一]]
*[[ゲルマン人]]
*[[大ゲルマン帝国]]
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2023年7月31日 (月) 09:54時点における最新版
汎ゲルマン主義︵はんゲルマンしゅぎ、独: Pangermanismus[1]、英: Pan-Germanism[1]︶は、19世紀末よりドイツ人の間に生じた民族的な優越と膨脹を主張するイデオロギーで[2]、ゲルマン民族の団結と世界の制覇達成を主張する思想・運動である[1]。
概要[編集]
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ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はこのスローガンを掲げバルカン地方へ進出し、汎スラヴ主義と対立し、南下政策を続けるロシアとの軋轢を招いた。後にバルカン半島をヨーロッパの火薬庫と呼ばれるまでに民族の対立を激しくした要因の1つである。この結果、列強間による帝国主義化、軍備拡大は避けられず、第一次世界大戦を引き起こすこととなった。これは、ドイツ統一を牽引し、周辺諸国との勢力均衡を望んでいた帝国宰相ビスマルクの理念からはかけ離れたものとなった。
経緯[編集]
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パン=ゲルマン主義は、19世紀半ばに行われた﹁ドイツ統一﹂の理念の拡大であった。ドイツ人の民族主義の昂揚によって、﹁ドイツ語響く所がドイツである﹂とまで言われた。このパン=ゲルマン主義に協調したのは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とスウェーデン国王オスカル2世であった。
オスカル2世は、当時ノルウェーを同君連合とし、デンマークを含めた﹁プロイセン・スカンディナヴィア・バルト中立連合﹂なるものを構想していたが、デンマークや自国政府の反対により頓挫し、ゲルマン主義から離れてしまった。要するにオスカル2世は、北方ノルマン人もドイツ人と同じ民族であると考えていたが、すでに中立主義が根付きつつあった北欧諸国には受け入れられなかったのである。一方オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、オスカル2世の様な連合構想こそもたなかったが、ドイツ帝国との連携を重視し、バルカン半島への関与を深める為にドイツの武力を利用したと言える。さらに二重帝国内においては、支配民族ドイツ人を遥かに上回る数のスラヴ系住民を抱え、彼らの汎スラヴ主義への傾倒に苦慮していたという事情もあった。結局、フランツ・ヨーゼフ1世は、ハプスブルク帝国の死守とバルカン問題の狭間で身動きが取れず、ドイツ帝国と共に第一次世界大戦に引きずり込まれ、ハプスブルク帝国の終焉と言う結末を迎えてしまうのである。