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オオタ自動車工業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オオタ・OC型フェートン(1936年)

195732)

1930

[]

[]


188619 - 195631

21

191043191245

6

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19143911.7L1002224[ 1]19165576

19176

191984-

1189326- 1967421922114OSOHV4965cc92895mm570kg

OS19231291

OSOS

OS11933810696,500km

[]


193059

1928350cc909mm2

1930500cc/2.8m/1.2m

OS19302484cc5N-5OS41931N-5


750cc[]

N-71936

500cc使

419327748ccN-7897ccN-9N-54

N-7736cc[ 2]E-8E-97722cc860ccD-101950[ 3]

421932750cc900cc750cc1933750ccN-7

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500kg4222.8m3.03m1,7501,8502,080

750cc1519331935160[ 4]

[]




1931-193319349

1934193543100

193645503000250

1913-1998

1937ODX25()

241930

19379608,752

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19231936748cc23400kg

19366731-21054

19361125DOHC52

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1938

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1936使()()34E-711200cc

19379

193719382161937809194019421940

1945

1947GHQ1950195324CV
VF1953
VFE-91953N-7

退1916-1997

1951

1947N-7E-8760cc20PS1951903cc23PSE-9226PS4OHV1263cc45PSE-13KD195519531453cc48PSROHV



19521953925764-9KC149PAPB6025-30%調1101955[ 5]

[]


195328719531954

195491.61119551

195535

[]


1955退SUBARU1500ccT10360[ 6]

オオタ自動車工業を引き受けた日本交通の背後には、五島慶太が率いる東急グループの存在があった。彼らは既にくろがね3輪トラックで知られた日本内燃機を傘下に収めており、両社を合併させて新しい自動車メーカーを立ち上げようという野望があった。現にブリヂストンの資本投入後、富士精密工業が僅か数年で業界の有力メーカーに育った例もあり、1957年4月にオオタと日本内燃機が合併して6月に誕生した日本自動車工業への東急・日交の期待は大きかった。しかし戦前からのオオタ・くろがねの知名度と東急の資本力をもってしても、既に高度な技術力・販売力・経営力が必要になっていた自動車産業への参入障壁をクリアすることは出来なかった。


34E-13

19591960419621100%

[]


OS1933 - 748cc

OD1937 - 736cc

PA1947-1954 - 3.6m760cc20PSE-81953PA-5PBE-9903cc23PS1954PA-6219534

PB/PH1951-1954 - 1949E-9903cc4PA

OS1947-1951KA/KB/KC1951-1954 - 750kg-1tOS760ccE-81951K903ccE-9500kgVVC(1951/1952)

PC/PD1952 - 419491950E-6PCE-9PDPD()

PF/PX1955 - PBPF6PX4

PK1955-1956 - (1950-1956)34[ 7]PBE-91956辿S

KE/VM1957-1959 - 1.5E-1348PS31959

PL1958 - PKPKPGE-9E-13OHV1000cc40PSE-101958

[]


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1958

(200010-12)

殿   (PDF)

[]


 ()

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 421

(二)^ 1950750cc722cc

(三)^ 427N-7

(四)^ 1933-1934(Ohta)

(五)^ 1951PA-2[1]

(六)^ 360199510[2]

(七)^ 1951SF

出典[編集]

  1. ^ 五十嵐『写真が語る自動車の戦後』ネコ・パブリッシング 1996年 p254
  2. ^ 日本自動車工業会 百瀬晋六インタヴュー