ザ・ダーツ
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ザ・ダーツは、日本のグループ・サウンズ。
概要[編集]
1966年4月、京都府立朱雀高校に入学した土森勝則、原田和夫、橋本謙次の三名によって結成されたウエスタンバンドであったが、ザ・ベンチャーズやシャドウズに刺激され、当時中学3年生だった浅井たかしをサイドギターとして迎え入れて、同年夏にはエレキ・インストのバンドに発展していった。同年9月に入り京都のカレッジアン・クラブに所属。同年12月、同クラブの主催するコンサートで "ザ・ワイルドワンズ" と初共演を果たした。元々インスト・バンドであった彼らは、このコンサートを切っ掛けにボーカルの重要性を感じ、土森勝則がボーカルを担当するようになっていった。たまたま他のグループが演奏していた﹃ケメ子の歌﹄︵作詞・作曲‥馬場祥弘、採譜・編曲・補作‥浜口庫之助︶を取り入れ、練習を開始。 その後、毎日放送﹁歌え、MBS・ヤング・タウン﹂に出演する機会に恵まれ、﹃ケメ子の歌﹄を披露。それが大反響を呼び、急遽コロムビア・レコードからB面に﹁ブーケをそえて﹂と同時にレコーディングされ、1968年2月1日、レコードデビューを果たした。 もっとも競作で先に日本ビクターにて1月25日にザ・ジャイアンツがリリースしていた同じ﹁ケメ子の唄﹂が本命視されていたが、ザ・ジャイアンツ盤はオリコンチャート6位に対し、ザ・ダーツ盤がオリコンチャート2位という快挙を遂げ、公証120万枚、売上総数68万枚という、華々しくデビューを飾った。その後、コロンビアより、ゴールドディスク賞取得 その後、2枚のシングル﹁いつまでもスージー﹂︵C.W ﹁君は恋の花﹂︶・﹁遠い人﹂︵C,W﹁黄色いあめ玉﹂︶をリリースするも1969年夏には大学復学により解散に。出演映画[編集]
- 思い出の指輪(1968年、松竹)