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{{Infobox 組織


'''''' - Second International[[]][[|]][[1889]][[1914]][[]][[|]][[]]

| 名称 = 第二インターナショナル<br />{{small|(国際社会主義者大会)}}<br />''{{lang|en|International Socialist Congress}}''

| 画像 = File:Cornelis Gerardus Leenheer, Afb OSIM00008005484.jpg

| 画像サイズ = 200px

| 画像説明 = 第6回大会。1904年8月、アムステルダム。

| 略称 =

| 前身 = [[第一インターナショナル]]

| 後継 = [[第三インターナショナル]]<br/> [[労働社会主義インターナショナル]]<br/>[[社会主義インターナショナル]]など

| 設立 = [[1889年]]<ref name=ndl/>

| 解散 = [[1916年]]

| 種類 = 各国の[[社会党|社会主義政党]]・[[労働組合]]の国際的連合組織<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB-557996#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 大辞林 第三版] [[コトバンク]]. 2018年10月15日閲覧。</ref>

| 地位 =

| 目的 = [[社会主義]]<br/>[[共産主義]]<br/>[[アナキズム]]<br/>[[社会民主主義]]

| 本部 =

| 位置 =

| area_served =

| 会員数 =

| 言語 =

| リーダー =

| 人物 =

| 機関 =

| 設立者 =

| 関連組織 =

| スタッフ =

| ボランティア =

| 予算 =

| ウェブサイト =

| 補足 =

}}

{{社会主義}}


''''''{{lang-en-short|Second International}}[[]][[|]][[1889]][[1914]][[]][[|]][[]][[]]''''''{{lang-en|International Socialist Congress}}<ref name=ndl>{{Cite web||author= |date= |url=https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00944616 |title=2|work=[[]] |publisher= |accessdate=2017-11-04}}</ref>


== 歴史 ==

== 歴史 ==

1889年[[7月14日]]、[[パリ]]のペトレル通りで[[マルクス主義]]者たちが集会を催す。20カ国・400名に上る代表者が出席し、主に次のことを討議した。


1889[[714]][[]]{{||fr|Rue Pétrelle}}[[]]<ref>{{|1|en|International Workers Congresses of Paris, 1889}}</ref>20400

#[[フランス]]における社会主義者たちの統一について

#[[フランス]]における社会主義者たちの統一について

#8時間労働制の主張

#[[8時間労働制]]の主張

#常備軍批判と[[民兵]]制の推進

#[[常備軍]]批判と[[民兵]]制の推進

#普通選挙権と[[議会]]への社会主義者の参加

#[[普通選挙]]権と[[議会]]への社会主義者の参加

#[[メーデー]]を国際労働運動のための休日とする

#[[メーデー]]を国際労働運動のための休日とする



[[1891年]]8月の[[ブリュッセル]]大会では

[[1891年]]8月の[[ブリュッセル]]大会<ref>{{仮リンク|第2回国際社会主義者大会|en|International Socialist Labor Congress of Brussels, 1891}}</ref>では

#労働条件のための立法を要求

#労働条件のための立法を要求

#国際的な[[労働組合]]運動の組織化

#国際的な[[労働組合]]運動の組織化

が議題にあがった。

が議題にあがった。



[[1893年]]8月の[[チューリヒ]]大会では正統派社会主義者(マルクス主義者)の方針が勝利し、[[直接行動]]ではなく政治行動による条件改善に重きが置かれる。


[[1893]]8[[]]<ref>{{|3|en|Zürich Socialist and Labour Congress, 1893}}</ref>[[]][[]][[]]<ref>[https://www.marxists.org/history/international/social-democracy/index.htm History of the Second International - Marxists Internet Archive]</ref>



[[1896]][[]][[]][[]][[]]

[[1896]][[]]<ref>{{|4|en|International Socialist Workers and Trade Union Congress, London 1896}}</ref>[[]][[]]{{||en|International Working People's Association}}[[]]


[[1900年]]9月のパリ大会<ref>{{仮リンク|第5回国際社会主義者大会|en|International Socialist Congress, Paris 1900}}</ref>では[[カール・カウツキー]]によってフランス社会主義者[[アレクサンドル・ミルラン]]の場合のように例外措置としての入閣を認める決議が採択され、

[[1900年]]9月のパリ大会では

#フランス社会主義者ミルランの場合のように、例外措置としての入閣を認める。

#加盟党派すべてが従う戦術問題を討議し、方針を決定する権限を得た

#加盟党派すべてが従う戦術問題を討議し、方針を決定する権限を得た

#インターナショナル事務局の設置

#インターナショナル事務局の設置

などの[[ブルジョ]]政党との妥協とインターナショナル内の組織強化という成果があった。

などの[[ブルジョワジー|ブルジョワ]]政党との妥協とインターナショナル内の組織強化という成果があった。




[[1904]]8[[]][[]][[|]][[]][[]]

[[1904]]8[[]]<ref>{{|6|de|Internationaler Sozialistenkongress (1904)}}--{{Cite web||author= |date= |url=https://kotobank.jp/word/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB-557996 |title=2|work=[[]]|publisher= |accessdate=2017-11-04}}</ref>[[]][[|]][[]][[]]{{||en|Dadabhai Naoroji}}[[]]


[[1907年]][[シュトゥットガルト]]大会は、フランス代表[[ギュスターヴ・エルヴェ]]により「労働者は自国の宣戦布告にさいして反乱とゼネ・ストで応じるべきである」という動議が提出され、さらに[[ロシア]]代表の[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]と[[ポーランド]]・ロシアの代表である[[ローザ・ルクセンブルク]]による同趣旨の修正案を受け、14名の小委員会が作成した長文の決議が採決された。それは


[[1907]][[]]<ref>{{|7|de|Internationaler Sozialistenkongress (1907)}}</ref>{{||fr|Gustave Hervé}}[[]][[]][[]][[|]][[]][[]]14

;シュトゥットガルト決議

;シュトゥットガルト決議

:#社会主義者は議会で軍備縮小と常備軍撤廃のために努力すべきである

:#社会主義者は議会で軍備縮小と常備軍撤廃のために努力すべきである

:#関係諸国の労働階級は、戦争勃発を阻止するよう全力を注ぐべきである

:#関係諸国の労働階級は、戦争勃発を阻止するよう全力を注ぐべきである

:#戦争が勃発したならば、労働者階級は戦争の速やかな終結をめざして干渉するとともに、戦争によって引き起こされた危機を利用して、[[資本主義]]の廃絶を促進すべく全力をつくして戦うべきである

:#戦争が勃発したならば、[[労働者階級]]は戦争の速やかな終結をめざして干渉するとともに、戦争によって引き起こされた危機を利用して、[[資本主義]]の廃絶を促進すべく全力をつくして戦うべきである

という、具体的な手段を明示しない、混乱した希望を並べたものにすぎなかった。

という、具体的な手段を明示しない、混乱した希望を並べたものにすぎなかった。



[[1910年]]の[[コペンハーゲン]]大会では軍事予算を[[イギリス労働党]]が認めたことから、ドイツ社会民主党との論戦が起こり、イギリス代表の[[ケア・ハーディ]]とフランス代表のヴァイヤンによりゼネ・ストが強く主張された。

[[1910年]]の[[コペンハーゲン]]大会<ref>{{仮リンク|第8回国際社会主義者大会|de|Internationaler Sozialistenkongress (1910)}}</ref>では軍事予算を[[労働党 (イギリス)|イギリス労働党]]が認めたことから、ドイツ社会民主党との論戦が起こり、イギリス代表の[[ケア・ハーディ]]とフランス代表の{{仮リンク|エドゥアール・ヴァイヤン|fr|Édouard Vaillant}}によりゼネ・ストが強く主張された。



[[1912年]]11月[[バーゼル]]で[[第一次バルカン戦争]]を受けての緊急大会が行われ、シュトゥットガルトとコペンハーゲンの決議が繰りかえされた。[[ベルン]]大会があった[[1913年]]に、それまで軍事予算に反対していたドイツ社会民主党内部で分裂が起こる。[[1914年]]7月[[オーストリア]]が[[セルビア]]へ最後通牒を発し、その直後の[[7月29日]][[ブリュッセル]]でインターナショナル事務局会議が開かれるが、[[8月9日]]にパリで大会を開催するというほか何ら実質ある戦争抑止策は提案されなかった。傑出した雄弁家であり、国際主義者として信望を集めヨーロッパの平和を熱望していたフランスの[[ジャン・ジョレス]]が暗殺され、第二インターナショナルを導きうる唯一の政党であったドイツ社会民主党は戦時予算の議決を棄権すべしという少数派を押し切り、[[8月4日]]のドイツ帝国議会において戦争を支持した。フランス、オーストリアの社会主義者も同じ行動をとり、ここに第二インターナショナルは崩壊した。


[[1912]]11[[]][[]]<ref>{{|9|de|Internationaler Sozialistenkongress (1912)}}</ref>[[]][[1913]][[1914]]7[[]][[]][[]][[729]][[]][[89]][[]][[84]][[ ()|]][[]]


ここに第二インターナショナルは、戦争を支持する多数派と反戦主義者の少数派に分裂することとなる<ref name="百科全書">{{Cite web|和書|author=[[加藤哲郎 (政治学者)|加藤哲郎]]|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB-32973#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 |title=第二インターナショナル |work=[[日本大百科全書]] |publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2018-02-14 }}</ref>。後者の少数派は、1915年に[[ツィンマーヴァルト]]、1916年に[[キーンタール]]で反戦を訴える大会を行っている<ref name="百科全書" />([[ツィンマーヴァルト運動]])。

==外部リンク==


== 脚注 ==

{{脚注ヘルプ}}

{{Reflist|2}}


== 関連項目 ==

* [[ツィンマーヴァルト運動]]


== 外部リンク ==

{{commons|Category:Second International}}

* [http://www.marxists.org/history/international/social-democracy/index.htm The Second International]

* [http://www.marxists.org/history/international/social-democracy/index.htm The Second International]

{{共産主義}}

* {{Kotobank}}

[[Category:社会主義の国際組織|*2]]

[[Category:ヨーロッパの社会主義|たいにいんたなしよなる]]

[[Category:共産主義|たいにいんたなしよなる]]



{{Normdaten}}

[[ast:Segunda Internacional]]

{{政党の国際組織}}

[[ca:Segona Internacional]]

{{デフォルトソート:たいにいんたなしよなる}}

[[cs:Druhá internacionála]]

[[Category:社会主義の国際組織|*2]]

[[da:Anden Internationale]]

[[Category:第二インターナショナル|*]]

[[en:Second International]]

[[Category:ヨーロッパの社会主義]]

[[eo:Dua Internacio]]

[[Category:社会主義の歴史]]

[[es:Segunda Internacional]]

[[Category:社会運動史]]

[[eu:II. Internazionala]]

[[Category:共産主義]]

[[fi:Toinen internationaali]]

[[Category:1889年設立の政党・政治団体]]

[[fr:Internationale ouvrière]]

[[gl:Segunda Internacional]]

[[he:האינטרנציונל השני]]

[[hu:Második Internacionálé]]

[[it:Seconda Internazionale]]

[[lt:Antrasis Internacionalas]]

[[ne:दोस्रो इन्टरनेसनल]]

[[nl:Tweede Internationale]]

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[[pl:Druga Międzynarodówka]]

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[[zh:第二国际]]


2023年11月30日 (木) 10:02時点における最新版

第二インターナショナル
(国際社会主義者大会)
International Socialist Congress
第6回大会。1904年8月、アムステルダム。
前身 第一インターナショナル
後継 第三インターナショナル
労働社会主義インターナショナル
社会主義インターナショナルなど
設立 1889年[1]
解散 1916年
種類 各国の社会主義政党労働組合の国際的連合組織[2]
目的 社会主義
共産主義
アナキズム
社会民主主義
テンプレートを表示

: Second International18891914: International Socialist Congress[1]

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1889714[3]20400

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18918[4]

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18938[5][6]

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脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]