アデライード・ド・トゥール
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アデライード・ド・トゥール Adélaïde de Tours | |
---|---|
死去 |
866年以降 |
配偶者 | オセール伯・パリ伯コンラート1世 |
パリ伯ロベール豪胆公 | |
子女 |
コンラート2世 ユーグ ルドルフ ユーディト ヴェルフ1世(2世) ウード ロベール1世 |
家名 | エティコーネン家 |
父親 | トゥール伯ユーグ |
母親 | アヴァ |
アデライード・ド・トゥール︵Adélaïde de Tours, ? - 866年以降︶は、エティコーネン家のトゥール伯ユーグ︵837年没︶とアヴァ︵839年没︶との間の娘。アデライードは2回の結婚により、ヴェルフ家、コンラディン家およびロベール家︵のちカペー家︶をつなぐ重要な役割を果たした。
生涯[編集]
821年10月に姉エルマンガルドが皇帝ロタール1世と結婚したことで、アデライードの一族はカロリング朝宮廷で中心的な役割を果たすようになる。 アデライード自身は、最初にヴェルフ家のコンラート1世と結婚した。コンラート1世の姉妹ユーディトは皇帝ルートヴィヒ1世の二度目の妃、エンマは東フランク王ルートヴィヒ2世の妃であった。アデライードとコンラート1世との結婚の時期は不明である。アデライードはコンラート1世との間に少なくとも3男1女をもうけた。 ●コンラート2世︵? - 876年︶ - オセール伯 ●ユーグ︵? - 886年︶ - オセール伯、ネウストリア辺境伯、トゥール伯、アンジェ伯 ●ルドルフ︵? - 864年以前︶ - サン=リキエ修道院長、ジェミエージュ修道院長 ●ユーディト - コンラディン家のラーンガウ伯ウード2世と結婚、孫は後の東フランク王コンラート1世[1]。 また、以下もアデライードとコンラートとの間の息子とみられる。 ●ヴェルフ1世︵2世︶ - コンラート1世の弟ルドルフの息子とも考えられている。リンツガウ伯、アルプガウ伯。 コンラート1世の死︵862年以降︶の後、864年初めにアデライードはロベール家のヴォルムスガウ伯、トゥール伯およびパリ伯のロベール豪胆公と結婚した。その2年後、ロベール豪胆公はブリサルトの戦いにおいて戦死した。アデライードはロベールとの間に2男をもうけた。 ●ウード︵852年以降 - 898年︶ - 西フランク王︵888年 - 898年︶[2] ●ロベール1世︵865年頃 - 923年︶ - 西フランク王︵922年 - 923年︶ ロベール豪胆公の死、および息子ロベールの誕生以降のアデライードの記録は残されていない。脚注[編集]
参考文献[編集]
- Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln. Band I.2, 1999, Table 200A; Band 2, 1984, Table 10 and Band III.4, 1989, Table 736
- Donald C. Jackman: Die Ahnentafeln der frühesten deutschen Könige. In: Herold-Jahrbuch. Neue Folge. 15. Band, 2010