米沢街道
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米沢街道(よねざわかいどう)は、陸奥国会津郡若松(現在の福島県会津若松市)と出羽国置賜郡米沢(現在の山形県米沢市)を結ぶ街道である。会津街道とも呼ばれていた。
概要
歴史
伊達政宗の会津侵攻、豊臣秀吉の奥州仕置などに利用された。上杉景勝、保科正之なども利用している。加えて出羽三山詣などにも利用された[1]。明治以降は会津三方道路などの土木事業によって大峠経由の道路が開通し、衰退した。
宿場
- 若松宿(福島県会津若松市)
- 塩川宿(福島県喜多方市)
- 熊倉宿(福島県喜多方市)
- 大塩宿(福島県耶麻郡北塩原村)
- 桧原宿(福島県耶麻郡北塩原村)
- 綱木宿(山形県米沢市)
- 関町宿(山形県米沢市)
- 米沢宿 (山形県米沢市)
その他
本街道は1608年になるまで、会津若松ー熊倉間で上街道、中街道、下街道の三つの道筋があった。上街道はもっと東に位置しており、福島県道69号北山会津若松線にほぼそっている。中街道は上街道の少し西側を通っており、途中で上街道に合流していた。下街道は西七日町付近を経由し、現在の河沼郡湯川村、喜多方市塩川地区などを経由していた。この経路は現在の福島県道326号浜崎高野会津若松線に近い[2]。