「租借地」の版間の差分
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'''租借地'''(そしゃくち)とは、ある国が条約で一定期間、他国に貸し与えた土地のこと。 |
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'''租借地'''︵そしゃくち︶とは、ある国が条約で一定期間、他国に貸し与えた土地のこと。租借期間中は、貸した国には潜在的な[[主権]]が存在するが、実質的な[[統治権]]は借りた国が持つ。[[立法]]・[[行政]]・[[司法]]権は借りた国に移る。﹁[[wikt:租|租]]﹂とは[[年貢]]や[[田賦]]のことで、租借地・租界とは税を取って借す領域、あるいはより狭い区域<ref>[[KADOKAWA#その他の書籍|KO字源]]﹁租﹂</ref>のこと。
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類似する概念に﹁[[租界]]﹂があるが、これらを区別する場合、租借地は潜在的な[[主権]]しかなく租界よりも主権譲渡の色合いが濃いものをいう<ref name="osato">{{Cite web |author=大里浩秋|url=http://133.208.95.142/publication/pdf/annual_report_07/07-018.pdf |title=租界研究の現状と展望|publisher=神奈川大学日本常民文化研究所付置非文字資料研究センター |date= |accessdate=2023-10-18}}</ref>。﹁[[wikt:租|租]]﹂とは[[年貢]]や田賦のことである<ref>[[KADOKAWA#その他の書籍|KO字源]]﹁租﹂</ref>。
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租借料が支払われることを想定した用語であるが、実際にはそれぞれの条約によった。中国では、[[アロー戦争#アロー号拿捕事件|アロー号拿捕事件]]の際に[[イギリス]]が[[清]]国政府から[[九龍]]半島を年500銀で租借したものの半年後の[[北京条約]]で[[割譲]]となり、それ以降に設定された租借地においても租借料の支払いは無くなった。一方で[[租界]]は、通常は都市などのより狭い一部区域に設定されるもので、[[永代借地]]契約であって地主や[[中華民国]]、[[清国]]政府に[[地代]]を支払う必要があった。
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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租借地は[[中国]]︵当時は[[清|清朝]]︶では[[1898年]]にドイツ軍が[[膠州湾]]を占拠して以後、[[列強]]諸国によって設置されるようになった<ref name="osato" />。列強諸国が中国国内で設定した空間的利権には、租界、租借地、鉄道附属地、公館区域などがあり、主権譲渡の度合いや設定される範囲に違いがあった<ref name="osato" />。
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[[日清戦争]]後、イギリス・[[フランス]]・[[ドイツ帝国|ドイツ]]・[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ヨーロッパ]]列強が[[清]]を脅迫し、沿岸の要地を租借したのが端緒である。[[帝国主義]]列強による[[勢力均衡]]の賜物といえ、借りた国家は行政長官などを派遣して[[植民地]]同様に扱った。また[[膠州湾租借地|膠州湾]]、[[関東州]]、[[威海市|威海衛]]では、租借地の周囲に[[中立地帯]]が設定された。
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中国以外の例では、[[1878年]]に[[イギリス帝国|大英帝国]]([[イギリス]])が[[オスマン帝国]]([[トルコ]])が支配していた[[キプロス島]]を租借地とした<ref>{{Cite web |author=外山健二|url=https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/7474/files/2.pdf |title=タンジールと民衆-「山上でのティー」と『雨は降るがままにせよ』-|publisher=筑波大学比較・理論文学会 |date= |accessdate=2023-10-18}}</ref>。また、[[パナマ運河地帯]]も[[1903年]]のヘイ=エラン条約で[[アメリカ合衆国]]の永久租借地とされていたが、1977年の[[新パナマ運河条約]]により、1999年12月31日正午にパナマに返還された<ref name="hirata">{{Cite web |author=平田 潔|url=https://www.jcca.or.jp/kaishi/270/270_toku3.pdf |title=世界の海上交易の重要ハブ「パナマ運河」パナマ共和国、パナマ県およびコロン県|publisher=一般社団法人建設コンサルタンツ協会 |date= |accessdate=2023-10-18}}</ref>。 |
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[[中国]]以外では、[[1878年]]に[[イギリス帝国]]が[[オスマン帝国]]([[トルコ]])から[[キプロス島]]を租借([[第一次世界大戦]]でトルコが負けると、植民地として[[併合]])。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が[[1999年]]に返還した[[パナマ運河地帯]]も租借地であった。 |
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== 租借地の例 == |
== 租借地の例 == |
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=== 清国における租借地 === |
=== 清国における租借地 === |
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列強諸国による租借地の設置はドイツ軍による[[膠州湾]]占拠が契機とされている<ref name="osato" />。1897年11月14日にドイツ東アジア巡洋艦隊は膠州湾を占領し、1898年3月6日に締結された膠州湾租借条約によって膠州湾租借地が設定され、租借地の行政機関として膠州領総督府が置かれた<ref name="asada">{{Cite web |author=浅田 進史|url=https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900047670/articleasada.pdf |title=ドイツ統治下の膠州湾租借地における支配秩序―総督府参事会の再編問題を中心に|publisher=千葉大学 |date= |accessdate=2023-10-18}}</ref>。ただし、租借地の性格について両国間には認識の差があり、清朝官僚はあくまでも貸与した土地と認識していた<ref name="asada" />。一方、ドイツは他の植民地とは異なり膠州領総督府を外務省ではなく海軍省の管轄としたが、あくまでも膠州湾租借地はドイツ植民地と認識していたという<ref name="asada" />。
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中国での租借地は一般に租借期限が99年に設定されることが多かった︵英領[[新界]]、仏領[[広州湾租借地|広州湾]]、独領[[膠州湾租借地|膠州湾]]、日本領[[関東州]]など︶。これは99年の99という数字が[[中国語]]の久久︵=永久︶と同音であることから、これらの租借は永久租借すなわち事実上の割譲を意味していたとされ、実際に関東州の日本人学校ではそのような教え方がなされていたようである{{要出典|date=2023年2月}}。
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なお、租借地と鉄道附属地は類型としては区別され、後者は1896年に中露間で「東清鉄道建設経営に関する条約」が締結とされてから置かれるようになった<ref name="osato" />。 |
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!国名||租借地||年代||期限||勢力圏||鉄道敷設権(獲得年) |
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⚫ | |{{RUS1883}}||[[旅順口区|旅順]]・[[大連市|大連]]||1898年||25年||[[万里の長城]]以北||[[東清鉄道]](1896年) |
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|{{DEU1871}}||[[膠州湾租借地|膠州湾]]||1898年||99年||[[山東省]]||[[膠済線|膠済鉄道]](1898年) |
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|{{UK}}||[[威海市|威海衛]]・[[新界]]||1898年||25年・99年||[[長江]]流域||[[深浦鉄道]](1899年) |
|{{UK}}||[[威海市|威海衛]]・[[新界]]||1898年||25年・99年||[[長江]]流域||[[深浦鉄道]](1899年) |
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=== 中国以外 === |
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==== 現在の租借地 ==== |
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|{{仮リンク|ラド飛び地|en|Lado Enclave}}||[[ファイル:Flag of Congo Free State.svg|25x20px]][[コンゴ自由国]]、[[ベルギー領コンゴ]]||[[ファイル:Flag of Anglo-Egyptian Sudan.svg|25x20px]][[イギリス・エジプト領スーダン]]||1894年 - 1910年||[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]死後、[[ラド (南スーダン)|ラド]]の飛び地はイギリスの統治に戻るだろうとされていたため、ベルギーはこの地域で、効果的な政府を樹立することが出来ず、反乱が起きるなど不安定化したため |
|{{仮リンク|ラド飛び地|en|Lado Enclave}}||[[ファイル:Flag of Congo Free State.svg|25x20px]][[コンゴ自由国]]、[[ベルギー領コンゴ]]||[[ファイル:Flag of Anglo-Egyptian Sudan.svg|25x20px]][[イギリス・エジプト領スーダン]]||1894年 - 1910年||[[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]]死後、[[ラド (南スーダン)|ラド]]の飛び地はイギリスの統治に戻るだろうとされていたため、ベルギーはこの地域で、効果的な政府を樹立することが出来ず、反乱が起きるなど不安定化したため |
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|[[パナマ運河地帯]]||{{PAN}}||{{USA}}||1903年 - 1999年||租借 |
|[[パナマ運河地帯]]||{{PAN}}||{{USA}}||1903年 - 1999年||永久租借地とされていたが[[新パナマ運河条約]]︵1977年︶に基づきパナマに返還<ref name="hirata" />。
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|[[コーン諸島]]||{{NIC}}||{{USA}}||1914年 - 1971年||99年間の租借だったが、[[:en:Bryan-Chamorro Treaty|ブライアン・チャモロ条約]]の廃止によりニカラグアに返還 |
|[[コーン諸島]]||{{NIC}}||{{USA}}||1914年 - 1971年||99年間の租借だったが、[[:en:Bryan-Chamorro Treaty|ブライアン・チャモロ条約]]の廃止によりニカラグアに返還 |
2023年10月18日 (水) 17:07時点における版
歴史
租借地は中国︵当時は清朝︶では1898年にドイツ軍が膠州湾を占拠して以後、列強諸国によって設置されるようになった[1]。列強諸国が中国国内で設定した空間的利権には、租界、租借地、鉄道附属地、公館区域などがあり、主権譲渡の度合いや設定される範囲に違いがあった[1]。 中国以外の例では、1878年に大英帝国︵イギリス︶がオスマン帝国︵トルコ︶が支配していたキプロス島を租借地とした[3]。また、パナマ運河地帯も1903年のヘイ=エラン条約でアメリカ合衆国の永久租借地とされていたが、1977年の新パナマ運河条約により、1999年12月31日正午にパナマに返還された[4]。租借地の例
清国における租借地
列強諸国による租借地の設置はドイツ軍による膠州湾占拠が契機とされている[1]。1897年11月14日にドイツ東アジア巡洋艦隊は膠州湾を占領し、1898年3月6日に締結された膠州湾租借条約によって膠州湾租借地が設定され、租借地の行政機関として膠州領総督府が置かれた[5]。ただし、租借地の性格について両国間には認識の差があり、清朝官僚はあくまでも貸与した土地と認識していた[5]。一方、ドイツは他の植民地とは異なり膠州領総督府を外務省ではなく海軍省の管轄としたが、あくまでも膠州湾租借地はドイツ植民地と認識していたという[5]。 なお、租借地と鉄道附属地は類型としては区別され、後者は1896年に中露間で﹁東清鉄道建設経営に関する条約﹂が締結とされてから置かれるようになった[1]。国名 | 租借地 | 年代 | 期限 | 勢力圏 | 鉄道敷設権(獲得年) |
---|---|---|---|---|---|
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膠州湾 | 1898年 | 99年 | 山東省 | 膠済鉄道(1898年) |
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旅順・大連 | 1898年 | 25年 | 万里の長城以北 | 東清鉄道(1896年) |
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威海衛・新界 | 1898年 | 25年・99年 | 長江流域 | 深浦鉄道(1899年) |
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広州湾 | 1899年 | 99年 | 広東省・広西省・雲南省 | 滇越鉄道(1898年) |
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遼東半島南部(関東州) | 1905年 | 18年→99年 | 福建省・南満洲 | 南満洲鉄道(1905年) |
中国以外
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現在の租借地
地域 | 本国 | 租借国 | 租借期間 |
---|---|---|---|
グァンタナモ・ベイ | ![]() |
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1903年 - 永久租借 |
サイマー運河 | ![]() |
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1963年 - 2062年 |
バイコヌール | ![]() |
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1994年 - 2050年 |
ディエゴガルシア島 | ![]() |
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1966年 - 2036年 |
過去の租借地
地域 | 本国 | 租借国 | 租借期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
タティ租借地 | マタベレ王国(現![]() |
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1872年 - 1911年 | ベチュアナランド保護領に併合 |
ラド飛び地 | ![]() |
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1894年 - 1910年 | レオポルド2世死後、ラドの飛び地はイギリスの統治に戻るだろうとされていたため、ベルギーはこの地域で、効果的な政府を樹立することが出来ず、反乱が起きるなど不安定化したため |
パナマ運河地帯 | ![]() |
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1903年 - 1999年 | 永久租借地とされていたが新パナマ運河条約(1977年)に基づきパナマに返還[4]。 |
コーン諸島 | ![]() |
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1914年 - 1971年 | 99年間の租借だったが、ブライアン・チャモロ条約の廃止によりニカラグアに返還 |
マリー・ヴィソツキー島 | ![]() |
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1963年 - 2013年 | 租借期限切れ |
セヴァストポリ軍港 | ![]() |
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1997年 - 2014年[6] | 2014年のクリミア半島併合に伴い、ロシアの実効支配下に移行 |