「退位」を編集中
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通常、[[革命]]や[[憲法]]や[[法律]]などによって[[君主制]]が廃止されない限りは、自動的に継承者に譲り渡すことになる。君主の地位の継承は2種類あり、君主の死によって継承される場合は﹁退位﹂と言わず、君主が生きているうちに地位権力を手放すことを﹁退位﹂という。また、君主自身の意思ではなく、革命や憲法などで他人が君主から地位権力を剥奪することは'''廃位'''︵英‥dethronement︶という︵ただし、この場合でも剥奪した側は退位を装うことがある︶。
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通常、[[革命]]や[[憲法]]や[[法律]]などによって[[君主制]]が廃止されない限りは、自動的に継承者に譲り渡すことになる。君主の地位の継承は2種類あり、君主の死によって継承される場合は﹁退位﹂と言わず、君主が生きているうちに地位権力を手放すことを﹁退位﹂という。また、君主自身の意思ではなく、革命や憲法などで他人が君主から地位権力を剥奪することは'''廃位'''︵英‥dethronement︶という︵ただし、この場合でも剥奪した側は退位を装うことがある︶。
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2016年︵平成28年︶7月13日の第125代天皇明仁の意向を示す主要各紙や放送各局の報道では、﹁'''生前退位'''﹂の表現が多く用いられた<ref>[ |
2016年︵平成28年︶7月13日の第125代天皇明仁の意向を示す主要各紙や放送各局の報道では、﹁'''生前退位'''﹂の表現が多く用いられた<ref>[http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20161022-00063507/ ﹁生前退位﹂は﹁歴史の書物にない表現﹂ 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は… ]</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJBX6V6ZJBXUTIL073.html ﹁退位﹂と﹁譲位﹂の使い分けは? 天皇陛下めぐる報道]</ref>。しかし﹁生前﹂という言葉はその人物の﹁死後﹂を前提として使用するため、存命の人物に対して﹁生前﹂という言葉は非礼に当たり、本来不適当なものであるとされる。通常、存命の人物に対して用いる語は﹁'''[[譲位]]'''﹂とするのが適切である<ref>[http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20161028-00063800/ 産経﹁譲位﹂に用語変更 朝日も﹁生前退位﹂不使用 他社は表記の混乱も]</ref>。
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[[中世]][[ヨーロッパ]]世界において、君主が生前に退位する事例はいくつも見られた。ただしそれは主に、政争に敗れての強制的なものだった。[[イングランド王国]]を例にとると、[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]︵[[1327年]]︶、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]︵[[1399年]]︶が挙げられる。革命で君主の座を追われる事例も[[近世]]以降には見られるようになった。同じくイングランドでは、[[名誉革命]]で亡命した[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]](1688年︶が代表例である。また、君主自身のスキャンダルを理由とする退位も、[[近代]]以降には生じるようになった︵[[バイエルン王国]]の[[ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ1世]]、[[イギリス]]の[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]など︶<ref name=":2">﹃中央公論﹄2016年9月号 p46 ﹁ヨーロッパ王室における﹁譲位﹂の現状﹂[[君塚直隆]]︵[[関東学院大学]]教授︶</ref>。
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[[中世]][[ヨーロッパ]]世界において、君主が生前に退位する事例はいくつも見られた。ただしそれは主に、政争に敗れての強制的なものだった。[[イングランド王国]]を例にとると、[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]︵[[1327年]]︶、[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]︵[[1399年]]︶が挙げられる。革命で君主の座を追われる事例も[[近世]]以降には見られるようになった。同じくイングランドでは、[[名誉革命]]で亡命した[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]](1688年︶が代表例である。また、君主自身のスキャンダルを理由とする退位も、[[近代]]以降には生じるようになった︵[[バイエルン王国]]の[[ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ1世]]、[[イギリス]]の[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]など︶<ref name=":2">﹃中央公論﹄2016年9月号 p46 ﹁ヨーロッパ王室における﹁譲位﹂の現状﹂[[君塚直隆]]︵[[関東学院大学]]教授︶</ref>。
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== 20世紀以降に退位した主な君主 == |
== 20世紀以降に退位した主な君主 == |
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=== 20世紀前半 === |
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|[[オスカル2世 |
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|[[1905年]][[10月26日]]<ref group="注釈">[[:en: 1905 Norwegian union dissolution referendum|1905年の国民投票]]によ |
|[[1905年]][[10月26日]]<ref group="注釈">[[:en: 1905 Norwegian union dissolution referendum|1905年の国民投票]]により[[スウェーデン]]との[[スウェーデン=ノルウェー|同君連合]]の解消。</ref> |
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|[[ホーコン7世]] |
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|[[1907年]][[7月20日]] |
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|純宗 |
|純宗 |
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|[[1910年]][[8月29日]] |
|[[1910年]][[8月29日]] |
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|1910年[[10月4日]] |
|1910年[[10月4日]] |
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|[[愛新覚羅溥儀 |
|[[愛新覚羅溥儀]] |
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|{{flagicon|Qing Dynasty}} [[中国帝王一覧|大清皇帝]] |
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|[[1912年]][[2月12日]]<ref group="注釈">[[辛亥革命]]による最初の |
|[[1912年]][[2月12日]]<ref group="注釈">[[辛亥革命]]による最初の退位。</ref> |
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|[[ |
|[[ニコライ2世]] |
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|{{flagicon|Russia}} [[ロシア皇帝]] |
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|[[1917年]][[3月15日]] |
|[[1917年]][[3月15日]] |
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|[[コンスタンティノス1世 |
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|{{flagicon|ギリシャ}} [[ギリシャ国王の一覧|ギリシャ国王]] |
|{{flagicon|ギリシャ}} [[ギリシャ国王の一覧|ギリシャ国王]] |
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|1917年[[6月11日]] |
|1917年[[6月11日]] |
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|[[アレクサンドロス1世 |
|[[アレクサンドロス1世_(ギリシャ王)|アレクサンドロス1世]] |
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|愛新覚羅溥儀 |
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|{{flagicon|Qing Dynasty}} 大清皇帝 |
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|1917年[[7月12日]]<ref group="注釈">[[張勲復辟]]後の再退位。</ref> |
|[[1917年]][[7月12日]]<ref group="注釈">[[張勲復辟]]後の再退位。</ref> |
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|''君主制廃止'' |
|''君主制廃止'' |
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|[[フェルディナン |
|[[フェルディナンド1世_(ブルガリア王)|フェルディナンド1世]] |
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|{{flagicon|Bulgaria}} [[ブルガリア君主一覧#ブルガリア王国(1908年_-_1946年)|ブルガリア国王]] |
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|[[1918年]][[10月3日]] |
|[[1918年]][[10月3日]] |
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|[[ボリス3世 |
|[[ボリス3世_(ブルガリア王)|ボリス3世]] |
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|[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]] |
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|{{flagcountry2|Austria-Hungary}}皇帝 |
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|[[ニコラ1世 |
|[[ニコラ1世_(モンテネグロ王)|ニコラ1世]] |
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|{{flagicon|Montenegro}} [[モンテネグロ王国|モンテネグロ国王]] |
|{{flagicon|Montenegro}} [[モンテネグロ王国|モンテネグロ国王]] |
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|1918年[[11月26日]] |
|1918年[[11月26日]] |
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|''[[セルビア王国_(近代)|セルビア王国]]と統合'' |
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|1918年[[11月28日]] |
|1918年[[11月28日]] |
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|''君主制廃止'' |
|''君主制廃止'' |
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|rowspan="2"|{{flagicon|ギリシャ}} ギリシャ国王 |
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|[[1922年]][[9月27日]] |
|[[1922年]][[9月27日]] |
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|[[ゲオルギオス2世 |
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|ゲオルギオス2世 |
|ゲオルギオス2世 |
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|[[1924年]][[3月25日]] |
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|[[ギリシャ第二共和政|第二共和政]]<ref group="注釈">[[:en: 1935 Greek monarchy referendum| |
|[[ギリシャ第二共和政|第二共和政]]<ref group="注釈">[[1935年]]の[[:en: 1935 Greek monarchy referendum|国民投票]]により復位。</ref> |
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|[[1930年]][[6月8日]] |
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|[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]] |
|[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]] |
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|[[アルフォンソ13世 |
|[[アルフォンソ13世_(スペイン王)|アルフォンソ13世]] |
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|{{flagicon|スペイン}} [[スペイン国王]] |
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|[[1931年]][[4月14日]] |
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|[[スペイン第二共和政|第二共和政]]<ref group="注釈">[[フランコ体制下のスペイン|フランコ政権]]に成立した法律により、1975年の[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]の死によって君主制を復活した︵この法律に定めた王位継承者はフアン・カルロス1世︶。</ref>
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|[[スペイン第二共和政|第二共和政]]<ref group="注釈">[[フランコ体制下のスペイン|フランコ政権]]に成立した法律により、[[1975年]]の[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]の死によって君主制を復活した︵この法律に定めた王位継承者はフアン・カルロス1世︶。</ref>
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|[[タイムール・ビン・ファイサル|タイムール]] |
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|{{flagicon|オマーン}} [[:en: List of rulers of Oman#List of Sultans|オマーン・スルタン]] |
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|[[1932年]][[2月10日]] |
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|[[:en: Said bin Taimur|サイード]] |
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|[[ラーマ7世|プラチャーティポック]] |
|[[ラーマ7世|プラチャーティポック]] |
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|[[ラーマ8世|アーナンタマヒドン]] |
|[[ラーマ8世|アーナンタマヒドン]] |
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|[[エドワード8世 |
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|{{flagicon|イギリス}} [[イギリス君主一覧|イギリス国王]] |
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|[[1936年]][[12月11日]] |
|[[1936年]][[12月11日]] |
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|[[ジョージ6世 |
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|カロル2世 |
|カロル2世 |
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|ミハイ1世 |
|ミハイ1世 |
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|愛新覚羅溥儀 |
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|{{flagicon|MCK}} [[満州国皇帝]] |
|{{flagicon|MCK}} [[満州国皇帝]] |
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|[[1945年]][[8月18日]] |
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|[[バオ・ダイ |
|[[バオ・ダイ]] |
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|{{ |
|{{flagicon|ベトナム}} [[ベトナム帝王一覧|ベトナム皇帝]] |
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|1945年[[8月25日]] |
|[[1945年]][[8月25日]] |
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|[[ペータル2世 (ユーゴスラビア王)|ペータル2世]] |
|[[ペータル2世 (ユーゴスラビア王)|ペータル2世]] |
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|1945年[[12月29日]] |
|1945年[[12月29日]] |
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|[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]] |
|[[ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世]] |
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|[[1946年]][[5月9日]] |
|[[1946年]][[5月9日]] |
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|[[ウンベルト2世]] |
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|{{flagicon|Sarawak}} [[サラワク王国|サラワク・ラージャ]] |
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|1946年[[7月1日]] |
|1946年[[7月1日]] |
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|[[イギリス]]に[[:en: Crown Colony of Sarawak|割譲]] |
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|[[シメオン・サクスコブルクゴツキ|シメオン2世]] |
|[[シメオン・サクスコブルクゴツキ|シメオン2世]] |
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|{{flagicon|Bulgaria}} ブルガリア国王 |
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|1946年[[9月15日]] |
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|rowspan="2"|''君主制廃止'' |
| rowspan="2" |''君主制廃止'' |
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|ミハイ1世 |
|ミハイ1世 |
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|[[1948年]][[9月4日]] |
|[[1948年]][[9月4日]] |
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|[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]] |
|[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]] |
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|[[1949年]][[8月20日]] |
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|[[:en: Ali bin Abdullah Al Thani|アリー]] |
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=== 20世紀後半 === |
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|[[トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ|トリブバン]] |
|[[トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ|トリブバン]] |
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|rowspan="2"|{{flagicon|ネパール}} [[ネパール王国の君主|ネパール国王]] |
| rowspan="2" |{{flagicon|ネパール}} [[ネパール王国の君主|ネパール国王]] |
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|[[1950年]][[11月7日]] |
|[[1950年]][[11月7日]] |
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|[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ギャネンドラ]] |
|[[ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ|ギャネンドラ]] |
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187行目: | 162行目: | ||
|[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]] |
|[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]] |
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|{{flagicon|ベルギー}} [[ベルギー国王の一覧|ベルギー国王]] |
|{{flagicon|ベルギー}} [[ベルギー国王の一覧|ベルギー国王]] |
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|1951年[[7月16日]] |
|[[1951年]][[7月16日]] |
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|[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン]] |
|[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン]] |
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195行目: | 170行目: | ||
|[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]] |
|[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]] |
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|[[タラール1世]] |
|[[タラール1世|タラール]] |
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|{{flagicon|ヨルダン}} [[ヨルダン王の一覧|ヨルダン国王]] |
|{{flagicon|ヨルダン}} [[ヨルダン王の一覧|ヨルダン国王]] |
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|1952年[[8月11日]] |
|1952年[[8月11日]] |
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|[[フセイン1世]] |
| [[フセイン1世|フセイン]] |
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|フアード2世 |
|フアード2世 |
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|[[ノロドム・スラマリット|スラマリット]] |
|[[ノロドム・スラマリット|スラマリット]] |
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|[[ファイサル2世_(イラク王)|ファイサル2世]] |
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|アリ― |
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|{{flagicon| |
|{{flagicon|イラク}} [[イラク国王一覧|イラク国王]] |
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|[[1960年]][[10月24日]] |
|[[1960年]][[10月24日]] |
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|[[:en: Ahmad bin Ali Al Thani|アフマド]] |
|[[:en: Ahmad bin Ali Al Thani|アフマド]] |
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225行目: | 205行目: | ||
|[[ジャン (ルクセンブルク大公)|ジャン]] |
|[[ジャン (ルクセンブルク大公)|ジャン]] |
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|[[:en: Omar Ali |
|[[:en: Omar Ali Saifuddin|サイフディン3世]] |
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|{{flagicon|ブルネイ}} [[ブルネイの国王|ブルネイ・スルタン]] |
|{{flagicon|ブルネイ}} [[ブルネイの国王|ブルネイ・スルタン]] |
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|[[1967年]]10月4日 |
|[[1967年]]10月4日 |
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|[[ハサナル・ボルキア]] |
|[[ハサナル・ボルキア]] |
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|サイード |
|[[:en: Said bin Taimur|サイード]] |
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|{{flagicon|オマーン}} オマーン・スルタン |
|{{flagicon|オマーン}} [[:en: List of rulers of Oman#List of Sultans|オマーン・スルタン]] |
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|[[1970年]][[7月23日]] |
|[[1970年]][[7月23日]] |
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|[[カーブース・ビン・サイード|カーブース]] |
|[[カーブース・ビン・サイード|カーブース]] |
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240行目: | 220行目: | ||
|[[ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー|ハリーファ]] |
|[[ハリーファ・ビン・ハマド・アール=サーニー|ハリーファ]] |
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|[[コンスタンティノス2世 |
|[[コンスタンティノス2世_(ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]] |
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|{{flagicon|ギリシャ}} ギリシャ国王 |
|{{flagicon|ギリシャ}} ギリシャ国王 |
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|[[1973年]][[6月1日]] |
|[[1973年]][[6月1日]] |
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|rowspan="2"|''君主制廃止'' |
| rowspan="2" |''君主制廃止'' |
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|[[サワーンワッタナー]] |
|[[サワーンワッタナー]] |
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|[[モショエショエ2世]] |
|[[モショエショエ2世]] |
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|rowspan="2"|{{flagicon|レソト}} [[レソトの国王一覧|レソト国王]] |
| rowspan="2" |{{flagicon|レソト}} [[レソトの国王一覧|レソト国王]] |
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|[[1990年]]11月12日 |
|[[1990年]][[11月12日]] |
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|[[レツィエ3世]] |
|[[レツィエ3世]] |
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267行目: | 247行目: | ||
|1995年[[6月27日]] |
|1995年[[6月27日]] |
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|[[ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー|ハマド]] |
|[[ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー|ハマド]] |
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|} |
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=== 21世紀前半 === |
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{| class="wikitable" |
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!style="width:11.5em" |名 |
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!style="width:11.5em" |位 |
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!style="width:8.5em" |日付 |
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!style="width:12em" |後継者 |
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|ジャン |
|ジャン |
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|[[明仁]] |
|[[明仁]] |
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|{{flagicon|日本}} [[天皇の一覧|天皇]] |
|{{flagicon|日本}} [[天皇の一覧|天皇]] |
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|2019年4月30日 |
|[[2019年]]4月30日 |
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|[[徳仁]] |
|[[徳仁]] |
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|[[マルグレーテ2世 (デンマーク女王)|マルグレーテ2世]] |
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|{{flagicon|デンマーク}} [[デンマーク女王]] |
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|[[2024年]][[1月14日]] |
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|[[フレデリック10世 (デンマーク王)|フレゼリク10世]] |
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|} |
|} |
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345行目: | 312行目: | ||
=== 天皇 === |
=== 天皇 === |
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{{also|譲位}} |
{{also|譲位}} |
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[[File:Emperor Akihito (2016).jpg |200px|平成31年[[4月30日]]に譲位した[[上皇明仁]]]] |
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日本では[[斉明天皇|皇極天皇]]が弟の[[孝徳天皇]]に皇位を譲った例を最古と<!--し、89例︵※︶の譲位が存在、第35代の皇極天皇が最古であることから譲位が125代中89例もあるとは考えにくい-->する︵なお、[[後小松天皇]]は[[明徳の和約|南北朝合一]]によって2度譲位を受けている<ref group="注釈">南朝の[[後亀山天皇]]が北朝の後小松天皇に譲国の儀により[[三種の神器]]を引き渡すという和約であったが、譲国の儀などの条項は北朝朝廷により反故とされ、譲国の儀なしに神器が後小松天皇の手に渡っている。</ref>︶。譲位した天皇には[[太上天皇]]︵上皇︶の尊号が奉られることが通例である。
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日本では[[斉明天皇|皇極天皇]]が弟の[[孝徳天皇]]に皇位を譲った例を最古と<!--し、89例︵※︶の譲位が存在、第35代の皇極天皇が最古であることから譲位が125代中89例もあるとは考えにくい-->する︵なお、[[後小松天皇]]は[[明徳の和約|南北朝合一]]によって2度譲位を受けている<ref group="注釈">南朝の[[後亀山天皇]]が北朝の後小松天皇に譲国の儀により[[三種の神器]]を引き渡すという和約であったが、譲国の儀などの条項は北朝朝廷により反故とされ、譲国の儀なしに神器が後小松天皇の手に渡っている。</ref>︶。譲位した天皇には[[太上天皇]]︵上皇︶の尊号が奉られることが通例である。
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# 必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る可能性があること |
# 必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る可能性があること |
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# 天皇が恣意的に退位をすることができるということ |
# 天皇が恣意的に退位をすることができるということ |
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というものがあり、それらの懸念から退位を認めていないとされていた<ref group="注釈">[ |
というものがあり、それらの懸念から退位を認めていないとされていた<ref group="注釈">[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1020/10104171020006a.html 昭和59年4月17日の参議院内閣委員会]における[[太田淳夫]]議員質問に対する[[山本悟 (侍従長)|山本悟]]宮内庁次長の答弁。</ref>。 |
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{{Main|明仁から徳仁への皇位継承}} |
{{Main|明仁から徳仁への皇位継承}} |
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しかし[[2016年]]([[平成]]28年)8月8日に[[明仁]](当時、天皇)の譲位の意向をにじませた「[[象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば|おことば]]」が発表され、その内容に国民も理解・共感をしていること<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第1条第2項</ref>から、皇室典範第4条に対する特例法として『[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]』が[[国会 (日本)|国会]]で成立し、2017年(平成29年)6月16日に公布、2019年(平成31年)4月30日に施行され、明仁はこの日限りで譲位、翌日皇太子徳仁親王が即位した。退位特例法の中で、第125代天皇である明仁に対し「'''法律の施行の日限り退位'''<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第2条</ref>し、ただちに'''上皇となる'''<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第3条</ref>」ことが明記された。また、「上皇」の新設に伴い[[上皇后美智子|美智子]](当時、[[皇后]])に対してもあらたに「'''[[上皇后]]'''」が設けられ、[[宮内庁]]に[[宮内庁上皇職|上皇職]]並びに上皇侍従長及び上皇侍従次長([[特別職]])を置く(附則第11条)ことも決定した<ref group="注釈">ただし、法の施行日(2019年4月30日)以前に第125代天皇・明仁が崩御するなどしてこの特例法が効力を失う可能性もあった(天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第2条)。</ref>。 |
しかし[[2016年]]([[平成]]28年)8月8日に[[明仁]](当時、天皇)の譲位の意向をにじませた「[[象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば|おことば]]」が発表され、その内容に国民も理解・共感をしていること<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第1条第2項</ref>から、皇室典範第4条に対する特例法として『[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]』が[[国会 (日本)|国会]]で成立し、2017年(平成29年)6月16日に公布、2019年(平成31年)4月30日に施行され、明仁はこの日限りで譲位、翌日皇太子徳仁親王が即位した。退位特例法の中で、第125代天皇である明仁に対し「'''法律の施行の日限り退位'''<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第2条</ref>し、ただちに'''上皇となる'''<ref group="注釈">天皇の退位等に関する皇室典範特例法第3条</ref>」ことが明記された。また、「上皇」の新設に伴い[[上皇后美智子|美智子]](当時、[[皇后]])に対してもあらたに「'''[[上皇后]]'''」が設けられ、[[宮内庁]]に[[宮内庁上皇職|上皇職]]並びに上皇侍従長及び上皇侍従次長([[特別職]])を置く(附則第11条)ことも決定した<ref group="注釈">ただし、法の施行日(2019年4月30日)以前に第125代天皇・明仁が崩御するなどしてこの特例法が効力を失う可能性もあった(天皇の退位等に関する皇室典範特例法附則第2条)。</ref>。 |
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[[イギリス]]では君主が健康であるかぎりは「譲位」という慣例がなく、君主に支障が生じた場合にも[[プリンス・オブ・ウェールズ|皇太子]]を[[摂政]]に据えて職務を代行させている<ref name=":2" />。 |
[[イギリス]]では君主が健康であるかぎりは「譲位」という慣例がなく、君主に支障が生じた場合にも[[プリンス・オブ・ウェールズ|皇太子]]を[[摂政]]に据えて職務を代行させている<ref name=":2" />。 |
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[[グレートブリテン王国]]成立以降の国王で退位したのは、[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]のみである。[[1936年]]、離婚経験があるアメリカ人女性[[ウォリス・シンプソン]]と結婚するため、 |
[[グレートブリテン王国]]成立以降の国王で退位したのは、[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]のみである。[[1936年]]、離婚経験があるアメリカ人女性[[ウォリス・シンプソン]]と結婚するため、即位後1年を待たず退位した。「王冠を賭けた恋」として有名である。 |
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<blockquote {{法令/blockquote@style}}> |
<blockquote {{法令/blockquote@style}}> |
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;エドワード8世国王陛下の退位宣言への効力付与等のための法律(英国) |
;エドワード8世国王陛下の退位宣言への効力付与等のための法律(英国) |
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!(制定文) |
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[[エリザベス2世]]は |
現在の[[イギリスの君主|女王]][[エリザベス2世]]は{{年数|1926|4|21}}歳と高齢ながら、イギリスで退位議論は起きていない。理由として、
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# 女王自身が若い頃に生涯をささげると誓った |
# 女王自身が若い頃に生涯をささげると誓った |
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# イギリスの制度は終身の君主を想定している |
# イギリスの制度は終身の君主を想定している |
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== オランダ == |
== オランダ == |
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* 【憲法(1814年制定)第27条】 退位の場合には、前条に定められた規定に従った王位継承に繋がる。退位後に生まれた子及びその子孫は、王位継承から除外される。 |
* 【憲法(1814年制定)第27条】 退位の場合には、前条に定められた規定に従った王位継承に繋がる。退位後に生まれた子及びその子孫は、王位継承から除外される。 |
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* 【同28条】 国王は、法律による承認を得ないで婚姻をした場合、退位したものとみなす<ref name=":1">[ |
* 【同28条】 国王は、法律による承認を得ないで婚姻をした場合、退位したものとみなす<ref name=":1">[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai7/sankou1.pdf 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議 2016年12月14日 配付資料 海外制度関連規定(PDF/ 67KB)]</ref>。 |
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[[オランダ]]では19世紀においてすでに、[[ウィレム1世 (オランダ王)|ウィレム1世]]が退位し[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]が王位を継承した例がある︵さらにさかのぼると、ウィレム1世は[[オラニエ公]]の地位と[[オラニエ=ナッサウ家]]の家督を[[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]公から譲位されている︶。
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[[オランダ]]では19世紀においてすでに、[[ウィレム1世 (オランダ王)|ウィレム1世]]が退位し[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]が王位を継承した例がある︵さらにさかのぼると、ウィレム1世は[[オラニエ公]]の地位と[[オラニエ=ナッサウ家]]の家督を[[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]公から譲位されている︶。
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* 【憲法(1978年制定)第57条第5項】退位及び王位放棄、並びに王位継承順序につき生じる事実上または法的な疑義は、組織法によりこれを解決するものとする。<ref name=":1" /> |
* 【憲法(1978年制定)第57条第5項】退位及び王位放棄、並びに王位継承順序につき生じる事実上または法的な疑義は、組織法によりこれを解決するものとする。<ref name=":1" /> |
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* 【[[スペイン・ブルボン朝|ブルボン家]][[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス一世]]国王陛下の退位につき定める[[組織法]]】<ref name=":1" /> |
* 【[[スペイン・ブルボン朝|ブルボン家]][[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス一世]]国王陛下の退位につき定める[[組織法]]】<ref name=":1" /> |
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!ブルボン家フアン・カルロス一世国王陛下の退位につき定める組織法(組織法3/2014) |
!ブルボン家フアン・カルロス一世国王陛下の退位につき定める組織法(組織法3/2014) |
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:首相[[マリアノ・ラホイ・ブレイ]] (署名) |
:首相[[マリアノ・ラホイ・ブレイ]] (署名) |
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[[1975年]]の王政復古でスペイン国王に即位した[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]が高齢︵76歳︶であること、皇太子が王位継承の準備ができており、退位は安定的な王位継承に資することを理由に、[[2014年]]に退位の文書に署名し |
[[1975年]]の王政復古でスペイン国王に即位した[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]が高齢︵76歳︶であること、皇太子が王位継承の準備ができており、退位は安定的な王位継承に資することを理由に、[[2014年]]に退位の文書に署名し退位を表明した<ref name=":0" />。スペイン議会も退位を可決したため、王太子フェリペが新国王に即位し[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]となった。
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== ベルギー == |
== ベルギー == |
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[[ベルギー]]では、第二次世界大戦後に2度の退位が行われている。 |
[[ベルギー]]では、第二次世界大戦後に2度の退位が行われている。 |
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* [[1951年]]の[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]から[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]への王位継承。レオポルドが大戦中にとった[[ナチス・ドイツ]]への態度などから愛国心に疑念を持たれ、国民の間に論争が起こったので、それを収拾するために行われた。そのため﹁強制退位﹂の性格がある。 |
* [[1951年]]の[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]から[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]への王位継承。レオポルドが大戦中にとった[[ナチス・ドイツ]]への態度などから愛国心に疑念を持たれ、国民の間に論争が起こったので、それを収拾するために行われた。そのため﹁強制退位﹂の性格がある。
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* [[2013年]]の[[アルベール2世 (ベルギー王)|アルベール2世]]から[[フィリップ (ベルギー王)|フィリップ]]への王位継承。年齢と健康の問題により自らの思うように職務を遂行できないこと、皇太子が王位継承の準備ができており、次世代にバトンを引き継ぐべき時期が来たと判断したことから、自由意思による退位の意向を表明した<ref name=":0" />。
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* [[2013年]]の[[アルベール2世 (ベルギー王)|アルベール2世]]から[[フィリップ (ベルギー王)|フィリップ]]への王位継承。年齢と健康の問題により自らの思うように職務を遂行できないこと、皇太子が王位継承の準備ができており、次世代にバトンを引き継ぐべき時期が来たと判断したことから、自由意思による退位の意向を表明した<ref name=":0" />。
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同一王朝内で退位が比較的平穏裏に行われた場合、退位した元君主やその親族は、旧来と同等の礼遇をもって接することが約されることが多い。東アジアでは[[太上皇]]、[[太上天皇]]といった[[尊号]]が奉られることが通常で、旧臣とのつながりや君主との父子関係を背景に権力を保持することもある。同一王朝内の退位でもクーデター的に退位に追い込まれた場合は、幽閉されたり尊号が奉られない場合もあり、死後に庶人扱いを受けることもある。簒奪を狙う権臣によって退位させられた場合は殺害されることもある。また[[ローマ帝国]]の皇帝は五体満足であることが要件であったため、復位することがないよう[[コンスタンティノス6世]]のように身体に損傷を与えられることもあった。
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同一王朝内で退位が比較的平穏裏に行われた場合、退位した元君主やその親族は、旧来と同等の礼遇をもって接することが約されることが多い。東アジアでは[[太上皇]]、[[太上天皇]]といった[[尊号]]が奉られることが通常で、旧臣とのつながりや君主との父子関係を背景に権力を保持することもある。同一王朝内の退位でもクーデター的に退位に追い込まれた場合は、幽閉されたり尊号が奉られない場合もあり、死後に庶人扱いを受けることもある。簒奪を狙う権臣によって退位させられた場合は殺害されることもある。また[[ローマ帝国]]の皇帝は五体満足であることが要件であったため、復位することがないよう[[コンスタンティノス6世]]のように身体に損傷を与えられることもあった。
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王朝交代を伴う退位では、[[魏 (三国)|魏]]が[[後漢]]に取って代わった際に後漢の[[献帝 (漢)|献帝]]が山陽公として貴族となった例など、旧王朝の君主が新王朝の貴族となった例も複数あるが、反乱勢力に推戴されることを恐れて旧皇族や旧王族ともども皆殺しにされる例も少なくない︵[[朝鮮]]の[[高麗王朝]]の王家一族、ロシアの[[ロマノフ王朝]]の[[ |
王朝交代を伴う退位では、[[魏 (三国)|魏]]が[[後漢]]に取って代わった際に後漢の[[献帝 (漢)|献帝]]が山陽公として貴族となった例など、旧王朝の君主が新王朝の貴族となった例も複数あるが、反乱勢力に推戴されることを恐れて旧皇族や旧王族ともども皆殺しにされる例も少なくない([[朝鮮]]の[[高麗王朝]]の王家一族、ロシアの[[ロマノフ王朝]]の[[ニコライ2世]]一家、など)。 |
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スペイン王国、ヨルダン・ハシェミット王国、ブータン王国、ベルギー王国は、名誉的に退位前の国王の称号を使用し続けている。また、オランダ王国では国王即位前の称号([[プリンス]]、[[プリンセス]])を使用している。イギリス、カタール国では新たな称号が付与されている([[ウィンザー公爵]]、国父)<ref name=":0">[ |
スペイン王国、ヨルダン・ハシェミット王国、ブータン王国、ベルギー王国は、名誉的に退位前の国王の称号を使用し続けている。また、オランダ王国では国王即位前の称号([[プリンス]]、[[プリンセス]])を使用している。イギリス、カタール国では新たな称号が付与されている([[ウィンザー公爵]]、国父)<ref name=":0">[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai7/shiryo1.pdf 海外の主な制度及び事例の概要について]</ref>。 |
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;[[韓国併合ニ関スル条約]]([[1910年]]) |
;[[韓国併合ニ関スル条約]]([[1910年]]) |
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;[[清室優待条件]]([[1912年]]) |
;[[清室優待条件]]([[1912年]]) |
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:「大清皇帝」の尊号を受け、外国君主と同等の待遇を受けることとなった。後に反故にされた。 |
:「大清皇帝」の尊号を受け、外国君主と同等の待遇を受けることとなった。後に反故にされた。 |
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;[[エドワード8世の退位 |
;[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]の退位(1936年) |
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:「[[イギリス|グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国]]ならびに[[英連邦王国|海外自治領]]の国王、[[インド皇帝]]」を自発的に退位した。退位後は「ウィンザー公爵」の爵位を受けた。 |
:「[[イギリス|グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国]]ならびに[[英連邦王国|海外自治領]]の国王、[[インド皇帝]]」を自発的に退位した。退位後は「ウィンザー公爵」の爵位を受けた。 |
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;[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]](2017年) |
;[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]](2017年) |
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: 第125代天皇[[明仁]]の退位について規定した法律。退位した天皇に対し、「上皇」の称号を付した。 |
: 第125代天皇[[明仁]]の退位について規定した法律。退位した天皇に対し、「上皇」の称号を付した。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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*[[譲位]] |
*[[譲位]] |
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*[[禅譲]] |
*[[禅譲]] |
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*[[放伐]] |
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*[[ベネディクト16世の辞任]]: [[教皇|ローマ教皇]]は君主ではないが、[[バチカン]]の「終身制の国家元首」であり、生前に地位を手放すことは2013年まで600年近くなかった。 |
*[[ベネディクト16世の辞任]]: [[教皇|ローマ教皇]]は君主ではないが、[[バチカン]]の「終身制の国家元首」であり、生前に地位を手放すことは2013年まで600年近くなかった。 |
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*[[象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば]] |
*[[象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば]] |
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*[[退位の礼]] |
*[[退位の礼]] |
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== 外部リンク == |
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* {{Kotobank}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:たいい}} |
{{DEFAULTSORT:たいい}} |
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[[Category:退位| |
[[Category:退位した人物|*]] |
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[[Category:君主制]] |