「西ノ内紙」を編集中
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水戸藩二代目藩主・[[徳川光圀]]の時代には、水戸藩領内における紙の産出はまだ少なく貴重なものであった。光圀は紙の生産量を増やすため、領内にコウゾ・ミツマタを植えさせた。この時代には和紙の原料となるコウゾは十分ではなく、様々な材料で紙を漉いていた。原料により紙を分類すると30種にも及び、麦藁紙・真菰紙・内貫壇紙・三叉紙などが存在した<ref name="山方町誌上巻196" />。 |
水戸藩二代目藩主・[[徳川光圀]]の時代には、水戸藩領内における紙の産出はまだ少なく貴重なものであった。光圀は紙の生産量を増やすため、領内にコウゾ・ミツマタを植えさせた。この時代には和紙の原料となるコウゾは十分ではなく、様々な材料で紙を漉いていた。原料により紙を分類すると30種にも及び、麦藁紙・真菰紙・内貫壇紙・三叉紙などが存在した<ref name="山方町誌上巻196" />。 |
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1682年([[ |
1682年([[天和]]2年)に光圀は領内を巡視し、農村の困窮する様を見て翌年には紙漉き人に課する税金である'''紙舟役'''を免除した<ref name="山方町誌上巻196" />。また、女中達が紙を乱用する様をみた際は、戒めるために女中達を紙漉き場に遣わせて見学させた<ref name="山方町誌上巻197" />。 |
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光圀の藩主時代である1688年([[元禄]]元年)9月に、紙漉き農家の保護と紙販売による利益を目的とした'''紙専売仕法'''が成立した<ref name="山方町誌上巻201" />。これにより水戸藩領内で生産された紙はすべて水戸藩が強制的に買い上げ、紙市を立てて諸国の商人に払い下げるという制度になった<ref name="山方町誌上巻201" />。紙の強制買い上げが実施されたのは、紙専売仕法の発令から二ヶ月後の1688年(元禄元年)11月である。水戸藩による紙の購買独占は徹底しており、紙漉き人が密売した場合は紙漉き人だけではなくその村の役人まで[[過料]]となり、水戸藩領内外の商人が紙漉き人から直接買い上げた場合は取り引きした紙や代金がすべて水戸藩に没収された<ref name="山方町誌上巻203" />。 |
光圀の藩主時代である1688年([[元禄]]元年)9月に、紙漉き農家の保護と紙販売による利益を目的とした'''紙専売仕法'''が成立した<ref name="山方町誌上巻201" />。これにより水戸藩領内で生産された紙はすべて水戸藩が強制的に買い上げ、紙市を立てて諸国の商人に払い下げるという制度になった<ref name="山方町誌上巻201" />。紙の強制買い上げが実施されたのは、紙専売仕法の発令から二ヶ月後の1688年(元禄元年)11月である。水戸藩による紙の購買独占は徹底しており、紙漉き人が密売した場合は紙漉き人だけではなくその村の役人まで[[過料]]となり、水戸藩領内外の商人が紙漉き人から直接買い上げた場合は取り引きした紙や代金がすべて水戸藩に没収された<ref name="山方町誌上巻203" />。 |