ありあけ号
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ありあけ号︵ありあけごう︶は、九州産業交通、長崎県営バス、島鉄バスがかつて長崎市~熊本市間で運行していた特急バスの愛称。有明海を航行する有明フェリーを経由することで[1]、大幅な時間短縮を可能とした。高速道路網の整備で高速バス﹁りんどう号﹂に熊本と長崎を結ぶ役割を譲る。
停留所
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1968年︵昭和43年︶頃
辛島町 - 植木 - 玉名産交 - 長洲港 - 多比良港 - 愛野 - 諫早駅前 - 長崎駅前
廃止時点
熊本駅前 - 熊本交通センター - 植木 - 玉名駅 - 長州港 - 多比良港 - 愛野 - 諫早駅前 - 中央橋︵長崎行の降車のみ︶ - 長崎駅前
●長州港~多比良港間は有明フェリーに乗船[1]。
●フェリー利用客が船内でバスに乗車することも可能だった︵運賃はフェリー着地から計算︶
●開設当初 5往復︵産交2、県営2、島鉄1︶
●フェリーを利用するため、フェリーのドック入りの時にはダイヤが変更された。
所要時間
[編集]- 3時間35分(バス乗車時間のみ)
- フェリー乗船時間を含めると4時間10分
運賃
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1968年︵昭和43年︶当時
運賃670円︵特急料金30円含む︶
廃止時点
運賃2,770円︵大人料金。バス運賃2,400円、フェリー運賃370円︶
●なお、同一県内の陸路のみの乗車であっても、回数券や定期券での乗車は不可だった。
沿革
[編集]昭和
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●1968年︵昭和43年︶12月21日- 運行開始。1日5往復︵産交2、県営2、島鉄1︶とする。
●1969年︵昭和44年︶
●3月5日 - 熊本交通センターが開業、1ホーム1番乗り場︵現NTT研修センター方面行き等が発車している所︶発となる。
●8月1日 - 7往復︵産交3、県営2、島鉄2︶に増便。
●1970年︵昭和45年︶
●3月1日 - 産交3、県営3、島鉄1に変更
●7月26日 - 9往復に増便︵産交4、県営3、島鉄2︶熊本終着は熊本駅前まで延長、熊本発は交通センターからそのままとなる。
●8月1日 - ワンマン化
●1975年︵昭和50年︶4月1日 - 14往復︵うち1往復は季節運行/産交6、県営5、島鉄3︶とする。熊本発着が熊本駅前となる。
●1978年︵昭和53年︶5月1日 - 季節便を廃止し、13往復︵産交6、県営4、島鉄3︶とする。
●1980年︵昭和55年︶
●6月 - 10往復︵産交5、県営3、島鉄2︶に減便。
●10月1日 - 国鉄の急行熊本~長崎﹁ちくご﹂が廃止される。
平成
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●1989年︵平成元年︶5月 - 九州自動車道、長崎自動車道経由の高速バス﹁りんどう号﹂6往復︵産交3、県営3︶を開始。
●1991年︵平成3年︶
●高速バス﹁りんどう﹂号8往復︵産交4、県営4︶に増便。
●6月1日 - 6往復︵産交3、県営3︶に減便し、島鉄バスが撤退。︵普賢岳噴火の影響︶
●1992年︵平成4年︶
●6月1日 - 4往復︵産交2、県営2︶に減便。
●8月 - 高速バス﹁りんどう号﹂が10往復︵産交5、県営5︶に増便。
●1995年︵平成7年︶
●3月1日 - 2往復︵産交1、県営1︶に減便。
●11月1日 - 1往復︵県営1︶に減便し、九州産業交通が撤退。
●1997年︵平成9年︶5月頃 - 廃止。28年半の歴史に幕を閉じる。
関連項目
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●鹿屋市コミュニティバス﹁鹿児島中央駅-鹿屋間直行バス﹂ - 鹿児島県鹿児島市と鹿屋市を結ぶバス。途中、鴨池・垂水フェリーをバスごと乗船する。バス車両ごとフェリーに乗船するものとしては唯一現存する路線である。
●別府ゆけむり号︵廃止︶ - かつて広島県広島市と大分県別府市を結んでいた高速バス。途中、スオーナダフェリーにバスごと乗船していた。
●九州横断バス︵廃止︶ - 過去に熊本 - 長崎間で競合していた。1964年から1993年まで九州商船三角-島原航路、1993年から1998年まで同社熊本-島原航路、1998年から2004年までと、2010年から2017年まで熊本フェリー熊本-島原航路をバスごと利用していた。
●りんどう号